エイプリルフールと黒猫
――自宅にて(ゴードン視点)
とある日の午後。
私はカレンダーに目をやった際、『あること』に気が付いた。
「ふむ、明後日はエイプリルフールか」
と言っても、一人暮らし+犬二頭+猫二匹という家族構成である以上、嘘を吐く相手は居ない。
かと言って、仕事にまでそれを持ち込む気はなかった。獣医という職業柄、ここに来る患者やその飼い主達に嘘を吐くなど、冗談でもやっていいことではない。
と、なると。
残るは、自分の家族達がその対象。思わず、その『家族達』を思い浮かべた。
「エル達は人の言葉を理解してそうだな……」
うちの子達は『人の言葉を完璧に理解できているのでは?』と思ってしまうほど賢い。勿論、人の言葉が話せるわけではないので、あくまでも飼い主である私の主観に過ぎないけれど。
……が。
そう思ってしまうほど、エル達は手がかからなかった。というか、犬達は私を含めた家族のボスがエルだと思っている節がある。
飼い主としては由々しき事態であった。人間、猫に敗北す。
ただし、飼いやすい点は非常にありがたい。
特に無視されているわけではないので、今のところ問題はない。……問題はない、のだが。
その、少々、人間としての存在意義に疑問を持ち、黄昏たくなるだけである。愛猫や愛犬達にとって、飼い主とはどのような存在なのか、聞けるものなら聞いてみたい。
そこでふと、新たに迎え入れた『家族』のことを思い出した。
「そうか、ミヅキが居たな」
元野良の黒い子猫。かなり小柄で、ぬいぐるみのような愛らしい見た目ながら、エルを恐れずに懐いた変わった子。
ミヅキも中々に賢いようだが、それでも猫である。しかも子猫。さすがにエル達よりも賢いということはないだろう。そもそも、人の言葉を理解しているのか怪しい。
――そこまで考えて、不意に悪戯心が湧き上がった。
「たまにはいいだろうか」
私とて、彼らの家族である。ぶっちゃけ、『うちの子最高! うちの子賢い! その愛らしさと賢さに平伏すがいい……!』とばかりに自慢したい。
……いや、実はこっそり自慢しているのだ。
待合室には一冊のアルバムが置かれている。その中の写真は当然、うちの子達オンリー。
これまでは非常に落ち着いた姿ばかりのエル達だったが、ミヅキが来てからは実に微笑ましい行動が多くなったのだ。
エルの大きな頭、その耳の間から顔を覗かせるミヅキとか。
ミヅキに腹をベッド代わりにされ、ご満悦なアルとか。
丸くなって眠るクラウスの上、同じように丸くなって眠るミヅキ……二匹の姿は黒い鏡餅。
子猫の奔放さに巻き込まれる形で、微笑ましいシーンが非常に多いのである。
なお、最近のベストショットは『窓枠に前足を着いて立ち上がり、外を覗くエルと、エルの後ろ脚に縋りながら立ち上がって、エルと同じ物を見ようとするミヅキ』。
勿論、ミヅキからは何も見えまい。単に、エルの真似をしたかっただけと思われた。
親子。とっても猫親子。
猫は勿論、様々な生き物から怖がられていたエル(雄)は今や、すっかり教育熱心で子煩悩な親猫であった。
余談だが、あまりにも甲斐甲斐しく子猫の面倒を見ているため、『エルは雌猫だった』『エルが子猫を産んだ』『すっかり母猫』などと言われていたりする。
……。
勘違いされても仕方ないし、好ましく思われているようなので絶賛放置しているが。アルバムに『親猫』と表記したのが拙かった気がしなくもないが、些細なことだろう。
そんな微笑ましい『猫親子』を思い出しながらも、私の頭にはある『嘘』が浮かんでいた。……試してみてもいいだろうか。
※※※※※※※※※
――エイプリルフール当日。
一人の女性を伴って、私はエル達と対峙した。エルの傍には当然とばかりに、黒い子猫が控えている。
視線で促せば、女性はそっとミヅキの傍にしゃがみ込んだ。
「まあ、可愛い! ……ねぇ、うちの子になってくれない?」
「エル。ミヅキを引き取りたいという方がいるんだ。そろそろ、親離れしてもいい頃合いではないかね?」
エル達はどこか呆然としながらも、ミヅキへと顔を向ける。特にエルは葛藤しているようで、いつもと比べて落ち着きがない。
……そして。
その当事者とも言えるミヅキは。
「みゅ……」
じりじりと女性から距離を取ると、素早く全身を使って抱き付いた。親猫と慕うエル……のふさふさとした『尻尾』に。
「え?」
「は?」
思わず声を上げる人間達をよそに、エルは固まっていた。犬達も呆気にとられた表情になっている。
まあ、それも当然だろう。ささやかな抵抗とばかりに腹の下に潜ろうとしたり、どこかに隠れることは予想していたが、エルの尻尾にへばり付くとは思うまい。
寧ろ、ミヅキの賢さに拍手すべきか、呆れるべきか、悩む事態である。
……賢い。これでは無理矢理、引き離せないじゃないか。
エルも生きている以上、ミヅキの体を無理に引っ張るわけにはいくまい。ミヅキはそれを理解しているからこそ、咄嗟にエルの尻尾にへばり付いたのだろう。
エルとて、ミヅキを腹の下に匿ってやりたいのだろうが、当のミヅキがしがみ付いているのは己の尻尾。どうすることもできず、その場に硬直しているらしかった。
そんな二匹の様子を眺めていた女性は小さく噴き出すと、安心させるようにエルの頭を撫でた。
「ごめんなさいね、エル。嘘よ、今日は嘘をついてもいい日なの。……忘れちゃったかしら? 貴方、元は私の所に居たのよ」
女性の職業は猫のブリーダー。つまり、エルが私の下に来る前の飼い主とも言える人だ。
仕事繋がりで知り合った彼女からエルのことを相談され、最終的にエルは我が家にやって来た。
「悪かったな、エル。ミヅキもそこまで嫌がる……いや、理解できるとは思わなかった」
エルの尻尾にしがみ付いたままの、黒い子猫に視線を向ける。間違いなく、ミヅキはエル達同様、人の言葉が理解できている。
そうでなければ、咄嗟に連れて行かれないようにすることなどできまい。見知らぬ人に脅えたならば、どこかに隠れるはずなのだから。
……だからと言って、エルの尻尾にしがみ付くのもどうかとは思うがね? 随分と狡猾じゃないか、さすが生きることに貪欲な野良出身。
「ふふ、安心したわ。他の子達とも仲良くやれているようだし、今はすっかり親猫なのね。……ここに引き取ってもらって良かったわ。孤独に生きるなんて、寂し過ぎるもの」
「貴女の目から見ても、エルは幸せそうに見えますか?」
「ええ。ゴードン先生の悪戯に付き合うことにはなったけど、この結果を見れただけでも満足よ」
女性は微笑んでエルの、そしてミヅキの頭を撫でた。エルは不思議そうに首を傾げていたが、記憶のどこかで自分を慈しんでくれた女性のことを覚えていたのだろう。大人しく撫でられている。
ミヅキはそんなエルの態度に警戒心を緩めたのか、一度エルの方を窺うように眺めた後、大人しく撫でられることにしたようだ。……相変わらず、エルの尻尾にしがみ付いたままではあったけれど。
「皆と仲良くね」
最後にそれだけ言うと、女性は部屋を後にする。その後を追うように退室した私の視界の端に映ったのは――慌てて猫親子の傍にやって来る、二頭の犬達の姿だった。
彼らも状況が理解できる賢さを持つゆえ、成り行きを案じていたのだろう。そして私も、そんな光景に安堵した一人。……もうこんな悪戯はすまい。この四匹を引き離すことなど、私とて考えられないのだから。
――その後。
「なぅ〜、みぅ〜」
「……」
家具の隙間に向かって鳴くエルと、その傍をうろうろする犬達の姿が見られるようになった。どうやら、ミヅキはここから連れ出されることを警戒しているらしく、隠れてしまっているようなのだ。
エルを始め、犬達は体が大きい。子猫、それもかなり小柄な体躯のミヅキがちょっとした隙間に入り込んでしまうと、連れ出すことは不可能。
元野良であったミヅキにとっては隠れるなどお手のものだろうし、警戒心が強いのも当然のこと。食事やトイレなどは済ませているようだが、姿を見せるのは本当に最低限。
それも警戒心を露にしたまま、『さっと済ませて、即隠れる』というものなので、私はあれからミヅキの姿をろくに見ていない。
完全に、自業自得である。すまない、ミヅキ。私が悪かった……!
……そして悪戯の代償は、ミヅキの行動が隠密化したことだけにとどまらず。予想外の方面からも抗議を向けられることになった。
言うまでもなく、エル達である。
ミヅキに出てくるよう促す傍ら、私の姿を見るとジトッとした恨みがましい目を向けてくるのだ。
……。
まあ、百歩譲ってエルならばまだ判る。何故、そこの犬達までエルに便乗――特に酷いのがアルジェントだ――しているのかね!?
「いや、その、唸り声まで上げなくても」
低く呻りながら、私を警戒するアルジェント。クラウスは呻りこそしないものの、冷たい目を向けてくる。
そんな私達の遣り取りをよそに、エルはミヅキが隠れているだろう場所へと呼びかけていた。ミヅキも時々は鳴き返しているようだが、出てくる気配は全くない。
……黒い子猫が安全と確信し、以前のような状態に戻るのは、これより十日ほど後のことであった。
エル達の地雷を踏み抜くゴードン。飼い主としての威厳ゼロ。
黒猫、実力行使にて里子に出されるのを断固拒否。
気が向いたら、猫達視点とか書こうかな~。