6羽目
「ありがとう、来てくれて助かったよ」
「隣の村でも、えらい活躍したと聞いたよ」
「また助けに行くんだな」
大した働きはしていないつもりだったけれど、とても感謝された。
隣には娘が乗っている。
「家族を『迎えに行くから』乗せていって」
と。
男が話していた大木も見え、その奥にある湖には帰りに寄ることにして、まずは娘を家族の元へ送り届けなければならない。
「目立ちたくないの?」
「あぁ、苦手だ」
隣に座る娘にだけは、城での一部始終を話し、しかし、誰にも言わないで欲しいとも頼んだ。
「あなたの言う通りなら、あなたは私たちの恩人だから、約束はする」
「頼む」
馬車は広い空の下をとつとつと進む。
「ねぇ」
「なんだ」
「あなたがこの先の、遠くの目的地に辿り着いて、またここに戻ってくる頃には、私もまた門番してるから」
声は明るい。
「祖母はちょうど寿命だったの」
と隣の娘の立ち直りは早かった。
最近は外に出ることもなかったから、最後に孫とお茶をできたことをとても喜んでいたと。
外にいる人間も、さすがに人の死には顔を背けることはなく、娘が祖母の死を伝えると、皆、城壁の中に入り、色々と最後の世話をしてくれた。
「あなたが戻って来る時には、あの組合のコインの恩恵は、もうなくなってるかもしれないけど、私たちは歓迎するから、絶対来てね」
と隣で笑顔を見せてくれたのは、娘の家族のいると思われる村が見えた頃。
川沿いの橋の向こうから、村人らしい人間が手を振っている。
橋を通らずに馬車を止めると、
「避難してきた人かい?」
と、ここの村人と思われる男に聞かれた。
「いや、この子だけだ」
と答え、
「でも、どうやら騒ぎは落ち着いてきているらしい」
と続けると、村人の驚いた顔。
こちらは場所が近くの村より離れているせいか、避難してきた人間も少なく、人手や働き手も、そうは必要ないらしい。
人手がいらないなら、自分は先に進みたいと、娘の小さな荷物を下ろすために馬車から降りると、村人は君の家族に知らせてくるよと村へ走っていく。
「え?休んですらいかないの?」
挨拶とお礼くらいはさせて欲しいのにと不満そうな顔をされても。
「まだ昼過ぎだから、少しでも先に進みたい」
「せっかちだねぇ」
と諦めたように肩を竦めた娘は、
「ねぇ」
「なんだ」
「……、ううん」
と、荷台で荷物を受け取りながらも。
「あ」
何か思い出したように、手をこいこいと振って耳を貸せと手を口許に当てている。
「なんだ?」
耳を寄せると、
「……」
頬に唇を当てられた。
「……っ!?」
「うふふ、ありがとう」
「な、何を……」
「あなたモテるから、これくらい挨拶にもならないでしょ」
おかしそうに目を細めて、荷物を背負う娘。
「何を言ってる」
「全然気付かないんだから、びっくりしちゃう」
鈍感さん、と娘は笑うと、
「ねぇ、街のみんなの代表として、お礼を言わせて」
胸の前で、指を絡めて組んだ娘に、見上げられた。
「あなたのお陰で、あの街は死なずに済んだの」
「……」
「ありがとう。……私たちの、勇敢な騎士様」
「……いや」
「今度は、少しは賑やかになってるお城の街に、また寄り道してね」
「あぁ」
そうしよう。
「必ず」
大きく手を振る娘に手を振り返し、馬車を出すと、
「ピチチッ」
桃色の小鳥が戻ってきた。
「お、早いな」
「ピチッ」
組合に手紙は預けられたと言う証明書が入っている。
急いで鳥を向かわせるとの一言も添えられている。
(あぁ……)
今から、返事が、待ち遠しい。
背の高い柔らかな、小麦のような名の知らぬ草が一面に広がる道をひたすら進み抜け、進み。
森で兎を狩り、食事をし、また先へ先へ。
「お、おおお……っ」
馬車1台分の幅しかない崖の道は、山に居た猟師には、恐怖でしかない。
しかし、あの行商人男も娘も、何も言っていなかったことからして、ここは別に気を付けるポイントですらないと言うことだ。
下り坂になり、盆地の街が見えてくると、
「ふー……」
これ以上ない溜め息が漏れた。
そう広くない岩に囲まれた街。
岩の街。
限られた土地の中、道もそう広くなく、慣れずにもたもた馬車を進めていると、
「案内しようか?」
と多分街の人間に声を掛けてもらえ、頷くと隣に飛び乗り、メモを見せると。
「あぁ、金物屋さんか」
ちょうどいいと、青年が指を差す。
「歩くのにはちょっと遠いんだよね」
自分を運ぶ乗り物が欲しかったらしい。
それでも。
「助かった」
店は所狭しと並び、大通り以外は馬車も入れない。
言われるまま道を進むと、向かいから来る馬車は慣れたように端に寄って待ってくれる。
すまないと頭を下げると、にかりと手を振って通り過ぎて行く。
「ここは常連ばっかだからさ、狭くてもみんな慣れてるんだよ」
確かに、街も無骨なのに、こなれた雰囲気、みたいなものを感じる。
「だから、新人さんにも優しいよ、はいそこ曲がって」
「あぁ」
盆地はまだ暑いかと思ったけれど、むしろ涼しい。
「あそこだよ、でかいから分かりやすい」
「おぉ」
他の店より3倍くらい大きい。
「助かった、ありがとう」
「こちらこそ、狭い街だから、また会うかもな」
とひらりと馬車から降りて駆けて行く。
馬車を停めると、たまたま店から出てきた、とにかく小さな老人が、自分の店の前に停まった馬車と猟師に気付き。
「……?」
しかし知らぬ顔だなと言いたそうに、思い出すように眉を寄せる。
「はじめまして」
馬車から降りて、あの灰色の瞳の行商人の男のコインを見せると、
「おぉ、あの若造のお知り合いさんか。……これは」
と猟師が行商人のコインを持っていることに、ギクリと身体を強張らせたけれど、行商人の男の厚意で、預からせて貰っていると話せば。
「なんだと?……人に貸す。はぁぁ全く、あのお人好しは。天井知らずだな」
と天を仰ぐ。
このコインは、行商人の命の次に大事なものなのだと、大きな溜め息混じりに中に招かれた。
「あいつは元気だったか?」
「えぇ、これが通じない場所へ行くからと、預けてもらいまして」
「ほぉ、そんなに遠くまで」
狭い通路を通り、奥の部屋へ通されると、背の低いテーブルに直接床に座る少し変わった作り。
珈琲を出され、有り難く頂くと、やっと人心地がついた。
「しばらく顔を出せないと思う、とは聞いてはいたけれどな」
そんなに遠くに行ったか……と、煙草を吹かす。
勧められ、1本だけと受け取り、自分は花の国から来たと伝え、
「あの黒髪の少女のいた山まで、向かう途中です」
行商人の男がここに寄れとメモを渡してきたくらいだから、問題はないだろうと伝えると、
「あぁ、あのちっちゃな嬢ちゃんか」
老人はくくっと笑い、
「あれだ、あの狸も元気だったか?」
「えぇ、とても」
しかし、なんでまた?と不思議そうに訊ねられ、
「旅をしたかったけれど目的地がなかったから」
と答えると、
「若いな」
と、またおかしそうに笑う。
老人は少し考える顔をした後、
「その若さと自由ついでに仕事を頼まれてくれんか」
石の街に商品を降ろして貰いたいんだがと。
快諾し、とりあえず今日は休めと宿を教えて貰い、また岩の街を移動する。
馬を預かる馬舎と宿を兼ねたその受付で、
「お一人様ですと、うちは割高ですから、良ければ馬と荷台だけ預かりますよ」
1人用の宿を紹介され、私も買い物がありますからと、ついでに宿まで案内してくれると言う。
誰も彼も、
(皆、親切だな……)
東と西で売るものも客層も違うけれど、どちらも楽しいので、見て回るものいいと思うと街を歩きながら案内される。
自分はそんなに慣れてないように見えるかと訊ねると、
「ここへは馬車で来る客が殆どなため、当然、馬も預けに来ます。でもあなたは初めて見る顔だし、何よりその大きく逞しい身体ならば、尚更忘れることはない」
と。
「馬の轍を替えていいか」
とも問われ頼むと、四角い石の建物の前で、
「宿はここです」
と女は立ち止まり、何かあったらうちへもどうぞ、と向かいのパン屋へ入って行く女を見送り、新しい土地に慣れないためか、とんと静かになった桃鳥を肩に乗せて、宿の扉を開いた。
「あいつは、いきなり小さな子を連れて現れたと思ったら、狸まで連れて来た。まぁ狸はその子の連れと言うしな」
老人は、飲み屋の端の席で、麦酒を煽る。
「付き合いはそんなには長くないけれど、勝手に息子みたいに思ってたから、初めは娘かと思ってびっくりした」
娘。
なるほど。
「大人しい子だったな。じっとして、でも甘いものに目がないようで、その時だけは目をキラキラさせていた」
容易に想像が出来る。
「あぁ、あの目の色も、あれには驚いたな」
「……こちらでも、珍しいのですか?」
「見たことがないよ、あの黒髪も、ちっちゃな身体に身に付けていた、どこかの遠い国の服も」
青のミルラーマにいたけれど、そこで生まれ育ったわけではないらしい。
青の、が熊のことを指していることからしても、人の住めるところではない。
「……」
お前さんは、どんな道程でと聞かれ、寄り道ばかりしながら辿ってきた街や村を答えると、
「あぁ、そうだそうだ。なんか、またあの城?が変わってきてるとか何とか聞いてるな」
ぐいっと詰め寄られ、
(さすがに耳が早い)
そして、街の人間がそう思える程には、すでに「ましには」なってきているのだ。
「あぁ、城に人が戻り始めたそうです」
と答えると、
「ほぉ。……死ぬ前に一度行ってみるか」
鼻息荒く酒を煽る。
酒に強いのかと思ったらそうでもない、千鳥足の老人を店の前まで送り、夜の街を歩いていると、
「……」
目に止まるのは、華やかで煌びやかな夜の女たち。
山の屋敷の、清楚純潔と言った姫とは真逆の、色香と艶かしさを振り撒いた女たちが、足を止めては声を掛けてくる。
明らかな一見なため、引っ掻けやすいと思われているのだろう。
「お酒だけでも、いかがかしら?」
「酒は飲めない」
「うふふ、嘘ばっかり」
しかし女は、気を悪くした様でもなく、皆さらりと引いていく。
自分に固執しなくても、客は多いからだろう。
「……」
宿へ戻るのに、1本曲がる道を間違えたらしく、馬車も入れない狭い道に入った時。
道の先に、真ん中に、小さな幼女がいた。
1人、ポツンと。
じっと、こちらを見ている。
あの山で、じっと自分を見ていた様に。
「な……」
ギクリと足を止め、ごくりと喉を鳴らして目を凝らすと。
曖昧なシルエットでそう見えただけで、長い髪はカールした亜麻色で、街灯で照らされる瞳も黄緑色。
「……はぁ」
しかし、なぜこんな所にと思っていると、
「こら、お兄ちゃんが帰るのは明日でしょ」
建物の中から声がして、幼子がこちらを振り返りつつ家の中に駆け込んでいく。
「ふー……」
少し酔ったのかもしれない。
結局、道に迷い続け、大通りに出直すと、ふとすれ違った女に、宿の名前を出して場所を聞けば、宿の前まで送られた代わりに、
「お礼は明日、お店に飲みに来てチャラね」
と、誘われてしまった。
ーーー
疲れて身体は眠りたいはずなのに、妙にピリピリと頭が張り詰めて眠れない。
ぼんやりと、今までのことを淡々と思い出す。
山のこと、父親のこと、狩りのこと。
薪を割り、獣を解体し、肉を焼き、噛み付く。
1人になってすぐ、山の屋敷に姫が住むようになり。
そして。
記憶は、ふっと、飛び。
「我は、獣の」
それは、娘と最後に交わした際の言葉。
「青のミルラーマは、村ではないの、人が稀に通り過ぎるだけの山の」
山。
「あの山にいる若鹿は、いずれ山の主になる、あれの殺生は避けて貰いたいの」
山の主。
『山の主は、数百年は軽く生きるんだ、山の神様だな』
いつか聞いたその言葉は、生前の父親の言葉。
「フーン?」
人の様に振る舞い、人の言葉を理解し、人の食事を好み、娘の従者として付き従う、自分が過ごした山ですら見たことがない、存在すら稀有な獣。
あの娘が、行商人の男と別れたあと。
あの娘は、ただ街で行商人の帰りを待てば良かったはず。
それなのに、わざわざ、人気のない、安易に街には戻れない山の中に来たのは。
あの娘は。
あの生き物は。
意識が反転する。