6-28.「ありえないんですよ」
「おおおっ? これはこれは、なんということだ。済まないゼノン、どうやら何か行き違いがあったらしい。状況は見ての通り、アリシアちゃんはついさっき意識を取り戻したところだよ。いやー良かった良かった。一時はどうなることかと思ったけれど、取り越し苦労だったならそれが一番だよね。ごめんね。その様子だとたぶん、ついさっき僕が連絡してからすっごい急いできてくれたんだと思うけれど。『アリシアぁッッ!』だなんてクワっと叫びながら入ってきたあたり、アリシアちゃんのことがよほど心配で駆けつけてきてくれたんだと思うけれど。どうやら僕の勘違いだったようだー!」
「ははっ、リクニよ。まったく、おまえはそそっかしくてお茶目なやつだ。どうしたらそれとこれとを取り違えるというのか。見ろ、アリシアの顔を。いったい何事かと驚いているぞ、可哀そうに。だがまぁ大目に見てやるとしよう。間違いは誰にでもあるからな。同じミスを繰り返さないことこそが肝要なのだ。いやしかし、そうなると困ったぞ。医者からは一度に見舞える人数なり、時間なりに厳しい制限が設けられているというのに。それに準ずるならば、この中から2人は今すぐにも部屋から出ていかなければならないわけだが。くぅ仕方ない。そうまで急いでアリシアのために駆けつけたというならその機会をゼノン、キミに譲ろうじゃないか。ということでリクニ、我々はさっさと退散するぞ。ドクターストップが飛んでくる前にな!」
「おいちょっと待ておまえら、勝手に話を進めんな!? つーかぜってぇワザと――」
外で待つ、終わったら顔を出せ。終わったらな。
2人でごゆっくりー。ただし、チンタラはするなよ。
それぞれがそんな言葉を一方的に言い残すなり、ピシャリとドアが閉められる。
そんな感じでわちゃわちゃと過ぎ去るつむじ風みたいに2人が出ていくと、途端に室内は静かになった。
しばらくはまだ何か言いたげに、ドアの方を向いていたゼノンさんだけれど。
やがてゆっくり、恐る恐るといった感じにこちらを振り返る。
それから何とも言えない面持ちを、どこか気まずそうにプイと逸らして。
「よぉ……」
「はい……」
やっとまともに果たせた対面は、そんなぎこちない掛け合いから始まった。
◇
「すまん、慌ただしくして。ただその……おまえの容態が急変したって、さっきリクニの奴から連絡があってよ。それで……」
「はい、私もたった今テグシーさんからそれを聞いたところで。すみません、お騒がせしたようで」
「すみませんって、べつにおまえが騒いだわけじゃないだろうが」
「まぁ、そうなんですけどね。気付いたら騒がれてたと言いますか」
「ったくあいつら、回りくどいことしやがって。こんなことされなくたって、今度は俺だってさすがに――まぁいい」
そんなやり取りから始まって、やがて頭をガリガリしながらゼノンさんがこちらに近づいてくる。さっきまでテグシーさんが座っていた丸イスに腰掛けると。
「ちょっと、借してくれ……」
ふいに取ったのは私の手だ。
どこか神妙な面持ちとなって、何か感触を確かめるみたいに親指をスリスリさせている。それも一度ではなく何回も、何往復も手に馴染ませるみたいに行き渡らせて。
「ゼノンさん……?」
いったい何をしているのかと目をパチクリさせたら、ゼノンさんはポツリと一言だけ、零すように呟いた。――温かい、と。
「え?」
「おまえの手だ。あのときはもう、信じられないくらい冷たかったからな」
「あのとき? ああ昨日の……じゃなくて、もう3日も経ってるんでしたっけ。とにかく、私を助けにきてくれたときのことですよね」
「覚えてるのか?」
「うんとまぁ、最後の方だけ……ぼんやりですけれど」
実際にゼノンさんがどんな風に私を助けてくれたのか、一番見ておきたかった一部始終は残念ながら記憶にない。たぶん、目撃すらできていなかったのだと思う。
でもとにかく気付いたら目の前にゼノンさんがいて、ひどく安心できたことだけは鮮明に覚えていた。ゼノンさんが何だかとても弱々しい声で私に謝ってばかりで、同時にとても強く抱きしめられていたことも。
それを伝えると、ゼノンさんは「そうか」とだけ。
しばしの沈黙を挟んでから、続ける。
「手だけじゃない。あのときは本当に、おまえの全部が冷たかったんだ。全身が冷えきってた。だけど――」
「だけど……?」
「いま触ったら、ちゃんと温かかったから……。それでいま、心底ホッとしてる」
一度途切れかけた言葉の先を促すとそんなことを言われ、私は思わずまごついてしまった。だってゼノンさんが私にこんなにも心の内をさらけ出すなんて、かつてないことだったから。
それほど心配をかけさせてしまったということなのだろうか。
「あー……あのときは確かに、そうだったかもしれませんね。ちょっとだけ寒かったです。でも大丈夫でしたよ、ゼノンさんが温めてくれましたから」
何とか機転を利かせたつもりで、そんなことを言ってはみたのだけれど。
ゼノンさんは無言のまま、じっと私の手指を見つめるばかりだった。
最初はちょっと照れ臭くもあったのだ。
その眼差しがひどく真剣なものだったから、私もだんだんどうしていいやら分からなくなってしまって。ひとまずマッサージを受けているつもりでされるがまま、手を貸していたのだけれど――。
途中で、気づく。気付いてしまう。
その顔つきがとても重苦しくて、沈鬱としたものであることに。
「…………」
できることならこのまま、もう少しだけ。
このちょっとだけメルヘンチックな感情に浸っていたかった。
でもそれより先に、やらなくちゃいけないことを見つけてしまったから。
だから私は取られてしまった手に、もう一方の手を重ねる。
ゼノンさんの手を、そっと包み込むように握り込んで。
「アリシア……?」
「すみません。でも何だか今、ゼノンさんがとても不安そうな顔をしていたので。だったらこっちの方がよく、確かめられるかなと思って」
「え……」
「私の手、温かいですよ。ちゃんと温かいです。ゼノンさんが守って、繋いでくれましたから」
「…………」
「だからもう、そんな顔をしないでください。そんな、また今にも謝り出しそうにならないで」
――そう。
ゼノンさんはいま、とても弱々しい顔をしていたのだ。
またあのときみたいに。
まるでいま目の前にあって、触れて確かめているものでさえ。
次の瞬間には消えてしまうのではないかと、そう怯えているかのような顔つきで。
だから伝えたかった。
いまゼノンさんの確かめているものはちゃんと本物で、もうそう簡単に消えてなくなったりはしないよって。だけど――。
やっぱりゼノンさんは、それで納得してはくれない。
ひどく瞳を惑わせてから、唇を震わせるようにして言ってしまう。
ごめんと、もうあのとき何回ももらったはずのお詫びの言葉を。
私からすれば、なんでゼノンさんが謝るのか分からないのだ。
確かに突き放されるような別れ方だったのは悲しかったけれど、それも私を思ってのことだったことはもうリクニさんから聞いている。
だからしきりに謝られてしまったあのときだって、そう何回も答えたはずだ。
私のためだったんでしょって。良いよとかぜんぜん怒ってなんかないよって、謝られたのと同じ回数だけ私だって首を横に振った。
何度も、何度も。
それなのに――。
「アリシア……。それでも俺は、おまえに……」
ゼノンさんはやっぱり、ちっとも自分を許そうとはしてくれないから。
今回のことだって、きっと何もかもが自分のせいだとか思っている欲張りさんだから。
もう頑固だなぁと呆れ半分になりながらも、仕方ない。
私は最後の処方箋を出すことに決める。
本当はゼノンさんが、私自身を信じてくれるのが一番良かったけれど。
どうしても、それでは足りないと言うのなら――。
「ねぇ、ゼノンさん。あのときも私、言いましたよね。ゼノンさんが私に謝ることなんて何もない、むしろ感謝しかないよって。もしかして私がゼノンさんに気を遣って、そんなことを言ったと思ってますか? 違いますよ、そんなことは絶対にありえないんです」
「え……?」
そのときやっと顔をあげてくれたゼノンさんと、ようやく目が合う。
やっとちゃんと、私を見てくれた。
そのことが嬉しくてにこり、私は精一杯に微笑みかけて。
――そう。
それはさっき、テグシーさんからもたらされた思わぬ朗報。
あのとき私の伝えたことに1つもウソが無かったと、そう断言できる絶対の根拠。
「だってあのとき、私はウソが付けなかったんですから」




