第四話。ユートピア。
血と泥で汚れた鉄と皮で組み合わせた鎧をガチャガチャ音を立てダンテは街の中を駆けている。
冒険者ギルドの依頼から無事生還を果たし、仲間から分け前を貰うと、互いの健闘を祝す場をいつものようにすっぽかし、一直線に目指す場所は商人ライクの別邸。
街の奥まった場所に建てられたそれは、余り陽当たりが良いとは言えないながらも、歴史を感じる佇まい。蔦が屋敷を包み、洋館に近い建物は、お化け屋敷とも思える不気味さを感じるのは、風流と言えるだろう。
ライクの地位は商人では中の上と言った所。商いは街の入り口近くに店を構え、別邸であるここは現在、取り引き相手の宿舎として利用されていると聞かされた。
ライクの別邸迄一目散に駆けてきたダンテ。鉄格子の門前で立ち止まると、門に隣接されている小屋のドアを勢いよく開ける。
「オッサンッ!ラミーを借りてくぜッ!」
ドアを開けると同時に小屋に放り込むのは巾着袋。奴隷のラミアの一日を買い入れる金額は10000ギル。
奴隷の管理者の返答も無いまま、ダンテは小屋のドアを閉め、門兵の居ない鉄格子をよじ登り敷地内へ。ズケズケと足を進め、屋敷のドアを開けると……
「ラミーーーッ!迎えに来たぞーーーッ!」
大きな声で叫んだ。
ラミアと同じ魔族の奴隷達3人が先に姿を現せ……
「おおっ!お前らか……名前は確か……まぁいいかっ……ラミーの事。これからも宜しくな」
そう言ってダンテは、マジックポーチから大きな袋を奴隷の一人に渡す。ダンテから袋を受け取った奴隷は声を出さず、笑顔でダンテに会釈して袋の中を改めた。
袋の中には人でも滅多に口にする事が出来ない果実がギッシリ詰められており、それを見て奴隷達は更に笑顔を浮かべ、更に会釈する。
「見つからねように食べるんだぞ」
ダンテも笑顔でそれに答えると、奴隷達は何度も振り返り、頭を下げて屋敷の中に姿を消した。
暫くして奴隷の子供ラミアが姿を現せた。一番年齢が低く、奴隷の中でも立場が低いラミアの仕事の量は多い。例え一日を誰かに買われたからと言っても、奴隷仲間と円滑な関係を築く為にはある程度の仕事は終わらせておかなければいけない。
「よっ!ラミー。相変わらず汚ねぇな……もう仕事いいのか?」
「ハイッ!ダンテ様の声がして、皆さんが一番手のかかる仕事を終わらせておきましたから」
ラミアは暖炉の掃除でもしたのだろうか、目を保護するゴーグル跡、口にススが入らないようにする布を巻いた跡を残し全身真っ黒。そんなラミアの手を躊躇わず取ると……
「じゃー行こうぜっ!」
ダンテは次の目的となる場所に、小走り足気味のラミアを引っ張り歩き始めた。
「ちょっ、ダンテ様っっ!いつも言ってますが、奴隷の私と手を繋ぐのは……どうかとっっ」
「俺もいつも言ってるが、そんな事、俺の知ったこっちゃねーよ」
奴隷には契約で縛られたルールでは無く、人を立てる為に、体罰を受けない為に奴隷内で作られたルールがある。
人と話をしてはいけない。数歩離れ主人の後ろを歩かなければいけない。ダンテと会って数秒、既にこの2つのルールを破るラミア。助けた時は例外として、そのルールを守ろうと昔はダンテの問いに無言を通していたら……
「ねぇ、ねぇ、お話してよ……」
と、ダンテは突然泣きだして、数歩離れて歩いていると……
「お手て繋いでくれないとヤダーーーッ!もう、俺歩かないッ!」
と、地面に座りグズリ出したのだ。
そしていつものように屋敷の門の前では……
「ダンテの旦那ぁ。確かに奴隷4番の1週間分のギルは受け取りやした。……ついでに言っておきますが、私が門を開ける迄待って貰えませんかねぇ?それとコレ。どうせ使わないと思いますが鎖です。一応お伺いを立てる決まりなもんで……」
奴隷管理者の言うように、基本、買われた奴隷には手足に鎖を繋がなければいけない。それは奴隷を買った本人の身を守る役割と、奴隷を買った本人の尊厳を守るものなのだが……
「要らねぇ」
「はぁ」と肩を落とす奴隷管理者の男の横を通り抜けるダンテとラミア。
いつものようにこうして自分勝手なダンテの振る舞いにより、ラミアは3つ目のルールを破らされる羽目になる。
ラミアと手を繋ぎ、街を闊歩するダンテ。頭の角を特徴付け、魔族で奴隷のラミアは顔を伏せダンテに成されるがまま付いて行く。
勿論街の人々の視線を一点に浴び、ヒソヒソ話が至る所で行われており、それはラミアと言うよりはニコニコ顔のダンテの人としての品格を疑う話だろうと思われた。
「ダンテ様ッ!やはり、こういうのはちょっと……」
「はぁ?またかよ。いつも言ってんだろ?虫ケラ共の鳴き声なんて気にすんなってな」
ダンテの声は周囲の耳にも入る大きさ。タラタラとラミアの顔から汗が流れ落ちる。
「いえ、でも……ダンテ様の人としての価値が……」
「なんだよッ!その価値ってやつはッ!?もしかしてコイツら虫ケラの俺に対する評価の事を言ってんのか?」
顔を伏せたまま小さくコクリと頷くラミア。
「はぁ、お前は全く分かってねぇ。いいかラミー。人は支え合って、互いを尊重し合って生きる者なんだ。それが見ろよ。ここに居る虫ケラ共を……」
伸びた前髪で視線を隠しラミアは周囲の人々を見渡した。
汚い者を見る眼。蔑む者を見る眼。卑下する者を見る眼。そんな眼をダンテに人々は向けていた。
「これが、同じ人に向ける眼かよ。遠巻きで俺達を見て、直接俺達に文句垂れる訳でもねぇ、安全な所から陰口を叩く弱い奴らだ」
「でも、それは魔族の私と手を繋いでいるからで……」
「何言ってんだよ。お前は魔族でもあるが間違い無く人だ。あの日、あの時、死にかけてた俺を救ってくれたお前が人じゃーなけりゃ、この世に人はもう居ねぇ」
ラミアの心が温まる言葉だった。自身が人と魔族のハーフだと知らない筈のダンテの言葉は、自身の中で半分流れる人である、母親から偉大な父親だと聞かされた父親の意思を受け継いでいると言われたような気がしたからだ。
しかし、ラミア自身見た目は魔族。
「……ダンテ様の御両親は、魔族との戦に巻き込まれて死んだのですよね?」
酒が入ったダンテが零した身の内話。憎むべき種族にかける本心の言葉とは到底思えなかった。
「……ああ、そうだ。でもな、俺の両親を殺したのは人間だったよ」
ダンテの声がこもる。
「えっ!?」
「敗北が濃厚な戦さでな。人々が逃げ回る中、足が不自由な老人が居て、俺の両親は人としての姿を見せ、老人に手を差し伸べたんだ。そこに馬に乗った兵士が現れ……」
ギリッと歯を食い縛る音が鳴り……
「俺の目の前で、人である両親を邪魔だと、虫ケラが斬り捨てやがった……」
ラミアと繋ぐ手に僅かに力が入る。
「ここに居る殆どの奴は俺の両親を殺した奴とかわらねぇ奴らだ。人として信じられねぇッ!虫ケラだッ!」
ダンテは大声で、この街全体に響かせる怒声を放ち……
「ラミー……お前は数少ない俺が信じられる人なんだよ」
膝を落としラミアを真っ直ぐな眼差しを送り……
「だから、何も気に病む必要はねぇッ!、何より俺がそうしたいんだッ!」
そしてダンテは微笑んだ。その笑顔がラミアの胸を抉ぐる。痛む胸を強く押さえたラミア。
「……ダンテ様は……自分勝手過ぎますよ……私の事もロクに知りもしないのに……」
ラミアが行き倒れていたダンテを救った理由は、単に自身の為。
笑顔で居続ければ、姿を現わせる事の無い黒いもう1人の自分。負目や背ける思念を抱くと、ヒタヒタと背後から近づく黒い自身に恐怖したからで。最初、行き倒れるダンテを見た時はそのままやり過ごす気でいたからだ。
そして、それは……
「うるせーーーっ!俺を助けたのは黒い自分の影がなんたらってやつだろうが、俺の知ったこっちゃねぇッ!ラミーお前は今は俺の奴隷なんだッ!俺の言う事を黙って従えってんだッ!」
ダンテを助けた時にラミアは正直に助けた理由を話したのだが、助けられた当の本人はいつもこの調子。そして「あの時助けられたからな」を理由にダンテはラミアの境遇を一変させていた。
何があろうが、笑顔を崩さない気持ち悪い幼いラミアを、事ある毎に折檻していた前の奴隷管理者は、ダンテの拳によりボコボコにされ姿を消して。
魔族の誇りを忘れ、奴隷である事を喜びであるように笑顔を振り撒くラミアをイビリ続けていた奴隷達のイジメは、ダンテが持参する手土産により解消された。
そして何より、ラミアを買いに来るダンテの存在で、ラミアの見た目をよくしようと、ラミアに与えられる食事が適量になり骨と皮しか無かったラミアの体はまだ痩せ気味ではあるが、脂肪が付く程に健康的な体となる。
全てはカビの生えたパン一つから始まったダンテとの出会い。
もう必要以上に与えた恩は返して貰っている。それに対し何も返せない自身。それがとても居た堪れなく、そんなダンテの好意がとても嬉しくも苦しく。熱い何かが込み上げてくる。
「……ダンテさん……私の事、奴隷って言っちゃってるじゃないですか……」
それは抑えなければいけない感情。ヒタヒタと背後から近づくそれを知り、ラミアは必死に笑顔で耐えた。
「うるせーーーっ!」
そんなラミアを否定するように、ダンテは恥ずかしくそうに顔を背け……
「……それによう……俺……もう1人は……嫌なんだ……」
非常に小さな声で……
「俺……お前の事を……もう家族だと……そう思っちまってるからな……」
ダンテは照れながら鼻を掻いたのだ。
抑えきれない気持ちが一気にラミアを包み込んだ。
ラミアは苦しい時も、悲しい時も、魔族の象徴である角に呼びかけ気を紛らわせていた。
角から伝わる母の言葉と母の温もりを頼りに気丈に笑顔でいられたからだ。
だが、肌寒い時、幾ら角に母の温もりを心に感じようが、手足は冷たく、身は凍る思い。
母の言葉を繰り返し耳を傾けるが、ラミアの声は届かない一方的な母の語りかけだった。
でも、ダンテのこれは違う。
ラミアと繋がる手は肌に直接的に暖かさを伝え。ラミアを守ろうとする手はとても大きい。ラミアの言葉に表情や言葉に変化を期たすものが、今のラミアに適した優しさを与え、ダンテと言う存在にラミア自身の体に熱を沸き起こす。
そして……ラミアは耐えきれず笑顔を崩してしまう。
背後から近づくラミアが恐れるもう1人の自分。それがラミアの前に佇んだ。
大粒の涙を幾つも流すラミアにそっと手を置き「ヨシヨシ」と頭を撫でるそれは……
『良かったね』
透き通るように白く輝く、濁り無いもう1人のラミアだった。
それは悪意を全く感じない自身で、寧ろ、その存在はラミアを勇気づける者。そんな一面を知覚したラミアはダンテと言う存在が如何に自身にとっての大きさを計り知る由になる。
その後も、どんなに怒り狂おうが、ダンテに対する剥き出しの感情で姿を現わせるのは、いつも決まって白い自身であり、こうしてラミアはダンテの前だけではあるが、良くも悪くも感情を表に出すようになったのは、ラミアが本当の自分を取り戻すのは、もっと後の話である。
そして……
ラミアが泣き崩れるのを見てダンテに近寄る町娘の姿をダンテは目で捉える。ツカツカと足音を強調し鳴らし、スカートが地面に着かないよう少し持ち上げる肩は怒り肩。
「あぁぁッ!」
睨みを利かせ威嚇するダンテに向かい。町娘は眉間にシワを寄せ言い放った。
「ちょっとダンテッ!アンタねぇッ奴隷たがらって、性処理にこんな幼気な子供を使うってッ!人としてどうなのよッ!?」
「「そーだっ!そーだっ!このロリコン野郎ッ!」」
と、何故かダンテは町娘に胸ぐらを掴まれた。
周りの人々も町娘によく言った。そう賛同しているようで。
「……ん?……なっ、何言ってんの……お前は?……俺がそんな事する訳ねぇーじゃん……えっ!?何?何?性処理って何?……俺今迄そんな目で見られてたの?……」
周りを見渡し、自身の声が誰一人として届いていない事を視覚したダンテの顔から、半端無い汗が噴き出した。
そしてダンテは知る事になる。鼻からダンテを軽蔑した目で見ていた人々は、ダンテの品格では無く、ダンテの人格を疑っていた事を……
虫ケラと蔑み「アイツらの声に耳を傾けんじゃねぇ」と、ラミアに豪語したダンテは顔色を変え。
「ねぇ、ねぇ、ラミーさん。あの人達。俺の事をとてつもない方向で勘違いされているから、弁明してくんねぇ?……」
急ぎ前言撤回。
「ダンテ様がぁーっ。ダンテ様がぁーっ。私をーっ。私をーっ。一生大切にしてやるからなッ!て……お前は俺の一部だからなッ!て……一心同体になろおッ!て……そう私の耳だけに聞こえる声で……そう言ったんですッ!うわぁぁーーん……」
一向に泣き止まなく、間違ってはいないような比喩を使い、勘違いされるような事を口遊み、剛泣きするラミアに……
「……オイッ、クソガキッ!いい加減泣き止んで俺の潔白を証明しろてっんだーーーッ!ぶっ飛ばすぞッ!」
白い眼を作るダンテの本日2度目となる怒声が街中に響き渡った。
****現在の話****
「実りある未来を受け入れたのでは無いのですか?」
ジグリードにそう問われ、勇者は大きな溜息を一つ零すと……
「オイッ!俺が黙ってりゃいい気になりやがってッ!お前何様だよッ!」
怒り口調でジグリードに反論を始めるのかと……思いきや……
「岩男ッ、テメーッ!何呑気にソファに座ってんだよッ!俺の前に茶がねぇぞッ!ゴルァァッ!」
「岩男では無いッ!ガンドゥだァッ!」
勇者はガンドゥの胸ぐらを掴んだ。
バンッ!と机を叩くジグリード。はぐらかす勇者に堪忍袋の尾が切れたような怒りを露わにして、煮え切らない勇者に返答を問い質すのかと……思いきや……
「岩男さんッ!どうして私の前にコーヒーが無いのですかッ!?貴方は何の為に神の導きにより、この世に生を成したと思っているのですかっ!?」
「……岩男では無いッ!ガンドゥだァッ!それに俺は、勇者やジグリードに飲み物を与える為に産まれてきた訳では無いっッ!」
流石にもう我慢ならないとガンドゥも怒り気味に睨みつけながら声を返す。
ちょっとやり過ぎたと慄く勇者とジグリード。ジグリードは明後日の方を向き、何も無い空間で小動物をあやすかのように戯れ始め「あはははっ」と、爽やかな笑顔でその場をやり過ごすのに対して、勇者はそんなガンドゥの面と向かい胸ぐらを掴んでいる。
「ヤダなぁーっっ。マジになっちゃってっっ。折角のいい岩顔が台無しですよっっ。あはははっ……」
乾燥した手にペッペッと唾を吐き、シワの寄った胸元のシワを丁寧に伸ばし、ゴマ擦りになっていない媚びを売る勇者。
より険しい顔になるガンドゥ。まるで大魔神。
これはいけない。何か他に褒める所は?と、ガンドゥの姿形を見渡すが、お世辞でも褒められる部位は無く。諦めかけたその時にガンドゥの首からぶら下がる銀のペンダントが目に入った。
決して高価そうな物ではなかったが、装飾されたペンダントは中々センスが良く、これしか活路が無いと判断した勇者は……
「岩男さん。これ中々良いセンスしてますやんっ!このこのーっっ。ヨッ!憎いね」
肘を軽くガンドゥに当て、勝手に銀のペンダントを手に取る。ペンダントの横に軽い突起があり、そこを「なんだこれ?」と、触るとペンダントが横に割れ、そこから一枚の写真が現れた。
「ゆッ!勇者ッ!そっ、それはッ!開けてはいけないパンドラの匣ッ!」
横目で勇者の動向を探っていたジグリードの制止の声は一歩遅く、勇者はマジマジとその写真に食いついている。
麗しい女性ロレーヌが椅子に腰掛け笑顔を作り、その腕には玉のように可愛い産まれて間もない乳飲み子の姿。そして、そのロレーヌの背後に立つ悪霊の写真。
ジグリードの言う通り、この一枚の写真は、夢であるロレーヌ。希望であるロレーヌの子供。悪夢であるガンドゥの三身一体の——パンドラの匣だった。
「………」
ピクリとも反応無く固まる勇者。
「岩男さんッ!警戒をッ!勇者が暴れ出すかも知れませんッ!」
剣の鞘に手を置き、警戒するジグリードを余所に……
「……何これ?ヤダなぁーーーっ。このペンダント。ロケットだったのかよっ!早く言えよなぁ」
勇者の顔は笑顔。そして余りにものショックから……
「しかし、よく出来てんなこの合成写真。進化した3D技術の賜物か?継ぎ目が全く見えねぇよ。しかし、凄え写真だなぁーオイッ!今世紀最大のホラーじゃねぇ?オスカー狙いか?伝説の勇者の俺じゃなきゃ死んでるぜッ!」
ファンタジー感を阻害しての現実逃避。そんな痛ましい勇者を見てガンドゥはソファから腰を上げ……
「お茶とコーヒーだったな……」
台所に逃げた。
台所に着くなり藁を手に取り、朝ラミアが運んだのであろう水をヤカンで汲み取る。燻してある藁に竃の中に放り込み、ある程度火力が出た所で薪を放り込んだ。
勇者の家に来ると決まってお茶とコーヒーを用意させられるガンドゥには慣れた事。台所で時間を潰すのも悪くは無い話だが、手早く済ませる為に無駄な動作をしないのは、理由がある。
「誰かに見られているな……」
ここには何か居る。1つや2つでは無い。数十に及ぶ何かの視線をガンドゥは感じ取る。
姿形は一切見えない。悪意も感じないが、決して気分のいいものでは無い。腐っても勇者の家なのだから、悪いものなら追っ払っているだろうが……
「さっさとアイツらの場所に戻ろう……」
悪寒を感じながらもガンドゥはヤカンが沸くのを待ち侘びた。
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ラミアとアルマが転移装置で訪れた街は、四方を4つに分類される海で囲まれた大陸の港街の一つ。
大陸の大半は樹海と化し、神獣が住むとされる大陸で人は海岸沿いに数カ所港を形成し、森には立ち入らない掟が存在する。
長い戦いの爪痕は人が住める区画に留まり、神獣を敵に回しても100害しか無い事を物語る大陸だった。
そしてラミアがその港街を贔屓にする理由の一つが……
「うわぁぁ……アレは伝説の勇者の像ですか?」
「うんッ!そうだよ。アレが現在唯一残る数千年前の始まりの勇者の像」
人で有りながら、人で無い者が誕生した土地だからである。
勇者の像には右側頭部に角が生えており、これが勇者とは人と魔族のハーフであった事の何よりの証拠。その事実を忘れ去られた現代で、この土地でしか見られない歴史だった。
人が平和を齎した英雄を勇者と呼ぶように、魔族にも魔族なりの勇者に成り代わる相応しい呼び名がある。
その名は——サタン。
元来ならば、人と魔族は進化体系が全く異なる過程を経た生き物で染色体の数も違い、子は産まれない。
その昔愛し合う人と魔族が神獣の力を借り、授かった子が勇者と呼ばれるようになったと、この始まりの地では伝承されている。
今の世の王族は全て勇者の因子を授かる者。魔族の公爵以上の地位の者もサタンの因子を授かる者。辿れば一つの人物に行き着き。それはとても悲しい骨肉の争いだとラミアは、アルマに説明した。
そして……
「私が初めてこの地に来たのは幼い奴隷の時だったの。連れてこられた何も知らない土地で、私は丁度この場所で勇者の像を眺めてた……」
「………」
哀愁漂う笑みを浮かべるラミア。その表情から余りいい思い出では無いようにアルマには聞こえ顔が雲がかる。
それを見たラミアは急ぎ……
「違うよっ、違うよっ、アルマ君。確かにあの頃の私は優しかった奴隷の人達と引き離され、知らない世界に放り出される事に怯えていた。でもね……その時の私に教えてあげていたの……」
ラミアはニッコリ微笑んで……
「買われた先で勇者様と出会うんだって。私にとっても始まりの土地になるんだって。誰よりも私は幸せになるんだってね……」
アルマにそう言い聞かせ、俯くアルマは言葉を失った。
アルマ自身、己の中には渦巻く嵐があるのを知っている。いつもは静寂を保つその嵐はいつも決まってラミアと居る時に猛威を振るい、自身が意図しない行動が余儀無くされていた。
今もそうだ。多面を持つ嵐の今の顔は嫉妬。胸を張り裂く暴風を起こし、潤いを超えた過剰な豪雨を打ち付ける。
「ごめんね。シンミリしちゃったね。アルマ君。元気出していこーっ」
そんなアルマの手を引っ張り向かった先は港の倉庫。いくつもの木の箱が積み上げられ、遠くでは船から荷を降ろす者達が居る。
「おじさーんっ!」
元気よくラミアは人や魔族に指示を出す。髭の蓄えた男を呼んだ。
「やぁラミアちゃん。いつもの勇者一式セットだね?」
男はラミアに近づくなり、馴染みの「マスターいつもの」的なやり取りをする。少し、他愛もない話に興じ、男は「親方ーーッ!これ何処に運びましょうか?」その声と共に「30分後ぐらいにまた来てくれるかな?」と、仕事に戻った。
「じゃぁ、その間に勇者様の好きなお菓子とおつまみを買いに行っちゃおう」
そう元気良くアルマの手を引っ張るラミア。
「次は勇者のお酒だね」
そう笑いアルマの手を引っ張るラミア。
「あーーーッ!これ勇者様の大好きな魚だよっ!アルマ君ッ!見て見てッ!超ブサイクなの……」
変顔でアルマの手を引っ張るラミア。そして……
「ハイッ!アルマ君。現地でしか食べれない勇者様の大好きなアイスクリームだよ。帰ったら勇者様自慢しようねアルマ君ッ!悔しがる勇者様の顔が楽しみだよ」
限界を超えた蠢く嵐がアルマを突き動かした。
「さっきから……勇者様、勇者様って……自分の物何一つ買って無いじゃないですか……」
「ん?どうしたの?アルマ君……美味しくなかった?ゴメンね。勇者様ったら偏食家だから……」
「そんな事を言っているのでは無いですよッ!……ラミアさん聞いて下さい……勇者さんは貴女が離れていかないように発動させている魔法があるんです……」
自身に嫌気がさす。必然と顔が澱み、睨む眼でラミアを見据える。
「ちょっ、ちょっとッ!アルマ君。顔が怖いよ……折角の綺麗な顔が台無しだよ……」
自身では抑制の効かない感情の渦がアルマを駆り立てる。
「貴女は……勇者さんに、只夢を見せられているだけ……その夢を僕が今この場で覚まさせてあげますよ……」
どうする事も出来ない滾る嫉妬。
「なっ、何言ってるのアルマ君。やっ、やっぱり血を出し過ぎて頭が変になっちゃっただけなんだよね?」
仰け反るラミアの両肩を掴むアルマ。
「痛いよッ!痛いよッ!アルマ君ッ!離してよッ!やめてよッ!」
力が入る手はラミアを逃げ出さないように抑え込み……
「ラミアさん。貴女は勇者に禁呪桃源郷を発動させられているんです。貴女が知る全ては勇者の見せる幻影。どうか目を覚まして下さい。ラミアさん……」
そうして暴風のように吹き荒れる感情のままに従いアルマはラミアをきつく抱き締めた。
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お茶とコーヒーを入れ終わったガンドゥは、勇者とジグリードの飛び交う言葉に耳を傾けていた。
「勇者よ。ラミア様にどうしても貴方の口から決別の言葉を告げて貰えないのでしょうか?」
「だから何度も言ってんだろうがッ!ラミーを追い出そうとしたらお前らが来てオジャンになったってよッ!お前らが悪りぃんだろうがよ……」
「勇者よ。ただ、追い出せばいい訳ではありません。ラミア様が此処に二度と戻って来れないようにして頂けないと、ラミア様は勇者の魔法に依存しているのですから……」
「んだとッ!テメーッ!俺がラミーに良からぬ魔法をかけてるみたいな口調だなッ!えーーーッ!ゴルァァッ!」
「フッ」と笑いを溢し立ち上がるジグリード。転移装置の玄関のドアの前迄足を進め、ドアのダイアルを一番右迄傾ける。
「良からぬ魔法?勇者。貴方が行使続ける禁呪はそんな生易しい魔法ではないでしょうが……」
転移装置のドアを開け……
「ガンドゥ。貴方の眼にはドアの向こうに広がる世界はどのように映るのですか?」
そしてガンドゥに言葉をかける。
ガンドゥがドアの先に見る世界は一言で言えば森林。何度拳を打ち付けても倒れる事が無い大木、転がろうが怪我をしない程度に生え茂る草、川は足腰を鍛えるに適した速度で流れ、奥には身を締める滝が見えた。
「流石は勇者殿……よい自然の鍛錬場をお持ちで……」
戦後間も無い時代。このような美しい自然に囲まれ、体が鍛えられる場所が存在するのかと、狼狽顔のガンドゥを……
「あはははっ……」
ジグリードが笑う。
「ジグリード……何がそんなに可笑しいのだッ!……こんな素晴らしい場所はそうそうに無いぞッ!」
力説するガンドゥにジグリードは不気味に口元を緩め……
「全ては虚像……ガンドゥ……私には一面薔薇で敷き詰められた白銀の世界に映って見えますよ……あはははっ……本当に素晴らしい……」
高々と笑い声を上げた。
「なっ、何を言っているのだ貴公は……薔薇など一輪も咲いてはおらぬでは無いかッ!?」
「いえいえ、私にはそう見えるのですよガンドゥ。これこそが勇者がラミア様を縛り付ける楔。もう言い逃れは出来ませんね?勇者よ……」
ドアの向こうに足を進め花を摘む仕草を見せるジグリード。家に再び舞い戻ると今迄存在しなかった薔薇が転移装置のドアを潜ると共に姿を現せた。
「なっ、なんと言う事だッ!」
「これはこれは、手の込んだカモフラージュですね勇者。創造系魔法も仕込むとは……全く恐れ入りますよ……」
勇者は神妙な面持ちでジグリードとガンドゥに背を向けたままソファに座り反応を示さない。
「これでもまだ白を通すと?ちなみですがラミア様の眼には草原が映るそうですよ。自然の似合うラミア様らしいですね?そうは思いませんか?勇者……」
見るものが信じられないと固まるガンドゥの前をツカツカと通り過ぎ、勇者の元に歩みよるジグリード。薔薇の香りを華やかにテイスティングのように嗅ぐわいながら……
「そして、そこにはラミア様に友好的な村人数十人。家畜なのかペットなのか、馬に鶏、そうそう手の掛かる小さな山羊がとても愛らしいそうですね?」
勇者の肩に手を置き。
「これこそがなによりの証拠。禁呪桃源郷。とくと堪能させて頂きました……勇者様……」
ジグリードは、瞼を落とし少し天を仰いだ勇者の内ポケットに、真っ赤な薔薇を突き刺した。