7-9.「眠れない夜」
ここ最近、雨が多い。
ずっと降り続いている。
ちなみに今は夜も更けて、深夜帯とも呼べる遅い時間なのだけれど。
なかなか寝付けないまま起き出してベッドの上、私が見ていたのは窓の向こうだった。
指先を差し込んで、そっと持ち上げたカーテンの隙間。
その奥にあるピチョピチョと止まない雨音と、水滴が窓ガラスを伝って流れ落ちていく様子をじっと、覗き込むように見つめていて。
どのくらい、そうしていた頃だろうか。
「まだ寝てなかったのか? 何してんだおまえ、こんな夜遅くに」
ノックとともに、開かれたドアのまえに立っていたのはゼノンさんだった。
たぶん部屋から明かりが漏れていることに気付いて、欠伸混じりながら尋ねてくれたのだろう。
可愛らしい寝間着姿にちょっとだけ癒されながら、こんばんわのあとに私は答えた。
それが寝付けなくなっちゃってと、誤魔化し笑いを浮かべながら。
「は、寝付けない?」
「実はさっきまで、これを読んでたんですよね」
言いながら、私が持ち出したのはとあるホラー小説だ。
入院しているあいだにルゥちゃんが持ってきてくれたタイトルなのだけど、どうやらこれがシリーズものだったらしい。
「すごく面白いんですけど、結構怖くて。ついさっき、やっと読み終わったところなんですが」
「まさかそれで寝れなくなったってんじゃねぇだろうな?」
「それが、はい……。すっかり目が冴えちゃいまして」
えへへとしていたら、なんだそりゃと呆れられてしまった。
あわよくば「だから外をみてたんです雨の音って聞いてると落ち着きませんか子どものころから結構好きなんですよね」と、そこからフリートークに持ち込んでこっちおいでできればとも目論んだのだけれど。
「知らねぇよ。明日も早ぇんだから、とっとと寝ろ」
「はぁい」
眠たいのかそんな雰囲気でもなさそうで、私は仕方なくかけ布団を引き寄せるしかなかった。そうして再び、ベッドに潜り込もうとして。
「あそうだ、ゼノンさん!」
「あ?」
「今日、一緒に寝てもいいですか? ゼノンさんの部屋で!」
とっさの閃きを口にしたところ、秒で却下された。
そうだろうなとは薄々思ってたけど、あまりに即決で悲しくなる。
「バカなこと言ってんな、ったく」
最後はパチリと電気もオフにされてパタン、ドアを閉められてしまった。
そうなれば残されるのはまた、ピチョピチョと外から聞こえる静かな雨音のみで。
「そう、だよね……」
私は今しがたゼノンさんからもらった言葉を反芻しながら、他にやりようもなく瞼を下ろした。まったくもってその通りだ。バカなことを言ってはいけない、と。
なんとか寝付こうとした。
だってゼノンさんの言う通り、明日は早いのだ。
朝から2人でクエストに出かける予定になっている。
だからこんな、夜更かしなんかしている場合ではない。
ないのに――。
目を閉じても案の定、眠気なんかちっとも来てはくれなくて。
この分では今夜も、長い夜を過ごすことになりそうだった。
だからせめてと、願うことは1つだけ。
今日のうちに作っておいたテルテル坊主さんに、どうか。
どうか明日にはこの雨が止んでくれていますように、と。
けれど――。
重たい目覚めを迎えた翌朝も、その願いは届いていなかった。
シャっと開け放ったカーテンの向こうでは、まだ。
まだシトシトと、当分止みそうもない小雨が降り続いていて――。
◇
結局その日、私はお留守番ということになった。
出かける準備をしていたところ、顔色が悪いと途中でゼノンさんに指摘を受けてしまったのだ。
「まさかとは思うがおまえ、あれから一睡もできなかったなんてことは」
「ええと、一睡くらいなら……たぶんできたんじゃないかなと」
「たぶんって……。ったく、あんな夜更けにアホなタイトルなんか読み始めるからだろ」
それで「今日はもういい。家で寝てろ」ということになった。
大人しく従う。さすがにこんな調子では付いていっても、手伝うどころか邪魔にしかならないだろうから。
「ごめんなさい、ゼノンさん。迷惑をかけて」
「別にいいけどよ。ただし昼間寝すぎて、また今夜寝れなくなるなんてことにはなるなよ」
「あはは……それは確かに目も当てられない悪循環ですね。はい、気を付けます」
じゃあ行ってくるとゼノンさんを、なけなしの笑顔で送り出した。
徹夜明けみたいにポヤけた頭で、気を付けてくださいと手を振りながら。
バタンとドアが閉められる。
足音が遠ざかっていくのを聞き届けてから、間もなく。
ずるりとなって力なく、その場に足を崩す私だった。
そのまましばらく、放心したみたいにぼーっとして。
お願いだから早く鳴りやんでと、たまらず耳を塞いで。
すると、心配してくれたのだろうか。
すかさずと傍に駆けつけてくれたのはウィンリィだ。
クゥンと鳴きながら励ますみたいに、湿った鼻先を私の背中にスリつかせてくる。
だから私はありったけの真心を込めて、その声援に応えた。
「ありがとう、ウィンリィ。ごめんね、心配かけちゃって。でも私は大丈夫だから」
ヨシヨシと、その柔らかい毛並みを撫で返してやりながら。
「大丈夫、だからね……」
そう自分に言い聞かせるみたいに、何度も。
私はしばらく、同じ言葉を繰り返していた。
◇
それから数日が経った、ある日のことになる。
結局雨は一週間近くも降りっぱなしで、今日も降ったりやんだりを繰り返していたのだけれど。
ちょっと来てくれとかで、ゼノンさんから呼び出されたのは普段あまり使っていない地下のガレージだ。どうしたんだろうと、呼ばれるまま足を向けてみれば。
「やぁアリシア、よく来てくれたね」
そこにいた思ってもみなかった来客から声掛けが。
手ごろな木箱にちょこんと腰かけ、足をプラプラさせながら。
「最後に会ったのはまだキミが退院するまえのことだから、ふむ。かれこれもう1か月ぶりくらいになるのか。いやはや時が経つのは早いものだねとか、さも達観したようなことをゴチりたくもなるが、そんなことを口にしたらいよいよ心まで老け込んでいってしまいそうだからね。控えておくとしよう。だからといって私は永遠の17歳とか往生際の悪いことを言う気もサラサラないが、まぁ要はあれさ。身も心も年齢不詳みたいな、そんなスタンスで私は今生を謳歌していきたいわけだよ」
そんなことを朗らかに、ふぃ~とため息混じりに言い終えたのはテグシーさんで。両手の平を返しながらやれやれ風に首を横ふりしている彼女の傍らには、険しい顔つきとなったゼノンさんも佇んでいた。
状況が読めず、私は困惑する。
なんで2人がこんな薄暗いところにいるのかと。
聞くに、どうやら私に至急で確かめたいことがあるらしいが。
だったらとそこで私が提案したのは、いったん此処から出ようということだ。上に戻ったほうが落ち着けるし、テーブルに着けばお茶くらい出せるからと。そう言いかけたのだけれど。
「ダメだ」
そんな他愛もないはずの提案を、いつになく鋭い口調となったゼノンさんから遮られてしまう。
「ぜ、ゼノンさん……?」
「ふむ。確かにキミの心遣いはありがたいよ、アリシア。でもね、それじゃ本末転倒というものになってしまう。だってそうだろう? 本当に心を落ち着かせなければならないのは聞き手である私たちではなく、これから話し手に回されるキミの方なのだから」
「……?」
「地下ならね。少しは外の音も、届かないと思ったんだ」
トクンと小さく鼓動が脈打ったのは、それがあまりに核心をついた発言だったからになる。だけど――。
何を思ったか、そのとき私はシラを切り通そうとしてしまったのだ。
何のことか分からないとか、何だか怖いですよ2人ともとかって、笑いながら話をはぐらかそうとしてしまって。
もうどうやったって誤魔化しきれないって、ちゃんと冷静でいられれば分かったはずなのに。私がそんなだから、痺れを切らさせてしまったのだろう。
「もういい、テグシー。俺がやる」
決して責めたいわけではないと最後まで穏やかにいてくれたテグシーさんを制し、前に出てきたのはゼノンさんだった。すると取り出したのは、タプンと水のいっぱい入ったボトルで。
「これでハッキリすることだ」
そのフタを開け、前触れもなく傾ける。
すると当然目の前で、ビチャビチャと大きな水音が飛び散って。
途端にもう、私は平静ではいられなくなってしまった。
全身から力が抜け落ちて、その場に頽れる。
すすり泣くみたいな弱々しい声とともに、耳を塞ぐしかなくて。
「いつからだ……? なんで黙ってた。アリシア、おまえ……」
ついに明け透けにされてしまった、それは。
あの事件からずっと、私がひた隠しにしてきたこと。
「水が、怖いのか……?」