4. 夕方のマドーレガリア教会
「手が止まってるよ、リヴィア」
「あ、すみません」
横からアンナが声をかけてくれた。
書類仕事をしていたのに、いつの間にか手が止まっていたらしい。
「大丈夫?なんてあたしは聞かないよ。あきらかに大丈夫じゃないんだからさ」
ぽんぽん、と頭に手を置かれた。
いつも小突いたりばしばしたたくのに、こういうときは優しいの、ずるいところだと思う。
「ほら、そんなんじゃ仕事に何ないよ。今から休憩休憩」
「えぇ、アンナ?」
「俺も目が疲れた。もうやる気でねぇ。なんかねぇか?」
「全く、食いしん坊どもめ。ちょいと待ってな」
アンナが持ってきてくれたのはビスケットの上にフルーツや生ハム、チーズを乗せたフリセッラ。
よくおやつとして出してくれる一品。それに蜂蜜までかけてくれたのはアンナのサービス。
チーズの酸味と甘さが無限で楽しめる。
「おいしいです」
「好きだねぇ」
からからと笑っているアンナの向こうでは、パンに具材を挟んだがっつりサンドイッチを食べるゲイル。
完全におやつじゃなくて食事の量だけどこのあとしっかり夕食も食べるから彼の胃袋は恐ろしい。
「この後、教会に行くぞ」
ぴた、とリヴィアの体が動きが止まる。
「あんたね、タイミングを考えな。リヴィア、まずは飲み込むんだよ」
本当に。一瞬味が吹き飛んでしまった。もう一度味わって飲み込んで、レモン水を飲んで。
「ジルヴァードも来る。詳しくは俺も知らん」
「ジルヴァードさんが?」
「今回の件、ジルも関係しているらしい」
ジルヴァードは壮年の男性。町では自警団に所属し、主に住民同士のトラブル解決に対応している。
リヴィアもこの町に来た時に相談に乗ってもらった。
普段はゲイルの釣り仲間で、この二人は仲がいい、とリヴィアは思っている。
ジルヴァードも関わるということは町全体に影響する話なのだろう。
緊張する。不安もある。
「そんな顔すんな。この町は、町の人間はなんとしても守り抜くんだよ」
頭をぐしゃぐしゃにされたけど、文句は言わなかった。
正確には言えなかった。顔を伏せて、頬に伝う熱を誤魔化す。
町の人間と言われたこと。
守ってくれるというゲイルの言葉、それに当然と頷くアンナの微笑み。
どれも嬉しくて。
「あれま。この子ったら顔が真っ赤だよ」
すぐに気づかれてさらに頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。
***
西日が照りつける夕方、町から少し奥にあるマドーレガリア教会。
教会は町中にあることが多いらしいけど、ここは森の奥地にある。
来たい人だけがひっそりと訪れる静かな場所で、裏手には糸杉に囲まれた墓地がある。
「いらっしゃい、リヴィア、ゲイル。まずは僕が調べたことを伝えよう」
歩いてきたゲイルとリヴィアは、教会の中でも先生の居住側に案内された。
ちなみに、アンナは会社で留守を守っている。仕事や海馬の世話など、することがあるのだ。
「そもそも、あの司祭は宗派が違うので、僕が命令を聞く理由はないんだよねぇ」
先生がコーヒーを飲みながらのんびりと穏やかにとんでもないことをおっしゃる。
たしかに、この前来た司祭は堅苦しく教会が絶対、という命令の仕方だった。
リヴィアのよく知る宗教者、という感じ。でも、先生はそんな態度は取らない。
むしろ、説話することは少ないし、信仰が絶対、という感じも言わない。
てっきり人柄の違いと思っていたけど、そもそも大元のところで違っていたらしい。
知らなかった。
「それで、おかしいなぁ、と思って領主に問い合わせてみたんだよ」
簡単そうに先生は言う。しかし、領主様への連絡ってそんなに簡単にできるものだろうか、と首を傾げる。
目のあった社長とジルヴァードが首をブンブンと横に振っているから違うらしい。
つまり、結論としては、先生のつながりが怖いということ。
「そうしたら、領主側が慌ててて。領主がこの町にお願いしたかったのは別のことなんだよ」
話の規模がなんだか大きくなっている。
領主ということは、この州を収めているトップのお貴族様が関係していると。
庶民であるリヴィアにとっては雲の上すぎてよくわからない。
「別のこと、ですか?」
「それからは俺が説明する。まず、リヴィア、海竜って知っているか?」
突然声を上げたのが、ジルヴァードさん。
普段の釣りやお酒好きの顔を隠して仕事モードに真面目な顔をしている。
それだけ重要な事柄で、深刻な事態なのだろう。
「海竜?」
海竜というのは名前の通り、海に住む竜種。
生態はよくわかっていない。漁師さんも滅多に会わない。どちらかというと伝承に出てくる存在。
とりあえず貴重で強い、という噂話しか知らない。
たまに海岸に流れ着く鱗とか、皮膚の一部がすごく貴重で取引されている、のは聞いたことある。
「町に伝わる話としては、知ってはいます」
「お、なら話は早い。すんげぇ希少種で鱗一枚でも高価に取引されている珍しい竜でな。
どうやったもんかお貴族のお屋敷で生きてる海竜が飼われていたっていう大事件が、今回の始まりだ」
「うわ」
「竜としては極悪な環境で飼われていた。
そもそも、竜を飼うという発想自体、俺たちからしてあり得ないんだが」
詳細を言わないところがさらに恐ろしい。
「俺も見たが、あれは綺麗な道具としてしか、見ていなかったんだろう」
推測だけど、その海竜は身体的に、精神的にとんでもない負担がかかっただろう。
扱い的にはほぼ奴隷だ。どう過ごして、何をさせられていたのかはわからないけど。
ジルヴァードが言葉を濁しつつ、顔に嫌悪を滲ませているから相当な扱いだったのだろう。
愛玩としてか、労働としてか。碌な扱いではなかったのだろう。
「領主様が引き取ったんだが、周りの住民が大騒ぎでな。
海に返せ、とか、教会で祭り上げろ、とか、研究させろ、とか、まあ、色々な」
「うっわ」
都会って怖い。人間って怖い。
「祭り上げたい派閥があの司祭のやつらだ。
教会で引き取って、教会にいたお前とつがわせて、子どもを産ませたかったらしいぞ」
「うげ」
「そして、それとは反対に、領主様のほうはとりあえず本人の治療と、回復が優先という判断だ」
領主様にこの町で伝わる感謝の舞を捧げたい。なんて的確な判断。
名前も知らないけど。
リヴィアの中で領主様の印象が良い方向に跳ね上がる。
「その流れで、こっちに、というかこの町に、避難させてくる」
「待ってください、どうしてそうなったんですか?」
話が思いっきり違う方向に転換された気がする。
そんな大事でデリケートな海竜様を、この町に、避難させる?
確かにこの町は観光客も来ない静かな町だろう。
ただ、なぜ?
「あの司祭はそのことを?」
「そこまでは知らされていない。というか、あの司祭のことは気にしなくていい」
「気にしなくて良い?」
あ、リヴィアは声をあげそうになる。
ジルヴァードと先生がにっこり笑っただけなのに、何かとても恐ろしいことのようで。
「勝手に動いた司祭様には領主様からお叱りがあったそうです。きちんと然るべきところに滞在いただいています」
しかるべきところ、という場所がどのようなところかはわからないが。
先生の様子から想像すると、愉快な場所ではなさそうだ。
「お前がここにいることを外部に話すこともできないだろうな」
「自業自得ということですね。これもお導きです」
この2人の様子からして、おそらく詳細に聞くとリヴィアに被害が出そうな予感。
「(こんな、にこやかに末恐ろしい神の導きってあるんだ、すごいなー)」
司祭に対しての感情はマイナスに振り切っているけども。
存在ごと抹消されていないことを遠くから願っておこう。
ゲイルが顔を青くして震えている。
リヴィアと社長は同じ立場で、先生とジルヴァードは別の領域。
なんとなく立場がはっきりわかって、リヴィアだけがスッキリした気持ちになる。
「(司祭の話題はもう、触れてはいけない。私、学んだ)」
心の中で一つ頷いて、別の話題に進もうと思う。
「どうして、この町なんですか?」
「まぁ、ここは田舎だし、海があるし」
「田舎ですしねえ」
「田舎だしな」
全部の理由が田舎で片付けられている。
「そしてな、ここに移送されてはいるんだよ」
「イソウサレテハイルンダヨ?」
過去形?
「なんだ突然カタコトで」
「失礼。すでに移送されている、みたいなニュアンスは気のせいでしょうか?」
「気のせいじゃねえなあ」
「(なんだって!?)」
リヴィアは今日一番の衝撃を受けた。
移送されている、ということはつまり、すでにこの町にいるということだろう。
そんな大事件がこの小さな町で起きているなんて思いもしなかった。
「続けるぞ。領主様のお願いをうちの町長が断れるわけないだろう?」
レンツァの町長を思い出す。
めんどくさそうな町長の役割を押し付けられた形で、嫌々町長になった人。
雲の上のお人からのお願い、というなの命令を、あの人が断れるとは思えない。
「確かに」
「すでに町にいるんだよ。そこで、誰が面倒見るよ、ってなって」
「そこは責任をとって町長様に」
「無理無理。あの人はそんな細かく気を遣う仕事、向かないだろう」
散々な物言い。だけど、確かに。
なんでも、この町の海に飛び込めば全て忘れる、元気になる!という考え方の人だ。
海竜様が海にぽーんと放り込まれる幻影を見た。やる。あの町長は本当にやる。
「で、お前やたらと海馬に懐かれてるだろ。ちょうどいいってゲイルのやつが」
「社長」
呼びかけた社長は若干気まずそうに目を逸らしていた。
強引に決めたという自覚はあるらしい。
「他に、いねぇだろ。若くて体力あるやつ」
普段とは考えられないほど、小さな声で、もそもそと社長が言う。
「若くて体力があるのは、私よりもジルさんでしょう」
「俺は仕事が忙しい」
バッサリ笑顔で抗議は封殺された。
「あとなぁ、どうやらそいつ、泳げねえらしい」
「え?」
「陸で過ごした時間が長すぎて、泳ぎ方を忘れてしまったみたいでな。
そういう面でのリハビリも頼みたい。
もちろん、領主様から報酬は出る」
「ジル、リヴィアの安全面は?竜が暴れたら怪我どころじゃすまねえぞ」
「安全策は取る。ただ、そいつ自身は落ち着いてて穏やかな性格だから大丈夫だろうって」
***
すでにマドーレガリア教会にいると聞き、勢いで会いに行った。
何事も会ってみないことにはわからない、とのジルヴァードの意見。
確かに事実ではある。
ただ。
すでに教会にいて、かつリヴィアたちの会話を聞かされていたなんて。
「(そんなこと、ひとことも聞いてないんですけど!?)教えてくださいよ!?」
教会での自分の言動を必死に覚えている限り振り返る。
失礼な物言いを、したかもしれない。
すでに憂鬱だ。
***
そのあと、せっかくだから顔合わせをした。
穏やかな性格と判断した者は一体どこの誰だろう。
警戒心むき出しで今にも暴れそうであった。
怖かった。
リヴィアは退室したあと、全身の力が抜けた。肌がゾワゾワする。
膝が床に着いて、しばらく動けなかった。
前途、多難だあ。




