11羽
曇り空の下、宿を出て組合へ向かってみるも、小さな組合の中では、旅を始めたばかりりらしい、何か困った様子の数人とかち合い。
「急ぎではないからまた後で来る」
組合から出ると、そのまま石の街を歩いてみる。
今まで、個人的なトラブルと言うトラブルはなく、案外、恵まれた旅なのかもしれないと、遅蒔きながら気づかされる。
小鳥たちが甘いものを寄越せと両肩から主張が激しいけれど、
「さっき食わせただろう」
食事処が並ぶ通りに出たため、飾り気のない旅人や行商人御用達的な店に入ると、カウンターを勧められた。
肉がジワジワ焼ける匂いと音。
「兄さんも、あっちの村に呼ばれた口かい?」
カウンターの内側にいる男に肉を頼むと、愛想良く話しかけられた。
あっちとは。
無言で問えば、
「あっちの山の近くの村だよ」
自分の見た目で依頼されそうな案件は。
「……獣関係の話か?」
「そうそ、馬鹿みたいに繁殖力の高い熊が現れて、ここんとこ、ずーっと冒険者や狩人たちが村に向かってるよ」
山の裏手に当たる村にも、離れた国から人が派遣されて、長いこと討伐に当たっていると。
(大変そうだな……)
「はいよ、熊肉おまたせ」
分厚いステーキが皿に乗せられ。
(うん、美味いな)
肉もいいけれど、どうやら熊肉用に作られたソースがまたいい。
鳥たちにも、肉ならいいだろうとソースのかかっていない部分を分けてやる。
主人の言う山は、青のミルラーマのことなのだろうか。
山の近くの村。
気になるけれど、話を聞くよりも行ってみた方が早そうだ。
そう大きくない組合へ再び向かうと、人は捌けていた。
受付の若い女に、行商人の男から託されたコインを見せると、
「えーと、あら、ら?」
こちらとコインを見比べ。
あの行商人の代わりに挨拶に来たと答えると、
「そうですかぁ……」
ため息を吐き。
どうやら、あの行商人を悪く思っていない様子で、
「あのぉ、お元気でした?」
と聞かれ、頷くだけに留める。
(そうだ)
ここでも「寄付」と言う名のコインを多めに渡すと、
「ありがとうございます、確かに」
立ち上がり、奥にいる、ここのボスと思われる、そして自分よりもだいぶ年上と思われる男の元へ向かう。
眼鏡を外し、書類を眺めていた組合の長は、こちらを見て、
「あぁ、新顔さんだな」
ニコニコやって来た。
「はじめまして」
柔和な笑みに対して、とても硬い手に驚きつつ握手すると、
「旅人も行商人も、一期一会とは言え、やはり顔を見れなくなるのは寂しいもんだな」
小鳥たちは、カウンターの奥の止まり木、鳥たちの待機場へ向かうと、ピチピチ他の鳥たちに挨拶をしている。
「何か困ったことはないかい?」
新人だと分かると、親身に訊ねてくれる。
「今の所は。……青のミルラーマへ行きたいのですが」
「青の?またなんで?」
驚かれた。
「今は青熊もほとんどいないと聞くけれど。……あれは雌どころか、子熊でも狂暴だぞ」
「ほとんどいないんですか?」
「あぁ。少なくとも、更に山の奥へ行ったんだろうな。もうどれくらいだ、季節はふた回りはしてないくらいか、一見、穏やかな山になってるけれど、そもそも山事態が荒くてな、山を抜ける人間が滅法少ない」
「山を抜けた、先の村へ行きたいんです」
そりゃまたけったいなと驚かれる。
「仕事か何かか?村までは、なーんにもないから、とにかく食料を積んでけ」
小鳥を連れているせいか、やはり何か依頼だと思われている。
「はい」
「小鳥が付いているから大丈夫だとは思うけれど、気を付けるに越したことはない」
「はい」
組合を出ると、淡桃色鳥は、
「ピチピチ」
とその場でホバリングをして、そろそろ自分の所属する組合へ帰ると伝えて来た。
「あぁお疲れ、また頼む」
「ピチチッ」
一瞬で空へ消える小鳥を見送ると、
「少し早いけど休むか」
人疲れしているのは確かで。
旅を続けるならば、人の多さにも、慣れなければならないのだけれど。
「ふー……」
元々の性格もあるのだろう。
桃鳥用の寝床のクッションを机に置くと、
「……」
逃げるように眠りに就いた。
翌朝。
街の入り口に当たる荷台置き場へ戻り、岩の街の老人から引き受けた荷物を取り出し、
「よっと」
箱を積み上げて運ぶ。
街の入り口に近い店は、旅人用の雑貨屋だった。
「あぁ、代理の人?」
比較的若い男が、
「おわ、力あるなぁ!」
人懐っこく笑いながら、迎えてくれた。
「確認するから少し待ってて」
「あぁ」
その間、店を眺めさせてもらう。
小さな店内は天井近くまで道具が掛けられ、壁にもみっちりと鞄や丈夫そうな上着、石の束が袋に入り引っ掛けられている。
背中にしっかり密着しそうな四角い鞄を見掛け、
(狩りの時に良さそうだな)
ただサイズが小さくて背負えそうにない。
「でっかいのはこっちだよ」
じっと眺めていたせいか、若い男はわざわざ手を止めて革の鞄を見せてくれる。
せっかくだしと背負わせてもらうと、
「……いいな」
しっくりきて、
(あぁ……)
なぜ目に留まったか、思い出した。
先に眺めていた小さいサイズの鞄を、あの狸が背負っていたのだ。
少し笑ってしまうと、
「?」
若い男は首を傾げながら、
「中に仕切りもあるから、便利だよ」
「このサイズは、獣用か?」
小さい方を指差すと。
「獣?いや、小柄な、俺くらいの背中用だよ」
と、片手を振った若い男は、
「……あぁ、でも、一度獣用に売れたな」
思い出した様な顔。
「……そうなのか?」
「そうそ、狸、初めて見た。思ったよりでっかくて、でも可愛いかったなぁ」
なぜかおかしそうに笑う。
「狸?」
「いるんだよ、狸」
びっくりだよな、と笑う。
「狸は、その狸が、1匹で買いに来たのか?」
こちらの問いに、
「ん?……あぁ、その、いや。ええと、おっさんと一緒、だったかな」
僅かな動揺を見せて、肩を竦める。
多分でなく、あの狸だろう。
背負っていた鞄も同じだ。
若い男は、
「このシリーズさ、俺の手作りなんだぜ」
とニッと笑い、奥の作業場を指差す。
「……それは凄いな」
素直に驚くと、
「少し割高だけど、質は保証する」
金物屋から預かった商品は確かに受け取ったよと、その若い男の作ったと言う背負い鞄を受け取り、店を出たけれど。
「……」
なぜ。
なぜあの若い男は「あの娘」の存在を、口にしなかった。
組合の方は分からないけれど、街を周りながらも。
「ピチチ?」
どうした、と桃鳥。
上の空を指摘される。
「あぁ、いや……」
雨が降り出してきた。
走って宿に戻ると、宿に来た時は気づかなかった受付の棚に、
(お、絵本か……)
古く、こちらでは貴重なものだろう。
一度、直した跡がある。
それに、
「あれ、おかえり、早いね」
若い娘が食堂から出てきた。
「これは、子供向けのものか?」
受付の絵本と、多分子供用の玩具を指差すと、
「ううん。うちに来る子は、字は読めない子が多いから」
確かに。
どんなものにも、文字と一緒に絵が描いてある。
「これはお祖父ちゃんの持ち物、だいぶ昔にまだ宿の数も少なかった頃に来たお客さんが、置いていってくれたんだって」
「へぇ」
「少し前に、お祖父ちゃんが生きてる時に、ここに置くようになって、そのまま」
少し前。
「誰かに貸したのか?」
「どうだろ、出してきたからそうなのかも」
「……」
『ありがとうの』
と言いながら受け取るあの娘の姿が想像出来る。
ぺたり座り込み、狸と並んで、絵本を捲る姿も。
「借りてもいいか?」
「字、読めるんだ?」
私は数字と少しだけだから、凄いと褒められた。
「いや、こちらは字が違うから、勉強したい」
「ならこれもだね、こっちが字で、こっちが、ほら、絵になってる」
木に彫られた絵と文字の玩具。
「これはありがたい」
識字率が低くても、読めるに越したことはない。
部屋で、クッションでうとうとする鳥を横目に、
「木は……き」
書いて文字を覚える。
覚えるまで、出発が少しばかり延びそうだ。
「ピチーチ♪」
「……ここか?」
自分としては、こんな瀟洒で洒落た店ではなく、もっと朴訥とした、昼から酒を出すような、男臭い店がいいのだけれど。
宿で文字を覚えていたけれど。
昼寝から起きた鳥が窓の枠に留まると、
「雨は止んだ、外へ行きたい」
と言わんばかりに鳴き、男の肩に留まってきた。
雨もやんだ昼過ぎには街には更に人が増え、
「……?」
何やら荷を運ぶ人間も多い。
うろうろしていると桃鳥がピチピチと鳴き、
「ここに入りたい」
と、主張してきたのは。
岩の街の無骨な男が店主の、あのハイカラな喫茶店に負けじ劣らずな店だった。
こちらは更に、店員も若い女たちがお揃いの服を着ている店で、
(メイドといい「揃いの服」というのは、珍しくないのだな)
制服と言うものかと、日々、新しい発見はある。
外から眺めていると、店員の1人に愛想よく招かれ、窓際の案内された。
テーブルに着地した桃鳥を見て、若い店員は更に微笑ましそうに目を細めメニューを置いてくれる。
「ピチ♪」
外面、見た目はその可憐な桃色といい、小柄で庇護欲をそそるのだろう。
中身は、獣の中でも1、2位を争う気の強さと主張の激しさ。
その桃鳥は、今は開いたメニューの中の、焼き菓子セットを嘴でつついている。
「珈琲と、焼き菓子セットと。ええと、ここのおすすめは?」
「んー、そうですね、季節のタルトがイチオシです」
ニコニコして指を差す若い女。
「じゃあそれを」
「畏まりました」
店内は、街の人間だけではなく、自分のような旅人らしい人間も多い。
そう待つ間もなく運ばれてきたのは、
「珈琲とブルーベリーのタルト、焼き菓子セットです」
持ち帰り用の袋も置かれる。
「悪いが、少し聞いてもいいか?」
「はい、なんでしょう?」
盆を胸に抱え、こくりと生真面目に頷いてくれる。
「街に、荷物を抱えた人間が多い気がするんだか?」
若い娘は、
「ええっと、あぁ、そうですね。もう少しで、この街でお祭りがあるんですよ」
とすぐにこちらの問いの意味を理解して教えてくれる。
「あぁ……」
なるほど。
「お客様は、お祭り目当てではなさそうですもんね」
ふふっと笑われる。
その通りだけれど。
「向こうの、お山への方へ向かわれるのでは?」
「あぁ。……最近は、山や森の方はどうとかの話は聞いているか?」
若い娘であるし、駄目元で聞いて見れば。
「離れた国からの支援もあり、だいぶ落ち着いたと聞いています。でも、お客様の様な方がいらしたので、また、増えたのかなと……」
懸念するように、形のいい眉が寄る。
「いや、俺は別件だ」
「そうなんですか?」
目をぱちくりされた。
「村の方に、宿はあるのだろうか?」
「ありますあります。狩人さんたちが泊まる簡易の宿も作られたみたいで」
随分と詳しい。
「兄が向かっているんです、狩人として」
それは、詳しくもなるはずだ。
「はい。そろそろ帰って来ないかなって……」
不安そうな顔をしたけれど、仕事中だと思い出したのか、無理に笑みを浮かべる。
ならば。
「……言伝があれば請け負おう」
引き留めて悪かったと伝えると、
「とんでもない。言伝は、少し考えますね」
と、自然な笑顔になり、戻っていく。
「ピーチーィ」
小鳥が、トットッとテーブルを歩き、こちらのブルーベリーのタルトを凝視している。
「これを食べるなら、残りの焼き菓子は持ち帰りだ」
「ピチ♪」
承知したと、ブルーベリーに嘴どころか顔ごと突っ込んでいる。
「……」
この小鳥を、色だけでなく、見た目からして桃のように真ん丸に太らせて帰ったら、さぞや怒られるだろう。
そう。
帰路はまだまだ長い。
甘やかしすぎはよくないのだけれど。
(難しいものだな……)
そうだ。
「ここを出る前に、手紙を出すから、お前も仕事だ」
「ピチ」
承知したと小鳥。
仕事熱心ではある。
求める報酬も相応にそれなりのものだけれど。
存在を思い出した湯気の立つ珈琲はとても香り高く、なるほど見掛け倒しの店ではない。
繁盛しているわけだ。
(……いいな)
珈琲を淹れる道具と豆を買っていこうか。
しばしゆったりと茶の時間を堪能し、会計を頼むと、先刻の店の娘に、
「すみません。お言葉に甘えて、これをお願いできますか?」
急いで書いたであろう手紙を渡された。
「必ず届けよう」
この村からの人間は少ないから、すぐに分かると。
(少し、急がないとな)
宿に戻り、文字を頭に叩き込み、夜は、
「あたしも一緒していい?」
「勿論」
宿で、宿の娘と共に、大皿で済ませる。
「花の国?名前からして素敵」
「でもここも、街の造りが凄い」
「でも花の国は国でしょ?ここより、全然大きいんでしょ?」
「そうだな、城がある」
「わはぁ、見てみたい!」
はしゃぐ宿の娘に。
「そんなに遠くないから、季節を選べば案外楽に行けるんじゃないか?」
提案してみるも。
「もー、旅人さんたちは気楽に言うよ」
宿の娘は、無理無理と大きく手を振る。
「そうか?」
体力的な問題だろうか。
「女の子はね、お風呂の優先事項がすごーく高いの」
「……」
あまりに予想外の返事に絶句すると。
「ね?」
ニッと笑われ。
「とても勉強になる」
心から頷くと、大笑いされた。
そして、
「え?もう明日出るの!?」
「仕事を頼まれたんだ、向こうの村まで急ぎたい」
ほんのたまたま客で来た見ず知らずの男に、手紙を託すくらい、兄からは連絡が途絶えているのだろう。
場合に寄っては、あの娘への何かしらの知らせのために、ここに戻ってくる可能性もある。
「え?何?やっぱりまた獣が増えたの?」
「いや、別件だ」
「なんだ、そっかぁ」
娘の、大きな安堵の溜め息。
けれど、安堵だけではないものも含まれ。
「なんだ」
何か用があったのか。
「んー……」
頬杖を付いた娘は、
「お祖父ちゃんはね、宿屋は色んな人と会えるって言ってたの。でも私には、この仕事はさ、お別れが沢山だなって思っちゃって」
と唇を尖らせる。
「そうだな……」
自分の、一番大きな別れは、父親だった。
ただ父親は、自分が先に逝くことは当然解っていたから、息子が1人になってからの事を、それからが本番だからと、色々と教え込んでくれた。
だからこそ、あの屋敷の存在は全く予想外で、父親が懸念していた1人の寂しさも、あってないようなもので済んだ。
そして今は、あの姫たちの後ろ楯で、こんな風に、旅を出来ている。
「あ、でもさ」
娘の声に、無意識に下がっていた視線を上げると、
「また来てくれたりもするでしょ?」
不意に押し黙った自分を気遣ったのか、目の前の娘が、
「ね?」
と笑い掛けてくる。
「あぁ、そうだな」
今回は、大回りしたり、別の道は通らず、来た道をそのまま戻るつもりだ。
「再会は早いと思う」
「だよね」
早朝に出るため、夜のうちに、先に宿代を精算させてもらい。
「ちょっと外に出てくる」
「ふーん?」
またニヤニヤする娘に、
「いや、すぐに戻る」
どうにも女好きと思われている節がある。
後で知ったけれど、冒険者たちはそのバイタリティー故、そっちの方も、大層精力的だと、専らの噂でなく、事実らしい。
どうにも、
(困った噂だ)
荷台の置かれた街の入り口へ向かうと、陽が暮れ掛けていたけれど、また新しい馬車が入ってきている。
「……」
宿に、宿代はきっちり支払っている。
それで十分に公平な対価なのも分かっている。
なんなら自分がしようとしている追加の礼は、またここに戻った時に、帰り道で渡せばいい。
けれど。
自分もいつ、何が理由で命を落とすか、戻れなくなるか分からない。
だから、出来る時に、しておくのがいい。
荷台に詰めた箱の中にある、鮮やかな色のメモ帳か、花の形の髪飾りか、小さな兎を象った小さな置物か。
どれを宿の娘宛てするか迷っていると、
「ピチチ」
小鳥が嘴を近付けるのは、兎。
「そうだな」
宿に戻り、最後の勉強をして、ベッドに横たわる。
自分のいた山は絶えず穏やかだったけれど、山に森に、熊が増えたり、逆に突如として熊が消えたり、色々と違うらしい。
(世界は、とても広いな……)
自分は、この大きな世界を、どこまで回り続けることができるのだろうか。