第二話。もう1人の勇者。
3話程続きます。
それは昔。今日と同じく深々と雪が降り続けた日の事。
「やっ、やべぇー……目が霞んできやがった……」
路地裏で倒れるの若い男の姿。着る服から判断すると駆け出しの冒険者。空腹と疲労からくる行き倒れ。路地裏を通る人は、男を視界に入れないよう、男の横を素通りしている。
人と魔族の長き戦いにより暮らしは困窮。命の灯火が消える瞬間を垣間見る事は珍しく無く、それが今行われようとしていた。
「チキショウ……金はあんだけどなぁ……」
男に決して金が無い訳では無く、実際1ヶ月前なら1000ギルで1食は賄える金額だった。だが……
——前線の1つの砦が崩壊。
その情報と共に一気に物価が上昇。鉄の武器より、一つのジャガイモの単価が勝る事態となり、何の用意も無い冒険者の殆どが飢え凌ぐ事態に。
行き倒れる男も早めに有り金を叩けば飢える事は無かった。だがどうしてもまとまった金が必要で……
『ここは見だッ!近い内に買いの流れになるッ!』
デイトレーダーのように相場の流れを予想。
その夢の為に倹約の方向で高を括っていたのだが、流れは真逆。釣り上がり続ける相場にやがて商人が食料を出し渋り、市場に出回らなくなった結果がこれだった。
「ホント、やっちまったよなぁ……天国に行きゃ……美味いもん腹一杯食えるかな?……」
力の入らない手で、少しばかり下敷きとなる雪を握り集めながら、男は悔いの涙を垂らす。
地を這い蹲る思い出しかない過去を振り返り、今の時代を生き抜く糧となる未来の夢の終着点を思い浸ろうとするのだが、描かれるのは苦渋の人生。
悔いは無い?いや、悔いしかない。
幼い頃に、両親が戦いに巻き込まれ死んでから、ロクな人生を歩んではいない。死体を漁り、残飯を漁る、よく分からない野草を食べて、大人に媚びた。
決して自分が不幸だとは言わない。自身より酷い人生を歩んで来た者は、今の時代星の数程居るだろうから。
だが、やっとの思いで夢の一歩である冒険者になり、少しづつ稼ぎ始め、夢を見始めた途端の、この有様なのが気に入らない。
なら、あの時死ねば良かった。そう思う場面が何度も脳を掠めた。
「死に際ぐらい……もっといい事でも思い浮かべろよなぁ……お…れ…」
力が抜けて行く、目をゆっくり閉じて、このままの脱力に従えば、もう何も考えずに済む、只のタンパク質に帰る事を何となく理解した。
そして、その時に、男は、自身の人生を大きく左右する者との運命の出会いを果たす事になる。
「口を開けれますか?」
とても暖かい声が聞こえた。
それは自身に向けてかけられた言葉なのが何故か分かり、力を振り絞り口だけを開けた男。直ぐ口内に岩のように固いある物が運ばれた……
「ゆっくりでいいので噛んで下さい」
声に従い、男はゆっくり噛み始めた。
味は無く、唾液に溶かされた粉らしき物が喉を伝う。僅かに鼻が嗅ぎ取るガビの匂いが、幼き頃に味わった懐かしさを漂わせる。
噛めば噛む程に滲み出て明確になるそれに男の胸が張り裂けそうで、噛めば噛む程に自身の眼から流れ出て、滴る塩分のしょっぱさを感じながら、男はその食べ物を喉に通した。
力無い目をゆっくり開けて、男は声の主を見定める。
ほつれた麻布の服を何重も着込み、服に付着するススの汚れと、こびり付いた血の汚れ、顔に大きな青びょうたんを数カ所作り、怪我をしているのか?左目は布を巻き、右目は赤黒く腫れた目元をニンマリと曲げる子供。
絡み合った髪は癖がかり、腰まで伸ばすのは産まれてから一度も切った事が無い事が伺え、左右にツノが生えている事から魔族である事も分かった。
男に差し出した、長年のひもじい生活による、骨と皮しかない指が持つのはガビが生えたパン。銀色の腕輪をはめている事から奴隷だろうと判断したのだが……
「……天国の天使ってこんなに汚いんだなぁ……」
男には奴隷の魔族の子供がそう映った。
「ここが天国なら、このパンはとても美味しく感じられるのですか?」
「……いや、クソ不味い……」
男は包み隠さず正直に答える。それが良かったのか、奴隷の子供は健気にクスクス笑いながら……
「なら、貴方はまだ生き続けていられますね」
そう腹を抱えたのだった。
「……やっぱり訂正、この時代に生き続けろって事は、お前間違い無く、悪魔だよ……俺の名はダンテ・ライオス……お前は?」
奴隷の子供に男は苦笑い気味に名乗り上げ、奴隷の子供の名前を求めた。
「私はライク・ホーン様の4番目の奴隷ですが……」
「いや、そうじゃ無くて……あるだろ?ホラっ、お前の本当の名前……」
「えっと……確か……ラミア・ディルクだったと思います……」
これが後に勇者と呼ばれる者と、男を勇者へと導く付人との運命の出会い。
何気ない、戯れのひと時。だが、ダンテにとってそれは今迄味わった事が無い救い。この時代、この世界で、自身の命は意味のない軽いものだと、そう思っていた。
その本質は変わらない。だが……この時、既に、ダンテが奴隷の子供に、それとは違うながらも同調する事柄を教えられた……
どんな窮地に立たされても、絶体絶命のピンチでも、ダンテが言い放つのは……
「俺は、俺より死に近い者に命を拾われた。こんな所でくたばってたまるかよッ!」
それは、生きる事。
自身より遥かに水準の低い者からの生の延命、ダンテは知らぬ内に死ねない決意を、奴隷の子供ラミアから授り、覇業の第一歩を踏み出した。
****現代に戻り****
普段の上瞼と下瞼の間隔を1/4程に絞り、ラミアは勇者の恵比寿のように垂れる眼を疑う。
「ねぇ……勇者様。どうして今日はこんなに早起きなの?どうして今日はそんなに笑顔なの?どうして今日はそんなに私に優しいの?」
「えっ?そう?俺、実はいつも1時迄起きてる早起きだし、裏の無い潔癖の笑顔が俺のホワイトベースだし、いつもラミーに心から感謝してるからじゃないの?何なら肩揉んでやろうか?」
上瞼と下瞼の間隔を更に1/2に絞り。
「違うでしょ?……今日は私が独りで街に買い出しに行く日だからですよね?……」
「やだなぁーーー。何言ってだよ。まるで俺が、ラミーが転位装置の扉を出た後に、ダイヤル回して、この場所に戻って来れない悪巧みを考えてるみたいな事言っちゃって、そんな酷い事する訳ねーじゃん。俺、ラミーの事、本当に大切に思ってるんだぜっ!ラミーが居なくなったら俺、きっと堕落した人生しか送れねぇ自信しかねぇよっ。あはははははは……」
「……その堕落した人生に浸りたいんでしょ?勇者様は……」
「えっ?……やっ、やだなーーーっ……ラミーさん……心外だなぁーーーっ……おっ、俺、一応勇者だぜっ!そっ、そんな昼夜逆転した薔薇のような人生。食っちゃ寝を繰り返し、気が向いたら若いピチピチのお姉さんの所に遊びに行くビッチな人生なんて、これぽっちも星に願ちゃいねぇーよ……ホント、ひでぇなぁーーーっ」
恵比寿は語るに堕ちていた。
「……私やっぱり行くのやめますッ!」
首に巻くマフラーを解き始め、勇者の横を通り過ぎようとした時。
「何言ってんだよ。食料殆どねぇーんだろ?ホラッ!ラミーが好きなお菓子とかも買ってさ、ゆっくり堪能してこいよっ!なっ!なっ!」
ラミアの腕を掴み、勇者はラミアの背中を押す。
眉間にシワを寄せ、泣きそうな顔で勇者を睨み付けるラミアは……
「このッ!ボンクラ勇者。私をそんなに追い出したいのかッ!こらーーーッ!」
勇者をポコスカ殴り始めた。
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「アルマ様。用意は出来ましたか?」
長い黄金色の髪の長身長の美男子。顔に少し被る金色髪を払い、純白のタキシードを着る若い男に声をかけた。
「うっ、うん……ジグリードこれでいいかな?」
着用する服の左右を見渡し、身嗜みを目で確かめるアルマと呼ばれた銀髪の中性的な美青年。
「アルマ様。完璧に御座います。このジグリード、美しいアルマ様にお仕え出来る喜びを今、ヒシヒシと噛み締めている次第」
ジグリードはアルマに歩み寄り、親指と人差し指でアルマの顎グイッと引き寄せ、芳しく顔を近付け、目を細めながら口端を吊り上げた。
「ジッ、ジグリード……そっ、そんなに僕を見つめないで……じゃないと僕……」
ジグリードは獲物を必中で落とす鋭い眼を、頬を朱色に染めウットリ瞼を落とし眼を外らすアルマから離さない。
何故か2人の間に、薔薇のエフェクトを挿入するといった特殊加工を寄与される程に絵になるBLな2人。互いの、少し荒い吐く息を絡め合い、正に今、薔薇の蜜が垂れ落ちようとする空間を……
「何をやっとるかッ!男同士で気持ち悪いッ!アルマ様もジグリードに乗からんで下さいッ!」
全身、大岩のような男がぶち壊した。
「「岩男さんッ!」」
「岩男では無いッ!ガンドゥだァッ!」
自身の名を間を置かず訂正するガンドゥ。角張った岩の顔を崩す事なく低音を響かせる。
「「いえ、いえ、女性読者用のサービスでして……」」
自信満々に訳の分からない事を口走るアルマとジグリード。
「所でアルマ様。そろそろ訪問されても迷惑では無いお時間かと……」
「そうですね……僕のこの格好……気に入って貰えると嬉しいのですが……」
自信なさ気に俯くアルマに……
「これを持っていかれると宜しかろう」
ガンドゥが花束を差し出し、それを受け取るアルマ。
「女子に贈る物と言えば貴金属がよく好まれますが、アレは物量は重い分心には軽い。ましてや、アルマ様のお相手は、貴金属よりも自然が似合うお方。なれば、これしかありますまいッ!」
何と言えばいいか……見てくれの割に合わないガンドゥが諭す女心。
いや、こうでもしないとガンドゥのような者は結婚なんて出来ないのだろうと、そんな侘しさが、アルマの眼に一粒の涙を溜めた。
その涙を手で振るい。アルマは満面の笑みを浮かべると……
「ありがとう……岩男さん……」
「岩男では無いッ!ガンドゥだァッ!」
感謝の言葉を送り、顔をキリッと引き締める。
「もう大丈夫です。岩男さんだって僕の姉さんと結婚出来たんだッ!どうみても僕の方がカッコイイんだから……さぁ行こうッ!ジグリードッ!岩男さんッ!」
「岩男では無いッ!ガンドゥだァッ!」
アルマは魔法の詠唱を始め、現れた光の中に歩み、アルマは姿を消した。その堂々とした後姿に、ジグリードは穏やかな表情を浮かべ……
「本当に逞しくなられましたね。アルマ様……」
そう抱く想いに浸り、暫く眼を瞑る。そして、ガンドゥの方に少し振り返ると。
「さぁ、行きますよ岩男さん。絶世の美女。アルマ様のお姉様でも在られるロレーヌ様を口説き落とした究極の奥義『プライド無い土下座』をアルマ様の為にも使用して下さいッ!……でわ、私が先に……」
「ちょっと待てッ!ジグリードッ!」
「何ですか?岩男さん。早くしないとアルマ様1人では心細い思いをされますが?」
「何だその『プライド無い土下座』とはッ!?」
「だってそうでしょ?数多くの婚姻を迫る者の中から、ロレーヌ様は事もあろうか?こーーーんな、見窄らしい岩男を選んだんですよ?有り得ないですよ?ああ、なるほどッ!……ロレーヌ様の足の裏でも舐めておいででしたか?なるほど……」
「貴様ーーーッ!俺を侮辱する気かぁッ!」
岩顔が鬼瓦へと表情を変えるガンドゥに、ジグリードは……
「……ぶっ、侮辱されたのは……私の方ですよ……」
微かに聴き取れる声を出し、ストンと座り込み、顔を両手で覆う。
フルフルと身体を小刻みに揺らし、手は涙と鼻水でベトベト、ヒックヒックと癇癪を起こす惨めな姿を見て……
「おっ、怒ってすまない……そして、何かすまない、ジグリード……」
ガンドゥは居た堪れなくなり、ジグリードに謝った。
何故なら、自我自尊、唯我独尊、ナルシストで、美のプライドの塊である美男子のジグリードは、ガンドゥの妻であるロレーヌに果敢にも求婚を迫り、儚く散った哀の戦士の1人だったからだ。
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「おっ、お邪魔しますっ!私は、聖地セイントマリア直轄、白翼騎士団団長アルマ・ロンドベル。きょっ、今日は事前に伝えずの突然の訪問ではありますが……どっ、どうか……宜しくお願いしますッ!」
緊張でガチガチのアルマ。自身が何を言っているのか途中で分からなくなるものの、何とかまとめる事に成功し、ホッと胸を撫で下ろす。
直ぐに直立の態勢に戻したアルマに……
「いい所に来たっアルマッ!それでこそ本物の勇者の血族。だから、俺を助けてッ!」
勇者はアルマの背後に回り込み盾にする。
「このーーーッ!腐れ勇者ーーーッ!これでも喰らえやコラーーーッ!」
「ラッ、ラミアさんッ!」
ラミアが投げたのはマグカップ。中にはコーヒーが入っており、勇者に盾にされたアルマの純白のタキシードに染み込んだ。
「あっ、あれ?アルマ君?どうして此処に?……キャーーッ!それよりどーしよッ!高価そうな服がッ!キャーーッ!ごめんなさいっ!本当にごめんなさい」
アルマの側に駆け寄りポケットから取り出したハンカチでポンポン叩いてシミ取りをするが、とてもじゃないが間に合わず。
「アルマ君ッ!服脱いでッ!直ぐに洗濯しないと跡が残っちゃう」
アルマの上着を勝手に脱がして、急いで洗濯場へとラミアは消えた。
「ラッ、ラミアさん……ぼっ、僕は……」
ラミアの手がアルマの体に触れる度に頭から爪先迄タコのような赤色を帯び、ラミアの顔が近づく度に軟体動物のように力が抜けて行き、今はではもうグロッキー。
「お前、本当に分かりやすいよな?ある意味羨ましいぜ」
勇者は終始ニヤニヤしながら蛸と言えばアレだろと言わんばかりに。
「オイッ!ラミーーッ!アルマのズボンもシミついてるぜッ!お前のしなやかな手で優しく脱がしてやれよッ!」
「えーーーッ!ホントッ!アルマ君ちょっと待ってッ!直ぐ行くからッ!」
ラミアのその言葉に、アルマは鼻から夥しい赤いスミを吹き出した。ヘナヘナの身体はその勢いを支えきれず、大の字でそのまま綺麗に後頭部を強打。
「おーいっ!死んだか?」
ピクピク痙攣する幸せそうなアルマの額をツンツン突き声をかける勇者に……
「勇者殿ッ!我ら団長を揶揄うのもそれぐらいにしてもらいたいッ!」
「あぁぁーーーッ!んだとテメェーーーッ!」
声質で、即座に人物を特定した勇者は、振り向きざまに怒りを露わにする。
「ふざけんなよッ!お前、よくも俺んちの敷居を、平気でまたげたなぁ?えーーコラァッ!」
勇者は、岩のような男が腕で抱え持つ男を見て……
「そうか……ジグリードの野郎は余りにものショックで天に召されたか……どうでもいい脇役だったが、居なくなればなればで、チョッピリ寂しいもんだなぁ……」
少しシンミリする。
「んなぁこたぁーーどうでもいいんだよッ!テメェーッ!ゴルァァッ!岩男ッ!とっとと俺んちから出て行けやコラーーッ!」
「岩男では無いッ!ガンドゥだァッ!」
勇者は、怒りを露わにしながらも、ストンと座り込み、顔を両手で覆う。
フルフルと身体を小刻みに揺らし、手は涙と鼻水でベトベト、ヒックヒックと癇癪を起こす惨めな姿を見て……
「……なっ、なんかすまない、勇者……」
ガンドゥは居た堪れなくなり、勇者に謝った。
何故なら、独裁主義、自己顕示欲が強く、自分大好きで、欲望の塊である、まぁまぁ男前の勇者は、ガンドゥの妻であるロレーヌに無謀にも求婚を迫り、惨敗した、哀の戦士の1人だったからなのだ。