12羽目
早朝。
なるべく静かに受付まで向かい、借りた絵本と木の札を返すと、そこに小さな兎の置物を入れた袋を置き、外に出る。
さすがにまだ街は静かで、
(晴れそうだな……)
雨に足留めされずに済みそうでホッとする。
「早いな」
若者の道具屋はもう開いていた。
声を掛けると、
「その分夜は目茶苦茶早く閉めるからさ」
火を点けるための石も買い足し、
「珈琲の道具一式?あるよ」
もう使ってくれてるんだなと、背負った革の鞄を見て、少し照れ臭そうに笑う。
「帰りも寄ってくれよ」
「あぁ」
「良い旅を」
と送り出され、荷台置き場兼馬舎の広場へ向かうと、
「お?早いな」
広場の男が煙草を吹かしながらやってきた。
「馬の蹄鉄は、まだ大丈夫だ。車輪も問題ない」
「わかった」
馬が連れて来られ、
「これから祭りで忙しくなるのか?」
訊ねれば、
「そうそう、最近は祭りを年に2回にするかなんて話もあるんだ」
と苦笑いしている。
それは、街が潤っている証拠なのだろうか。
「またな」
「あぁ、また頼む」
石の街に別れを告げると、徐々に太陽が昇ってきた。
「……」
大の大人でも馬車でなければ向かわぬであろう、ひたすら蛇行する川沿いのこの道を、あの娘は歩いてきたのだ。
「凄いな……」
あの小さな身体で、小さな足で。
淡々と淡々と。
「お……」
早朝から、大爪鳥が、山を越えている姿が見えた。
大爪鳥の後ろには小さな、大爪鳥に比べれば、小さな鳥が飛んでいる。
修行中なのかもしれない。
「ピチチ」
金具を足首に付けた桃鳥が、自分もそろそろ行くと、肩から離れると、ホバリングしている。
「あぁ、頼む」
「ピチチ」
軽々とほどほどの上空まで上がれば。
「ビュッ!!」
と弓銃の矢の勢いで飛んで行く。
(……いつ見ても凄いな)
なだらかな川の道沿い。
空は曇るけれど雨は降らず。
桃鳥は金筒を届けた場所で一泊するため、しばらくは1人。
「……?」
脇道を見掛け眺めると、だいぶ遠くに馬車が見えた。
(あぁ、例の牧場か)
大爪鳥が向かった到着地点。
伝わるか分からないけれどこちらから手を振ってから、また進む。
馬に水を飲ませ、排泄を促し、先へ先へ。
陽が暮れる前に川沿いに馬車を停め、伸びをしていると、
「……」
先の少し高い木に目が止まる。
『フーン』
『の?もう疲れたのの?』
『フーン』
『先刻食べたばかりであろう』
『……フーン』
『仕方ないの』
木の下に敷物を広げ、ぺたりと足を放り座り込む娘と、もさりと隣に寄り添う狸。
今、自分が見ているのは、あの木の残滓か、願望か。
なんでもいい。
自分の見せている都合のいい幻想でも、自分に感謝する。
あむあむとあのおにぎりと言うものを食べている1人と1匹は、やがて寄り添って眠る。
「……」
木の下まで向かってみたけれど、そこには何もない。
夜は何だか眠りが浅く、そんな自分にすら驚く。
『青のミルラーマはただの山の、何もないの』
『フーン』
解ってはいるのだけれど。
ーーー
到着したその村は。
あの娘からは小さな村と聞いていたけれど。
(小さく纏まった街だな)
そもそも、何を街とし何をもって村と言うのだろうか。
村には若者も多く、茶屋もあれば、服屋なども並んで開いている。
まだ新しい匂いのする簡易な小屋がいくつも、村の、森に近い特にこちら側に建ち、井戸からの水を頭から被る半裸の男に声を掛けると。
「お?」
腰巻き1枚でやってきた明るい髪色の男は、
「あなたに、届け物がある」
と迷いなく言えるくらい、この男は、あの喫茶店の娘とそっくりだった。
男にしたらこうなるだろうと思うくらい、髪色も同じ。
「そうそう、別に双子じゃないんだけど、なぜかそっくりなんだよ俺たち」
わざわざ悪かったなぁ、もう帰るのにさぁ、とそれでも嬉しそうに、手紙を受け取る。
「ありがとう。俺、筆不精なのもあってさ、もうすぐ帰れるからって手紙書かなかったんだ」
ばつが悪そうに苦笑い。
結構な時間、連絡を断っていたのだろう。
それより。
「もうすぐ帰れる、と言うのは?」
「あぁ、熊のかなり数減らせてさ。……あ」
と、詰まったように言葉を止められたけれど。
「いや。俺は、討伐のために来たわけではない」
否定すれば。
「なら良かった、もう報酬も分けられてるからさ」
安堵したような苦笑い。
「儲かったか?」
「バッチリ!」
と大きくポーズを取る。
それは何よりだ。
気がかりだった仕事の1つを終え。
村の中。
行く先々で、馬舎で、宿で、毎度狩人と思われ、その旅に否定していると、
「ピチチッ」
「お?」
予定よりだいぶ遅く、桃鳥がふわっと肩に降り立った。
しかも。
「……」
また、金筒を付けている。
宿は、やってきた岩の街の方からすると対面に位置した、青のミルラーマ寄りに1軒だけ。
「獣も一緒で大丈夫ですか」
訊ねれば。
宿の女将は、
「えぇ、大丈夫よ。宿は勿論、隣の風呂も一緒に入れるから」
洗い場までだけどね、と、獣連れは珍しくないらしい。
確かに風呂にも浸かりたいけれど、それより。
部屋に案内されると、その場で鳥の金具を外し、背負った荷物もそのままに手紙を取り出す。
「……あぁ」
思わず大きな息が漏れる。
やはり。
あの男、行商人からの手紙だ。
何より、待ち望んでいたもの。
『自分達は、花の国から、牧場にたどり着いた。
そこから南へ向かって海を眺め、彼女の魔法の手懸かりを探しに、東へ向かうことにした。
船でも10日程かかるらしい。
彼女も狸の彼も元気にしている。
彼女は、たまにでもなく君の事を口にして、気にしている様子だ。
今も、君に向けて一生懸命に絵を描いているから、正直、少しだけ嫉妬している』
「……」
『君の旅路は、自分には到底成し遂げられないことで、心から尊敬する旅路だ。
本当の本音だ。
俺もまだ見たことがない、石の街の先の村の事や、青のミルラーマの事を、また教えて欲しい。
花の国に戻った際には、姫や執事、メイドたちにもよろしく伝えてくれるとありがたい』
捲ったもう1枚の紙には。
「……とても絵が上手くなったな」
器に、何か半円形の丸いものが乗っている絵。
もう1つは、雨雲ではなく、あの狸だろう。
そして。
まだ金筒になにかあると取り出せば、思わず喉が鳴る。
あの娘には。
(何か、何が視えているんだ……)
金筒の中には小さな封筒と、その中身は、1本の長い黒髪。
「……」
大きく息を吐く。
『青のミルラーマの、我のいた谷底まで降りる?……そうの、そもそも馬車は到底無理であるからの、身体1つで、ふぃーりんぐ、で降りるの』
『フンフーン』
簡単だ、とでも言うように狸が鼻を鳴らしていたけれど。
山は遠目から眺めても、とても難しそうな険しい顔をしている。
受付に戻ると、女将がまだいたため、青のミルラーマには人が増えているのかと訊ねると、
「そうでもないわね。とにかく人に優しくない山だから。青熊がいなくなったと言っても、狩猟には適さないし、何より、あの山は山神様のお山だからね」
山神様。
「山神がいるんですか?」
少し食い気味になった。
女将は、ぱちりと小さな目を見開くと、
「ま、まぁ、ほら、ね。あまりに人に優しくないから。たまにね、そう言われるの」
少し困ったように笑う。
「……」
肩から桃鳥が、
「ピーチーチィッ」
早く報酬を寄越せと凄い圧を掛けてきた。
「組合で食べてきたんじゃないのか……」
「ビチィィィ……ッ!!」
耳どころか頭が痛くなる鳴き声。
そして、なぜか、
「それとこれは別だ」
と訴えていることまで解り。
「わかったわかった。……失礼。この辺で、甘いものを出してくれる店はどこでしょう?」
「喫茶店なら2軒あるけど、甘いものが特に多いのは。……あぁ、近いから案内するわ」
桃鳥とのやりとりをおかしそうに眺めていた女将と外に出る。
「村、村と聞いていたけれど、こう、とても垢抜けてますね」
「あらま、そう?」
女将の声のトーンが上がる。
「えぇ。獣退治の拠点と言われていたので、もっと殺伐としているとも思っていたので意外でした」
「もう少し前までは、元気なお兄さんたちが村を多く歩いてたけど、みんな世話になったってもう大半は帰ってるから」
やはり討伐にはギリギリで間に合わなかった様だ。
案内された大きな屋根のある店先のテラスは半分ほど席が埋まり、それでも中はいつでも空いてるわよと教えられ。
「……その、よかったら一緒に」
と誘うと。
「あらら?」
嬉しいわねと小さな目を、糸のように細めて頷く。
「途中からね、熊の出る森の山を越えた、大きな国が本格的に熊退治に乗り出してくれたんですよ。だからこっちは、逃げてきた少しの熊を仕留めるだけになったの」
少しとは言え、あの若者の傷だらけの武器を見れば結構な数だったのだろう。
木の壁に木のテーブルに椅子。
自分のいた小屋よりも木の壁は薄く、
(そこまで寒くないのか、雪も少ないのだろうな)
と憶測は出来る。
桃鳥が、メニューを真剣に眺め、
「ピチ」
これがいいと、やはり小麦の焼き菓子らしきものを選ぶ。
「これは、パウンドケーキですか?」
きちりとした格好の店主がやってきた。
村と言う呼び名が似合わない所以の1つ。
「そうですね」
「では珈琲と、マダムは何を?」
「あらやだ、マダムですって」
私は紅茶をと女将。
「失礼でしたか?」
女将の呼び名では失礼な気がしたのだ。
「恥ずかしいだけよ」
口許に手を当てる女将は、
「……狩人さんは、一体、どちらからいらしたの?」
桃鳥と、こちらの狩人か冒険者としか思えない格好がミスマッチらしく、首を傾げながら訊ねてきた。
「花の国からです」
「……花の国?名前だけ聞いたことある程度だわ」
ここまではそうそう来ないらしい。
「自分は、青のミルラーマを越えた先の村まで向かうつもりなんですが」
と伝えると驚かれた。
「えぇ?また、何の用で?」
と。
まぁそうか。
「花の国の使者で、この辺りの街や村を回っています」
と答えると。
「あら?……そう、そうなのね」
変わらずニコニコと笑みを浮かべてはいるけれど。
その一言で。
明らかに、
(警戒されたな)
テラスと違い、店内は静かで、珈琲を淹れるマスターにも声は聞こえている。
少しばかりの沈黙。
大きく息を吐くと、
「実は、自分は一時の間、黒髪の小さな少女と狸と共に、行動を共にしていたことがありまして」
こちらからネタばらしをすれば。
「……あらま?」
素で驚いているのは、間違いない。
「それで、あの娘の故郷を見てみたくて、ここまで来たんです」
そこは花の国とは全くの無関係で、自分が勝手にやっていることですと、続けると。
女将はこちらの顔をまじまじと見た後、
「……そう」
とふっと力が抜けるのを感じた。
「……元気にしてるのかしら?」
信じてくれたらしい。
「元気そうです、手紙が届きました」
あの娘の描いた絵の描かれた手紙を見せれば。
「あらら。かわいらしい、ケーキ?に……煙?」
「狸かと」
「あぁ、それよ、それだわっ」
胸の前で手を叩くと、それが合図のように珈琲が運ばれてきた。
パウンドケーキに桃鳥が、
「ピチッ♪」
ご機嫌にステップを踏む。
「あの娘の、お知り合いの方でしたか」
マスターも脇に立つと、手紙を見て興味深そうに目を瞬かせる。
聞きたいことは色々あるけれど。
それよりまず。
「……石の街でも、あの娘の存在を隠された様に感じたことがありました」
なぜですかと、女将とマスターを交互に視線を向けると。
女将とマスターが顔を見合せ、
「……あの娘は、あの山の神様なのだろうと、私たちが思ったからです」
マスターが口を開いた。
ある日突然。
小さな子がたった1人で、村に現れた。
誰も見たことのない、真っ直ぐな黒髪、赤い瞳。
僅かなほつれも見えない、見慣れないドレスを身に纏い、足を乗せるそれは、小さなまるで木箱。
希少かつ臆病ゆえに、人前に姿など一切現すことのない狸を従え、彼女はこの村に突然、現れました。
青い熊が消え始めたことは、少しずつ旅人などの話で伝わってはいたけれど、森のあの白い禍々しい靄がなくなり。
それを前後して山の方から現れたのは、とても小さな小さな女の子。
表情は乏しく、怯える様子もなく、親を探す様子でもなし。
とても小さいのに、彼女はとても旅慣れていた。
その一方で、人の食べ物などは全く馴染みがない様で、甘いケーキに目を輝かせていました。
彼女にとっては、ここは出発の村でしかなく、すぐに旅立ってしまったけれど、山のあの青い熊たちを制した者、そして白い靄をも消滅させた者。
どちらも、あの娘がしたことだろうと、我々は、推測からそう判断しました。
ほぼ間違いはない推測であろうと。
「……」
「えぇ。実は一度だけ村の者が見たのです。山を走り、彼女はわざと青熊を、旅人たちが山を抜ける道にまで誘導し、飛び道具らしきもので、熊を呆気なく倒していた姿を見たと」
「……」
「彼女はそのまま、急な崖に近い場所を、飛ぶように降りて消えていったとも」
外では、雨が降りだしてきた。
「……あの娘には、とても大きな力があります」
マスターが続ける。
「……えぇ」
「近い未来、善意であれとはいえ、彼女を取り込もうと思う人間や国なども、もしかしたら現れるかもしれない」
「……」
それは充分にあり得る話だ。
「けれど、彼女はそんなことは望んではいないでしょう」
「あぁ」
「なので、彼女が旅立った後。私たちは話し合い、山の近くに住む私たちだけでも、彼女の存在を隠そうと決めました」
「……」
そうか。
自分が警戒されたのも、国からの使役というより、彼女の事を探りに来たと思われたからか。
あの娘は。
「届いた手紙には、船に乗って、更に遠くへ旅をすると記してありました」
「ふね?」
マスターと女将が顔を見合わせる。
「川の舟かしら?」
「海だそうです」
「うみ?」
「大きな湖とは、聞いたことがありますね」
小首を傾げるマスター。
自分も、海はまだ見たことがない。
「気の向くまま、自由に旅をしているみたいです」
そう告げると、2人の安堵を含めたおかしそうな笑顔。
「それは良かったわ」
「何よりですね」
彼女のいた青のミルラーマは、
「熊は減ったけど、熊以外の大型の獣も多いから、相変わらず冬に急いで抜ける人たちがほとんどよ」
村人は特に、あの山は山神様のいた、あの娘の存在した大事な山として、人が荒らすことは避けたい、と無理に入ることはないと言う。
(青い熊、とやらはあの娘に果敢に向かっていったけれど、それ以外の獣は、あの娘におののいて、近付きもしなかったと……)
「山を抜けるなら、そうね。山の麓の、今は靄もないから、そこで夜を明かして、早朝から山に入って抜ければ、何とか夕刻には反対側の麓には行けると思うけど……」
先へ行った後は?
と聞かれ、
「報告も兼ねて、一度国に戻ります」
「ほぉ。旅は長いのですか?」
初めてだと答えると、とても驚かれた。
「いや、ベテランの風格がおありになる」
「赤子と変わりませんよ」
客が入って来た。
マスターが離れた席に座る客に注文を取りに行く。
「あの娘が居なくなってから、何か変化はありましたか?」
「そうね、白い靄がなくなって、森にも小さな動物が増えて来たくらいかしら」
「そこも、やはり山の一部なのですか?」
「そうね、一応はそうなるかしら。……あぁ、狩りをしたいのね」
すぐに合点がいったように頷かれる。
「その、失礼ながら、華やかであれどそう広くはない村で、自分が食料を買い漁るのはあまり……」
女将は、
「まぁ、気遣いさんね」
なら、熊の肉を持っていくといいわと。
あれなら今は余る程あるからと。
それは助かる。
マスターが戻ってくると、また夜にでも話を聞かせて欲しいと頼まれ、頷くと屋根の広いテラスへ出ていく。
「熊の大量の出現と言うのは」
「そうなの、あれはびっくりしたわ。
ミルラーマの麓に比べると少し小さいくらいの、それでも大きな森なのよ。
始めこそ、恐れられていたけれどね、青い熊より力もなくて、お肉にもなるし、離れた国からも、人が来るようにもなったから、そう悪いことばかりでもなかったわね」
そちらは青のミルラーマの山神、彼女がいなくなってから現れたと。
買い物をしていくと言う女将と別れ先に宿に戻り、手紙の返事を書く。
届くまでにどれくらいの月日が掛かるかわからない今、すぐに返事を書いても何の問題もない。
青のミルラーマを見てからとも思うけれど、どうにも気が急いていた。
黒い城のことは、書かずにおく。
無事に、花の国へ戻れたら。
姫に報告を済ませたら。
「……」
あの娘たちを追い掛けようか。
いや、せめて、姫の結婚を見届けるまでは、留まろうか。
もしくは、浮き島を探そうか。
自分は。
何をしたい。
何をしよう。
どこへ行きたい。
どこへ行こう。
「……」
気だけは逸るのに。
夕食時、女将のノックに起こされるまで、机に突っ伏して眠ってしまっていた。




