6-25.「消えかける意識のなかで」
なんだろうか……?
遠く、遠くで、音がする。
微かだけれど、何か聞こえる。
しばらくして、それが声だと気付いた。
誰かが誰かを、がんばって呼び留めようとしている声だ。
いや、違う。
呼びかけている……?
懸命に、強く。
何度も、何度も。
必死に訴えかけるみたいに。
なんとか、繋ぎ止めようとするかのように。
誰かから誰かへの呼びかけはしきりに、絶え間なく続いていた。
いったい誰が、誰を呼んでいるのだろう……?
そんなにも必死になって、懸命になって。
気になってみたらだんだん、モヤが晴れてくるのだ。
深い水の底にあった体が、徐々に浮き上がってくるみたいに。
くぐもっていた声が次第に大きく、はっきり鮮明になって。
そして――。
アリシア、と。
強く打つような最後の呼びかけは、とてもよく。
よく、聞こえた。意識に響いた。
「っ……?」
どうやらその声は、ずっと私を呼んでのものだったらしい。
それなのに長いこと気付かず、呑気にしてしまったことを申し訳なく思う。
でもそれと一緒に、あれおかしいなとも思った。
だってその声が、ちゃんと私の名前を呼んでくれたことは。
これまでにも数えるほどしかなかったはずだから。
じゃあ、やっぱり気のせいだろうか。
あるいは夢かもしれない。
なーんだ、やっぱり夢かって。
起きたときにガッカリしたくないから。
ちょっとだけ心にゆとりをもたせる。
それから少しずつ、やけに重たく感じる瞼をゆっくり。
ゆっくりと、開けて。
そうして長い間を置いてから、ようやく私は確かめられた。
とてもホッとする。
ぼやけた視界がちゃんと輪郭を結んでくれるまで、とても時間がかかってしまったし。それだから、なかなか信じられなかったけれど。そこにいたのは、紛れもなく。
――ゼノン、さん……?
問いかけをほとんど声にできないまま、途端にグイと体を引き寄せられる。気付けば頭を支えられるようにして、私はぎゅっとゼノンさんに抱きしめられていた。
ああダメだよって、とっさにそう思う。
だっていま、私の体はビショビショのずぶ濡れなのだ。
そんなことをしたら、ゼノンさんの服が濡れてしまうのに。
しかもいま、最低最悪のことが起こってしまった。
声の代わりに水がゴポリと口から溢れ出たのである。
だからもう、本当に……。
深刻にいろいろと申し訳なくて、とにかくいったん放してほしくて。
でもゼノンさんは聞いてくれなかった。
バカ言ってんなそんなことどうでもいいと、いっそう強くギュッとしてくれる。
私も体にちっとも力が入らないものだから、されるがまま抱き枕になるしかなくて。
最終的にはもういいやと目を閉じ、いっそのこととその温もりに甘んじることにした。せっかくなのでこのまま、幸せいっぱいな気分にこっそり浸ってしまおうと。
だってそれくらい、ひどく懐かしかったからだ。
声も、匂いも。
かつてないほど間近に感じられる、ゼノンさんのすべてが。
たまらず頬が、緩んでしまうほどに。
本当に久しぶりのことだった。
こうして面と向かって、ゼノンさんとちゃんと顔を合わせるのは。
それこそ最後に話したのは、魔女狩り試験のまえのことで。
だから今こんなにも、心底。安心できている。
来てくれたことはもちろん嬉しいけれど、何より。
また会えて良かった。
どうかこれが夢じゃありませんようにって、切にそう願って。
「…………」
でも、そうだ……。
そこで私は、ふいに思い出す。
浮かれてる場合じゃない。
とても大切なことがあったのだ。
もし次にゼノンさんに会えたら、真っ先に伝えようと心に決めていた大事なことが。
だから私は伝える。
いつになく弱々しい声で、さっきから謝ってばかりいるゼノンさんに、違うよって。
だって、そうしなければならないのは私の方だ。
反対を押し切ってまで、内緒で魔女狩り試験に出場してしまったこともそうだけれど。
何より謝りたかったのは最後に暴走みたくなって、その不始末をあろうことかせっかく応援に来てくれていたゼノンさんに拭わせてしまったこと。
自分のことながら最悪だと思う。
しかも覚えてすらいないだなんて……。
全部はとても伝えきれなかったけれど、とにかくまずはそれを謝った。
ずっと、そうしたかったから。
たとえ許してもらえなかったとしても。
一方的でも、ひとまずこの口から伝えられたことに安堵する。
「それ、から……」
だけどそのとき、あれ?となる。
またも視界がぼやけてきたのだ。
意識が薄くなって、急激に遠ざかっていくのを感じる。
そんなと思った。
だってまだ全然、伝えきれてないのに。
これだけは絶対に伝えたいって、とても大切なことがまだ……。
ゼノンさんはその間、たぶん私にたくさんの声掛けをくれていたと思う。
違うとか、そうじゃないとか。
悪いのは全部自分で、おまえは何もとかそんなことを。
もうしゃべるなとも言われたけれど。
私は聞かなかった。
聞けなかった。
だから私は、残り時間の最後まで。
また意識を手放してしまう限界ギリギリまで使って、ひたすらそれを――。