4羽目
布の村では、慣れぬ女性たちとの対話に難儀しつつし村を興し。
あちらでも手伝いをお願いしますと、城に一番近い村で、木こりの真似事を始めたのは、もう初夏も越え、山からの風が心地好く感じる夏だった。
桃色鳥はたまに姫の所へ飛ばし、あの娘や男、狸は元気だろうか、手紙は届いただろうかと、たまに想いを馳せた。
「……おぉ」
遠目から眺める城は。
「……立派なものだな」
花の国のように近隣に国があるわけでもなく、奥の山の手前に唐突に城が現れるため、この城の出来るまで過程や、その月日の長さと根気に、ただただ驚くばかり。
しかしそれ以上に。
城壁から離れた水路の向かい、道のこちら側に、天幕や建物が建てられ、建築中の小さな建物が至るところにある。
近付くと城の門扉からはどんどん人が出てきて、皆、荷物を抱えている。
「ピチッ」
「なんだ?」
ピチッピチッと首を振る小鳥。
自分は中には入らないと拒否されている様だ。
「……」
小さな掘っ立て小屋を建築中の男たちに声を掛け、戻ったら手伝うから、その間、馬車と小鳥を預かって欲しいと頼むと、
「あぁそれはこっちも助かるよ」
「旅人さんか、気を付けてな」
見た目からして力になると思われたらしい。
小鳥は馬の背から動かず、ただ、こちらが城へ行くことを止めはしない。
「おぉ……」
話に聞いていたより、状況は遥かに悪くなっている。
圧倒的に荷を抱えて出ていく者が多い中、荷も持たず中に入る自分は異質らしい。
それでも、何か声を掛けたそうな空気は感じるけれど、ただそれだけ。
よそよそしさと、そのよそよそしさに罪悪感を覚えている様に逸らされる視線。
自分たちのことでいっぱいいっぱいなのだから、それは仕方ないことだ。
先へ中へ足を運ぶと。
「……あぁ」
伽藍とした城下町は、街の「仕舞い」を感じた。
ただ立派な城だけを残し。
これからを感じさせる花の国を越えて来たからこそ、より、街の人間に打ち捨てられた城の終わりを感じさせ。
あの行商人の男は、あの小さな娘から聞いたと、それでも話しにくそうに、この城のことを教えてくれた。
(城の地下か……)
娘曰く、城の下から我でもそう思うくらい忌まわしき異様なものが噴出しているように視えた、と。
宿は纏まっていたけれど、もう閉じられている宿屋がほとんどで、唯一、小さな民家が、2室だけ部屋を貸していると、広場のベンチにいた老人に教えて貰い、扉を叩くと、
「はーい?」
意外にも若い娘が出てきた。
年寄りが街に残るのは解るけれど。
「お祖母ちゃんが残るって聞かなくて、1人にしておけないし、それなら私も残ろうかと思って」
と、若い娘は小さな笑みを見せ、家の台所と客の食堂を兼ねた部屋に通された。
「家族には、ちゃんと後でお祖母ちゃんを説得して一緒に行くからと伝えてありますよ」
若い娘は、元は、街の受付的な仕事をしていたという。
娘の家族は、自分が通り過ぎてきた村の方へ行ったのかと訊ねると、もう少し遠い反対の村だと。
(……そうだ、確か村興しをしている村があったと聞いたな)
そこだろうか。
後で地図とメモを開いてみようと思っていると、隣の部屋から老婆が出たきた。
失礼ながら、この年までよく生き長らえていると思われる老婆は、
「おや、珍しいね、お客人とは」
声は案外はっきりとし、
「城を壊しに来たのかね」
と、またはっきりとした言葉で、全く予期せぬ言葉を放った。
「お婆ちゃん……」
「私はね、散歩をしてくるよ」
自分の放った言葉すら意識していないらしく、杖を付いてよたよたと扉へ向かう。
「私も付き合うよっ」
あ、お部屋は2階ですと、ごめんなさいと申し訳なさそうに階段を指差され、
「あぁいや、自分も付き合おう」
と、外に出ると。
足の歩みの遅い老婆の前に立ち、
「良かったら背中に」
と、屈めば。
「あら、紳士だね」
と軽い、驚くほど軽い身体が背中に添った。
易々と立ち上がれば、
「あら、視線が高いね」
老婆はご機嫌になる。
すみませんと娘は恐縮してるけれど、祖母が嬉しそうなためか、娘の表情も弛む。
祖母思いの娘なのだろう。
どこも扉の閉まる建物だけが残された街を歩きながら、
「その、国の人間は、街の人間が出ていくことを止めないのか?」
その辺の事情は全く解らず訊ねてみると。
「……秋口に、お城に住んでた何代目かの王様や、お城を仕切っていた人たちが、立て続けに倒れて。そしたら、城で働いていた人たちがお城からどんどん出てきたんです」
「皆?」
「ううん、確か第1王子と第2王子も、死んだとは言われてるけど、本当は早々と別の国に逃げたとも聞いてる」
「……」
老婆を背負った自分と娘を、不思議そうに眺める馬車を引く若者。
その若者にぺこりと頭を下げられ、頭を下げ返すと。
「あの人は、街から出る人たちを運ぶ仕事をしている人です」
親切に教えてくれる。
「あぁ。その、悪い。……それで?」
「それで、外から来る人も少しずつ減ってたから、当然、仕事も減って出てく人も多くて」
「あぁ」
それくらいは、どんなに世情に疎くても解る。
「出ていくと言っても、街のすぐ外で、商売をしている人も多いでしょう?」
「……そうだな」
店の前に、捨て置かれた荷物たち。
「君は大丈夫なのか?」
「うん。外にいる人が、心配して色々持ってきてくれるから」
なぜそこまでしても、ここから出ないのは、今自分の背負う老婆のためなのだろう。
「……ずっとね」
「?」
「もう、ずっと、変だな、何か変だなとは思ってた。……私だけじゃなくて、多分、みんな」
女が城を見上げ立ち止まる。
「でも、ここは他の国や街の真ん中で、本当に恵まれた場所で、なにもしなくてもお客さんが来るから、何か変だなと思っても、みんな、気付かないふりしてたんだと思う」
気づかない、ふり。
「私以外も、残ってた人は同じ。
お城の人がね、街に個性を持たせようって、獣の街なんて言い始めて、みんな賛成してたけど、段々、におい?みたいな、よく分からないけど、旅の人が変なこと言うようになって。
でも、それも、ただ一過性のものだと思ってた。
それでも、変な声はますます大きくなって、中には、
『狼を歓迎しているからじゃないか』
なんて声もあったけど、みんな、狼を歓迎する前から変な空気はあったことは知ってた。
それで」
「それで?」
「変な空気や匂いの声は、ますます増えてきた……」
「そしたら、今度はお墓からじゃないか、なんて声も上がったけど、対策も見付からない、どうしようもなくて」
娘は城に向かってゆっくり歩を進めながらも、足取りは重く。
「……ずっとここで生きてきた私たちは、何も分からなくても、なんの術もなくて、ただ見て見ぬふり、気づかないふりしか、なかったの」
娘の溜め息は大きく。
空は知らぬふりで、底抜けに青い。
「……そんな時にね。初めて来るお客様がいたの」
初めて来るお客様。
「あぁ、私、人の顔だけは一度見たら忘れずに覚えられる特技があって」
「それは貴重な才能だ」
「そうかな、ありがとう。だから門で受付の仕事もしてたんだけど」
受付。
先刻もそう言っていた。
「あぁ、言葉通りの受付じゃなくてね。
ここは特に行商人さんたちにお世話になっているから、馴染みの行商人さんたちが来たら、お礼をしましょうって、受付の私から、宿屋やお店に伝わる様にするのが、お城から依頼されたお仕事」
随分と優遇されるものだ。
「……行商人さんたちを逃がさない手だよ」
だって、この街が変になってから始まったんだもん、と自嘲じみた横顔を見せると。
「こっちでは、早めの秋がやってきた日に、何度か見掛けたことのある行商人さんがやってきたの。
いつも1人なのに、その日は、小さな女の子と、名前も知らない獣を乗せて、やってきたの」
「とっても小さなその子は、すごく遠くから来たんだろうなって思う、全然見たことがない見た目の子で、連れていた獣も、後であれが狸って知ったくらい。
女の子は、あんなに小さいのに、すごく静かな赤い目をしてた。
無表情で、不機嫌じゃなくて、何か、なんだろう、よく解らないけれど、じっと、この街を観察してる感じだった」
「……あぁ」
城の前の広場で立ち止まる。
「それだけだったんだけどね。
次の日の朝、まだ暗い時間に、その人たち、
『急ぎの用が出来たから出発する』
って。
門の小屋から出てきた私を見て、少しだけ驚いた顔をしてた」
まだ朝靄が残ってる中、馬車を見送ったんだ、と街を振り返る。
「それで、解ったの。
『あぁ、そっか、外から来た人が、もうここには居られないくらい、ここはおかしくなってるんだ』
ってことに」
「……あぁ」
「正確には、目を逸らしていた現実を、目の前に突き付けられた、そんな気分だった」
老婆が下ろしてくれと訴えてきたため、近くのベンチの前で膝を付くと、老婆は、ベンチ腰を降ろすと、煙草に火を点けた。
勧められて断ると、老婆は無感情で大きく煙を吐き出す。
「……私、忘れられないの」
横に立つ若い娘の声が、掠れる。
「……何を?」
「最後に私を見た、あの子の目が」
「……」
「この先を見透す様な、この街の一部である私の中を、全てを覗くようなあの赤い目が、今でも、……怖いの」
その眼差しは容易に想像が出来、ごくりと喉を鳴らしたけれど。
「……けれど君は、別に、何をしたわけでもないのだろう?」
ただ、この街で生まれ、ここで暮らしていただけ。
「そう『何もしなかった』の」
それも、罪だと思う、と笑いもしない溜め息。
「私も含め、この街の利便性にあぐらをかいて目を逸らして、みんな何もしなかった」
その結果が、今これ、と何度目かの溜め息の後。
城から人が出て来るのが見えた。
城を支えていた者だろう、メイド服姿で鞄を持ち、こちらに気づいても、ただ無表情で通り過ぎて行く。
形だけの城の前の門番の老人も、メイドを止める気配はなく、ただ黙ってこちら見てくるだけ。
ふと、頭の中に甦る。
山小屋で、あの赤い瞳の小さな娘と向かい合うテーブル。
実際には、男から聞いたのに。
なぜか、娘が、話しかけてくる。
『長く長く月日が流れて』
『城は靄にのまれ朽ち、恨み辛みすらも塵となった頃』
『その頃には、城の外の周りが、幾分かは栄えているだろうの』
その瞳は、愁いなどではなく、にんまりと三日月型になっていた。
「……」
「ねぇ」
「……」
「ねぇ、どうしたの?やっぱり具合が悪い?」
隣の娘に心配そうに声を掛けられ、
「……、あぁ、いや」
大きくかぶりを振り、自分が城を見上げたまま、じっと、娘に訝しがられる程には長く押し黙っていたことに気付いた。
「その、……城の中に、喫茶室などもあると聞いていたけれど?」
そんな問い掛けには、
「もう一番先に閉まっちゃってるよ」
娘は目を見開いた後、肩を竦めて笑う。
「その、この混乱に乗じて、城の中の者を持ち出す火事場泥棒のような人間は居ないのか?」
「お城の人間に、ほんの少しはいたみたいだけど、……」
口を噤む。
「……?」
「なんか、変な倒れ方してたって。みんな、お城のものを持ってたって」
娘にすら伝わっているということは、その火事場泥棒は、この街からすら出られずに、最期を迎えたのだろう。
あと、気になるならお墓はあっちだよ、と森の方を指さして教えてくれる。
老婆が喉が乾いたと訴えて来たため、メニューも珈琲と焼き菓子だけを出している、老人が1人で開いている喫茶店で茶を啜り。
その日は、宿の狭いベッドで眠った。