6-9.「薬をもって毒を制す」
療養期間を終え、家に帰されてからもしばらく、アレクセイは現実を受け入れられなかった。
朝になって目が覚めてもなかなか起き上がれないし、起き上がったところで何をする気にもなれない。もさもさと味のしない朝食をとって、何かしなくてはと地下の研究室に赴いてはみるけれどやっぱり頭が回らず、あとはただ時間が過ぎ去るのを待つばかり。
瞬きも忘れ、ただひたすらぼーっとしながら無気力に天井を見上げていた。
少なくとも此処ではないどこか遠くを見つめ、もうきっと届くことはないのだろう想いを馳せる。そうして魂の抜け殻みたいになっているうちに、1日が終わっていて。
言わずもがな、追憶するのはもうずっと昔のことのようにも感じられるあの日々。二度目の青春とも呼ぶべき、ミレイシアと過ごした朝夕の思い出だ。
目を閉じれば、昨日のことのようにも思い出せる。
それほどまでに美しかった。
楽しかったのだ。
アレクセイがこれまで送ってきた半生の、どの瞬間よりも。
ミレイシアと過ごしたあの日々は、キラキラと心の宝石みたいに輝いていて。
ふり返るほどに、いつまでだって心を浸したくなってしまう。
そんな思い出や瞬間の数々が、あの日々には溢れていた。
しかし――。
なればこそ、受け入れがたいのである。
もう二度と舞い戻れはしないのだと、そのどうしようもない喪失感が。
狂おしくなる。
もう向こうしばらくは、彼女の笑顔に触れられないのだとそう思うと。
迷ったのだ。
明日には帰れるとそう告げられたとき、たとえば体調の急変を促すような毒物はすぐに頭に浮かんだから。あるいは自作自演をとも目論みかけた。
たとえ1日でも彼女といられる時間を引き延ばせるならと、その一心で。
でもそうしなかったのは、ひとえに怖かったからだ。
自分が『毒』を製造している。
そうと知ったら、もう彼女は振り向いてくれなくなるのではないかと、そう思うと。
それにあくる日のやり取りで、つい言ってしまったのだ。
何を隠そう、自分は『薬』の研究者であると。
いつか多くの人を助けられるような万能薬を調合することが夢で、その材料集めのためにあの日、夜の森に踏み込んでいたのだと。――そういうことにしていて。
だから今さら、そんなリスクは犯せなかった。
だってミレイシアがあんなに目をキラキラさせて、素敵ですと褒めてくれたから。頑張ってくださいとブンブン握手までもらって、応援してくれたから。
あの無垢なまでの羨望の眼差しを、今さら裏切ることなんてできなかった。
でもその結果として今、こうなっているわけで……。
帰ってきてしまった。
うたかたの夢から覚めてしまったかのような、この途方もない現実に。
しかも次に会う約束も取りつけられないまま、ノコノコと。
「何をやってるんだ、私は~~~~ッ!」
くしゃくしゃとやった髪ごと、頭を抱え込む。
やりきれなかった。やきもきする。
またミレイシアに会いたい、その気持ちだけが際限なく。
日を追うごとにどうしようもなく、膨らんでしまって。
「私は、どうすれば……」
そうして幾度、自問を繰り返したときだったか。
ふいに「あっ」となる。
気付いてしまったのだ。すごく簡単なことに。
なんでもっと早く至らなかったのかと悔やむも悔やまれる、単純明快なその答えに。
だったらいっそのこと、本当にそっちになってしまえば良い。
それだけのことではないかと。
「そうだ、その手があった……! その手があったじゃないか!」
ここに解は得たと奮起し、立ち上がるアレクセイだった。
というわけで、これが答えである。
なぜ一度は『毒』に魅了されたはずのアレクセイが心変わりを果たし、打って変わって『薬』の道へと専心、邁進することとなったのか。
だって、そうだろう。
彼女が『癒やし』の道を歩むというなら。
自分もなるべくそれに近しいベクトルに向かえば、自ずとその機会も訪れるのだから。
そうと決まれば――。
「待っていてください、ミレイシア殿! いずれ必ず、必ずやお迎えに上がります! あなた様の隣にふさわしい男となって! そのためならば私はたとえ火の中、水の中! 鬼とも修羅とも成り果ててみせましょうぞおおおっ!!!」
振り上げた拳とともにそう猛々しく宣言し、うおおおと瞳の奥に熱き闘志を灯すアレクセイだった。
すべては愛しの彼女――ミレイシア・オーレリーと胸を張って再会するため。
その運命的再会率をなるべく底上げしてやらんと、純度100%下心からの一念発起を――。