The melancholy of the philosopher ~哲学者の憂鬱~
目が、覚めた。
目が覚める瞬間というのを巧く言葉にするのは難しい。起きる少し前から聴覚が何かを捉えていた様な気もするし、文字通り目蓋が開いた瞬間からを目覚めとするのかもしれない。
ともかく、私は目覚めた。そして目覚めと共に、眼前に広がる光景が何かを理解するよりも早く、私は繋がりを探った。
私は誰か。ここは何処で、そもそも何故ここにいるのか。眠りに着く前の記憶を覗く。眠る前に、起きたらまずそうしようと強く念じていたからだ。
そうして、徐々に意識の覚醒が進むと共に様々なことが思い出された。
絶対に怠る事なかれと強迫観念のように、目覚めと共に眠る前の記憶を思い出すべしと強く念じた過去の自分の思惑。
どうしてそれが必要であったのかと言う、眠りの正体。
そして、それを思い出して答えが導き出される、ここが何処かという問い。
私はセルガ・D・ボーグミラー。
真実の探求者。
私は目覚めた。真実の欠片を求めた未来の地で、無事に目を覚ました。
言わずもがな睡眠は充分だ。眠りすぎて多少呆けてるかも知れないが、じきに慣れる。
喉の渇きよりも、腹の飢えよりも、なによりも耐えがたかった、真実の空白。それをようやく埋めることが出来るかもしれない。
さあ、思う存分思索を始めよう。
機械からゆっくりとエアーが排出される音と共に、ゆっくりと眼前のパネルがスライドして行き、やがてキャノピーが開いた。
※※※
オックスフォードでの学会を後にし、私は機中の人となった。
大地を離れて僅か。流線型に設けられた窓から、遥か下方を見下ろす。コッツウォルドのなだらかな地平に描かれた、馬を象ったヒルフィギュアが、僅か麦粒ほどの大きさで視界の端を横切る。
石灰岩の丘陵地帯に、地盤をむき出しにする事で描かれるヒルフィギュア。ホワイトホース。今日赴いたオックスフォードに位置を近くするウォルトシャーの名物であったか。
しかし、その勇壮さを楽しむには、些か飛宙機の航行上昇速度は無慈悲な物だった。まもなくして大地が視界から消える。後十数分で機体は高度500マイルに到達するだろう。
ウォルトシャーという単語に引っ掛かりを覚えた。記憶の澱を丁寧に濾してみる。
そうだ。ウォルトシャーはかの社会契約論で名を馳せたトマス・ホッブズ生誕の地であった。
そして、そう思い至るや否や私は頭を振った。つくづく、何かの因果に囚われてるのか。
トマスホッブズの近代にまで輝く遺業は、我ら哲学を究める者にとっては自明であり、Stanford Encyclopedia of Philosophy、スタンフォード哲学百科事典を引くまでも無い。
しかし、その中学生ですら知っていうるホッブズの発明こそ、正に今日の学会の議題の中心でもあり、私の悩みの種でもあった。その事実をホワイトホースは思い起こさせてくれた。まったく。
基本的人権。ホッブズの社会契約論で言及された自然権などに祖を持つ、現代哲学の、最も難解で、扱いに困る議題の一つである。いや、扱いに困る、などと言うと硬軟取り揃えられた各団体からの「ありがたいご意見」でメールポストと伝心通信の回線を物量で以って封鎖されてしまうので、訂正しよう。
とにかく人権である。
Hyper Fundamental Human Rights。超人権主義。旧来からの画一的でかつ、近現代の暁以降半ば盲目的に唱えられてきた題目である人権を捨て、今の社会、科学に見合った人間らしさというものの在り方を探ろうと言うのが私の所属する学派だ。
そんな我々の学派。超人権主義派、俗に機械派差別主義者と揶揄される我々の主張は、今、過去最高に旗色が悪い。
その大きな要因に先だってのアフリカでの伝染病撲滅宣言が考えられた。
WHOの伝染病撲滅活動の支持団体として有形無形に活躍した保守バチカン派のキリスト系団体のロビーイングが功を奏し、神の御子である我々の平等性を謳う、などと言う気運が世論どころか越え学者の間でも高まっている。
さすがに本職の哲学者は、「自然権」と言う事の意味を「神に与えられた物」と解釈する事、ましてやそれを学派の中で公言するものは居ない。しかし、未だに、そういった主観的道徳観や宗教観に論を引っ張られる風潮は見られる。
論理的無前提性を私が問うたところで、後天的に身に着けた論理、道徳観ですら内包した一個人での主観にこそ意味が宿る。それらを引き離して導いた答になんの汎用性が残ると言うのか、と返されればそれまでなのだが、どうも宗教を絡めるのは好きになれない。
脱線した。とかく、我々の超人権主義と言う物は中々世間一般では認められざる考え方らしい。フィラデルフィアの片田舎の大学の研究室から、オックスフォードくんだりまで腰を上げたのは、その劣勢振りを確かめるためだったと言っても過言ではない。
機内に、ポーン、と軽い電子音が響いた。飛宙機が水平軌道に入ったのだ。
先ほどの宗教と言う言葉を呼び水に、機内のアナウンス音が背中を押す形で、学会での思い出したくも無い出来事が頭を掠める。
ため息が漏れた。
シートロックの開錠を待って、私は席を立つ。短い間とは言え宇宙に来たのだ。せめて星空を眺めて気を紛らわそう。
アテンダントへすれ違いざまに機内サービスの不要を伝えながら、私はラウンジへ足を伸ばした。
そこには一面の星空があった。いや、もはや空ではなく宇宙と呼ぶべきか。
ラウンジに設えられているのは頭上を覆う半球状のパネル。そのパネルをキャンバスとして彩られていたのは、何処までも広がる漆黒と、それを儚げに飾る星々。
高度500マイル。地球と宇宙空間の境目の一つの基準であるカーマンライン、高度100キロメートルを裕に越え、機体は進んでいる。空気抵抗も気象の影響もなくほとんどなく、揺れは感じられない。
私は、しばし、その壮観な光景を眺めていたが、やがて首に痛みを覚え、近くのソロソファーに腰を下ろした。
手元の小さな液晶に指をかざす、身透走査によって個人が識別され、目の前にホログラムが浮かび上がった。クルーレスのサービスで紅茶を持ってこさせると、私のパーソナルサーバを開く。
目線で、ホログラムを操作し、大学のアカウントを開いた。パーソナルなメッセージをざっと流し読みし、2週間後に控えた期末考査に関する研究室の学生からの質問に幾つか手早く答えたあと、オフィシャルなメッセージのボックスを開く。
思わず目を閉じた。頭を振って、ホログラムを消すと、一度、星の海を眺める。
紅茶を手に取ったが、一口啜ってやめる。英国の航空会社で紅茶など頼むのではなかった。なんだかよくわからないフレーバーが強すぎる。もっとシンプルでジャンクなストレートティーでよかったのだが。
幾度目かのため息をつき、意を決してホログラムを再び浮かび上がらせる。
学派の知人同士で執筆予定だった超人権主議論の本の刊行のキャンセル。各種講演会、講義の予定のキャンセル。機械派差別主義者への各種“激励”。そして極めつけは保守人権派で学会で会うたびに嫌味を放つ、私の大嫌いな、フランスの学者からのクソッタレメールだ。
嫌な報せで画面は満ちている。それもそのはずだった。宗教というキーワードがフラッシュバックする。
先の学会で、我々の学派の旗頭の一人だった男が、これまでの論から一転掌を返したのだ。
理由はわかりやすいほど単純だった。自らが所属するオックスフォードのカレッジにおいて主任教授の選挙があるというのだ。
彼がオックスフォード内で所属するのカレッジは英国国教会の影響を強く受け、政治的発言力の強い支援者やOBも敬虔なクリスチャンが多い。ローマカトリックから道を違えたとは言え、教義的にはバチカンと共同歩調をとることも多い英国国教会の庇護にあるカレッジの主任選だ、下手な事は口走れない。
数十年後にはなくなっているかもしれない三流私立大学の、准教授風情の私では慮る事もできない世界なのだろう。そうに違いない。
ホログラムの隅に新着メッセージの通知が光った。目線で表示を促す。
そこに現れたのは件の本の共同筆者からの心配の一文だった。
そこにはこうあった。
やあ、セルガ。オックスでの学会は中継で見ていた。わざわざフィラデルフィアから出向いたのに災難だったな。リック(掌を返した旗頭の事だ)の行動はとても腹に据えかねるが、思いやっても欲しい。彼は彼で中々難しい立場にあるのを知らない君でもないだろう。それに気を落とすことは無いさ。全体的な気運は我々の論を反駁する物だが勢い、心情的なあげつらいも多い。論理自体の正しさが揺らいだ訳ではないのだから、私達の論の正しさを信じていればいいさ、と。
同志からの気遣いの言葉に、温もりを覚える。しかし、その暖かさは長く続きはしなかった。
メールはこう続いていた。
で、例の共同執筆の件なんだが、一時凍結にしないかい。僕もよく考えたんだ、あれから。とりあえず書き上げて別の出版社に持ち込んでみても、とかね。でも、今、出版業界でもあまりこの手の話しには食いつかないと思うんだ。来月に控えてるWHOの事務次官の訪バチカンや、EU議会議長とアフリカン8の首脳陣との会談ももちろんだけど、人道主義のロビーイングの功は思ったより大きいよ。それでなんだが、
右目を一度瞑る。メール画面が消え、ホログラムがブラックアウトした。
私が甘かった。気遣いのメールをよこした彼でさえ、ネットチャンネルの人気報道番組でのコメンテーターと言う肩書きを背負ってるのだ。今の時勢で世論に反した本を書いてるなどアピールできはずも無い。
シートに深く身を沈めた。背もたれが体を飲み込んでいく感触に酔い、このままどこかへと落ちて行きたい衝動に駆られる。宇宙空間にあっても、私の身は人工的に生み出された重力に縛られている。
大地を離れても人はしがらみを脱せない。情報のインフラ時差と国境を取り除いても、人は変わらない。
異国では言葉が通じず、携えた書の解釈を巡り血が流れる。今世紀初頭に比べれば以前よりグッと減ったが、まだ飢えで命を落とすものは耐えない。
心は未だに一つならずに居る。世界はまだ第三次世界大戦を終えていないのだ。しかし、だからこそ、道を照らす真実が必要だと、この道を歩む事を決めたのだが……。
疲れが溢れた。強行軍でオックスフォードの学会に出席した事もだが、それ以上に、深く抗いがたい疲れが、全身を覆っていた。
ふと、眼前に広がるプラネタリウムが消えた。パノラパマネルが白く曇る。小規模な太陽小爆発の発生が予測されたのだろう。X線やガンマ線から搭乗者の被爆を防ぐために、パノラマパネルは白い耐放射線素子によって皮膜され、終了し、機体は窓がある半球面を地球側に向ける。
白く曇った半球を頂いたラウンジは、俄かに照明の光量が絞られ、星空の変わりに投写された各種広告やニュース映像、環境映像のセパレイトビューが空間を彩った。
四掛ける四マスに区切られた色とりどりの光。その一番左下の画面にふと目を奪われた。シートのコンソールを操作し、十三番の音声を流そうかと動いた手が止まる。
音声など必要なかった。
シートを蹴倒し、勢い立ち上がると、画面に目を奪われ私は立ち尽くした。
画面を右から左に横切った短いテロップ。その綴りを読むだけで、私は意味を瞬時に充分理解し、そしてあろうことか瞬時に決断を下した。
疲れから、しがらみから、逃げたかった。真実を知りたかった。
そうか。その為の手段はここにあったのか。
そこに踊ったのは「極低温睡眠」の広告だった。
※※※
フィラデルフィアに帰り、大学の自室に荷物を置くと、私は直ぐ様極低温睡眠への準備に入った。下調べや身辺整理などだ。
「極低温睡眠」はここ数年でその知名度を上げた技術だ。前世紀から行われていた死後の体を保存し、蘇生を未来に託する「人体冷凍保存」とは一線を画す革新的なものでもある。すなわち生きたまま眠り、生きたまま起きるのである。
イタリアの有名女優を起用したキャンペーンはその手法と相まって世界に震撼をもたらした。長期契約を結び、実際に女優を極低温睡眠させたのだ。極低温睡眠に入る際、そして一年間の睡眠期間を置き、再びそこから目を覚ます様を生放送で世界に配信し、聴衆の度肝を抜いた。
そこから半年ほど、睡眠期間中のはずだった女優をトルコで見ただの、起きたのはクローンの女優で、極低温睡眠からの復活に女優は失敗していただの、様々なゴシップが毎日のようにネットを騒がせたのも記憶に新しい。
事態の収拾を図った極低温睡眠のサービスを提供する企業SleepringArk社は、アメリカ、イギリス、日本、カナダ、ドイツ、五カ国の国立病院に医学鑑定を依頼、全ての医療機関が極低温睡眠の安全を証明するという前代未聞の結果を以って騒動は治まった。
その後も、あまりの事態に、その安全証明事態を巨大な政治的陰謀と揶揄するゴシップは後を絶たないが、少なくとも民衆は信じていなかった。極低温睡眠をではなく、ゴシップをである。
人類初となるタイムマシンとも言える技術はこうして、市民権を得たのである。
私も無論、その存在を知っていたし、睡眠中の自意識や時間の変遷について職業的好奇心を刺激されたこともあった。しかし、当時の私の興味はそういった範疇から出ることはなかった。
時期的なものが大きかったのだろう。その頃はちょうど今の大学の哲学科の助教授の椅子に空きができたことを知った頃で、自身の論文の中から比較的出来のいいものを選んで推敲に明け暮れていた日々だったのだ。
その時の私には希望があった。
しかし、今はその希望は霞み、ぼんやりとしか見通せない。その希望の前に立ちこめ、頭を悩ませるのは、現実。真理の希求者たる哲学者をただの人に留まらせる大きな枷。
それらはくすんでいた。汚れていた。雑然と交ざり合い、腐臭を漂わせていた。
それは、私の求める、唯一無二の、透明に澄んでいるはずの真実から、もっとも遠いものだった。だからこそ、私を真実から遠ざけるのだ。私はそれが怖かった。
正直な心情を吐露すれば、この道を志し歩みを踏み出した学生の自分から、今に至るまで、真実を解き明かせるなど思ったことは一度もない。
人類の数千年の歴史を以てして、その解明に至らなかった知の頂に、自分の手がかかるなど、それどころか、自分の孫子の代ですら、そのヴェールの向こう側は拝め得ないだろう。
そんなことはわかっている。ただ、私はその不可知の領域と向き合うことから逃げたくはないのだ。偉大なる先陣達がそうであったように。
自分の思考など、その果てしない道程のほんの一歩ほどの価値もないかも知れない。それでも、その道を歩もうとした姿勢だけでも刻みたいのだ。知への挑戦を諦めない人類の知という集合体のほんの末席にでも。
枷は、それを困難にする。私の中の弱い心をいとも簡単に呼び起こし、飽くなき知的好奇心など訳もなくねじ伏せてしまうだろう。
私は。私は、怖いのだ。学者としての命が尽きてしまう瞬間がこの身に訪れるのが。
その恐怖は以前から感じていた。だが、心の奥底に押し込め、見ないようにしてきたのだ。一度見てしまった時、それにあらがう術を見いだせる程、私には才覚も強さもなかったからだ。
オックスフォードからの帰りの機中、例の一件もあり、恐怖は押し込めたはずの心中でグラグラと静かに煮え立ち、全身の気だるさという形で私を包んでいた。私の心がぐらつく瞬間を、大きな顎を開けて待ちかまえていたに違いない。私はそれを無意識に感じていた。
だからこそ極低温睡眠の広告は私にとって救いの方船だったのだ。
しがらみの無い時代まで逃げる。そうして初めて、私は心おきなく探求の翼で知の空を飛ぶことを許されるのだ。
私は一刻も早く、救いにすがりたかった。しかし、それは救いの先の希望がまぶしかったからでは無い。
救いの術に思い至り、初めて恐怖をしっかり意識した時、垣間見えたのだ、諦念と絶望が混じりあった底の見えない暗い穴が。
穴は私を見ていた。恐怖と目が合ってしまった。私は全てを投げ出したくなる絶望に呑まれてしまう前に、方船に乗らねばならなかった。
※※※
数日後、私は、上司に当たる哲学科の主任教授に辞表を出した。
学生時代のゼミの教授と並んで、私が恩師と仰ぐ教授である。准教授の選考にあたり、拙い私の論文を大学側に推してくれたこともあり、辞表を手渡す際は後ろめたい気持ちでいっぱいであった。
豊かな白髭をなでるお決まりの仕草で教授は私に聞いた。どういうつもりなのかと。
私は包み隠さず話した。話しながら情けなくなり、涙を堪えられずに、心中の全てを吐露した。
過去、哲学に限らず、多くの学者たちが皆等しくぶつかってきた問題から、自分は逃げようとしてるのではないかと思えてきたからだ。
それでも語った。どうしても怖いと。私には、私が学者で在り続けるためには、救いが必要なのだと。
教授は私の意を丁寧に汲んでくれると同時に、一つの示唆を与えてくれた。
その恐怖はだれもが感じることで、それを恥じることは無いという事。そして、その恐怖から逃げることの怖さも同時に語ってくれた。
「君の恐怖はわかる。私にも同じ恐怖が棲んでいるからね」
「教授にもですか!?」
私は驚きを隠せなかった。泰然と真実に立ち向かう、学者としての姿勢の手本を、私は目の前の老賢人から学んだつもりでいたからだ。
私の言葉に、教授は細身の体を揺らして笑った。
「当たり前ではないか。思索に生きる者にとってそういった襖悩は付き物だよ。現実に屈し、途方もなく遠い真実に辟易し、学問の道を降りようと思ったことなど両手の指では数えられん。両足を入れても足らんし、お前さんの両手足を借りても足らんかもしれん。
学問とはそういうものだよ」
穏やかな口調であるはずなのに、私には最後の一言が鋭く尖って感じられた。私が「そういうもの」から目を背けようとしているからだ。
「私のしようとしていることは、」
言葉に詰まり、私は俯いてしまった。それでも、恩師を前にして黙ることは許されない。
私は牧師へ告解を告げる罪人気持ちで、言葉の穂を継ぐ。
「私のしようとしていることは、やはり、そういった学問への姿勢を取っている同志へ、取ってきた先人たちへ、砂をかける行為なのでしょうか」
教授が再び笑った。
「はっはっはっはっは。
いいか、セルガ。お前さんが、未来へ希望を見いだすというのなら、私からお前さんへ教えを授けられるのは、これが最後になる。よく聞きなさい」
それは、私の極低温睡眠を認めた上での言葉に他なら無かった。
「私たちが、そういう姿勢を取り続けたのはね。そうするしか他に術がなかったからだ。真実をこの手で掴むことなど皆、端から諦めている。少なくとも現代に生きる者はそうだし、過去の人間もすべからくそうだろう。しかし、諦めていては未来に知のバトンを繋ぐことはできない。だから私たちは、未来のどこかの時点で、人類が真実を解き明かす為の礎となるべく、現実と戦い続けている」
教授は遠くを見つめるように語り続ける。
「そういう姿勢に意義を見いだしていた。今まではそれでよかった」
ふと教授は、私が説明の為に持参した極低温睡眠のパンフレットを手に取る。
「これからはそうはいかない。技術が我々のあり方を問い直してきてるからね。
セルガ、お前さんの決断を非難する者は少なくないだろう」
「非難、ですか」
「そうだ。なぜかわかるかい?」
私は慎重に言葉を選んだ。
「私の行為は、今までの連綿と続いてきた知のリレーから外れることです」
「うん、そうだね」
「皆が私のような手段を取れば、後に続く者の為の知を残せません」
「その通りだ。セルガ。
ゴールできないことを知って尚、歩み続ける者が居なければ未知は拓けない。君はその作業を放棄するという。そうだね?」
「……はい」
もう、顔はあげられなかった。返事だけを辛うじて絞り出す。
「だから、皆非難するのだ。だがね、それを恥ずかしく思うことはない」
「えっ?」
私は思わず教授を見た。教授も私を見ていた。
「それは単なる嫉妬、やっかみだよ。後世の為にならないなんてお為ごかしさ。
皆、免罪符を取り上げられるのが怖いだけだ。私も含めてね」
「怖い、ですか?」
「なんだ、そこんとこをわかっていなかったのか?」
教授は私の反応に小首を傾げる。
だが、私もそんな教授の反応を理解できない。
「あっはっはっはっはっはっは!
そうかそうか、この間抜けめ! いや、間抜けだからこそのこの決断か。天然には勝てんという事か」
「どういうことです?」
意図が掴めないながらも、笑われてるのは気分の良いものではなかった。私は教授に真意問うた。
「いや、すまんすまん。結局、誰もお前さんのように純粋で居られんということだ」
「褒めていただいてるのですか?」
「勿論だとも!
いいかね、セルガ。さっき私はやっかみと言ったろう。つまり君の行いを非難する物は、皆一握の羨望を君に抱いているのさ。
真っ直ぐでいる事を許さないしがらみというものはね、考え方によっては真っ直ぐで居られない時の言い訳にもなるのだ。
例えば、未来に行ったとして、真実を解き明かすのを阻むしがらみが無くなっていたとしよう。現代ではまだ一部分ですら見えていない真実の姿が視界に捉えられたとして、しかし、手にするのには膨大な苦痛を伴う物だったら。手にした真実が希望を根こそぎ奪うようなものだったら。
人はそんな事が頭をよぎった時、純粋な好奇心だけでは前に進めなくなるのだよ。だが、それは打算に他ならなく、逃避以外の何物でもない」
教授は落ち着いた笑みで私を見据えている。
「逃避、ですか」
「そうとも。君の行いなんかよりよっぽど、学者としての揺ぎ無い姿勢に砂をかけるような、ね。だから逃避にならないような免罪符を手放さないのさ。忌々しくもある免罪符の影で、後世の為だと声高に叫び私達は安寧を得ているのだよ。
だが、君はそれを恐れないと言う。そんな事よりも、真実に近づけるかもしれない可能性にすがりたいと言う。
眩しいのさ。皆がいつの間にか磨耗させてしまった、純粋な好奇心を未だ持ち続けているお前さんがな」
教授が、私に、向かってパンフレットを放った。
「教授……」
「私があと三十若ければ、お前さんなどにそんな面白い事を譲りはせんかったのだがな」
そう言って、教授は私に背を向けた。
天井を支える柱の如く、高く据え付けられた書架と、それを埋める膨大な知識の海。それを仰ぐように教授は首を傾ける。
その心中を、私は慮る事は出来なかった。
背中越しに言葉が飛んだ。
「行きなさい、セルガ」
私は、多くの想いを浮かべる脳裏を落ち着けて、やっとのことで一言だけ、口にした。
「ありがとうございます」
そうとだけ告げると、私は恩師の背中に一礼をし、教授の部屋を後にした。
三週間後、私は永い眠りに着いた。抑えきれぬ探究心と、背中を押してくれた恩師の思いを以って真実に手を伸ばすために。
※※※
私はセルガ・D・ボーグミラー。
真実の探求者。
さあ、思う存分思索を始めよう。
この地には、真実を遮る物などないのだから。