ミステリーには二種類ある(1)
京都大学ミステリー研究会。
そこは、栄えある新本格ミステリー作家を輩出した伝統ある部活だ。
ミステリー好きの私としては、一度は覗いておきたい世界だった。
新歓のお祭り騒ぎの時に部員としての登録はしたが、実際に見に来たのはこれが初めてだ。
と、いうわけで、メリーさんと一緒に私は吉田キャンパスの門をくぐった。
「あっ、ミステリー研究会のポスターがあるよ!」
メリーさんが見つけたのは、掲示板に貼ってある極彩色のポスターだった。
七色の放射線状の輝きの前に、ピラミッドにラーの目がついた絵が描いてある。
「ここだ、西部講堂の部活棟!」
「え? ここで……いいのかな」
私はポスターをよく確認できないまま、メリーさんに袖を引っ張られて東一条の通りへと出た。
「西部キャンパスはこっちね!」
真っ赤なゴスロリを着た怪異は、スマホを見ながら道を先導する。
日仏会館を越えると、左側に大きな講堂が見えた。
「えっと、ここの南側だよ」
立派なクラブ棟が建っている。
が、さすがは京大だ。立て看板やその材料が入り口のまわりに乱雑に立てかけられていたりする。
「何これ、等身大フィギュアだよ! すごいよ! 文化遺産だよ!」
入り口の庇の上には、ずいぶん昔に流行ったアニメのヒロインの像が載せてあった。天を指さしてもう一方の手には剣を持っている。メリーさんは写真を撮りまくりだ。
私は玄関脇の入居一覧を見る。古びたプレートが多い。
「ここの三階の一番奥、みたいね」
「レッツラ・ゴー!」
メリーさんはノリノリだ。てか、何語だ、それ。
止まっているエレベーターを素通りして、階段で上に向かう。
色んなポスターが壁に張ってあり、なんともヤバい感じだ。
……これが京大クオリティーってやつか!
三階の廊下にもいろんな荷物があふれかえっていた。なんとも治安が悪い。
一番奥の部屋は扉が閉まっていた。
ノックをする。
「はーい。どうぞー」
男の人ののほほんとした声がした。
「失礼します」
おそるおそる中に入る。
壁には書類ケースが並び、ぎっしりと資料が詰まっている。部屋の真ん中には長テーブルと折りたたみイス、奥にはパーテッションがあって、反対側の事務机の向こうには痩せ気味のメガネの男性がすわっていた。
「新入部員かな?」
くいっ、とあげたメガネがキラリと光る。鋭い眼光がこわい。
「はい」
「ミステリー研究会の会長、アマリタロウです。君たちは?」
アマリ氏は、読んでいたハードカバーの本を卓上に置く。『鹿のように歩め』という、去年話題になった推理小説だ。
「霧島彩月、京都広域大学の一回生です」
「メリー・ウィンチェスター、同じく広域大学の一回生でーす」
「よろしく。ミステリーは好きかい?」
「はい。リリアン・J・ブラウン のシャム猫ココシリーズのファンです」
「『クリムゾン・リバー』とか『セブン』が好きでーす。あと、ジョン・ディクスン・カー!」
「おおっ、なかなか趣味がいい」
なごやかに会話が進む。
そのとき、ノックの音がした。
「はい、どうぞー」
会長が返事する。
「失礼します。ここがミステリー研究会ですよね」
瓶底メガネの、おとなしそうな女性だった。衣服や化粧にはいっさい頓着していない。ザ・理系女子という感じだ。そして、見るからにやつれている。
「はい、そうです」
「あのー」
リケジョが私たちを見る。
「気にしないで。この二人は部員です。守秘義務は守りますよ」
……はっ?
私はその言葉にびくりとした。
ミステリーには二つの意味がある。一つは探偵小説、もう一つはミステリー現象のことだ。
そう。すでにポスターの段階で私はうっすらと気づいていた。あれは「プロビデンスの目」と呼ばれる神秘主義の象徴、のアレンジだ。プロビデンスの目は、アメリカ独立のきっかけになった秘密結社フリーメイソンのシンボルとして一ドル札に描かれている。「ピラミッド・アイ」と言った方が一般的だろうか。
そして、部室の本棚に並んだ書籍。探偵小説ではない。『ネクロノミコン』とか『エメラルド・タブレット』といった背表紙が見て取れる。そして最上段から睨みをきかす、水晶髑髏――を模したウォッカのボトル。
……ここは、『叢鴉の砦』で有名な京大ミステリー研ではなかったのだ!
リケジョは、私たちがゆずったイスにすわり、おずおずと語り出した。
「理学部三回生の冴島範子と言います。実は、私の彼氏のことで相談があるのです」
私は、そこにためらいを感じて申し出た。
「私たちは、退室しましょうか」
「いえ、女性がいた方が話しやすいこともあるでしょう。というか、僕自身も、クライアントと二人っきりという状況はさけたいですから。……どうぞ、続けて」
アマリ氏は、範子さんに先を促した。
範子さんの話を要約するとこうだ。
春休みが明けて久しぶりに彼氏の家に遊びに行ったら、高熱を出して全身を変なカビに覆われて寝付いていた。「すみれ、すみれ」と見知らぬ女の名をつぶやきながら。そこで、医学部の知り合いに写真を添えてメールしたところ、京都府の防疫チームが現れて救急搬送、今は京大病院の地下にあるバイオセーフティーレベル4の施設に収容されている、というのだ。
バイオセーフティーレベル4と言えば、エボラウイルスやマールブルグウイルスレベルを扱う施設である。空気までもが外に漏れないよう、厳重に封鎖された施設だ。そこで様々な検査をしたが、原因は不明、彼氏の親からはせめられ、立場がないという。
「というと、あなたは親公認の関係だったのですね」
「はい。行く行くは結婚を前提にお付き合いしていました」
「その、知り合いに送った写真というのを見せていただけませんか」
「はい」
範子さんは、アマリ氏にスマホをさし出す。
「うーん、これじゃわかりにくいな。モニターに拡大して投影します。よろしいですね」
「はい」
会長がパーテッションを縮めると、そこには大型のテレビモニターが出てきた。
パソコンから延びたUSBケーブルを接続して、何やら操作している。
画面が切り替わった。
そこには、ミイラと見まごう痩せた男性が写っていた。
「現場写真は、それだけではないはずです。賢いあなたなら、絶対に室内の状況を撮影しているはずだ」
アマリ氏の鋭い指摘に、範子さんはおどおどとうなずく。
「えっと、プライベートな写真もあるので、私が操作していいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
写真を範子さんがスライドしていく。
室内の様子が逐一撮影されている。冷蔵庫の中まで。
……さすがは京大の理学部だ。
その時、メリーさんが大きな声を上げた。
「ちょっと待ったー!」