7. 青瑪瑙のカテネッラ
リヴィアは先日、竜の青年とまともに言葉すら交わさなかった。
真正面から浴びた威嚇という笑顔の威圧に、恐怖を感じて逃げ帰った。
まごうことなき、敗走である。
ただ、依頼された仕事への姿勢としては、いかがなものだろうと、落ち着いて振り返って、反省した。
今回の案件は、リヴィアへの依頼である。
それを放り出しすことは、リヴィアにはできなかった。
アンナに泣きついて、吐き出して、助言ももらって、方針を決めた。
相手は人間ではない。
絶賛警戒心むき出しの、海馬と考える。
そう思えばリヴィアにも、なんとか行動の方針ができ、翌日もう一度マドーレガリア教会にやってきた。
「じゃあ、ちょっとだけ待っていてね」
海辺から繋がる川を遡上しながら牽引してくれた黄褐色のヒッポカンポスをひと撫でして降りる。
大きな木製のタライに乗って、ヒッポが引っ張ってくれれば川はのぼれる。
石造の教会は、海辺の町からは一本の広い川で繋がっている。
道はあるけど曲がりくねっているので、川を登る方が早い。
さらに、森の中であれば獣に出会う懸念がある。
猪や狐など、人間を積極的に襲う獣ではないが、不意の出会えばどうなるかわからず、危険だ。
前回教会を訪問した際にはジルヴァードが一緒にいてくれたから街道を通った。
しかし、一人での移動であれば安全を優先したい。
そこで、海馬と交渉し、魚の缶詰一個と引き換えに、教会までの川上りが実現した。
マドーレガリア教会の構造はシンプルな一軒家と離れにもう一軒の二棟建て。
あまり壁や装飾にレリーフなどの宗教色がなく、リヴィアにとっては親しみやすい。
近くには牧師である先生が手入れをする畑があり、森の奥にはイトスギに囲まれた墓地がある。
先生曰く、昔、町の墓守の一家が住んでいた家を改築して、教会にしたとか。
墓守の役割も先生が引き継いでいるので支障がないとかなんとか、笑いながら言っていたけど本当かどうか分からない。
何が言いたいかというと、竜の青年が一人で暮らす環境としては整っているのだ。
先生の居住空間と竜の青年が暮らす場所は建物ごと分けられている。
青年が使うのは離れの方。滅多に町の人は来ないし、近くには先生しかいない物静かな環境。
ついでに、海から川で繋がっているので、海馬に乗せてもらえればリヴィアも訪れやすい。
あまり物音を立てないように、静かに離れに近づく。締め切られた窓の奥はひっそりしていた。
生活音ひとつしない。
「(本当に、いる?いるはず)」
先生から、彼は昼も夜も部屋の外に出ないと聞いている。
「おはよう、ございます」
こんこん、と外窓をノックする。少し待ってみる。これで反応がなかったらどうしようか。
窓を勝手に開ける勇気はない。朝の遅めの時間だけど、寝ていたり、するのだろうか。
いや、おそらく、リヴィアがここに来たことはとっくに気づいているはず。
悶々と待っていると、ゆっくり時間をかけて窓が少し開いた。
「何か御用でしょうか」
日差ししか入らない薄暗い部屋で、彼は静かに微笑みながら立っていた。
確かに、造形だけ見れば綺麗な人だと思う。
だけど、油断すれば喉笛を掻き切られそうな雰囲気は変わらない。
「(怖い)」
震える喉を落ち着かせるために、深呼吸をして、あまり彼の方を見ないよう、視線を落とす。
「昨日は何も説明もせずに申し訳ありませんでした。飲み物と軽食をお持ちしました」
「それはそれは、お手数をおかけいたします」
言葉だけは丁寧だ。涼やかな微笑みはひとかけらも変化はない。
初対面の時に思いっきり誘惑と警戒を同時に受けたリヴィア。
アンナとも相談して、ひとまずは淡々とした姿勢で彼と対面することにした。
感情の伴った関係を気づくにはお互いを知らなすぎる。
態度としてはご新規のお客様と対面するイメージで。
内心は人慣れしていないヒッポと距離を探る手技で。
必要なことだけを、必要な分だけ伝えることにした。
「ご案内だけさせてください。1日に2度、お食事を持ってきます。食べられないものがあれば教えてください」
「準備をするのも大変でしょう。私はそれほど頻繁に食事を必要としませんよ」
誰が食べるかこの野郎、なんて副音声が聞こえたのはリヴィアの考えすぎだろうか。
リヴィアが話せば話すほどひんやりとした雰囲気が強くなる。
気付いていないことにして、これは仕事と思い、話を続ける。
「まずはあなたのお好みを知るために試させてください。
あと、もしお気に召すものがあれば教えください」
「そうですか。わかりました。ご自由になさってください」
全く崩れない鉄壁のような笑みしか返ってこなくて、早くも挫けそうだった。
「飲み物はこの台に置いておきます」
不要と言われる前に、未開封の透明なボトルを外窓に付いている台に置く。
中身は町で売られている飲料水だ。
「足りなければベルを鳴らしてください。私の石が共鳴するようになっています」
「えぇ、そう聞きました。この腕輪ですね。趣味のいいことです」
ちくりと、嫌味を言われた。
彼の右手首には青色の石が一巡している。この辺りではカテネッラと言われる腕輪。
石は一つ一つ深い海の底を切り取ったような青で、流線の縞模様が通る。
青瑪瑙。切り立った岩壁に囲まれたこの町でたまに採取される瑪瑙だ。
レンツァの町では、瑪瑙はアクセサリーであるとともに、お守り、魔除けの意味を持つ。
「(私は単純だから、海を思わせるカテネッラを綺麗だなあ、って思うんだけど)」
先生も常に彼のために控えているわけではないから、カテネッラには音の出ないベルもついている。
リヴィアの腕にも、色違いのカテネッラがあり、対となって連動している。
要件があるときや緊急時の呼び出しのために使えるようになっている。
リヴィアにはカテネッラの原理はよくわからない。
ジルヴァードに装着を指示されたので、必要な処置なのだと思っている。
「(こんな機会がなければこんな綺麗な装飾品、身につけなかっただろうな)」
ちなみにリヴィアのカテネッラの石は赤瑪瑙。これも町で採掘されたもの。
腕を動かばかちりと硬質な音を立てる。珠ごとに異なる赤から橙色までの赤色。
まるで炎のようで、温かみがある。リヴィア自身は夕焼けのようなこの装飾品を気に入っていた。
ただし、彼にとっては、行動を制限する拘束具でしかない。
「申し訳ありません。窮屈でしょうが」
「構いませんよ。戒めをつけることは当然です。あなた方のご希望に沿うようにしますよ」
不意に窓越しに手が伸びてきた。
音もなく、前触れもない動きにリヴィアは反応できず、そのまま温度のない指が頬をなぞる。
「何が、お望みです?」
少しずつ彼の顔が近づいてくる。
彼の満月のように冷ややかな瞳から視線がそらせない。
こちらを覗き込んで、反応を探っている。
「あなたは私に、どうして欲しいのです?それが一番、気になります」
リヴィアの体は、ぞわり、と全身が泡立った。
その手に、嫌悪は感じない。ただ、感じるのは恐怖。
男性として欲が溜まって処理を手頃な娘で発散しようと言うなら、わかる。まだわかる。
誘惑してくる彼自身は一切肉欲を欲していない。
権限を利用して私が色欲に浸ればすぐに溺れさせられて彼の言いなりとなる。
触れたら手が削り取られて怪我をする。おとなしい生き物と侮ったら一瞬で食い荒らされる。
あぁ、わかった。この緊張感を知っている。
海の中でサメと対峙した時と同じ。
視線を逸らせば肉をこそぎ取られる。
できることとしたら波音立てずに、刺激もせずに静かにやり過ごすこと。
「(やっとわかった)」
相手は獰猛な肉食魚。幸い最初から襲いかかってくる気はない、と思われる。
こちらが油断しなければ。
「私は、あなたにそういうことを、求めていません」
「不思議ですね。今までお会いした女性には皆様、喜んでいただいたのですが」
深淵から誘うように小首をかしげる彼は、なるほど確かに宝石のような芸術品。
彼が自分に逆らえずに自分の欲を満たしてくれるなら、女性としてはその快楽に溺れるのだと思う。
リヴィアにとっては、恐ろしいものでしかないけれども。
彼はいまだにリヴィアが、その類の女性だと思っている。
疑っているのではない。人間の女性はそう言うものだと認識している。
「色欲の類は、私以外のところで発散してください。私は」
彼の、飲み込まれそうな深い金の瞳を見上げる。
「私は、あなたが怖いです」
「怖い?」
初めて、彼の表情が動いた。
予想外のことを言われたと、ほんのり目を丸くして笑顔が崩れる。
「初めて言われました」
その一言はきっと、初めてリヴィアに言ってくれた、彼の本音なのだと思う。
一歩下がって、頬に触れていた手から離れる。
妙な空気をあえて霧散させた。
「それでは、他に必要なものがあれば都度教えてください」
この話題からさっさと離れよう。
筆記で伝達できればいいのだが、相手が文字を書けるのかわからない。
聞いてもいいのかもわからない。
事前情報がほとんどない中で対面することは本当に難しい。
さらに、リヴィアは彼の名前すら知らない。知らされていないし、彼も名乗り気はなさそうだ。
こちらから聞ける雰囲気でもない。
「それと、牧師様から伺っているかと思いますが、安全上、町へ出られないことは聞かれていますか?」
「えぇ、最初に伺いましたよ。この腕輪が制限していると」
カテネッラの効能としてはお守りがメイン。
魔除けの作用もあるし、ちょっとした防壁作用もあるとかないとか。
彼がここにいることは秘匿されているけど、人の口には完全に蓋はできない。
いろんな意味で狙われている彼を守るためにも、カテネッラにはさまざまな機能が付与されている。
例えば、教会の敷地から町へ出た場合、先生や自警団が分かるようになっていると聞いている。
これは、彼自身と町の住民の双方の安全のためでもある。彼の存在はまだ町の人たちは知らない。
彼が人間に対してどういう対応を取るのか分からない。
人間を恨んでいたら町の人に害をもたらすかもしれない。
逆に、町の人が見慣れない彼に対してどんな反応をするのかも分からない。
あの司祭の背景がまだ分からない以上、備えすぎて悪いことはないと思う。
目的も、効能も、ありのまま彼には説明をされている。
詳しくは知らない。
外に出られるのであれば監禁すると言うより、彼の安全対策の面が強いのだろう、と思っている。
「まずはこの教会周辺と、敷地内の出入りはできるそうです」
「部屋から出るつもりはありませんからご安心ください」
監禁するつもりはこちらとしては無いはず。だけど、彼は違う認識らしい。
「外に出たい時は不慣れでしょうからご案内いたします。お一人ではお勧めしません。
少ないですが、獣とか来るので」
「四つ足の獣にどうこうされるほど脆弱では無いつもりですが」
この時だけは、少しだけ笑顔が変わった。
ぴくり、と眉が跳ね上がったので、多分不満を感じたのだと思う。
次に帰ってきたのは壮絶に綺麗すぎる微笑みで。あ、とんでもなく怒らせたのだな、と思った。
ひたすら謝り倒して、逃げるように退散した。
同行したヒッポも、今までにないスピードで川を下ってくれた。
本能的に何か危機を感じたのだと思う。竜に似ているし、同じ海の生き物。
何か通じるものがあるのかもしれない。
しばらく海藻の影に隠れて出てこなくなった。私もできればそうしたい。
***
事務的なやり取りの後、リヴィアは一応毎日離れには来ているが、彼からの反応はない。
彼は、リヴィアが自身の日常生活に関しての決定権がないこと、そして彼自身に対して性的な欲求がないと知るやいなや、あからさまに興味をなくした。
おそらく、道端の石と同じような扱い。段々とぞんざいな態度を取られている気がする。
もっと正確に言うと、ほぼ、存在ごとなきものとされている。
「(いや、いいんですけど。丁寧に接せられ方がいたたまれないからいいんですけど)」
無反応はなかなかに堪える。
海産物、肉類、野菜類などなど、町の名産品など含めてちょっとずつお出ししているけど一切手をつけていない。一口サイズの菓子類も手をつけない。水すらダメ。真水もフルーツ水もジュースもお酒もダメ。
料理に抵抗があるのかとおもって、材料そのままお出ししても見向きもしない。
時間を決めて、朝と夕に日参して、小窓から様子伺いをしている。
変わらず彼はずっと椅子に座って静かに過ごしている。好みを聞いても答えてもらえない。
「(さて、困ったなぁ)」
そろそろ1週間だ。人より頑強だから1週間のまず食わずでも支障はないと聞いているが。
「(水ぐらいは飲んで欲しいんだけどなあ)」
長期戦を、覚悟しなければならない。




