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魔王降臨(3)

「金星人の碑、見たいですか」

 声をかけてきたのは、白衣に紫の袴をつけた老人だった。おそらくは、この魔王殿を管理している人だろう。

「見たいでーす!」とメリーさん。

「どこから来なすった」

「アメリカでーす!」

……嘘ではない。つい最近までアメリカで生活していたのだ。

「いいでしょう。ご案内します」

 老人は、魔王殿の真正面にある石畳を先に立ってどんどん歩いて行く。

 藪に覆われたその道の行き着く先に現れたのは、うっそうと茂る木々に囲まれた、四角い広場だった。真ん中には、オベリスクのような形をした苔むした塔が建っている。

「これが金星人の碑です。普段は公開していないのですが、遠くからわざわざおこしになったのだ、お見せしないわけにもいかんでしょう」

 実際に見てみると、なんということのない石碑だった。正面には「金星人、六百五十万年前にこの地に降り立ち、護法魔王尊となる」と刻んである。そして、反対側によくわからない外国語が刻まれている。あと、いくつかのシンボルマークが刻まれていた。

「いつ頃建てられたのでしょう」とサバエ氏がたずねる。

「昭和三十年頃ですな」

「なぜ、隠されているのです」

「いやなに、あまりに直接的に金星人と書いてあるので、恥ずかしかったのでしょぅ。管長が代替わりしてから忘れ去られて、このありさまです」

「ヘレラントラ!」

 碑文を見ていたメリーさんが、謎の言葉を発した。下部の髭文字を解読したらしい。

「ううん。こちらはヴォラピュク。ヨハン・マルティン・シュライヤーが作った人工言語。こちらの秀真文字にヘレラントラと書いてあるの」

 確かに、丸や三角とYが組み合わさった記号っぽい文字が書いてある。

「ヴォラピュクではこうあるわ『Venusänalar, sis milions lulüdek zül yels büo, labikoms ad sugön su tal at e vedoms Gohō Maō Zun.』。こちらはエスペラント語ね。『Venusanoj, antaŭ ses milionoj kvinoce mil jaroj, alteriĝis sur ĉi tiu tero kaj fariĝis Gohō Maō Zun.』。そして、Iniciatinto de la starigo de la steleo、つまり建立の発起人はルイス・サイファー。つまりルシファー!」

「ほほう、これが全て読める方がいたとは。意外でした」

 老人は、薄気味の悪い笑みを浮かべると、メリーさんに向き直った。

「あなたたちは、護法魔王尊の正体がルシファーだと書いてあるからこの石碑を隠したのね」

 メリーさん、びしりと指をさす。

「誤解を解くために説明しましょう。ルシファーはそもそも、明けの明星(みょうじょう)をさす言葉で『光を運ぶ者』というラテン語から来ています。その『光』とは、知恵の光明を意味しているのです」

 老人は、象形文字の一つを指さした。それは、ナイフが刺さった心臓のような図形だった。その下はギリシアの神殿とトーチ、最後は、指輪のような図形になっている。

「十字架がささったリンゴです。そして、ギリシアの神殿と火、最後はウロボロス、自らの尾を呑み込むという世界を取り巻く巨大な蛇です。この意味がわかりますかな」

 無言になるメリーさん。ミスカトニック大学の修士号持ちにも難しい問題らしい。

「リンゴは知恵の果実なのです。聖書の創世記によると、サタンが変身した蛇がそそのかし、アダムとイブは、知恵の果実を食べてしまった。そこで二人は裸の恥ずかしさを知って、神は皮の衣を着せて二人を追放し、エデンの園の東の入り口に智天使と炎の剣を置いて守らせた。そして、神がつくった獣の中で最も賢いのは蛇であったという。つまりは、サタンであるルシファーが知恵を人に与えたわけです」

 老人はいつの間にか壮年の男性へと変化していた。真っ白だった髪が黒くなり、精悍な顔つきになっている。

「では、次の絵文字について説明しましょう。プロメテウスがゼウスから火を盗み、人間に与えたため罰せられた、という話はご存じですかな」

 皆がうなずく。

「プロメテウスはそれ以外にも、数や文字、家や船をもたらしたと言われます。つまり、知恵を人間にもたらした神なのです」

 今や、壮年の男はさらに若返り、高校生ぐらいの少年となっていた。

……サナト・クマラだ!

「つまり、金星人が人類に叡智をもたらしたというわけですか」とアマリ氏。

「でも、そのウロボロスは? 永遠の時の循環や、世界の統合を表す、はずだが……」とサバエ氏。

 二人は案内者の変化に気づいていない様子だ。

「では、最後のウロボロスを説明しましょう。ウロボロスは、自己破壊の象徴です」

 サナト・クマラは、可愛い笑顔を浮かべながら宣告した。


「ちょっと考えてみて下さい。知恵は人間に何をもたらしましたか」

「長寿と繁栄……」とアマリ氏。こっそりバルカン式敬礼をしている。

「文明だな。科学的知見、科学的思考法」とサバエ氏。

「女子の意見は?」

「文化、かしら。芸術とか文学」と澪さん。

「健康。でも、自然破壊もしている」と私。

「戦争」とメリーさん。

「そう、それです。知恵は人類に心地よい物をもたらしました。その一方で、どんどん不都合な物も増やしました。エデンの園にいた動物状態で、食べて寝て繁殖して短命で死んでいくのと、今の文明社会で、あふれかえる情報に縛られて生きていき、最後は機械につながれて死んでいくのと、どちらが幸せなんでしょうね」

 アマリ氏が反論した。

「知恵は自己破壊をもたらすと言うのだね。けど、護法魔王尊は知恵の導きとなった。そして、その存在を顕彰する。矛盾してないかね」

「ええ。ですが、諸刃の(つるぎ)である知恵の危険性を知ることが出来るのもまた、知恵の働きではないでしょうか。この金星人の碑は、そのことを伝えるために建てられたのです」

 サナト・クマラは、得意げに話をしめくくった。


 道案内のサナト・クマラが道路に出ると、いつの間にか金星人の碑への入り口は塞がれていた。碑があったのは、完全に異界のようだ。

 途中、サナト・クマラはしきりにメリーさんに話しかけていたが、外国語なので会話の内容は聞き取れなかった。

「何語だったの?」

「フラブ・エリボル・エフ・コルディ。大昔の言葉よ」

 帰り道は貴船神社に向かった。

 人が並びまくったバス停でだべりながら、貴船口駅に行くバスを待つ。

 二台目にようやく乗ると、貴船口駅についた。

 ほんのわずかの乗車だったが、現代っ子の私にはありがたかった。

 そこから叡山電鉄で元来た出町柳の駅に向かう。これもまた混みまくりだった。

 とにかく疲れた。

 メリーさんが車内で突然、声をあげた。

「写真、撮り忘れた!」




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