2022 6 7
年間48本、10年で480本注射打てば幸せになりますか?答えはなりません。今打っている注射と幸せは別問題であって決して幸せになるための薬剤ではないからです。私の幸せとはなんなのだろうか。私とはなんなのだろうか。今日の私という意識は数時間後には活動を停止しまた身体が活動した際新しい意識が上書きされていく。今この瞬間の私という意識は昨日の私という意識を上書きした存在であり昨日の私ではない。そして明日の私も同じく今日の私ではない。では私とはなんなのだろうか。私という意識は脳が効率よく物事を進めるために(仮)として処理しているだけのいわば作り物である、それがたまたま人によって僕であり俺であり私である。私には決まった一人称がない。わからない。僕でもない俺でもない私でもない。しかし同時に僕であり俺であり私でもある。大変困りました、今でも困っています。自分のことをなんと呼べばいいのかさっぱりわからない。あやふやの中苦し紛れに考えた結果私の一人称は(こっち)になった。そうするしかなかった。こっちとは方向であって対象指定ではない、私は自分のことをこっちという。あとはその場その場で演じ続けている。生きる意味とはなんなのだろうか、生きる意味とは生きる意味を考えることが意味だそう、つまり自分について考えてれば少なくとも生きる意味があるということになる。何かを成せているかどうかは別問題である。もし何もなし得ていない事実が気に食わないのであれば反発して何かをすればいい、絵でも描けばいいし曲でも作ればいい、何をするかはその人次第。私は何もなし得ていない。




