1-8.「また振り払われるくらいなら」
わーきゃー喚く、なんて言い回しを見たことがある。
今の私がまさしく、その状態だった。
「わあああーっ!? ひゃああああーっ!?」
「耳元でうっせぇ、騒ぐなっ!」
そんなクレームを被っても仕方ないこととは思うのだ。
なにせ、ゼノンさんからすれば耳が近い。素っ頓狂になりながら叫びまくっている私を、ロケットランチャーみたく担いで走り回っているのだから。
きっと耳障りなことこの上ないだろう。
そこはすごく申し訳ないと思っている。だけど。
「ふぁああああーーーーっ!?」
そこまで配慮してあげれる余裕はちょっとなかった。
だってこうもボコンボコン、あちこちで地面が爆ぜているのだから。
いったい何が起きているのか、このときの私はまったく理解が追いついていなかった。いきなり巨大な木の根っこみたいなものが地中からギュルギュル這い上がってきて、私たちに襲いかかってきたのが先のこと。
罠とか食虫植物がどうとか、ゼノンさんは言っていたような気がするけれど。
そのとき、またすぐ近くに野太い樹根が振り下ろされてドゴォンとなった。まともに食らえばたぶん骨まで粉々にされるだろう、生半可でない威力の一撃が次々と辺りを粉砕している。
ひょいひょいとゼノンさんは軽い身のこなしで躱しているが、搭乗している私からすれば堪らない。絶叫マシンもいいところで。
「どういうことですか!? 何ですかこれーっ!?」
何が何だか分からず、涙腺がぶわっとなるばかりだった。
そんな混乱しっぱなしの私にゼノンさんは言う。
「だから言ってんだろ、おまえを逃がしたくねぇんだよ! この森がな!」
「も、森……? 森ってどういうことですか!? まさか私たちが今いる、この場所のことを言って……!?」
「ほかに何があるってんだよ!」
回避し続けるにも限界があると判断なのか。
そこでゼノンさんは足を止め、地面を滑るようにして方向転換する。
それからガンと足を踏み鳴らせば、地中から現れたのは幾本もの鉄鎖だった。
それらがジャラジャラと襲い来る樹根に巻き付き、抑え込んで。
いったん状況が落ち着いたところで、私を下ろしてからゼノンさんは続けた。
「いいか、時間がねぇから手短に説明するぞ。さっきも言ったが、いま俺たちがいるのは『迷宮』だ。この森が作った、な」
「森がダンジョンを作る……? そんなことがあるんですか?」
「ある。つってもそこそこレアケースだが……。まず前提としてだが、この辺りの土地は『魔境』つって、魔力を食うんだよ」
「魔力を、食べる……?」
「あぁ、だから冒険者もせいぜい中腹くらいまでしか進めねぇんだ。いるだけでガンガン魔力を吸われちまうからな。身が持たねぇんだよ。で肝心の、それとこの迷宮がどう関係してるのかだが」
ふぅと額をぬぐい、荒い息を落ち着けてからゼノンさんは続けた。
「簡単に言えば、おまえはこの森に気に入られたんだ。手ごろな養分としてな」
「養分……?」
「魔女ってのは、そもそも持ってる魔力量がただの人間とはケタ違いなんだ。だからただ息吸って吐いてくれるだけでもよほど潤うんだろ。エネルギー効率で言ったらこれ以上望めないってくらい最高だからな。それで手放したくねぇってことだ」
「…………」
「せっかく手に入った、貴重な魔力工場をよ」
ではつまり私は自覚もないままこの森に魔力を吸われ、栄養にされていたということなのか。そうできなくなるのが嫌で、この森が私を出ていけないようにしている……?
「おまえみたいにまだ栓の閉まってないガキなら尚更だろうな。でかい樹が樹液を垂れ流してるようなもんだ」
「でも、まだこの森に来たばかりのときは出られたんですよ! それがどうしていきなり……」
「それはたぶん――ちっ」
そのとき響いたのはバキンと、鉄の砕けるような鋭い物音。
見ればミシミシと音を立てながら、樹根が徐々にその拘束から逃れようとしていて。
「やっぱ魔力が吸われてやがるな、クソ。このままじゃ持たねぇか」
「ッ……! 待っててください、私がなんとか」
「バカよせ! おまえがやっても根こそぎ魔力をふんだくられるだけだ! 余計なことすんな!」
「そんな!」
では、どうすればよいのか。
何もできず、私はただ見ていることしかできなかった。
そうこうしているうちに、ゼノンさんの顔色も徐々に苦しげなものとなっていく。このままでは、時間の問題なことは明白で――。
だったら、と。
迷った末に、私は静かに決断を下した。
「あの……、もう大丈夫ですよ」
「あ?」
「置いていってください、私のこと」
そう、それですべて解決することなのだ。
簡単な話だ。
「だってこの森が引き留めたいのは私だけなんですよね。それなら、ゼノンさん一人だけなら簡単にこの霧から抜けられるはずじゃないですか?」
「いや、そりゃそうだが」
「だってもう森さん、あんなに怒ってる様子ですよ。『是が非でもここは通さんー!』みたいな感じですし。まさか森がこんな意志を持ったみたいなことをするだなんて驚きましたけれど、とにかくこれ以上はゼノンさんの方が危ないです」
あくまで何でもないことのように、他人事みたいな口ぶりで私はゼノンさんにそんな提案をしてみる。
これと似たようなシチュエーションが以前にもあったからだ。
あれは私が魔女だと、街でウワサが流れ始めた直後のこと。
あからさまに邪険にされるようになった私のことを、中には守ろうとしてくれた人もいたのだ。頼ってくれていいからと手を差し伸べてくれて、どうしていいか分からなかった私にはこの上なく嬉しい出来事だった。中にはこんな人もいるのだと、一筋の光を得たような気がして。
ところが数日が経ち、同じ人から「もう関わらないでほしい」と言われてしまった。何があったのかは察しがつく。私の肩を持とうとしたことで、その人の何かが今まで通りでいられなくなったのだろう。
仕方のないことだ。
溺れそうな人を助けようとして、自分まで引き込まれたのではたまらない。赤の他人なら尚のこと。差し伸べられた手を、こちら側に引きずり込んでまで救済を求めることだって間違いだ。あってはならない。
頭では分かっている。
分かっていても、やりきれなかった。
身勝手なこととは思うけれど、心のどこかで思ってしまう。
そんなことなら優しい言葉なんて最初からかけないでほしかったと。
もう嫌だった。
心の中から何かが消え失せていくような、あの寂しさを味わうのは。
いつか振り払われるくらいなら、こちらから振りほどいてしまった方がいい。
その方が、心に負う傷はずっと浅くて済むから。
だからあくまで気丈を装って、私はゼノンさんに伝えた。
「あっ、私のことなら大丈夫ですよ! 帰り道は分かりますし、いつも引き返すときはこの霧も晴れてくれますから! あっでも、お家が……。ま、まぁ何とかなりますよ! 今までもずっとそうでしたからね!」
それが何より、一番手っ取り早いから。
これ以上、迷惑をかけずに済むから。
私は最後にその一言を添える。
「だから、私は大丈夫ですよ」
せめて吹っ切れたように見える笑顔を、精一杯に取り繕って。
するとゼノンさんはやや沈黙を置いてから。
「そうか。まぁ確かにこの状況じゃ、それもありかもな」
そう言って、鎖を操っていた腕を下ろして――。