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転校生





「――よ、よろしきゅおねがいしましゅッ!」


 ――噛んだ。

 僕は顔を上げて、盛大に噛んだ挨拶をやってのけた人物を見据える。教卓の横、後ろの黒板には大きく『柚葉 咲耶(ゆずりは さくや)』と書かれている前に、小柄な少年が立っている。どうやらなかなかお目に書かれないようなナイスな噛み方をしたのは彼のようで両手で自分の口を抑えながら、顔をリンゴのように真っ赤に染めている。着ているのはここにいる者と同じ黒のシャツに黒のズボン。白のネクタイはきつめに結ばれているせいで、真面目な印象を受ける。

 そんな彼に、このクラスの住人は全く持って無関心である。一人は写真をどこか人の悪そうな笑みで眺めながら、一人は机に突っ伏して寝ていたり。各々が自由にしている中で、盛大に噛んだため、気付いているのはごく少数だということは分かる。

 ちらちらと、彼の真横に立つ教員に視線を彼は送っているが、われ関せずと教員は何も言わない。どうやら彼はこの学園の常識(ルール)を知らないらしい。


 ――仕方ない、か。


 ため息を一つ、僕は右手を上げる。


「君の席はこっちだよ、転校生」


 一瞬だけ、彼はきょとんとした後、僕の方へとまるで見えない尻尾を千切れんばかりに振っているかのように走ってきた。そのまま彼を僕の横の席、教室の中央付近だというのにかれこれ二か月も空席だった場所へと誘導する。彼は喜色一色のまま横に座ると、何か言いたげにこちらを見てくる。僕はそれを見えないふりしながら、形式上の『朝礼』が終わるのを待った。


「あ、あの、僕、柚葉咲耶っていいます。え、えと、その……」


 ふわりと鼻孔をくすぐる甘い匂い。そこには香水のような甘ったるさも不自然さもない。あるのは微かに感じる謙虚さだけだ。

 その匂いを、僕は知っている。


「ようこそ、極東亜人専門学園高等部二年B組へ。桜の亜人君」


 彼は驚いたかのように視線を丸くさせ、信じられない者を見るかのように僕を見つめる。そんあに驚くことなのか、僕は彼の容姿をしっかりと見つめてみる。

 ふわふわとしたやわらかそうなクセッ毛はグレーの強い茶。それは大樹の幹を想像させる色合いであるし、日焼け知らずの白い肌は、まあ理由にはならないか。大きな瞳はその甘酸っぱい果実を想像させる赤。小さめの鼻に桜色の唇………………えと。


「男……であってるかな?」


「は、はい! あってるですよ?」


「そっか。ならよかった。僕は柊庵(ひいらぎ いおり)。同い年だし敬語はいらないよ」


「はい、庵くん」


「おーけーおーけー。で、これから君にここで常識(ルール)を教えてあげる。そうだな……花……というか、植物なら外の方がいいか。今日は晴れてるし」


「え?」


 きょとんと首をかしげる彼に、僕はいいからと背中を押して教室を出るように伝える。彼はきっと授業のことを考えているのだろうけど、そんなもの、ここではあってないようなものなのだから。






     ★  ☆  ★






「あの、なんで僕のこと、わかったの?」


 頭を横に倒し、首を傾げる彼に、僕はふっと笑みを浮かべる。どうやら彼は自分のことを理解していないようである。

 ここは校舎の正面、下は芝生、たくさんの木々が並ぶ校庭と校舎を隔てる緑の通路。そこの一角に二人で腰をおろしている。校庭ではまだ十歳にもなっていないような子供たちが走り回っている。その頭には人にはない三角系の耳がついている。


「君の匂い、体臭ってヤツかな? 甘い匂いがしたよ。桜のね。だから分かった」


「匂い……?」


「そ。あ、自分じゃ分かんないか。ま、よろしく。僕は普通の人間だよ」


 そう言って握手を求めれば、彼も慌てて右手を差し出す。そしてしっかりと握ったところで、またしても首をかしげている。顔を見れば先ほどと同じようにきょとんとしていた。


「普通……?」


「そう。ここのことは知ってるだろう?」


「はい」


 そう言って、彼は自分の知っているこの学園の知識を語っていく。

 ここ、極東亜人専門学園とは、人間とその他の生物の混じり物――亜人の通う唯一の学校である。はるか昔より存在していた『亜人』に対し、世界が作った最初で最後の学校。当初は『亜人』も少なくそこまで大きな施設ではなかったが、いつの間にか世界中から集められ、今では幼等部から高等部まで存在し、ある種の街のようになっている。立地的にも三方を山に囲まれ正面は海と陸の孤島状態であるため、ここは外界に対し閉鎖的である。『亜人』にも人権を、という政府の理念のもと、高等部までの教育の場を亜人にも与え、将来の道を広げている。


「それは周り。人間の間での話だよ。ここはそれとは少し違う」


 そう言って、僕が指差すのは校舎の向こう。そこに見えるのは大きな山の一部。普通に眺めれば何の変哲もない山。緑が生い茂り、動物の亜人ならきっと喜んで駆け回るだろう。


「君は海の方から来たから知らないだろうけど、ここと人の住む場所をつなぐあの山には柵があるんだ」


「柵?」


「そう。それには触れたら即死レベルの電気が常に流されてるし、山の中には常に重装備の人たちがわんさか。脱走なんて計ったら即射殺、なんてオチだろうね」


 信じられない、とでもいうように、彼はその大きな目を見開いて、僕を見ている。まあ、外の情報しか知らないのなら仕方ない。そもそも転校生なんて珍しいし。ここは生まれた時点で送られてきて、ここで育つ亜人がほとんどなのだから。

 そして彼の話した内容に訂正を入れる。ここは閉鎖的でなく、言葉通り外界とは遮断されているのだ。


「ま、それはいいとして、この学園での授業はあってないようなものなんだ。そもそも亜人に人と同じ道なんて歩めやしないし。ここでは最低限のことしか教わらない。文字の読み書き、人として当たり前の知識程度。だから高等部で授業なんかないし、教師も一日の始まりと終わりにしか来ない。まあ、教師は普通の人間だから亜人なんかと関わりたくないだろうし。あと、学生証」


 そういって、彼の右手首についた腕輪を指す。直径3センチ程度の円柱上のそれは、建前上学生証として生徒に配られている。この極東亜人専門学園内で過ごす上での身分証であり、財布であり、寮の自室の鍵である。しかしその実態は、


「脱走、教師に対し何らかの危害を加えそれが危険と判断されると、それが教師の発した電波を受けて学生証の内側から致死量の毒が体内に流されるらしいよ。それで月に3,4人死んでるし」


 さあっと青ざめる彼はすごく滑稽に見える。ここではそれは常識で、普通で、亜人の死なんて珍しくない。逆に成人できる亜人なんて一握り程度なんだから。


「ごめん、脅しすぎたかな? ま、君みたいなEE級の亜人はそうそう死なないよ。希少な花の亜人だし」


「EE級?」


 本当に彼は何も知らないらしい。まあ、ここでの亜人の階級なんて、外界育ちの彼には馴染みないものなのだから仕方ないのもうなづけるか。彼は人間の高校生となんら変わりない。だから仕方ない。


「EE級ってのは亜人の危険度のこと。ZZ級からZ、XX、X、SS、S、AA、A、B、BBなんて具合にあるんだ。それでEE級が最下級。危険度は人間クラスってこと。主に植物の亜人かな? 肉食の動物の亜人なんかはSS級程度だよ」


 そもそも桜の亜人である彼は、人に害を与えるなんて無理だろし。強いて言うなら匂い。それも桜なんてほとんど匂いのしない花なのだから、害なんてあってないようなものだろう。

 先ほどまで校庭を走り回っていた子供たちは、みな中央あたりに寝そべり、空を眺めている。あんな子供でも、彼らはSS級の亜人。そのことを自分で理解しているし、自分たちの命の軽さもよく理解している。


「人権って……僕らにはないの……?」


 人同士で使う差別なんて生易しいと感じられるこの場所の常識が彼には耐えられなかったらしい。眉間に皺をつくり、その赤の目に涙を貯め、今にも泣きだしそうな顔で彼は言う。とても面白いことを。


「人権ってのは人間のものだよ。亜人は人間でなく亜人なんだから人権は存在しない」


 はっきりと伝えれば、ぽろぽろと滴が目尻から零れ落ちていく。この程度で泣いてたら、ここでの生活は耐えられないだろう。まあ、それは僕がなんとかしてやればいい。


「それだけ知っとけばここでの生活は楽なものだよ。周りはみんな同じ亜人だから人間たちみたいないじめなんて存在しない。まあ、他人に興味ないだけだけど。生活費は国々から支払われるからまったくかからないし。授業もないから自由にしてていい。あと2年しかないけどね」


 そこまで話したところで、ふと思う。そう言えば、僕のことをまだ彼に伝えていない。


「そうそう、僕の紹介が遅れたね。僕はここに一般の留学生みたいな感じかな? ここにいる唯一の一般人の子供ってとこ」


 ここは一般的にクリーンなイメージの場所でありたいらしい。亜人とはいえ、子供。安全な場所でなければ渡したくない、と考える親もいるらしい。そこで、ここに一人、一般の亜人でない子供を通わせる。普通の子も通っていると親が知れば、思うことはあれど大体が子供を手放してくれる。対外的には有志で通わせているという話だが、その大体は孤児である。まあ、僕は少々特殊であるが。扱いは亜人と同じ。下手なことをすれば僕も終わりというわけだ。

 そう説明すれば、彼はなんとも言えない表情で僕を見てくる。その顔はどういう意味なのだろう。


「えと……庵くんは孤児……なの?」


「ああ、そこにひっかかったのか。そのとおり。僕の両親はもういないよ。ただし、肉親はいる」


「肉親? 家族は生きてるの?」


「一応、妹がいるよ。あとは親戚も何もいないけど。いるかもしれないけど、両親が縁を切ってたみたいだから知らない」

 

 そもそも家族がいなくてさみしい、なんて感情を僕は持ち合わせてないからなんの感慨も浮かばないけど。それに僕はいつも一人、というわけではないし。それは伝えないでおく。


「ま、色々制限のある生活ではあるけど、これからよろしく」


 そう言って、彼に笑いかければ、彼は目をよりいっそう赤くしながらも僕に破顔する。


「こちらこそよろしく、庵君」


 その瞬間、彼の周りにピンクの花弁が散った。幾重にも舞うそれはひらひらと地面に向かい、地につく前に霞と消える。花の亜人の最大の特徴。彼らの感情に呼応するように、まるで花開くかのように花びらがその体の周りに舞うのだ。桜の亜人はその中でも、一番の美しさを誇っている。


 ――確かに、これは綺麗だ。


 僕は自分よりも10センチ近く下にある彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でつけた。

 


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