2羽目
若い女は、狼を連れていた。
「こんにちはっ」
と明るく声を掛けてきたその若い女は、
(おぉ……)
あの行商人の男と同じ国の出身と思われる髪の色、ほんのりと色づいた肌の色。
「あぁ」
だいぶ愛想のない返事をしてしまったが、若い女は気にした様子もなく、隣を借りたいと告げてきた。
「もちろん」
ここは誰のものでもない。
強いて言えば小麦の国のものか。
若い女は慣れた様子で天幕を張り、その手早さに感心していると。
『……』
「おっ?」
狼が目の前に立ち、しかし、じーっと見ているのは、得体の知れない自分を怪しんでではなく、こちらの焼き始める前の肉だった。
「こーら!」
そして、もう涎も滴しかねん勢いの狼を、若い娘が嗜め、
「明日には家に戻れるでしょ!」
背後からの娘の剣幕に、狼は下げた尻尾を緩く振り、未練がましくこちらを振り返りながらも、トボトボと天幕へ向かい。
その頭まで落とした姿は。
あの小さな娘に、酷く冷めた眼差しで見つめられ、泥で汚れた身体を縮こませていた狸の姿を思い出し。
「良かったら一緒に。……君は生肉のままがいいのか?」
と声を掛けると、狼がぐるんっと振り返り、尻尾を振りつつやってくる。
「あーもうっ!うちの子がごめんなさいっ!」
生肉を少しだけいい?と拝まれ、
「あぁ、小麦の国でまた買い足すから大丈夫だ」
塊をそのまま置き、荷台から新しく出すと、
「わっ、こんなにいいの?ありがとう!……変わりにもならないけど、私が知ってることは何でも教えるよ」
尻尾を振りながら、早速生肉にかぶり付く狼を苦笑いで見つめながら、若い娘が目の前に、地べたにあぐらをかいた。
そんな若い娘から見ても、自分が駆け出しの旅人なのは分かるらしい。
「幌も馬車もピカピカだもん、肉を置いてるお皿もね」
そうか。
我ながら解りやすい。
そして、
「国までは本当にもう少しだから、慣れた旅人なら夕暮れでも、このまま国まで突っ切っちゃうの、でも知らない人はここで泊まるから」
と。
若い女は、
「粉を卸した向こうの村で貰ってきたの」
と芋をゴロゴロ出してくれ、湯を沸かし始める。
知りたいこと聞きたいことは色々あるけれど。
(そうだな)
「……最近、楽しかったことは何かあるか?」
と、訊ねてみる。
若い女は、面食らうかと思ったけれど、
「そうだなぁ。最近、一番の友達が結婚したの、小さなパーティーがあってね。
この子が頼まれて、お祝いの花を咥えて友達と旦那さんの元へ歩いていったのが、誇らしくて嬉しかったな」
あっさり答えてくれる。
「それは、とても素敵だ」
「そうなの」
肉を半分ほど食べた狼は、得意気に胸を張り、また生肉にかじりつく。
肉を切って焼き、皿に移したものを娘に出すと、
「えっ?私までいいの?」
と嬉しそうに手を伸ばし、
「そうだ、嬉しいと言うか、ヒーローみたいな人たちに会えた」
「ヒーロー?」
王子、ではなく、英雄、だったか。
「最近でもないけどね。
この子のために、悪路を選んでいたら車輪が見事に壊れちゃって。
その時は一人前の試験も兼ねていたから。どうしよって思ってた時に、巡回してる鳥がいてね、迷ったけどさ、たまたま会ってご飯食べて、それで別れたばかりのその人たちに助けを求めたの」
「……おぉ」
娘の人選に驚く。
「あはは、確かに私も少し冷静じゃなかったかも。でもその時はね、なんのしがらみもなくて、ただたまたま一緒にご飯食べただけの人たちが、どうしてか分からないけど、凄く助けてくれそうな気がしたの」
勘だろうか。
「そしたら、やっぱりすぐに来てくれてね」
それは頼もしい。
「その人は、自分が散々失敗した話とかもしてくれて、慰めるよりもたくさん笑わせてくれたの」
あぁ、それはいい人だ。
「うん。それで、車輪を直したら、自分達も先を急ぐからって、それっきりになっちゃった」
随分とあっさりだ。
「そう。旅をしている人はね、旅人ならまた会えるからって、みんなあっさりなんだって」
「またの」
またしても思い出すのは、あの小さな娘の挨拶。
そうだ、あの娘も旅人。
軽い挨拶にも、やっと合点が行く。
「それでね、一からやり直しになっちゃうけど、結局、正直にパパに話したの。人に助けを求めたって」
「あぁ」
素直な子だ。
「でもね。人に助けを求められた、お前を助けてくれる人間がいたことも、運であり実力だって、一人前と認めてくれたの」
「いい父親だな」
「そう。優しくて甘い父なの」
屈託なく笑う娘と裏腹に、隣の狼はなぜか尻尾を落とし、肉を止める口を止めている。
「……?」
「あらら」
娘は小さく肩を竦めると、
「この子、ちょっとプライド高くて。最後まであの人たちにお礼を言えずに別れたことを、未だに後悔してるのよ」
「そうなのか。……」
けれど、きっとまたいつか、と慰めかけ。
礼。
礼を、伝える。
狼が。
確かに、言葉が通じなくとも、伝えることくらいは出来るけれど。
娘のそのニュアンスは、この狼が、
「伝えられたのに、伝えなかった」
そう聞こえる。
「……この狼が、言葉を伝えられる相手だったのか?」
狼の背中を撫でる娘を見ると。
「そう、そうなのっ。可愛い狸、私、初めて見たっ。もう毛がふわっふわで、ちっちゃい目はクリンクリンで、この子より毛が何倍もすごいの!
でもね!一番はなんと、ちゃんとお座りして前足でご飯を食べるのっ!」
信じられる!?
と。
そうか。
(やはり、そうか)
「……小さな娘もいただろう」
「いたいた!びっくりした!あんな真っ直ぐな黒い髪も、ママが一番大事にしている宝石の色みたいな目の色でさ、着てるドレスも、あんなの見たことないっ」
若い娘が前のめりで捲し立て、
(お、おぉ……)
こんなかしましい娘もいるのだなと、また1つ世界を知る。
姫も、メイドは勿論、確かにあの娘も、山の中では獣を追って走ったり、階段から飛ぶような賑やかさあったけれど、普段は、通じない言葉も動作も、嵐の来る前の山のように、絶えず静かだった。
「あなたもあの人たちを知ってるのっ?」
「……花の国で、少し話をした」
嘘は言っていない。
「えっ!?そうなんだ!まだいるのかな?」
頬が僅かに赤い。
「いや、別の国へ旅立つと、出て行ったばかりだ」
娘の勢いにたじろぐと。
「そっかぁー……あーあ……」
空を仰ぐ娘。
リアクション1つ1つが大きい。
姫とはまた違った解りやすさがある。
「またいつか会えるかなぁ……」
狼が小さく小さくバゥ、と鳴く。
「……そうだね」
旅を続けてれば、会えるよねと、娘が狼にしがみつく。
(あぁ……)
その、しかし切実ささえ感じる言葉は。
そう。
そうだ。
(いつか、会える)
自分の腹の底にまで、心強く響く。
荷台で一晩明かし、娘の案内で小麦の国へ向かう翌朝。
どこかしらから、焼けたパンのいい香りが漂ってくる。
娘にうちの店に寄ってよと誘われるも、丁寧に辞退させてもらい別れた。
馬車で街中を進み、花の国と比べると、こちらも賑やかさなどは段違いで落ち着いているけれど。
(自分には、これくらいがちょうどいいな……)
まずは組合に顔を出し、行商人の男に言われている通り、少額だけれど寄付をする。
次はどちらへと聞かれ、隣の村へ、それから山にある湖畔の宿へ向かうと答えると、
「ならば隣の村まで、手紙を運んで貰えないか」
と頼まれた。
簡単な仕事のため、引き受ける。
組合の隣の馬車の修理屋で見て貰うけれど、まだ大丈夫だと。
山道を越えるなら、荷物になれども余分に車輪を持てとも教えられる。
そして荷台はまだまだ大丈夫だけれど、馬の蹄鉄がしばらく代えられていないと教えて貰い、出発前がいいだろうと、明日、寄らせて貰うことにした。
曇り空の翌日。
蹄鉄を替えてもらい、小麦の国の端の小さな村へ向かうと。
雑貨屋を見掛け、花の国で買っていた、小さく色が鮮やかな装飾品を、少しばかり、
「卸す」
と、とても感謝された。
しっかり包装を頼んでいた皿なども、すぐ隣の店で何とか割らずに卸すことが出来て安堵する。
小さな村は、国に貢献しているわりに、娯楽に関してはどうしても割りを食っていると、行商人から聞いていた。
宿は一軒。
馬ごと荷馬車と預け、手紙も宿の人間に渡してくれればいいと言われていたため預け、肩に小鳥を乗せたまま小さな村を少し歩く。
小麦の国をそのまま小さくした感じだ。
そう言えば、小麦の国の城を見忘れたけれど、そもそも、あまり城には興味がない。
(色々見た方がいいんだろうけどな……)
夕食時に宿に戻ると、
「おぉ……」
大きな皿に、これでもかと盛られたパン。
こちらも深く大きな皿に並々注がれたとろみのついたスープ。
「村に色々卸してくれたと聞いて。私たちにはこれくらいしかできないけれど」
「いや、とても有り難い」
桃鳥も勝手にパンをつついている。
宿の近くの風呂場を借りた。
個室の浴室まで付いてくる桃鳥。
桶に湯を張ると、
「ピピッ」
ご機嫌で湯浴びを始め、自分も頭から湯を掛け、身体を洗う。
狭い脱衣所の棚に留まり、
「ピッ」
乾かせと告げてくる桃鳥に手の平を向けて風を出すと、
「ピィッ!?」
勢いがありすぎたようで、そのままひっくり返った。
「おっと、悪い……」
「ピッ!ピィッ!」
起き上がり、片足をトントンと突いて、どうやら文句を言っているらしい。
たまにあの短い4つ足で地団駄を踏んでいた狸を思い出し、つい笑ってしまうと、
「ピーッ!」
尚更怒らせてしまった。
小さな村から出発し、小麦畑にいた人も徐々に減り、川が見えてきた。
今日も曇り空。
馬たちは蹄鉄を替えたせいか、どことなく張り切って歩く空気が伝わってくる。
「ええと、こっちか……」
簡易な地図を眺めつつ、ひたすら山へ向かう。
小麦畑の中に立つ高い木の下で1泊。
翌日、また橋を越えて、山の中へ向かうと、やはりホッとする。
こちらからはわりかし近いとは聞いていたけれど、旅慣れぬ自分には十分な距離となり。
「あぁ……」
山の中に建物が見えた時は、肩で大きく息を吐いていた。
メイドと、一度見たら後々まで印象に残る、細身の洒落た三つ揃いを身に付けた宿の主人が出迎えてくれ。
2棟ある建物のうち、グレードの低い方をと頼んだけれど。
今は客が少ないし、宿泊費はグレードの低い方で精算しますから、メイン棟に是非と進めてくる宿の主人の言葉に。
「……俺は、何か仕事を頼まれるのか?」
訊ねると、これは話が早いと言わんばかりに目を細め、
「この宿は、どなたからお聞きに?」
とロビーのソファに案内され、すぐに珈琲が運ばれてきた。
「……とある、行商人に」
と答え。
少し、木の実の匂いのする珈琲は、
(これは、美味いな……)
「行商人様、ですか」
「少し、遠くから来たと話していた」
襟にも凝った刺繍のされた上着に、緑の絹のハンカチを胸ポケットから覗かせている宿の主人は。
しばらく目を宙に泳がせ。
「……直近でいらしたのは、遠い遠い異国からのお客様でしたね」
あぁ。
「そうだ。いい宿だったと聞いて」
「それは有難いお言葉を」
丸眼鏡越しに目を細める。
「……たまにこき使われることもあると」
続けた言葉に、
「……ははっ!」
主人は声を立てて笑い、
「失礼。いや、敵いませんね」
と、その敵いません、は、あの男に向けてのものだろう。
主人は、息を吐いてから、
「……冬眠明けの獣が、今年はやたらと多くて」
困った様に眉を寄せる。
「あぁ」
常連様を危険に晒すわけにも行かず、まだ宿泊のご案内も出来ず仕舞い。
すでに2人程、ハンターを雇っていたけれど、向こうも毎年の別の場所での仕事があり、契約が終わってしまい、次のハンターが来るまで、少し困っていたと。
「どうしてか、今年はだいぶ遠い山からも、なぜかこちらに向かってきている様で」
なぜだろうか。
しかし、事情だけはわかった。
困っていることも。
仕事の了解はしたけれど。
「自分は、宿の食事程度では足りない。狩った獣も出来れば解体も調理したいし、やはり調理台のある部屋をお願いしたい」
の言葉に。
「それは勿論。では、お茶くらいは、こちらで是非」
「あぁ」
メイドに案内され別棟へ向かうと、
「お2人方と、お狸様はお元気でしたか?」
静かな声で聞かれた。
「とても。また遠くに旅をするらしい」
「まぁ。私たちも、また来てくださる日を楽しみにしているんです」
別棟とは言え、1人なら十分な大きさで、自分の身体でも、ベッドも寝返りが打てる幅がある。
一室に調理台とベッドが纏められてはいるが、
「おぉ……」
湖畔が一望できるし、1階なため窓からも出入り出来る。
解体は、森に近い裏側に井戸や大きな桶なども揃えていると。
メイドが一礼して出て行くと、
(弓銃か、弓か……)
迷い、弓銃を片手に、窓から外に出る。
泥濘に、まだハンターのものらしき足跡が残っている。
ほんの数日まではいたらしい。
そしてこんな、一見敬遠、警戒されるであろう見た目の自分でも。
あの行商人、娘、狸のお陰で、自分には、だいぶ分不相応なこの宿ですらも、宿の主、メイドからといい、当たりが、信頼が、全く違う。
姿はなくとも、おんぶに抱っこだ。
湖畔の奥へ奥へ向かうと。
「……」
獣の。
しかも、大物の気配。
(あぁ……)
彼等には、感謝しかない。
自分の、
「大きな獣と対峙したみたい」
その願いすらも、いともたやすく、叶えてくれるのだから。