年末小話 穏やかな一時に
皆様、良いお年を。
午後の日差しが差し込む、ある冬の日。獣医ゴードンの家の一室では――
「エルは一体、どうしたんです? 珍しいですね」
金色の大型猫が、ふかふかのラグの上でぐったりと伸びていた。猫ならば珍しくはない光景だろうが、転がっているのがエルならば、話は別だ。
エルは血統書付きの長毛種、そして美猫。それだけでなく、その性格も非常に育ちの良さを感じさせている。つまり、本能を忘れたかのような気の抜けた姿――ぶっちゃけ、だらしない恰好――をすることなど皆無であった。
健康診断から帰って来たアルが不思議がるのも、無理はない。犬達はエルの幼馴染とも言うべき存在なので、日頃のエルを知るアルにとっては、違和感が拭えないのだろう。
その答えをくれたのは、アルより早く戻って来ていた黒い大型犬――クラウスであった。
「ミヅキに付き合って、疲れ果てたんだろうさ」
「は?」
「子猫はただでさえ、運動量が多い。特に、ミヅキは元野良だ。外を駆け回って餌を探していた奴と完全室内飼いのエルでは、体力に差があり過ぎるんだろう。エルも俺達のどちらかが戻ってくるまでは頑張っていたんだが……」
「クラウスが戻ったあたりで、力尽きたんですね?」
「ああ。まあ、過保護なエルからすれば、奔放な子猫を野放しにはすまいよ。最終的には、俺がミヅキの相手を引き継いだ」
そう告げるクラウスの腹には黒い子猫が寄り添い、すやすやと眠っている。よく遊んだらしく、ミヅキもぐっすりだ。
二頭の犬は暫し、二匹の猫を眺めた。そして、徐に苦笑する。
「ふふ、あのエルが疲れ果てるとは……っ」
「以前では、ありえない光景だな。何とも微笑ましいじゃないか。ミヅキとの初対面では固まっていたくせに、今では立派に親猫だ」
「ですねぇ。姿が見えないと、探しますし」
エルは猫どころか、多くの生き物達に怖がられていた。『愛らしい』というより、『綺麗』という表現がぴったりのエルはその眼光の鋭さもあって、近寄りがたい存在と認識されていたのだ。
また、エル自身も人に懐くといった仕草は皆無のため、『気位の高い、可愛げのない猫』と言われることもしばしばだった。
だが、ミヅキがエルの下に来たことによって、その評価に変化が起こる。
甲斐甲斐しく子猫の面倒を見る姿に、多くの者達はこれまでの思い込みを捨て、金色の猫を『子猫が可愛くて仕方ない親猫』と判断したのだ。
今のエルはまさに、保父。とっても保父。
責任感の強さが甲斐甲斐しい子育てに繋がろうとは、誰も思うまい。
と言うか、エルは三回に一回はミヅキを抱き抱えたまま眠るので、周囲の見る目が変わるのは当然だ。ミヅキもエルを保護者と認識しているらしく、エルに包まれて眠っている時は警戒心ゼロ。
エルにしても、警戒心の強い元野良の子猫から無条件に慕われるのが嬉しいのだろう。今ではすっかり『親猫』と化し、子育てに必死になる日々だ。
やがて二頭は時折、エルの前足が何かを探すように動いていることに気が付いた。二頭の視線は自然と、黒い子猫――ミヅキへと向かう。
「……」
「……」
無言で見つめ合うこと暫し。
アルはミヅキをそっと銜えると、エルの傍へと静かに置く。やがて、エルの前足はミヅキの小さな体を捉え……薄らと目を開けたエルの目が黒い子猫を認識するや、自分の方へと引き寄せて抱き込んだ。
「……にゅぅ」
寝ぼけたのか、ミヅキが小さく鳴く。エルはミヅキをあやすように毛繕いすると、今度こそ安心したのか、深い眠りについたようだった。
そんな二匹の姿を、二頭の犬達は微笑ましくも、生温かい気持ちで見守る。
「平和な光景ですね」
「自分の手元に居ないと、安心できないとはな。まあ、無自覚だろうから、エルが起きたら、からかってやろう」
「程々にお願いします」
楽しげに交わされる犬達の会話など、仲良く眠る二匹の猫達は知る由もない。そして……飼い主であるゴードンも。
午後の柔らかな日が差し込む部屋の片隅で、猫達を見守る二頭の尻尾が嬉しげに揺れていた。
その後、部屋にやって来たゴードンは『ミヅキを抱き抱えて眠るエルと、二匹の眠りを守るように傍で眠るアルとクラウス』という光景を目にし、無言で記録に勤しむことになる。
微笑ましい一幕は、飼い主にも恩恵を与えたようであった。




