10羽目
「旅をしながら、散々人に助けられたからね、自分も人を助けたいと思ったけれど、今は、ここに居着かれないように追い出すので精一杯になっちゃってるよ」
全身で笑う短髪の女将に、
「自分は長居する気もなく、明日には石の街へ向こうつもりだ」
と話すと、やはりそれで警戒が解けたのか、
「あぁ、石の街は、また賑やかになってるみたいだよ」
と教えてくれる。
そして浮島は。
「数十年に一度と言われているけれど、人が気づいていないだけで、もっと降りてきてるんじゃないかと言われてるし、私たちも思っているよ」
その可能性は多大にありそうだ。
「あなたは、あの城の方から来たのかしら?」
おっとり女将に聞かれ。
城。
あの、黒い城、あれだろう。
「あぁ、そうだ」
「あの城、浮島で願いを叶えた者が建てた城って噂があるよ」
「お……?」
「そうそう、あまりにもあの城は唐突だったってね」
それは、とても興味深い。
姫と旅人の呪詛だけで、別の世界と繋がったのではなく、浮き島で叶えられた、夢の果ての城の地下。
「……確かに、よくあの場所であれだけの技術を持って作れたなと自分も驚いた」
「でしょう?あのお城ができた経緯も、口伝でもね、何も伝わってないんだって」
その日は、夜遅くまで、女2人の冒険譚を聞かせてもらった。
熊かと思って逃げていたら小鹿だったとか、男に靡いて仲違いしかて旅が終わりかけたなど。
「あんたがあの時に反対しなけりゃ」
「私に勝ったらこの子をやるって言ったのに、あの腰抜けが逃げたんじゃないか」
ささやかで、しかし2人には宝物であろう旅の話を聞かせてもらい、愉快な気分で部屋に戻る。
「浮島……」
姫からも聞いたことがなかった。
けれど、あの強かな花の国の女王たちが、妹たちには知らせず、探させている可能性は、高い。
「お前は知っていたか?」
「ピチィ?」
知らないと。
浮き島は、限定された土地にしか出現しない可能性もある。
「ふー……」
ギシリと不穏な音を立てるベッドに横たわり。
もし浮き島が目の前にあったとして、自分の願いは、なんだろう。
「あらまぁ、ろくなおもてなしも出来てないのに、私たちに土産なんて、いいのかしら?」
「なんだい?あぁ、いい匂いの茶葉だねぇ、ハイカラな焼き菓子に、香水?えぇ、どうしよう、やだよ、嬉しいねぇ……」
「うふふ、香水なんて、何年ぶり?」
香水はどうかと思ったけれど、一番喜ばれた。
昨夜は宿の主人に見えていたのに、今は2人で香水を眺めて仲睦まじく微笑む、娘2人に見える。
『女の子は生まれた時からレディなんですっ!!』
姫の言葉が正しければ、年を重ねてもレディなのだろうと、無駄に回した気が当たって良かった。
姫にとくとくと諭され、不服そうに唇を尖らせていた娘と、執事の前で耳と尻尾を下げていた狸を思い出す。
そうだ。
「……その、あなたたちも」
「うん?」
「もしここで、人を追い出すのに疲れたら、また、旅に出ればいい」
我ながら無責任な提案をしたけれど、
「あら、そうね」
「それもいいねぇ」
2人はうんうんと楽しそうに頷き、
「あんたとは、またここか、いや、どこかで会いたいね」
「是非ね、約束しましょうね」
村の入り口まで見送ってくれ、大きく手を振ってくれた。
「必ず」
少しぬかるんだままの道を進み、組合の村を抜ける。
組合は朝一に寄ったけれど、車輪の確認と、馬の様子を見てくれ、どちらも問題ないと太鼓判を押された。
新米の行商人や旅人には、頼まれない限りは仕事は依頼しないと言うため、せめて、手紙を幾つか預かり、馬車に乗り込んだ。
桃鳥は組合の小鳥たちと挨拶をして、少し遅れて飛んできた。
「……近くなってきたな」
青のミルラーマが。
『村からは、ずっと川沿いに歩いていたの』
『山の手前の森に白い靄があったけれどの、狸擬き曰く、当分は大丈夫そうの』
『冒険者?そうの、狩人的なのはいたの、もしかしたら大きい獣が出れば、お主も狩りだされるやもしれぬの』
時間が掛かるとは予想はしていたけれど、実際はその倍以上、時間が掛かっている。
姫からの手紙には、ゆっくりでいいから必ず帰ってきて欲しいと、毎回書かれている。
『青のミルラーマは、熊がいなくてもわりと厄介な道の』
『狸擬きのいた森?何の特徴もない、ただ無駄に大きな森の』
『フーンッ!?』
『たまに森を抜ける者がいるからの、何かはあるだろう程度で歩いたけれど、我のあんよで3日程度かの、馬車なら遥かに早かろうの』
『向こうの村は、……んん、特にこう、特徴のない村であったの……』
組合から進むと、大きく深い森が見えてきた。
獲物が少し狩れそうだ。
馬車から降りて、洋弓銃を抱え、轍から道を外れる。
泥濘や木の根にたまに足を取られかけ、進む。
(お……)
泥濘のお陰で、葉の擦れる音や枝を踏む音は消しやすい。
(鹿……)
いきなりの大物。
兎程度を考えていたから、嬉しい誤算。
喜ぶのはまだ早い。
気配を消さなくては。
こちらには気づかれていない。
しかし構えれば嫌でも殺気を放ってしまい、気付かれる。
「……」
あの娘は、息をするように、あの赤い豆を飛ばしていた。
殺気や緊張が何一つ見えないため、獣は娘に気付いていても油断する。
気付かれていないと思っているからだ。
そしてさっと通りすがりに、目も向けずに豆を飛ばし、なんなら飛ばした後に、
「のの?狩れたの」
と、たっと木々の間を抜けて行くのだ。
山で狸が娘に必要以上に寄って歩いていたのは、少しでも離れたら無意識な娘に豆を飛ばされてしまうからだろう。
(恐ろしいな……)
今更ながら。
初めて会った時、自分はよく彼女に撃たれなかったものだ。
彼女は、
どれだけ「視えて」いるのだろうか。
不意に、腕から胸辺りから衝撃が走り、先で、
ズゥンッ……
と重さのあるものが、泥濘に倒れる音。
「……おっ?」
その衝撃で、初めて驚く。
自分は今、山での出来事を回想しながら、無意識に弓銃を構え、鹿を撃っていた。
ある意味無心になれていたため、殺気にも気取られず、鹿の頭に一撃で仕留められたのだ。
角を掴んで引き摺り、水場を探す。
荷馬車からだいぶ離れてしまったけれど、綺麗な小さな水湧き場を見付け、そこに放り込むと、一度馬車に戻る。
水場辺りまで移動しがてら進むと、
「お……」
たまに現れる、小屋を見掛けた。
旅人用のもので、誰が使ってもいい。
早い者勝ちと言うけれど、まずそこまで人はかち合わない。
掃除と、出ていく時はドアをしっかり閉めることだけが条件だと。
(組合が作ったわけでもないと聞いたな……)
謎の小屋。
有り難く拠点にさせてもらうことにして、解体道具を持って湧き水場へ急ぐ。
荷台で寝ていた小鳥が、
「ピチチッ」
と起きて付いてきた。
が。
解体途中、鹿の内臓を突き刺してしまい、
「ビチチィッ!?」
すぐ側にいた桃鳥にまで血が飛び、桃鳥は半狂乱になって、離れた浅瀬で水浴びしている。
「……案外デリケートなんだな」
雨でも嵐でも岩つぶての中でも飛ぶと言われているのに。
この鹿で、石の街まで持つだろうか、いや、もう少し狩っておくか。
「ビーチー……」
桃鳥が不満を隠さずに、自分を乾かせ、とやってきたため風を送ると、今度は自分が留まるこちらの肩が飛び散った鹿の血で汚れ、
「ビチチィ……」
そこに自分が留まれないではいか、とうるさい。
桃鳥は、自分の従獣でもなく、姫から付けられた、同僚、でもなく、仲間とも違う。
ただ、仕事で組まされた者同士。
だからこそ。
仲良くするに越したことはない。
「……服を洗うか」
「ピチチッ♪」
そう、まだまだ長い付き合いになるのだから。
「お、旅人さんかい?中は道が狭くて馬車は入れないから、この広場で預かるよ」
「いくらだ?」
「出発時に精算だよ、馬の蹄はどうする?取り替えるかい?」
「必要なら頼む」
「はいよっ」
決められた場所に決められた箱のような建物が規則正しく並ぶ。
そこは、
「石の街」
街の入り口は広い荷馬車の待機場所になっており、
「お疲れ」
知らぬ人間にも、行商人たちは気軽に声を掛けてくる。
「あぁ、お疲れ」
「夜はここは灯りを落とすから、なるべく陽が暮れる前に仕事を済ませてくれ」
「分かった」
「馬に付ける札と、荷台に付ける札な、数字だけど……」
「あぁ読める」
「おぉ。ここは朝は陽が登り次第開く、もし先を急ぐなら、馬を移動させる時間もあるから早めにな」
「ありがとう」
「いーや、可愛い小鳥だな」
「ピチッ♪」
肩に乗る桃鳥を褒められた。
まずは頼まれた仕事か、宿か。
夕刻には早く、昼はだいぶ過ぎた中途半端な時間。
「ピチチッ」
「どうした?」
桃鳥が空を見ている。
すると間も無く、ビュンッと飛んできた肩に乗る小鳥よりも、淡い桃色の小鳥が、右肩に留まった。
「ピチ」
「あぁ、お疲れ」
淡桃鳥にやる報酬もあるため、両肩に小鳥を乗せた珍妙な男として道幅の狭い街を歩き。
「報酬は何がいい?」
「ピーチチッ」
「……わからん」
ちょうど入った通りが、土産物が多い並びらしい。
(ここを出る前に、見繕って買っていくか……)
どこで何が役に立つかは分からないけれど「弾」は多いに越したことはない。
肩で忙しく辺りを見回していた淡桃鳥が、
「ピチ」
止まれと伝えてくる。
「?」
屋台で、練った小麦を輪にして揚げたものに、砂糖をまぶしたものが売られていた。
「これか」
2つ頼むと、屋台の無表情な男に、小鳥をそれぞれ指差され、
「あぁ、この小鳥たちの分だ」
頷くと、隣のほんの小さなテーブルに、くしゃくしゃにした紙の上に多分ドーナツと思われるものを置いてくれ、鳥たちが肩から降りて行く。
「……2羽は珍しいね」
話しかけられた。
自分よりは若そうだけれど、
「あぁ、1匹は来たばかりだ」
「いい報せだったか?」
「いや、まだ見てない」
この早さは姫からだろう。
そうだ。
「ここは、組合はあるか?」
「あるよ、こっちから見て反対側」
物凄い勢いでつついていた小鳥2匹が、ゲフッと言いたげに、その場に座り込む。
「兄さんも、せっかくだし」
と勧められ、
「じゃあ10個」
小腹程度なら満たせるだろう。
「お、毎度」
ここは、宿は風呂付きが売りだから、風呂屋はないよ、夜のお店も組合側の奥側、安心だね、と訥々とだけれど、生地を揚げながら色々と教えてくれる。
「小鳥程度なら、獣マークない宿でも大丈夫だと思うけど、気になるなら、看板に描いてあるよ」
「助かる。……ここは、組合からの依頼はあるのか?」
「どうだろな。こっちじゃなくて、もう1つ、だいぶ離れた森の近くの村に、獣対策用の臨時の組合出来たとか聞いたな」
ほぉ。
「はい、お待たせ」
「あぁ、ありがとう」
袋に詰められた揚げ菓子を持つと、小鳥たちが今度は並んで左肩に留まる。
(そうか、小鳥でも獣扱いになるのか)
宿が集まる道に出ると、獣マークの、1人でちょうどよさげな宿を見掛け入ってみる。
長い髪を三つ編みにした若い娘が受付で店番をしており、
「1人と、小鳥は2匹?」
「あぁ、今晩は2匹で」
「はーい。会計は出る時で。あーいい匂い、食べるならそっちの食堂どうぞ、珈琲くらいなら用意するよ」
フランクな接客は、こちらも気が楽でいい。
「お願いする」
食堂と言うけれど、この家の者たちの食事処も兼ねているらしい。
ふと、奥の厨房と思われる扉の代わりに掛けられた、優雅な柄の布が目を惹く。
布の向こう側に娘がいるため、
「よかったら、君も」
と声を掛けると、
「いいのっ?やった」
明るい返事と共に、飾り気のないカップを両手に娘がやってきた。
「10個っ?」
「足りないか?」
「多すぎ!1つでいいよ」
丸い目をパチパチさせて、珈琲と1つは牛の乳と思われるカップ。
「ありがとー」
と揚げ菓子にかぶり付き、
「んん、揚げたておいしっ」
とパクパク食べている。
「あれは、綺麗な布だな」
鳥たちは2つ目を狙っているけれど、2羽とも軽く片手で一掴みにして止める。
「あれね、死んじゃったお祖父ちゃんが、どっかから買ってきたか譲り受けたかしたものだって」
「亡くなられたのか」
「半年前ね、ずっとここで受付してたから、常連さんもわざわざ顔出してくれたり、お祖父ちゃんの好きだった土産物とか持ってきてくれたりして、慕われてたんだなぁって思った」
娘がもう1つと指を立てるため、かまわないと頷くと、
「お客さんは初めてだよね?」
「あぁ。この街自体初めてだ」
「小さい街だけどね、欲しいものは大概揃うって言われてるよ」
「対獣用の狩猟道具は?」
「あー、それはあんまり。ちょっと遠いけど、隣の村に運ばれてるみたい」
「こっちは獣は来ないんだな」
「全然、山から離れてるし」
小鳥が2匹、手の内でビチチィと不満そうに鳴く。
さっき食べただろうが。
「あ、そうだ、食事は?」
食事か。
「どっちでもいいんだが……」
「飲むなら外かな」
「飲まないが、少し人に話を聞きたい……か、ら」
娘がニマニマしている。
「……なんだ」
「夜のお店はあっちだよ」
「……いや。出来れば、向こうの村の話を聞きたいんだ」
「なら組合かな、……冒険者だったんだ?」
「らしくないか?」
見た目からしても、ずっとそう思われていたのだけれど。
「小鳥いるし、雇われで何かしてる人かなーって」
「まぁ、半分はそうだ」
「フリーの人ね」
「そんなところだ」
案内された部屋は広くもなく狭くもなく。
「外出は自由だよ、何かあったら受付ね」
「あぁ」
娘が出ていくと、ポケットに忍ばしていた金筒を開く。
やはり姫からだ。
近況報告に、ホッと出来る。
1つ上の姉の婚約が決まったと。
小麦の国の第2王子とある。
(めでたいことだ)
盛大な結婚式になるのだろう。
もう少しまめに連絡を下さいと苦言も。
まめに送っているつもりなのだけれど。
珍しく執事からの手紙も入っている。
「あの城の話はこちらも聞いている。
花の国からも、復興の応援を向かわせることにした。
ただ、中身がないハリボテと化した城を、どう立ち上げて、誰を玉座に置くかなど、全く進まぬまま。
座るはずだった王子が、逃げたまま、そのまま姿を消したとも言われており、難航しそうだ」
と。
「おぉ……」
(この際、街の纏め役なんかでもいいんじゃないのか……)
城の外で、何より他人のことを思い、あの場を取り仕切っていた男もいた。
そんな簡単な話ではないのだろうけれど。
あの城には、勝手に1人で貸しを作っている。
そう。
あの娘の髪を犠牲にしたのだから。
城で拾った緑の石のネックレスは、封筒から出して、首から下げている。
外しても着けていても、何も感じない。
あの娘がこれを見た時、どんな反応をするのか。
想像するのは、少し楽しい。




