第三話。奇跡を与える者と奇跡を集める者。
「ねぇ、ラミア。貴女のお父上は、とても優しいお方だったのよ……」
黒い長髪の畝る角を生やした女性が、膝で寝転がる、癖っ毛の幼児の頭をゆっくり撫でながら、そう語りかけていた。
「お父様は、この時代で、人でありながら、魔族の者を対等視出来る優しいお方。それが仇となり立場を悪くしようが信念を変えず、お父様は今も戦い続けてる……力では無く言葉で……ごめんね、ラミア……私達が今、お父様の側に居ると立場がもっと悪くなるの……もう少し待って……もう少しだから……」
私にいつも微笑んでくれた母様。いつも笑顔で、誰にでも優しい、私に幸せをくれる母様は……この3日後に殺された。
奴隷として城に奉仕していた母様は、酒に酔った若い兵士に対応が気に入らないと只その理由だけで斬り捨てられたのだ。
床が血で満たされるサマを私は、ただ黙って眺め……
「母様?……母様?……ねぇ起きて……こんな所で寝てると風邪引いちゃうよ……ねぇねぇ母様……」
いつまでも立ち上がらない母様を揺すり起こそうとした。そんな私から母様を引き離し……
「お前の母親はもう死んだのだよ」
同じ奴隷の魔族に何度もそう教えられたが、その意味は私には理解出来なかった。
何故なら、魔族の象徴である角が、母様の魔力を、母様の温かさを、母様の言葉を、私に与え続けてくれていたから……そう、私にはそれが有る。だから、私は母様が死んだと聴かされても、それを呑み込む事が出来なく……
その時の私は、無邪気に笑っていられた。
ただその時、眼から流れる熱いものが、そんな私の胸をとてもきつくきつく、押し潰されそうなくらいにきつく……締めつけた。
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幾つかの月が過ぎ。岩を成型し組み合わせられた床を綺麗に磨きながら、私は視線の先に居る一人の若い兵士の言葉に耳を傾けている。その兵士の周りにはいつも人が集まり、その男にかけられる歯を着せぬ言葉から仲の良さを伺え、その兵士も終始笑顔が絶えず、人当たりの良い性格と判断出来た。
就業を終えたら街に飲みに行こう。
そんな対話で弾む人間のそれを耳に入れながら、私はもう痕が残っていない床を、必死に堪え、必死に磨き続けていた。
雪が降る季節になり、氷のように冷たい窓を拭きながら、規則正しく中央広場で立ち並ぶ兵士達を眺める。
一人一人が前の台座に呼称と共に足を進め、何かを受け取っており。
命と比べると、とても冷たく、とても小さく輝くそれを、胸に装飾される兵士の皆は誇らしげに胸を張り、優越に浸り無邪気に笑う兵士の姿を、幼い私は氷ついた窓越しからただ眺め見る事しか出来なかった。
そして、いつも眼につくあの兵士を瞳に宿し、催しが終わると同時に仲間と戯れ合う兵士の幸せな顔に私は、胸が張り裂けそうな想いに襲われた。
やがて新芽が顔を出す季節に成り代わり。あの兵士が幼馴染と結婚すると言う話を、兵士間で行われる噂から知る事になる。
いつ死と直面するか分からない時代。早めに身を固め、子孫を残すのも国益なのだと語り合う兵士達。生産する事に勤しみ、既存する目の前の生に目を向けようとはしないその在り方に、悪意を抱く私の頭に過ぎる、笑顔のあの兵士の顔に、拳を強く握り絞めていた。
いつの頃だろうか?奴隷が押し込められた部屋で、隅で盛り上がり積み重ねられた藁を冷たい床に適量敷き、寝そべる幼い私が黒い黒い影の声を聞くようになったのは……
黒い影は私にいつも囁いた。
「何がしたいの?何をして欲しいの?誰を……どうしたいの?……」
最初は相手にしなかった。
いつも一方的に私に話しかけるそれがとても嫌で私は耳を塞いでいた。だが、あの兵士が幸せに暮らす姿を思い浮かべる日常を送るにつれて私は次第にその黒い影に心動くようになり、そしてあの憎い兵士が結婚する話を聞いたその日の夜に、私は独り言のように黒い影に言葉を漏らした……
「アイツを殺してよ……私の母様を殺した……憎いアイツを……地獄の底に突き落としてよ……」
黒い影が僅かに揺らぎ、その歪みは、私に笑いかけたように見えた。
その次の日の夜から黒い影は私の前から姿を見せなくなり、私の胸が晴れやかな気分に……あの兵士の存在の事も次第に考えなくなり始めた頃だった……
あの男が、先の戦いで死んだと話をする兵士達の声が私の耳に飛び込む。
その時の私は意外な程に、不思議と何も感じなかった。
そして、その男の私物を引き取りに幼馴染の妻となる女が城を訪れると小耳に挟み、私は仕事をすっぽかし、あの兵士の妻が一体どういった顔をしているのか一眼見てやろうとその場に足を進める。
あの兵士の妻は直に分かった。いつもあの兵士と一緒に居る者が女を取り囲んだいたからだ。
女はあの兵士の私物を、生を宿していると思われる大きな腹で力強く抱きかかえ、幾つもの涙で床を汚す。女が叫ぶその声はとても私の耳に障る声。キンキンと響くその声を遠ざけるように私は耳に手を置き、その場から懸命に足を動かし後にした。
脇目を振らず、何処へ行くとも知れず、私はただ走り続けた。そんな私を追いかけ、声をかけてくる者から必死に逃げる為だった。
「何故、目を逸らすの?これは貴女が望んだ事なのでしょ?」
『違う……違う……違う……』
「何故、そのような顔をするの?こうなる事で貴女は笑顔になれるのでしょ?」
『違う……違う……違う……』
「何故、逃げる?貴女は母様を殺したあの男が憎くて仕方がなかったのでしょ?」
『違う……違う……違う……私は……そんな事を望んでいないッ!』
いや、確かに私はそれを望んだ。あの時、あの夜に、私は黒い黒い影にそう願った。ただ死を願うのでは無く、一番幸せな時にあの兵士が奈落の底に突き落とされますようにと、そう想いを込めた。
気がつくと私は街の中央の噴水の前迄足を進めていた。周りを見渡してもあの黒い影の姿は無く、声もしない。
乱れた呼吸を整える事に思考を巡らせ何も考えないようにする。手足は限界を迎えており膝が笑う。喉も渇き、汗がまとわりつき気持ち悪い。
私はよろよろと噴水の前迄足を進め、顔を洗い、水を飲もうとした。
そして、波打つ水面に浮かび上がるそれを見て、私は黒い黒い影の正体を知る事になる。負の念を抱く私に夜な夜な話しかけてきた、それが何なのかを……
水面に映る歪んだそれは、不幸のドン底に落ちたあの兵士の妻を見て……
口元を吊り上げ笑う、私自身だった。
それが私の持って生まれた力だと他者から教えられたのは、私がもっと大きくなってからの話。
その時の私は、私を笑顔にする力がとても怖く、自身が笑顔になるように働きかける自分がとても恐ろしかった。
そしてそれに怖れた私は、その次の日から笑顔以外の感情を表に出す事は無かった。そう、後に勇者と呼ばれる男と運命的な出会いを果たす迄は……
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「でっ?今日は何の用だよ?」
露骨に太々しい態度でソファに座る勇者は、今はもう立ち直ったジグリードとガンドゥに苛立ちを前面に押し出した。
ジグリードは勇者のその問いに返答する事無く、いまだ仰向けで倒れるアルマに視線を移す。
「あーーーっ!面倒クセェッ!オイッ!ラミーッ!アルマ連れてとっとと買い物行きやがれッ!」
勇者は勢いよく立ち上がると……
「えっ!?でも、アルマ君の服が血だらけで……って、やだっ!勇者様ッ!離してッ!」
洗濯場から姿を現せ、今はアルマのズボンに手をかけようとしているラミアの後ろ襟を掴み、横たわるアルマの胸ぐらを掴むと、足で器用に転移装置のドアを開け、2人を放り投げ、ドアを閉め、ズシリと再びソファに腰掛ける。
「これでいいんだろ?」
ため息混じりにジグリードに目線を移す勇者は、縋るように転位装置に消えたアルマに手を伸ばし、半泣きのジグリードを視覚する。
「アッ、アルマ様……」
「気持ち悪い奴ッ!なんなのお前……」
勇者のその言葉にキリッと鋭い眼を作りジグリード。ズケズケと部屋の中に足を進め、勇者の横のソファに腰を降ろすと話始めた。
「今の私が気持ち悪い?……それは失言ですよ勇者。私は何よりも美しいものを見るのが好きなだけなのですよ。ただ、私より美しいものはこの世にそうはない。そして私の性別は男。世間体を気にするならば、必然的に私の傍に置かなければいけないのは元来から女と呼ばれる性別。そんな私にピッタリミッチリフィットするのはロレーヌ様……唯1人……」
眼が充血する程の睨みをガンドゥに放つジグリード。「ジグリードよく言ったッ!」と、勇者もジグリードと同じ眼をガンドゥに放ち始めた。
また、この流れか……とガンドゥが頭を抱えソファに腰かけようとした時。
「「テメェーーーッ!岩男は立っとけよッ!」」
ガルルと喉を鳴らし怒声を放つ勇者とジグリード。「はぁ……」と、降ろす腰を途中で止めて、ガンドゥがソファの横に立ち尽くそうとしていると……
「「玄関先なッ!」」
勇者とジグリードは視界の入らない場所へとガンドゥを追いやった。
勇者とジグリードのニヤニヤ顔の互いの顔がふと見合い、「これはいけない」と、コホンッと顔を引き締め直す勇者とジグリード。
「でっ?アルマの従者のジグリード様が、俺に何の用な訳?……」
「従者?……勇者……何度言わせれば分かるのですか?私がアルマ様の傍に居るのは、単純にアルマ様がロレーヌ様と何一つ遜色ない美しい御方だからですよ、と先程から言っているではありませんか……」
「お前の言い回しは、ホント分かり難いよな?もっと簡単に言って教えろよ」
「簡単にですか?……」
「ああ、じゃないとアルマ自体。お前とどう接していいのか?分からないんじゃーねぇの?」
「ふむ……確かに、だからアルマ様は、私によそよそしい節があるのですね……ふむふむ……」
「で、単に言うとお前はアルマの何なんだ?アルマの事をどう思っているんだ?」
ジグリードは不敵に口元を吊り上げ、凛と胸を張り……
「私はロレーヌ様同様に、アルマ様を見ていると……ムラムラしますッ!」
そう言い切った。
「どうだ?これ以上の分かり易い比喩表現はないだろう?」と、ジグリードが勇者に見せるの余裕の笑みが、勇者に悪感を呼び起こす。横に座るジグリードから逃げるように一つ席を横にズラした顔面蒼白の勇者は……
「ガっ、ガンドゥ。そっ、そんな所で立ってないで……こっ、こっち来て、ここに座れよ……お前の為に俺、席を温めておいたんだぜ……お願いコッチ来て……」
勇者は、猿のよな武将が懐に草履を忍ばせ、温め、献身的に尽くすような事を言って、寒気するジグリードから目を合わせないように顔を伏せ、自身が先程まで座っていた生暖かいソファを軽く叩いた。
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「ねぇ、起きてアルマ君。ねぇ、ねぇ」
どうみても瀕死のアルマをラミアは躊躇う事無く揺すって起こそうとする。
「ラッ、ラミアさん?……」
「良かったーーーっ……凄い血の量だから、私心配だったんだけど……勇者様と同じでアルマ君も大丈夫?」
化け物で、ゴキブリのような生命力を持つ、死なない勇者。そんな勇者の危機的状況を幾度となく経験しているラミアは、人の限界値がズレており、それを自覚しているラミアならではの気遣い。
「あっ、ハイッ!全然全く問題ないですッ!僕だって伝説の勇者の血を受け継ぐ者。これぐらいどうでもないですよッ!ハイッ!」
勝手に恋のライバルと決め込んでいる勇者に負けじと、急ぎ身体を起こし、元気一杯な姿をラミアにアピールするアルマ。頭がガンガンと血が足りない事をひた隠す。
「うふふふふ……アルマ君って本当に面白いよね?」
「えっ!?……そっ、そうですか……」
「じゃー行こっか!……勇者様とジグリード様は大切な話があるみたいだから、邪魔者の私達は仲良く買い物デートしよっ。今日一日私に付き合ってくれるでしょ。アルマ君?」
ラミアはアルマに手を差し出し、ニッコリ微笑みかけ……
「はッ、ハイッ!喜んでッ!」
アルマも笑顔で、元気一杯を装い、その手を受け取る。
そして、絶対安静状態のアルマの手を引いて、ラミアは……「あはははっ……」と、無邪気に駆け出した。
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「で?……何の用ですか?……ジグリードさん……」
ガンドゥと言う岩の壁越しで、勇者は震え怯えた声で、今日何度目となるのか?今回の訪問の要件をジグリードに問う。
「勇者よ。白を通し約束を違えるつもりですか?……あの約束から一年。貴方のようなどこぞと知れぬ野良犬の血を引くまがい物の勇者では無く。伝説の勇者の血を受け継ぐ正当後継者であるアルマ様に、ラミア様を嫁がせるあの約束を……」
「……ああ?そうだっけ?」
耳クソを穿りながら、我関せずの興味無い態度を取る勇者に、ジグリードは言葉を続け……
「ラミア様の御力は、正しく使えば誰かを覇道へと導く力……そう『奇跡を与える力』。そして我ら白翼騎士団が団長アルマ様は誰かを慕える力……『奇跡を集める力』を持つ御方……万年の平和を願うならば、この2人の子に未来を託すのが定石。そう理解し、貴方もその実りある未来を受け入れたのでは無いのですか?」
ジグリードは、頭で腕を組み欠伸を零す勇者に、そう迫ったのだった。