第八話。栄光への道。
ダンテとヘルハウンドの身体が交錯し、ヘルハウンドの身体の方が真っ二つに割れた終始の現象に、壁の上でそれを見る人々は驚きよりも困惑していた。
ダンテが起こしたアクションは3つ。
全力で走り、剣を大きく振りかぶり、勢いのまま剣を振り抜いた。それだけの事。全身全霊を込めた一撃だとは言えようが……
「どっ、どうしてアレが当たるんだ?……」
相手はヘルハウンド。俊敏性だけを見るなら上位の魔獣。命中率の高いレイピアでも当てるのは至難の技。ヘルハウンドにとってはダンテの3つのアクションは止まって見えていた筈なのに……
壁の上の人々が言葉に困り、周りを見渡し、お互いを見合い答えを探す。そしてある結論に行き着いた男がポツリと呟いた。
「なっ、なぁ……アレって……ヘルハウンドがアイツの剣に飛び込んだように俺は見えたんだが……」
答えが出揃ったようにダンテの方に狼狽顔を戻す人々。死闘でありながら大根役者の三文芝居を観させられた気分だった。
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「面倒クセェーーーッ!全部まとめて掛かってこいよッ!」
相手は獣。人の言葉は分かりはしない。しかし、ダンテとの意思の疎通はヘルハウンド達に向ける殺気で対話を可能としていた。
一見して白いヘルハウンドはダンテをとても小さき者と目測。そして、その判断で仲間の死を招くが、そこに心痛は無く、知識として脳に蓄積だけの事。一撃で変わり果てた無惨な仲間の姿を見て、白いヘルハウンドはダンテを一級品の強者に押し上げた。
ならば、やる事はいつものように戦えばいいだけの事。前線防衛ラインで培い、生き延び、備わった一級品の者を蹴散らしてきた戦い方をすればいい。
白いヘルハウンドの合図が無くとも全てのヘルハウンドは、役割を熟知しているかのように動き出す。奢りのない動きは、いつでも踏み切れるように足幅を小刻みに。ゆっくり慎重に、ダンテを中心として円を描くように配置し、一斉に跳びかかる準備を整えた。
その時、ダンテの背中にへばりつく者からの指示は無く、ダンテが今出来る事と言えば、剣の錆となる血を振り払うぐらい。
相手は格上。それも29匹プラス『系統派生』のオマケつき。ダンテだけの実力ではどう転んでも勝算は限りなく0に近い。そして周囲は着々とヘルハウンドに取り囲まれつつあり、もはや袋の鼠状態。
『こりゃ……待つしかないねぇな……』
今更逃げの一手を講じた所で、俊足が持ち味のヘルハウンドを振り切れる訳も無く。
只待つ。光明の導きが起こるまで。それが最良。それが唯一の活路。
ヘルハウンドに完全に逃げ道を塞がたダンテ。その顔に焦りや、恐れは無く。春風にあたるような清々しい顔を作り上げていた。
全てのヘルハウンドが配置につき、白いヘルハウンドが地に足を2回掻いた。それは一斉に飛び掛かる合図。そして最後のカウントである3回目の足を地につけるかつけないかの刹那。
ダンテは……「進め」と、光の五指に背中を押された。
愉悦と言えばいいのか、滾る闘志と言えばいいのか、ダンテの顔は力強くも笑みを含み、背中を押す暖かい五指に従い、誰よりも先に大地を蹴っていたダンテの目には、白いヘルハウンドしか映し出していない。
僅か数コンマと呼べる間を置き、ヘルハウンド達も一糸乱れないタイミングで大地に爪を突き立てた。白いヘルハウンドだけが、その場に留まり、戦いの行く末を見守る。
ダンテの背中にへばりつく光は、ダンテの身体に指示を出す。
踝を押され身体の中心をズラし、肩に手を置かれ入り過ぎた力を抜く、二の腕を引っ張られ脇を締め、太ももに手を添えられ、思わず……
「いっ、いやん……えっち……」
駆け上げる膝の天辺と、ピンク色の官能声を上げた。
そして、ヘルハウンド達がダンテに向かい飛び掛かろうとした瞬間。
またしてもダンテが先に動いていた。
駆け出した勢いのまま左足を大地に打ち込み、踏ん張り、左半分の足から肩までを壁を作るかのように垂直に保つ。その左足を軸に右手に持つ剣に駆け出した推進力を加え、大きく半円を描くよう、力一杯振り切った。
「うぉぉおおーーーッ!リャァーーーッ!」
そこへ、遅れ、飛び込む3匹のヘルハウンド。
勢いのまま振り切られたダンテの剣。光により享受された柄を握る力加減、光により導かれた軌道に沿った刃は、3匹の首を胴を容易く切り離す。
振り切った勢いに掴まるようにダンテは光に従い流れるように地面に転がり、他の飛び掛かるヘルハウンドをやり過ごした。
その後も続き、何度もダンテに襲いかかるヘルハウンド。だが、ヘルハウンドの地と足が離れた時には、もうそこにはダンテはいない。
雲泥の差の俊敏性。それを覆すのは絶妙の反射神経。
光はダンテに、肌に熱を移し感覚で感じ取れと、目に熱を集め視覚で判断しろと、耳を刺激を与え聴覚を疎かににするなと、そう教え、理想の動きに誘う。
火を吐こうが、背後から忍び寄ろうが、全身に目があるようにダンテは全てを最短のルートの動きで回避。あまつさえ、逆に勢いを利用されヘルハウンドの数はゆっくり溶かされていく。
大振きく振られた剣がヘルハウンドの身体に食い込む。ヨロけ、出来る隙を突こうにも、崩れた態勢から理に叶う動きで、近づいたヘルハウンドが血飛沫を上げる。
誰もが呆気に、理解に苦しむ光景が繰り広げられていた。
念入りな打ち合わせをしたかのようにヘルハウンド達が鈍足の大根役者を引き立てる。また1匹。また1匹。動かなく姿を悍ましく豹変させたヘルハウンドが地面に横たわる。
これ以上は……そう言いたげにダンテを囲むヘルハウンドが距離を取り、ダンテは顎を少し上げ、見下すように白いヘルハウンドを睨みつけていた。
「ワォォオオーーーンッ!」
堪らず白いヘルハウンドが高々と雄叫びを上げ、残った仲間を臨戦体勢移行の指示を出す。
残すヘルハウンドの数は12匹は、ダンテに視線を合わせたまま、ゆっくりと白いヘルハウンドの指示に従い後退。
ダンテからの追撃の意思が無い事を確認し、白いヘルハウンドが街に背を向け、来た道を駆け出す。その後に続き12匹のヘルハウンド達も姿を小さくしていく。
もはや勝ち目が無いと悟った『系統派生』の白きヘルハウンドは、早々に見切りをつけ、身を退いたのだった。
「「「ウォォオオオーーーッ!」」」
街の壁から湧き上がる勝利の歓喜。
それが自身に向けた歓声である事を承知しているダンテだが、それに一切応えず、全力で走りラミアの元へ。
「ハァハァハァ」と、息継ぎ、額の汗を腕で拭ったダンテは、大きく口端を伸ばし、笑窪を作り、腫れる瞼をゆっくり開いたラミアに声をかけた。
「アレお前だろ?……また助けて貰ったな。ラミー」
ラミアの小さな身体を抱き上げ、英雄の凱旋と開かれた門の中に、周りからの湧き上がる声を四方から受けるダンテは誇らしく足を進める。
ダンテが言うアレとは何だろうか?そんな感じで首を傾げたラミアだが、ダンテの温もりに包まれ、安堵の表情を浮かべ、伝わる心地よい振動に揺られながら傷ついた心身を癒すように、ラミアは眠りについた。
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ラミアはパチリと眼を開け目を覚ます。
見慣れた屋根の模様。ベットに寝かされており身体中はまだ痛む。体中を締め付ける違和感を覚え、腫れた腕にグルグルと包帯が巻かれている事から、治療を受けたのだと認識する。
「ラミー眼を覚ましたかい?ホント飛び出した時はビックリしたよ」
「ローラさん……私……その……」
ハキハキした強さを感じる声をかけられ、ラミアの視界に飛び込む形で姿を見せたのはローラ。痛む半身を起こすラミアに手を貸しながら。
「謝罪ならダンテ言ってやりな、アンタが壁から放り出された時、躊躇無く飛び出したのはアイツなんだから……それよりもコレ飲めるかい?」
青汁に酷似した液体。薬草をすり潰した飲み物を突き出された。
「うげーっ」と、舌を出すラミアを見て「余裕だね」と、ローラは無理矢理ラミアの口に液体を流し込む。「ちょっとタイム」と、痛む手で、何度もローラの手をタップするラミアだが、和かに微笑むローラはやめてくれはしない。
「もう一杯いくかい?」
噎せ苦しむラミアにニヤ顔を向ける憎きローラ。いつかの復讐を胸に秘めながらラミアは返事を返す。
「いえ、要らないです……それより、あのーっ……ダンテ様は?……」
「アイツは今は人々を救った英雄さね。ラミーをここまで運んだ後は皆の元に戻ったよ。今日は祝盃で帰ってこないかもね」
「そうですか……」
ラミアは震える腕を押さえ寂しそうに俯く。
ダンテから突発的な惨苦は救われたとはいえ、人からの無慈悲な暴力を受け、少なからず恐怖を植え付けられたラミア。幼い彼女の心中を察するに、今はダンテに傍に居て欲しかったのだろう。
「アンタはホント分かり易くて好きだよ」
ローラはそんなラミアの頭をグチャグチャに撫であやす。
「ちょっと待ってな。食べ易い温かい粥でも作ってやるからよ。取り敢えずなんか食って元気出しな」
気が逸れるようにとローラが台所に向かい、料理を作り始め、程なくして……
「たっ、ただいま……」
今日は人々に歓迎され、朝まで飲み通すと思われたダンテが帰ってきた。
ダンテがドアを開けると同時にかけた声は、非常に弱々しく、人々にもてはやされた者の声とは思えなく。
「ちょっ、ちょっとダンテなんだいソレ?」
台所と隣接する玄関。部屋一つ向こうのラミアからはダンテの様子を伺う事は出来ない。ローラからの慌てる声でラミアは部屋の入り口を不思議そうに見据えていた。
「悪りぃ、ローラ。ちょっと肩貸してくんねぇ……」
ローラの肩を借り、ラミアの前に姿を見せたダンテは、何故か満身創痍のボロ雑巾。
ラミアより腫れ上り、傷だらけの見るも無残なダンテの波打つ顔。足を引き摺り近づき、ラミアの手を取る指も至る所の皮が擦り剥け、体中に泥で足跡を残し、喧嘩をしたのだと思われた。
「ダッ、ダンテ様……いっ、一体どうしたんですか?……」
人々からの祝杯の受けに行った筈のダンテが何故このような事に?当然の疑問。
「ラミーに手を上げたあの守備兵。俺がラミー以上にボコボコにしてやったぜッ!この街の奴ら、ラミーに手を出すと、アイツを見てどうなるか思い知っただろうよ。ザマァァアアーーーッ!ってんだッ!ガハハハハッ……」
老人のように曲がる腰を「よっこらしょっ」と、ボキボキと正すダンテは、恐らくその守備兵以上にボコボコされている。
痛々しい切れる唇を引き裂き、血を滲ませながらラミアの前で、色々な意味で見るに耐えない破顔を見せた。
それを聞き「はぁ……」と、溜息を吐き捨て呆顔を浮かべるローラを余所に、ラミアはジワリと涙を浮かべる。
ダンテの性格上「何故、魔族の為に同じ人にそのような事をしたのですか?」と、叱責しても拗ねるだけで同じ事を繰り返すだろう。
「ありがとう」と、褒めれば、傷が直ると同時にラミアに褒められたい一心で、笑顔で守備兵にまた喧嘩をふっかけにいくだろうから下手な言葉はかけられない。
ダンテが守備兵と喧嘩をした理由はラミアの居場所を守る為。そしてラミアにボコボコの顔を見せる事により、命を軽視し閉ざそうとしたラミアを咎めるものでもあった。
だからラミアは……
「私達お揃いですね」
そんな自身を恥ながら、割れる唇で、ダンテの顔にほくそ笑むのだった。
「ったく。しょうがねー奴らだなぁっ、安心しなッ!今晩は私が寝ずに全部面倒みてやるよッ!」
ドンッ!と胸を叩き、断言したローラは今は酔い潰れ、2つしかないベットの一つを大股を広げ、腹を掻き「グゴォォ」と、大イビキを上げながら独占爆睡中。
時折「ムシシシッ」と、笑う奇声を放つローラは、大変よろしい夢を見てらっしゃるみたいで、否応無しにそれを聞かされるダンテとラミアは、白く眼を座らせていた。
床で寝るのは余りにも虚しい為、幼いラミアのベットに忍び入るダンテ。一つのベットで2人は一緒に横になる事になるのだが……
「イテテっ!テメーっ、ラミー。狭めーからもっとあっち行けよっ」
「ダンテ様こそ、椅子5つ並べてその上で寝たらどうなんですかっ?」
軽く肘を突く、こ突き合い。自身のスペースの確保に勤しむ2人。どっちつかずの攻防に終止符を打ち立てたのはダンテ。
「よっ、イテテっ、これなら問題ねーだろ?」
ダンテはラミアの方に顔を向け横向きになる。
「あっ、ハイ。それなら何とかなりますね……」
暫く沈黙。ラミアは眼を瞑り寝ようと試みるのだが、横顔をダンテに「じぃーっ」と、見つめられている感覚。とてもこの状態で寝れたもんじゃないと。
「ダッ、ダンテ様……あっち向いて寝て貰え……」
ダンテの方に振り向いたラミア。「スースー」と、息を吐き、眠りにつくダンテの顔を見て思わず真っ赤に。
そんな幼いラミアに抱きつき、お決まりと言わんばかりに「うっ、ううーん」と、ダンテはラミアの胸に顔を埋めた。
「ふっ、ふわぁああーーーッ!ちょっ、ちょっとダンテ様ッ!起きて下さいよッ!」
ませているラミアは焦り、ダンテを引き離そうとするのだが、背中に手を回されたラミアは抵抗出来ず。
ならばとダンテを起こそうとしたのだが……
「お父さん……お母さん……」
小さい頃に殺されたと聞かされた父と母の夢を見ていると思われる笑顔のダンテ。今起こすのは忍びなかった。
両親に甘えているのだろうか?「エヘヘへ」と、笑うダンテに悪寒するも、ラミアは何とか耐え。
そして思う。
「ホント……なにからなに迄私と一緒なんですね……」
孤児と奴隷。どちらもこの時代で生き残るには強くなくてはいけなかった。
その強さとは力の強さでは無く、心の強さ。
ラミアは荒波に身を委ねる中ダンテに救われた。
だが、ダンテはどうだったのだろうか……
いや、考える必要もない。ダンテがラミアに固執する理由。
カビの生えた一つのパンからの始まり。
これが全てを物語っていたからだ。
自身より悲惨な人生を送ってきたダンテ。昔を余り語らないのもそれが理由だろう。
そしてダンテにとってラミアとは……
「ラミー……」
両親の後に続き、ダンテは寝言でラミアの名を呼んだ。
そうダンテは、ラミアという存在と出会い。やっと人並みの幸せを手に入れたのだ。
そこまでの価値が自身にあるとは思えない、だけど、ダンテにそう思われ今まで心にあるべきものが満ちていく、ラミアの中の描かれる理想的な絵に近づいていく。
ラミアはそんなダンテの頭に手を置き、幸せそうに寝るダンテに微笑みかけ。
「ホントにどうしょうもないお方ですね……こんな私で……後悔しても知らないですよ……」
ラミアも笑顔で瞼を閉じたのだった。
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ヘルハウンド対峙以降の冒険者ダンテの活躍は目覚ましく、次々に高難度の魔獣・魔物討伐をこなしていく事になる。
背中に張り付く光は、アレ以降現れなかったが、あの時教えられた感覚の使い方、身体の動かし方を、信じれば真っ直ぐなダンテは何度も学んだ事を反復し、次々に身につけていった結果であった。
一流と呼ばれる冒険者に紛れて依頼を受ける若き英雄に、焦がれる新人冒険者も多く。その度に質問される事がある。
「どうしたらダンテさんのように成れますか?」
その問いに決まってダンテが答える話があり、一緒居る一流冒険者のニヤニヤ顔を背に、ダンテは胸を張り言い切るのだ。
その昔。伝説の勇者が世界の混沌を憂い、平和を天に願ったと言う物語。風化した伝説の勇者の伝承は数あれど、この物語は多くの者が語り継ぎ今の世にも残る神話。
伝説の勇者は天に願い光を授かった。その光は伝説の勇者を覇道へと導く光となり、伝説の勇者は光に従い様々な奇跡を世に齎したと言う。
その光の名が『栄光への道』。
天より授かりし、その気高し名の光をダンテは一度纏ったと言い張るのだ。
そして、それを興すのは天では無く、魔族の奴隷の少女だとつけ加える。
「ポカーン」と、佇む新人冒険者に、見兼ねた一流冒険者が笑いながら近付き。
「コイツはネジがぶっ飛んでんだ。気にすんなっ!ガハハハっ」
ピクリと眉間にシワを寄せたダンテは顔を歪め。
「テメー。冒険者組合筆頭稼ぎ頭の俺に喧嘩売ってんのか?」
いつものように一流冒険者は余裕の挑発顔で。
「ガハハハっ。掛かってこいよダンテ。お前、俺に喧嘩で一度も勝ったことねーだろ?」
精神を穏やかに、水のように静かに臨む死闘には、他者の追随を許さない強さを誇るダンテだが……
能力は平凡。巨岩を持ち上げる力がある訳でも無く、風を置き去りにする俊敏さがある訳でも無い、ましてや勇者の因子を持たないダンテに魔族特有の魔力は皆無。
感情剥き出しの、怒りで臨む喧嘩には、からっきしの最弱ぷりを発揮した。
「ギャフン」
ダンテは一流冒険者のワンパンで無残な姿で地に沈んだ。
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ラミアと出会い2年が過ぎ。ダンテは1ヶ月間音信不通。消息を絶っていた。
東門前。
「よぉっ。ダンテじゃねぇか最近見なかったな……おっ、おいっ!お前、まさかそれ……」
ゆっくり慎重にガチガチの足を一歩一歩動かすダンテ。両手で支え持つ手は大きく震えており、一見ダイナマイトでも持たされた罰ゲームにも思えたのだが。
残念ながら、ダンテが持つのは1m50cm程の布に包まれた棒のような物。
布は高級仕様の一流の絹であり、それに包まれる物も当然一流だと判断出来。
「あっ、ダンテさん……えっ!?そっ、それってもしかして……」
「マッ、マジかよ……お前……その若さで……」
知り合いが次々と声をかけてくるが、今のダンテに応える余裕は無い。
ダンテの夢を知る者は、ダンテが今持つ物を察し、次々と驚愕顔を浮かべ、どこかに向かうダンテを黙って見送る。驚きで言葉が出なかった。
ダンテが向かう先はいつもの場所。
「ラミー……俺やったよ……遂にやっちまったよ……ラミー……待ってろ、直ぐに行くからよ……迎えに行くからよ……」
ブツブツと呟き、眼を血走らせるダンテ。すれ違う子供は泣き始め、すれ違う女性はガタガタと身を守る。
それ程に、その時のダンテは危ない顔をしていた。
そんなダンテに……
「アンタッ!今迄どこほっつき歩いてたんだいッ!この大馬鹿野朗がぁぁああーーーッ!」
「ガシャンッ!」
「あっ………」
どこかしらから現れたローラに、突然胸ぐらを掴まれたダンテ。思わず手に持つ高級品を地面に落としてしまった。
「おいっローラ。今からぶっ飛ばしてやるから、前に習えなっ!」
ワナワナと怒りが込み上げるダンテ。しかし……
「ラミーが……ラミーがよ……」
ラミアの名を出し涙を溢すローラ。それ以上の言葉に詰まり、続かない。
いつもドッシリ構えているローラの動揺に、ラミアの身に只ならぬ不吉な影を落とし込む。
急ぎローラの両肩に手を置いたダンテ。
「おい……ローラ……ラミーに一体何があった?……泣いてねぇで教えろよ……」
眼を座らせ、睨みつけ、ダンテは殺気に近い怒り宿し、泣き噦るローラにそう聞いた。
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街を走るダンテ。絹の棒を右手で雑に振り、急ぐ場所は木漏れ日亭。ダンテの専用部屋。
木漏れ日亭の勝手口を勢いのまま押し開け、元納戸の離れの部屋のドアを開ける。日中なのに部屋の窓という窓は締め切られ、光源であるランプの灯が揺らいでいた。
荒れる息を整えるよう少し立ち止まり、ダンテはゆっくり足を一歩部屋の中に踏み入れる。
ローラに訳の分からない話をされた。
開けたドア越しにユラリと動く影法師が先に部屋の中を先行し、それに引っ張られるようにダンテも後を進む。
『いいかいッ!決して取り乱すんじゃないよッ!』
涙を撒き散らし、取り乱したローラは、睨みつけるダンテに喰いかかるように睨み返す。
部屋の奥。2つのベッドが置かれる部屋で、闇に溶け込むようベッドで寝かされている少女の姿をダンテは瞳に映し込む。
『今のあの子は一人閉ざされた世界で怯えている。私の声なんか届きやしないッ!……アンタじゃないと……アンタじゃないと……ダメなんだよ……』
ローラに思いっきり胸を何度も叩かれた。
ダンテの身体がガタガタと震えだした、ベッドに横になる少女は両目を包帯で巻かれ、ダンテの存在に気付いていない。
『いいかいダンテッ!今のラミーは何も見る事が出来ないッ!目が……目が無いんだよ……』
ダンテはローラの言葉を思いだす。
手に持つ絹の棒を床に滑り落とす「ガシャン」と、大きな音を立てるが、少女の両耳は包帯で巻かれ、その音は少女には届かない。
『今のラミーは何も聞く事が出来ない……鼓膜が……耳が無いんだ……』
ローラの言葉がダンテの胸を抉った。
「あっあぁぁ……あっああ……あぁぁ……」
ダンテの眼から涙が溢れ、零れた。言葉に成らない声を上げ「スースー」と、穏やかに息を吐き、眠るようにベッドに横になる少女の元に足を進め、小刻みに揺れる手を伸ばし、少女の頬に手を添えた。
その瞬間……
「うがぁぁあああーーーッ!わがぁあッ、うがああぁぁああーーーッ!」
顔を横に大きく振り、少女は暴れ出す。
その無残な姿に歯を食い縛るダンテ。
『ダンテ……ラミーは今、言葉が喋れない……歯が……舌が……声帯が……無いんだ……』
悲壮な顔で少女を押さえつけるダンテ。少女は肩と足の付根を必死に動かし、暗闇に閉ざされた世界で懸命に抗う。
『ダンテ……ラミーは今、何かを掴むことが出来ない。自分で立つ事も出来ない。腕が……足が無いんだ……何も見えない、聞こえはしない、意思を伝える事も、誰に触る事も、歩く事も出来ない世界で、ラミーは生きようとしている……全てはアンタの為さね……ダンテ……』
全てはダンテの為、ただ生きるだけに執着し、暴れる少女を押さえ抱くダンテ。見開いた眼から悲しみと憎しみ色に染まる涙が、少女の顔にポタポタと流れ落ちた。
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「俺はお前に何もしてやれてなかったんだな……」
そう言って頭を下げる勇者に近づき、ラミアはそっと勇者を抱きしめた。
「何言ってるんですか勇者様。いつも貴方は私の近くに居てくれたではないですか?」
どんな時も、どんな場所でも勇者はラミアに温もりを与えてくれ、傍に居てくれた。
ラミアにとってそれは全てだった。
煌びやかに着飾る宝石よりも眩しく。野に咲く一輪の花より心を動かされる存在、それがラミアにとっては勇者。
「勇者様が、何もしてやれなかったなんて……私に言わないで下さい……」
涙でグチャグチャに汚れた顔を上げた勇者に。
「勇者様以上に、私に色々なものを与えてくれた人は居ないのですから……」
ラミアはニコリと瞼を閉じた。瞳に溜まった涙が溢れ落ちる。
「でっ、でも、俺……」
勇者の続ける言葉に、首を振るラミア。ポケットからハンカチを取り出し勇者の涙を拭いながら。
「ほらっ、勇者様。笑って下さい……勇者様に泣顔は似合いませんよ……」
優しく諭した。
これ以上の言葉は不粋でしか無く。言葉を呑み込んだ勇者はいつもの体でラミアに接する。
「うっ、うん……あっ、ラミー。鼻水も……」
「ハイハイ。ちょっと待って下さいね」
まるで母親と子供を見るような光景。ラミアは慈愛に溢れ、勇者は殴りたくなる程の間抜け面。それを面白く無いと見る2人。
綺麗な顔を大いに歪め、勇者とラミアにツカツカと角を立て、歩み寄ったのはジグリード。
「勇者ッ!これで万事解決などと思わないで頂きたいッ!貴方がした事は人道的に許されない行為ッ!声明を挙げ、貴方の悪行を明白なものとして……」
これ以上何を揉める必要があるのか、勇者とラミアの微笑ましい姿に何の異論を告げる必要があるのか、我を忘れ、自身の私怨を晴らそうとするジグリードに物申そうと動きだそうとするガンドゥの前に。
「ジグリードッ!そこまでだッ!」
声を張り上げたのはジグリード同様、顔を歪めたアルマだった。
「もういいよ……僕は勇者さんの及ばなかった……ただ、それだけの事だよ……」
「しっ、しかしアルマ様、これでは余りにも……」
これは好機なのだと、引き下がれないとジグリードはアルマに反論の意を示すが、アルマの鋭い眼力に後退り、口惜しそうに顔を逸らした。
「ねね、ラミー。俺今日、手巻きが食べたい」
「ハイハイ。その前に体を綺麗にしましょうね……」
完全に2人だけの世界の中でイチャつく勇者とラミアに目を移し、これ以上見てられないアルマは。
「戻ろう。もうここには用は無い」
魔法展開。ゲートを開きそくさと光の中に姿を消した。
アルマに怒られ萎れるジグリード。真っ白なジグリードの後ろ襟を掴み、ガンドゥも続き光の門に向かう。
何かを思い出したようにガンドゥ足を止め、いまだ2人の世界で笑顔のラミアに「痒い所ないですか?」と、背中を拭いて貰っているホクホク顔の勇者を見て。
「ロレーヌ……これで良かったのだな……勇者殿……貴殿らに負けぬようロレーヌは、俺が必ず幸せにしてみせる……」
ガンドゥは意味ありげな言葉を残し、光の中に姿を消した。
3人が立ち去った事すらも気付かない程に戯れ合う勇者とラミアだったのだが、ラミアが勇者の姿を見て、今更ながらにフト首を傾げた。
「ねぇ、勇者様……どうして裸なんですか?」
勇者は頬を真っ赤に染めて、目をラミアから逸らし、ポリポリと頬を掻きながら。
「えっ、あっ、えっと、その……さっ、淋しくて……」
ラミアの目は一瞬にして、この世で一番汚い者を見るように歪む。
今の季節は冬。雲より上空にある浮遊する大地だが、下から吹き抜ける風に舞い、下から弧を描き深々と雪が降り積もる。
「ラ、ラビーざま……お願いじまず……家じ入れでぐだざい……おで、凍え死んじゃいまず……」
家に鍵を掛けられ、家に入れて貰えない裸の勇者。ガチガチと歯を鳴らし、必死に手を動かし摩擦で身体を温める。
「ガラガラガラ」と、勇者の部屋の窓を開けたラミアは、土下座で謝る勇者に助け船となる2つのある物を投げ落とした。
一つは火打ち石。そしてもう一つは勇者が大切にする書物。
本気の涙を流し、大切な書物を燃やし、命を繋げる背中の曲がった勇者を、ラミアは終始冷たい視線で暖かい部屋から眺め見下す。
ラミアから許しを貰い、勇者が家に入る許可が下りたのは、勇者大切にする書物が、自らの手で全て廃と化した時だった。