彼女と潮風
「いや~気持ちいいねぇ~なんか『海』って感じ!!」
なんだそりゃ、と思わず笑ってしまいそうになったが
彼女が喜んでくれているのは僕としても嬉しい。
潮風が隣を歩く彼女の白いワンピースをなびかせる。
潮風は、苦手だ。
元々僕が住んでいる所には海がない。慣れていないのだ。
どうしてこう、独特な匂いがするのだろう?
疑問に思っていると彼女が不思議な答えをくれた。
「それはね。『生命の匂い』なんだよ」
海で生きていた魚たちが命尽き、海で腐った匂い。
それが潮風の匂いなのだ、と。
なるほど、だから『生命の匂い』なのか。
生命・・・・・・僕は一度、生命を捨てようと思った。
仕事がうまくいかず、地元から逃げ出すように
車を飛ばし、辿り着いたのがこの場所だった。
何年かぶりに見た光景。
一面に広がる砂浜と、果てしなく続く海。
強い風を受け、大きな音を立てる波。
そして・・・・・・鼻につく潮風の匂い。
車を降りた僕はふらふらと海まで歩いて行った。
子供の頃、遊びに来た記憶を思い出したのか。
ドラマで見た、海で自殺するシーンを思い出したのか。
あのときは何を考えていたのか忘れてしまった。
ああ、靴が濡れてしまう。
海水が足首まで浸かる。
そうか、海ってこんなに冷たかったのか。
このまま前に進めば死ねる。
もう・・・・・・いいんだ。
疲れたんだ。
このまま死んでしまえばどんなに楽なんだろう。
どうせ、ドラマのように僕を止めてくれる人などいない。
そう思っていたとき。
「なにやってるんですか!?」
後ろから声が聞こえた。
振り向くと見知らぬ少女が
必死な表情で僕の方に駆け寄ってきた。
白いワンピースに綺麗な黒髪。
そして、白い帽子がとても良く似合っていた。
そんな子が自分の元に来るなんてあり得ない。
きっとこれは幻想なのだ、と思い前を向くと・・・・・・
後ろから・・・・・・誰かに抱きつかれた。
「死んじゃだめです・・・・・・生命は・・・・・・簡単に手放しちゃいけないんですよ・・・・・・!!」
そんなこともわからないんですか、と彼女は涙声で僕に語りかけた。
僕には分からなかった。
なぜ見知らぬ少女が僕の元に来たのか。
なぜ僕のために泣いてくれているのか。
ただ僕は・・・・・・こんな僕の生命でも、
救おうとしてくれる人がいることに驚いて・・・・・・
安心して・・・・・・その場で泣いてしまった。
これが彼女との出会いだった。
後で聞いたのだが、彼女の父は彼女が幼い頃、
事業の失敗から海へと身を投げてしまったらしい。
あの時の僕に父親を重ねてしまったのだろう。
見知らぬ僕を助けたのはそういう理由だったようだ。
全く、あの時はバカなことをしたものだ。
あの日から数ヶ月。
僕らは同じ場所に来ていた。
なくしたものを探しに来たのだ。
あの日は波が高くなるほど風が強かった。
僕を海から連れ戻す時、彼女の白い帽子は
風に乗って飛ばされてしまったのだ。
あれから何日も経っているので見つかるかどうかは分からない。
それでも僕らは探すことにした。
――そして。
「あっ!あったよ!!」
どうやら先に彼女が見つけたらしい。
本当は恩返しのつもりで僕が探し当ててやりたかったのだけど・・・・・・
それにしても、せっかく見つけたというのに
彼女は帽子を取りに行こうとしない。
木にでも引っかかって取れないのだろうか?
彼女に近づいて様子を見る。
「どうした?帽子、取らないのか?」
「うーん、取りたいんだけど・・・・・・あれ、見て!」
彼女の表情は困ったようでいて、どこか楽しそうだった。
彼女が指差す方向。彼女の見つめる視線の先に僕も目を向けた。
そこには白い帽子があって。
その中には、雛鳥がいた。
二匹の雛鳥が囀り、やがてそれに応えたように親鳥が餌を咥え、
巣の中に・・・・・・彼女の帽子の中に運んできた。
「あれ、どうする?」
いくら僕でもあの雛鳥達を追い払う気にはなれない。
彼女だってそうだろう。
そうなると彼女の答えは決まっている。
「仕方ないわね。小鳥さん達に新居をプレゼントしてあげましょうか」
気前がいいというかなんというか。
でもあの帽子は、彼女の亡くなった父からの贈り物だと聞いている。
そんな大切な物を手放してしまっていいのだろうか?
いや、それでいいのだろう。
海で死んだ彼女の父から彼女の手へと渡り、
やがて彼女は僕の元へ来て、
そして、潮風に流され新たな生命へと繋がった。
隣にいる彼女の笑顔を見る限り、それが嬉しいのだ。
潮風は生命の匂いと共に、生命を運んだ。
そして、いつか僕と彼女の元にも生命を運んでくれるだろう。
そうなったときは・・・・・・
あの小鳥たちに負けないくらいの新居をプレゼントしなければ。
できる事ならこの潮風が香る町で
彼女たちと、ずっと、一緒に。
-おわり-