6-26.「いま言ったつもりなんだけどね」
目が覚めたら、知らないところにいる。
最近はなんだか、そんなのばっかりだ。
「…………」
さっそくここは何処だろうとなって、ぼーっとしたまま何がどうなっているのか、辺りに視線を彷徨わせることから始める。だけど――。
さほど間を置かず、すぐにそっかとなった。
思い出す。
いろいろと繋がったからだ。
何があったかと直前の記憶にも、このとても既視感のある白い一室の様相にも。
いや、というか……。
まったく同じに見える。
間取りから窓の外に見える景色まで、私がついこないだまで過ごしていた病室と。
分かっているのだ、頭では。
こういう場合まず、何より先にくるべきは感謝だと。
どうやらまだ自分が存命の身であることとか、こうして着替えさせたり包帯を巻いてくれたりと、いろいろ世話を焼いてくれただろう人たちへのそれとか諸々(もろもろ)。
手を貸されておきながら、境遇に文句を垂れるなんてもってのほかだ。
それは重々、承知している。
でも今ばかりはどうか、気持ちとして言わせてほしい。
だってついこないだ、やっと退院できたばかりなのだ。
厳しい監視付きで散々缶詰にされた挙句、検査だのなんだのって度々引き延ばされて、待ちに待った解放だった。それなのに。
何が悲しくて、ものの数日でまた舞い戻らなければならないのか。
あてがわれている手当も、これまた随分と大袈裟だし。
頭とか打ったわけではないので、さすがに前回ほど長引いたりはしないと思うけれど。とにかく今回は1日でも短く済むようにと、今はただそれだけを祈るばかりだった。
トホホとなって、ため息をつく。
たぶんそうしたいのは私より、これからまた面倒をかけてしまうだろう看護師さんたちだろうなぁとは自虐的に思い直しつつ。
そのときふいに、カーテンが揺れた。
そよりと、心地よい風が室内に吹き込んでくる。
ところで今日はとても良い天気だ。
時間もまだお昼時で、キャイキャイと外から子どものはしゃぎ声も聞こえてくる。たぶん近くの公園とかで遊んでいるのだろう。
元気だなぁとか思いながら、しばらくそれに耳を和ませていた。
でもそうしていたら、だんだん別の感情も芽生えてきてしまって。
思えば、そうだ。
こないだのときはウィンリィやルゥちゃんがずっと傍についててくれて、何があったのかも起きたときすぐに教えてもらえたし、何より賑やかだったけれど。
改めて見回した室内はいま、とても静かだった。
私はポツンとベッドに1人で、周りには誰もいない。
それが何とも言えない寂しさをもたらして、無性に心細くなって。
その心のままを、私は誰にともなく独り言ちる。
寂しいなぁとか、早く誰か来てくれないかなぁとか、そんなことを。
再び、窓の外を見やりながら。
それに続いて、いろいろ思うところもあった。
気になってしまった。
だからポツリ、「ゼノンさん……」とも呟いていて。
そしたら――。
「あっはっは。いやぁ、こいつは参った。実に参ったぞ。虚しすぎて笑える」
すぐ傍らからケラケラと笑い声がして、私はギョッとする。
するとそこにいたのは。
「て、テグシーさん……!?」
だった。彼女はテグシー・グラノアラさん。
私もすごくお世話になっている人で、リクニさんの(あと一応ゼノンさんも?)上司にあたる魔女狩りさんなのだけれど。さも可笑しそうに膝をパンパンしながら、彼女は続けるのだ。
「目が覚めたときに一人では不安だろうと思ってね。今日は私が見ていようと先輩風を吹かせ出張ってみればどうだ。ここに居座りずーっと本を読みながら待っていたというのに、いざ当人が起きてもまったく気付かれもしないじゃあないか。挙句に早く誰か来てくれないかなー、寂しいなどとぼやかれてしまう始末だ。ははっ、いま知ったよ。誰にも見舞われない患者より、居ることに気付いてすらもらえない見舞い人のほうがよっぽど寂しいんだとな。それで仕方なく、私がいるよキミは一人じゃない的にこちらから声をかけようとしたら、どうだ? まさかの『ゼノンさん……』だ。私はいま心の底から叫んださ。あぁ済まない、ゼノンさんじゃない私にはもうどうすることもできないんだ。期待に沿えないことを許してくれ。どうか、どうか私が私であることをーってね。そんなこんなで居たたまれなさも極まり吹き出したところ、ようやく存在に気付いてもらえたわけだが」
一気に言われてアタフタなる。
「えっ、あの……」とだいぶ失礼をかましてたみたいで、どうにか取り繕おうとしている間にもテグシーさんの声掛けは続いた。
「まぁ無事に目が覚めたようで何よりだ。気分はどうだい、アリシア? ひとまず私とゼノンの名前が出たということは、一時は懸念されたワタシはダーレココはどこ的な展開も、もう心配は要らないと見て良いのだろう? ――うん、どうした? どこか体に不調を感じるならすぐに申し出てくれ」
自嘲ともクレームともつかないそんな言い分を、終わりに目じりから涙を拭いながら。それだけの間があってもやっぱり、私は呆気に取られっぱなしで。
「あの、すみません。いつから、そこに……?」
「最初からだって、いま言ったつもりなんだけどね」
最後はちょっと、もの悲しそうな目を向けられてしまった。
◇
「まぁそう気に病むな。私の影が薄いとは、実は昔からよく言われることでね。こういうのはさして珍しいことでもないんだよ。それこそ子どもの頃はしょっちゅうだったさ。待ち合わせ場所に全員集まったのになぜ出発しないのかと不思議に思っていたら、みんな私を待っていたなんてこともあったくらいだ。だから気にしなくていい。ただでさえ病み上がりなんだ。大変なことに巻き込まれたばかりで体力気力ともに弱っていたんだから、そういうことだってあるだろうさ。それにね、もし心に余裕があるなら少しだけでも考えてみてほしい。きっと想像に難くないこととは思うのだが……。存在に気付かなかったことについていくら詫び入られても、そうされた側は虚しさが増すばかりなのだよ。なんならトドメだ。さぁだから、もう顔をあげて。むしろ詫び入るべきはこちらなんだ。起きたばかりで済まないが、キミにはいろいろと聞かなければならないことがあるからね。ちょっとでも話せるといいのだけれど」
とまぁ、そんな感じであっけらかん。
自虐混じりの慰めもらってから、始められたのはラフな事情聴取みたいなものだ。
言われるまで実感は湧かなかったけれど……。
やっぱりあれはそれなりに大ごとの誘拐事件だったらしい。
地上では私を探して、たくさんの魔女狩りさんたちが動いてくれていたそうだ。
そのうえで「キミを攫ったのはこの男で間違いないか」とピラリ、テグシーさんから見せられた顔写真に私は頷く。そこに映っていたアレクセイ・ウィリアムという人物は紛れもなく、私を連れ去ったあの男の人だった。
あれから何がどうなったのか、事件のあらましをテグシーさんが簡潔に話してくれる。
結論、この人はゼノンさんがやっつけてくれたらしい。
私の危なかったところに間一髪、最初に駆けつけてくれて、この病院まで運んでくれたのもゼノンさんだそうだ。
そのときのことは、たぶん朧気ながら覚えている。
ひとまずゼノンさんはケガ1つしていないとのことで、ほっと一安心だった。
ちなみにもう、今回のことについて主犯側から事情を聞くことは難しいとのこと。思わず「えっ?」と聞き返してしまう私にテグシーさんは、あーいやいやと手を振って補足を加える。
「生きてはいるんだ。そこはゼノンも一応、手心というものを加えてくれたらしくてね。いや正直なところ、我々が駆けつけた時点でとてもそうは思えない惨状だったのだが。まぁ本人がいうには、したらしい。結果としてちゃんと生きてはいたので、そこはまぁ良しとしてだ」
手をヒラヒラ、どこかコメントしづらそうにしながらテグシーさんは続ける。
「問題はどちらかというと外傷ではなく、彼の内面の方でね。なんというか、どうも理性と呼ぶべき部分が崩壊してしまっているようなんだ。彼は魔法薬を専門としていたし、体のほうも妙にその……ブクブクしていてな。たぶん直前に何か『強壮薬』のようなものを、体内に取り込んだのではないかと我々は見ているのだが。アリシア、そこのところキミは何か知っているだろうか?」
尋ねられはしたものの、私は首を横に振るしかなかった。
確かに違和感はあったのだ。
ありったけの力で不意打ちを入れたはずなのに、あの人はものの数分で起き上がってきたし。言われてみれば、再び立ち上がったとき彼のシルエットは直前までよりかなりずんぐりしていたような気がする。
だから何かあったとすれば、その前後なのだけれど。
明確に答えと言えそうな心当たりには、ついぞ覚えがなくて。
そのあとも聴き取りは続いたけれど。
目の当たりにした出来事以外で、ちゃんと答えられることは少なかった。
彼のことで確実に言えることは、ただ1つ。
私がゼノンさんに精神を操られていると、いつの間にか彼の中で、そんなありもしない妄想が出来上がっていたということだけ。
「そうか……」
主犯の口からまともに真意を聞き出せない以上、全容解明は難しいだろう。
それが今のところ、今回の事件の顛末となりそうで。
「結局、何がしたかったんだろうな。この男は」
その答えにさして興味も持てないまま、私はただ――。
できればもうあまり見たくない写真のなかの彼から、そっと視線を逸らすばかりだった。