天使宮の宴(4)
パルテノン風神殿の中には人工の竹藪が作られていた。焼き鳥の煙は、その間から漂っていた。
「みね様、困ります」
串に刺した焼き鳥をグリルに並べたお婆さんを前に、病院長は慌てていた。
「何を困ることがあるんだい。誰にも迷惑はかけていないよ」
「大天使教の戒律では……」
「その教えを垂れたのは誰だい。あれは方便の教えだ。神人には適用されないんだよ!」
叱るように言い放つ。
「さあ、いい日本酒を二、三本買っといで。あと、ウーバーエッセンが配達してくれるから、届いたらすぐに持ってくるんだよ!」
「ははっ」
大天使教の大幹部であろう病院長は、ほうほうの体で逃げ出した。
「すまなかったねえ、みっともない所を見せてしまって」
苦笑するしかなかった。
みねお婆ちゃんは、とても元気だった。
そう、山姥のように。
服装は大きな花柄がついたワンピースにもんぺで、どう見てもそこらのスーパーに買い物に来ているお婆ちゃんだ。髪はすっかり白くなっていて顔はしわくちゃ、それでも背筋はピンとしている。さすがのメリーさんも、これには目を丸くしていた。
「人工呼吸器につながれているとでも思ったかい。残念ながら、こちとら癒やしの力を持った大天使様だ。自分の病ひとつ癒やせなくてどうするね」
近くのテーブルにつくようにうながす。
「私のしゃべり方が変かい。テレビの影響を受けちまってね。すっかり京言葉とは縁遠くなっちゃったよ。さあ、食べとくれ。ああ、グラスがないね。誰か、グラスを」
竹藪の陰にひかえていた巫女が、すっと動く。
教祖手づから焼き鳥を皿に盛る。巫女さんが、日本酒用のグラスを一揃い持ってくる。ごく普通の居酒屋グラスだ。みねさんは、先に置いてあった酒をグラスにそそぐ。
「まずは乾杯だよ」
全員の前に日本酒が入ったグラスが置かれる。
「おいしいだろ。これが人生の味さね」とお婆ちゃん。
病院長が、一升瓶を二本抱えて小走りでくる。
「おおきにごくろさん。あんたも一杯やるかい?」
「私は事務がありますので……」
「ほなお帰り。あんじょうおきばりやす」
酔うと、京言葉が出るようだ。
病院長が去ると、みねお婆ちゃんは愚痴りだした。
「見てみい。人いうんは身勝手なもんや。自分の価値観に執着して、自縄自縛なんやね。教祖に誘われたら何を置いても呑みに加わるんが礼儀いうもんちゃうか。一事が万事、あの調子や。あれするな、これするな。マジメにおしやす。もうアホらしてしゃあないわ」
巫女さんたちも手招きしてグラスを渡す。
「あんたらも飲み」
さすがに、彼女たちはことわらない。教祖に仕えるのが仕事なのだ。
「どういういきさつで教祖になったのですか」とアマリ氏がたずねた。
「そやな。ノイローゼやな」
「は?」
「わてが寺に入ったんは十四の時やった。大寺の和尚さんに見初められてな、納戸のおなごしに加わってん。そやけど、和尚さんのお手かけやろ。年上のおなごしにはいじめられるし、朋輩にはねたまれるし。そのうち、天井からなんか変な声が聞えるようになってん」
話を要約するとこうだ。
ノイローゼになったみねさんは、声が命じるまま色んな事を口走り始めた。
「甲子の年、みやこは火の海になるぞよ」とか「乙酉の年、日の本の国は一度亡びトツクニに支配される」といった予言だ。最初はキツネツキだろうと馬鹿にしていた周囲の人々は、翌年に起きたどんどん焼けでみねの予言が事実だったと騒ぎ始める。
その頃、みやこでは長崎から来た蘭方医が話題になっていた。みねさんはその人に診せられた。どうやら東南アジア系の人だったらしい。みねはその人からご禁制のキリスト教について教えられる。そして、天使という存在に魅せられてしまった。「我が言葉は大天使様からのお告げじゃ」と言い出す。
さて、ここで奇妙な符合が起きる。京都には五條天神宮という平安京創立以来の神社がある。七九四ウグイス平安京の年、桓武天皇の勅命で弘法大師空海が宇陀から勧請した天神の神社だ。「天使の宮」「天使社」「お天使さま」として親しまれていた。だから、誰もキリスト教から来ているとは思わず、「お天使さま」のお告げだと理解したのだ。
そして、みねさんはその頃からキツネを祓う名手として知られることになる。
「気を整えたのさ。それだけで、大抵の人はまともになる。病気もそうさ。気が枯れてしぼむんだ。その気を養ってやればいい」
みねさんは、ネギマの焼きすぎたネギを示す。確かに「気が枯れた」状態だ。
「でもね、私には人の性根だけはただすことができなかった。他人の持ち物や金に寄生する、気持ち良さのために人を陥れたりいじめる。誰もが楽しく気楽に生きられる世の中を夢見て、よくよく考えて教えを説いたつもりだったが、今度はその教えを他人をぶん殴る武器にする阿呆が出てきよった。大天使教の中での位階争いも起きた。大天使様の権威を借りて悪さをする人間も出てきた。まあまあ色んな問題が起きたものさ。還暦の頃にはもう疲れ果ててしまったよ」
「還暦、というといつ頃なのでしょう」と会長。
「日韓併合の年だったかねえ。まあ、そのあたりの、世界情勢が不穏な時代だ」
「で、教祖様はどう対処したの?」とメリーさん。
「全てを投げ出したのさ。私がいなくなれば教団は自然解散だろう。もう先は長くないと思ってたからね」
ユーバーエッセンの配達が届いたようだった。病院長が、うやうやしくカートを押してくる。
「さあ、トリにもあきてきただろう。私一人じゃこんなには食べきれない。若いみんなで食べとくれ」
カートには、色んなおつまみが載っていた。
大天使様は、元々はただの気のいいお婆さんだった。
ただ、善意のままできることをしていたら、周りの人間が悪いことをはじめた。
そして、人類に絶望した。
奇人の位に入ってからは、よほどの事がない限り教祖としての治療もしなくなった。そして、大天使教の治療は西洋医学へと舵をきった。拈華会施療院の始まりである。ただ、当時の医学には治せない病気も多く、死病とされた肺結核などは教祖が神秘の力で治療をした。
戦後すぐ、御池通に米軍の輸送機が援助物資を積んで着陸したことがあった。元々は、日本政府が強制疎開して作った幅五十メートルの巨大道路だ。
戦時中は軍人の家族が優先的に配給を受けていばっていた。が、終戦直後に威張っていたのはキリスト教会関係者だった。援助物資は、大天使教にも届いた。戦前、大天使ミカエルをたたえる教会として海外には知られていた。この時、みねさんが「乙酉の年、大いなる鳳凰舞い降りて豊穣をもたらし民を救う」と予言していたこともあって、大天使教の信者は急増したという。
その後、大阪万博の年についての予言も当っていたと言われている。「庚戌の年己卯の月、北摂の翠野に天照らす矛立ちいでて皇国の徽を貫く。国の弥栄、まさにたたえるべし」これは戦時中には不敬罪になりかねないと削除された予言だ。昭和末期に古い記録が見つかって教団内部で騒ぎになった予言だ。
ただ、「二六五六異界侵攻之事」という一節に感してはみねさんの勘違いが原因だったらしい。
「これはねえ、当時流行った映画を見て、異世界の人が攻めてきたって強いイメージが刻み込まれていたんだよ。私が見た未来の光景が、昔の自分に伝わっていたんだねえ」
「なぜ、ここだけ漢文なの?」とメリーさん。
「私もよくわからないんだ。天使さまがそういう気分だったんだろうさ」
事の発端となった寧々さんの疑問に対しては、みねさんが直々に宗務局長に電話して、修道場の場所を聞き出してくれた。関西のとある山中の道場で「修行」しているとのことだった。そこはかなりの限界集落だという。そして、その道場には電話はない。寧々さんはメモした住所をもらった。
「お手紙を出します」
声がきけないとわかって、少しさみしそうな寧々さんだった。
かくして、大天使教への訪問は争いらしいこともなく平和におわった。
病院から外に出る。
日はすでに暮れていた。
「メーリさんのひつじ、ひつじ、ひつじ、メーリさんのひつじ、ラムポーク♪」
メリーさんは不穏な歌を歌っている。恥ずかしい子だ。
澪さんが私に小さな声で言った。
「私、どうしてもわからなかったことがあるんです」
「何、何?」
「平安京って、七九四年に遷都されたんですよね。どうしてお天使さまの勧進に、学生だった空海がかかわれたんでしょう。計算するとまだ二十歳、東大寺の学僧だったとしても、そんな大事を帝からまかされる年ではないと思うんです」
私は困った。相手が上回生でなければ「ずっとそこにひっかかってたんかーい!」と突っ込みたいところだった。
アマリ会長がそれに端的に答えた。
「人間、突っ込んではいけないこともある」
二六五六異界侵攻之事。
異域之人、踰虚空闖入疆域。形貌怪異志意叵測。天地震盪蒼生入涂炭。碎山河覆星辰。民不可逃竄哭声衝天。斯禍殞地滅天只蒼茫。
……という文章まで考えたのですが、使えませんでした。『インデペンデンス・デイ』のことです。