3羽目
足りなくなった狩りの道具は、宿の方で仕入れてくれ、森の奥に籠り、そのまま一晩明かして、狩りをすることもあった。
「とても助かります、報酬は弾ませて貰いますので」
「いや、趣味に近いものだし、毛皮などの剥ぎ取りも手伝ってもらっている」
肉も、ここに泊まりに来る宿泊客には、食べ慣れない肉に敬遠されるどころか、
「目新しいです」
「初めて食べたわ」
と好奇心いっぱいの客の評判は案外いいらしい。
それらを含め、何といったか、そう、持ちつ持たれつ、だ。
それでも、主人は上品に微笑むと、
「その貴重かつ勇敢なご趣味のお陰で、私達の宿を回せることが出来ているのですよ」
「……」
森には、熊に鹿、たまに数匹で、群れで行動する小柄な狼もいた。
自分はとくに大型だけを狙い仕留めていたけれど。
群れの狼たちをどうやって仕留めるかなどは、考えるだけでも楽しいものだった。
宿にいる間に、字の上手なメイドに代筆を頼み、あの娘たちに手紙を書いた。
ここならば、手紙を預けられる伝もあるし、自分が、あの山小屋から旅に出たことも伝えたかった。
どれくらいかかるのだろう。
「最近は、猟師様のその勇姿を眺めるために、宿に泊まられるマダムもいらっしゃいます」
主人の言葉にハッとし、
「おい、面白くない冗談はやめてくれ」
止まっていた手を動かすと。
主人は、冗談ではないんですが、と今度はおかしそうに身体を揺らして笑うと、こちらの聞きたかった、街へ仕入れに行った話を、食事がてら聞かせてくれる。
「ご依頼の通り軽く様子を伺って来ましたが、大道芸は初日から連日大盛況の模様です」
宿の主人になら話してもいいだろうと、むしろ、
「なぜあなたが大道芸の事を気にする?」
と訝しがられないためにも。
行商人が、大道芸を意識して避けていたと話した。
宿の主人の整った眉が、ちらと上がる。
「自分は、とくに俗世には疎いのだけれど、あの集団は、確か、身寄りのない子供たちも預かっているのだろう?」
行商人や、屋敷の執事からも聞いた。
「えぇ、そうですね。ごく稀に親がいても、自ら志願する子もいるそうですが……」
それは。
言葉が止まると、メイドがおかわりの肉を運んできてくれた。
自分にだけ特注サイズにしてもらっている。
わりとどんな肉も使ってもらえるけれど、狼の肉だけは、どうにも処理しきれずと、家畜の豚に与えてると聞いた。
こちらは有り難く、丁寧な味付けをされた鹿の肉を噛みつつ。
色々な世界があるのだなと、解っていても不思議に思う。
そして大道芸にも、それに志願する子供にも。
(……色々な、事情があるのだろう)
「……」
自分の父親は、最期まで、息子がこんなにでかくなっても尚、息子の心配をしてくれていた。
目の前の細身の身体に似合わず、わりと肉を食べる主人も、
「うぅん、そうですね」
運ばれてきたワインを礼を言って受け取ってから。
「推測でしかありませんが、その大道芸の方は、本当に善意なのでしょうね。行商人か旅人にくっついてる、異国の小さなお嬢様。大道芸は大きな国へ向かいますし、客も多い。手がかりも桁違いに掴みやすい」
確かに。
問題は、娘がそのお節介を心から望んでいないこと。
本人曰く、親は勿論おらず、家すらもない山の中の出身だと話していた。
それを信じるかはともかく、自由奔放な娘が、勘違いの善意で追い回されるのは、たまったものではないだろう。
自分を腹一杯にさせてくれる貴重な宿の食事を終えると、暖炉が暖かく開放的なロビーの一席に誘われた。
少し離れた席で貴婦人たちが、一足先に食後の茶を優雅に嗜んでいる。
目が合えば微笑まれ、おっとりとした立ち振舞いは、姫を思い出す。
「あぁ、そうだ」
そう、獣は減り、宿も安定して客をもてなせる程にはなってきている。
「そろそろ、特にこちらに害をなす熊、狼、好戦的な鹿に限っては、出てこないと思う」
ここ数日はもう、自分の肉のためと宿に卸すための兎などの狩りになってきた。
「それはそれは」
本当に感謝します、と頭を下げられた。
珈琲を運んできたメイドにも、深く頭を下げられ。
そして、主人には察し良く悟られる、出発の時。
「帰りも是非お立ち寄りを、そして長き旅のお話を是非聞かせてください」
「あぁ」
目的地となる青のミルラーマまで、どれくらいかかるのだろう。
娘は、石の街、という場所までは徒歩で向かったと聞いた。
ひたすら、川沿いに進めばいいとも。
まぁ、そこに辿り着くまでも、まだまだ先なのだけれど。
数日後。
主人とメイドに見送られ、宿の敷地を抜ける。
悪阻で調子が良くないと奥で休んでいる、初日に案内してくれたあのメイドまで出てきて挨拶をしてくれた。
辛そうなのは気の毒だけれど、無事に生まれることを祈るばかり。
「実はあちらに見える山は、大きな落石があって、どうにもならず、雪が溶けたら、何とかしようと思っていたんですが」
が?
「その岩が雪か何かの切っ掛けで落ちたらしく、通り抜けられたと言って、あの行商人のご一行様が、雪山からやってきたんですよ」
「……」
どんなに鈍い自分でも、さすがに察した。
あの2人と1匹が、何かしらをしたのだろう。
言わないだけで、恩にも着せようとせず。
またいつかと手を振り、大きく迂回しつつ山を上がって行くと。
「ピチッ」
「なんだ」
「ピチチッ」
「?」
肩に留まった桃色鳥に何か主張されるも、何を言われているかは全く分からない。
ただ、森の奥の低い山にある、熊の寝床の場所を教えてくれたり、客の貴婦人たちに声を掛けられた時に、ピチチッと無駄に愛想を振り撒いてくれ、非常に助かったりはしていた。
「……?」
何か訴えていた桃色鳥は、いつもは肩にいるのに、意図が通じないと解るなり、胸元に無理やり潜り込んできた。
(あぁ……)
これ、か。
この山の、空の不穏さ。
何かあるのだろうけれど、何も分からない。
「なるべく早く抜けるから、我慢してくれ」
雪がなければ、そうそう難しい山ではないと聞いた。
馬車で道は限られるけれど、詳細な地図も男に借りている。
その大きな山を抜ける途中、旅人にすれ違った。
「先の道が通れるようになったと聞いてね、あっちの道から?おぉ、噂は本当みたいだ、助かるよ」
中年ぐらいの夫婦らしい。
甘味を渡すと、とても喜ばれた。
桃色鳥からは不穏な空気を出されるけれど。
「こちらは大したものがないから、情報を渡すわね。先のお城のこと、知ってる?」
「……黒い城、の話ですか?」
「まぁ、黒い城なんて呼ばれているのね、そう、多分そこ」
と鞄から紙を取り出す。
「これね、少し森を迂回するけれど、馬車が通れる道があるから、用があるんじゃなければ、避けた方がいいかもしれない」
私たちはもう必要ないからと、地図を貰えた。
「城に、何があるんですか?」
「いや、人がどんどん出ていっているんだよ、馬もなんか萎縮しちゃって入りたがらないと聞いた」
この夫婦も、行きは少しの違和感を覚え、帰りは、別の旅人に聞いて道を迂回したと。
「手前には小さいけれど村があるから、城の街で買えないものを買い足してね。大丈夫よ、最近、大爪鳥が城からそっちの村に来てるから」
おぉ。
「情報、助かります」
「お互い様よ」
「気をつけてな」
手をあげてすれ違う。
行商人と娘に城の話を聞いたのは、わりかし最近の話なのに、もうそんなになっているらしい。
「……」
迂回。
そうだ。
迂回するのが正解なのだろう。
「逃げるが勝ちの」
あの娘のにんまりとした笑みが容易に浮かぶ。
けれど。
「……」
地図に目を通し。
いや。
城までは。
「まだまだ、先だ」
まず無事にこの大きな山を超えて、村へ辿り着かないと。
「もうね、宿がパンクしそうだよ」
「おぉ……」
「城に来ていた大爪鳥便がこちらに来てくれることになってさ、助かるけどね」
小さな村が並び、鍛冶屋の村へ辿り着くと、村には簡易な小屋が作られている途中で、
「口伝てで来てくれた建具屋さんかね」
村沿いの道で他の人間たちと話していた、全体が四角いフォルムの口髭が立派な老人が、その身体のわりには身軽に駆けてきた。
ただの旅人だと答え、それでも話を聞かせてもらうと、
「いやぁ、離れた場所にある城のある街から、どんどん人が出て、どうやら逃げて来ているんだよ」
「……」
「理由はなんとなく、気分が重いとか、体調が優れないとかで、試しに城門の外へ休暇がてら出てみたら、気分がすっかりよくなり、徐々に、城に何かあるんじゃないかと言われるようになったらしい」
「……あぁ」
『黒き城』
娘の書いた言葉を思い出す。
楽しそうに目を三日月型にし、教えてくれた。
『お主はとかく無垢で善人だからの、あそこに立ち寄るなら「あてられないように」気をつけるの』
「……黒い城、のことですか?」
「黒い?いやいや、真っ白な城だ、でも、はは、そんな風に言われているのか……」
老人が溜め息がてらに笑う。
「しかし旅人さんか、急ぎでなければ、その恵まれた体躯を見込んで、少しばかり手を貸してくれぬかの」
仰ぐように見上げられ。
「俺で良ければ」
力だけはあるつもりだ。
村の住人や、こちらにやってきた城下町に住んでいた街の人間等と、木を切り重ね小屋を建て、たまには狩りに出て肉となる獣を狩り、何を考える間も無く日々が過ぎていく。
夜は、老人の家で寝泊まりさせてもらった。
老人の部屋の、元は亡き妻が眠っていたというベッドは、案外寝心地が良く。
向かいのベッドに寝る老人の気配に、少し父親を思い出したりした。
自分がこの村に辿り着いてから、たった数日で懐いてくれた老人の孫娘が、
「宝物」
と見せてくれたそれは、小さな愛らしい手帳で、
「とても可愛いな」
「でしょ」
花の国で、あの娘も色々と小物を、店先で選んでいたなと思い出す。
「それは、先の城の土産か?」
「ううん、お爺ちゃんが、旅の人にね、交換して貰ったんだって」
「ほぉ」
雨の日は老人の鍛冶屋の仕事を手伝い、晴れた日はまた小屋を建て。
「度々申し訳ない、隣の、布の村でも少し手を貸してもらえぬかの」
こちらはもう大丈夫だ、世話になったと、頭を下げられたのは、村に着いてから、どれくらい経ってからだろう。
布の村だと言うけれど、仕事柄やはり女性が多く、力仕事をする人間が足りなくなっていると言う。
「では、明日には向かいます」
「……あぁ、寂しくなるな」
老人の部屋で、孫の手帳の話を聞いた。
花の国の華やかなものともまた違う、慎ましやかな愛らしい柄の手帳だった。
「品物を卸すための仕事からの帰り道に、城に寄ろうとしたら馬が嫌がってしまってな、馬を置いていけばよかったんだけど、わし自身も、城にどうしても入れなくて困っていたんだよ。
そしたらば、まぁ遠くから旅をしている様な、若い男と、風変わりな小さな娘と、あれだ、またなんとも珍しい狸も連れててな」
「……、えぇ」
感情を出さないようにするのに、少し息を吐き出す。
「孫と似た年頃だし、もしかしたら何かと思って駄目元で声を掛けたら、その小さな娘が、黙ってあの手帳を出してくれたんだよ」
と小さく笑う。
「それは、良かったですね」
あの、しんとした無表情で、差し出す姿が容易に想像できる。
「あぁ。……でも今思うと」
打って変わって老人の大きな溜め息。
「……?」
「あの手帳は、あの子にとっても、大事なもの、大事にしていたものだったんじゃないかなと思っての……」
孫に土産を、と必死になるあまり、あの子の気持ちまで考えが至らなかった、と短く太い指を合わせる。
重い、後悔の空気が部屋を覆う。
(……)
実際、どうだったのだろう。
それは、その時の娘にしか分からないことで。
けれど。
そこに、若干の迷いもあったけれど。
「……その」
「?」
「これから俺が話す事は、あなた心だけに、留めて置いて欲しい」
と強く念押しした上で。
同じものではないけれど、その彼女と思われる小さな娘は、花の国の店先で、あれに似た華やかな手帳や、髪留めを目移りしながら、とても楽しそうに選んでいた姿を見掛けた、と話すと。
「なんと?」
老人は身体を揺らして驚き、言葉を止めたあと。
こちらの頷きに、
「……あぁ。そうか、そうか……」
良かった、良かったと老人は、大きく大きく息を吐き出した。
口許だけでなく、顔一杯に大きな笑みを浮かべて。