6-6.「敗残からのリスタート」
悔しくなどなかった、なんて見苦しいことは言うまい。認めよう。
この先恐らく、自分はどうあがいても魔女狩りにはなれないだろうと現実を受け入れるにはしばしの時を要した。
打ちひしがれていた。
『魔力喰らい』、『星詠みの君』、『魔封じの呪鎖使い』などと。ひと足早く魔女狩りとなった彼らの活躍を聞き及べばこそ、ことさらにもどかしい。(と言っても、最後のに限っては忌み名だが。)
誰が言い出す訳でもなく、新たに魔女狩りの称号を得た者に、その特性にちなんだ通り名が付与されるのは毎年のこと。今やお決まりの一大ムーブメントだ。リクニのときはファンの間で論争が巻き起こり、投票まで行われたという。
ついつい想像してしまうのだ。
もし自分が魔女狩りに成れていたら、今ごろどんな通り名で呼ばれていたのだろうかと。
――『紅蓮の貴公子』。
ふいにそんなワードが浮かんで、舌鼓を打った。向上心や情熱に溢れるセルフイメージにもピッタリだし、まさに我が身を体現したソレではないかと。
ただ惜しむらくは、自分の得意属性が『水』であることに尽きる。ともすれば『紅蓮の~』はちょっと厳しそうだから、『群青の~』とか『水星の~』とかになってくるのだろうか?
いや待て、次点ではあるが『雷』の素養もそこそこ持ち合わせている。
ということは『電光の~』とか『蒼雷の~』とか?
そんな関連ワードをいくつか思い浮かべては、我ながらとホレボレした。
まったく自分は知力や先見の明だけでなく、芸術センスまで持ち合わせているのかと。改めて痛感させられた、『天性』というこの世でもっともな理不尽さに背徳感さえも覚えながら。
そんなことを考えているうちに、だんだんと気が持ち直してくる。
たちまち「そうだ!」と、アレクセイは立ち上がった。
裁定基準そのものに致命的な欠陥があっただなんて、そんなのは最初から分かり切っていたことではないか。確かにいささかの過信はあったかもしれないが、それを差し引いてもすべてはクジ運に恵まれなかっただけのこと。
たったそれだけのことなのに自分は、いったい何をクヨクヨしていたのだろうと。青天の霹靂だった。そんな己のちっぽけさに気付いたら、途端に心の晴れ間がパァと広がっていって。
アレクセイは大いに、自らを省みる。
危ないところだったと。
他者の決めた枠組みに唯一無二であるはずの自身を当てはめ、その在り方を――気高き魂をミスミス損ねるだなんて、下らない。決してあってはならないことのはずなのに。
たった今しがたまで、それを見失っていたのだ。
人生の落とし穴にまんまとハマって、動けなくなってしまっていた。
この世でもっともな理不尽、その恩恵を誰よりも享受する自分さえも。
ならばこそ刻み付ける。
もう二度と、この身をほかの何かに捧げるようなマネはしないと。
魔女狩りの称号、そんな薄皮一枚のラベルに拘るなんて実に低俗だった。
滑稽だったのだ。
その気付きを、少なからず費やした歳月の意義として。
「さぁ、こうしてはいられませんよ!」とアレクセイは走り出す。
赤々と燃える夕陽に向かって、ここが再出発地点だと。
気分はかつてないほど晴れやかで、清々(すがすが)しくさえあった。
それであの3人のことまで水に流せるかどうかは、また別の話として。
◆
それからというもの魔女狩りへの道はスッパリ諦め、元通り魔法薬の研究に勤しむ日々を送っていたアレクセイである。
数字や算式を捏ねるのは得意だったし、『水』への適性もそれは随一なものを持っている。そんな自分に、魔法薬学は正しくもってこいの専攻分野と言えた。
コポコポと気泡を立たせるフラスコを振ってはフムリと頷き、別の薬品と混ぜ合わせては反応を伺いつつデータを書き記す。人知れぬ地下の研究室で、ただ黙々と。
無限に試行錯誤を重ねられる研究は時間を忘れさせ、あらゆる雑念を取り払ってくれたし、何よりそんな自分の姿にやっぱりホレボレした。
わざわざ設置した全身ミラーに向かって、カチャリとメガネをかけ直す。
そんなスマートな仕草と向き合うたびに、つくづく思うのだ。
やはり自分は生粋の研究者。
これこそが行くべき道だったのだと。
だってこんなにも、すべてが似合っている。いや、似合ってしまう。
純白の白衣も、素顔を損ねるからとずっと忌避してきたメガネさえも。
(今まで人前に出るときは必ずコンタクトだった。)
やはりこれこそがと、向き合うたびに再認識させてくれる真の姿がいつだってそこに屹立していた。まだ力比べに必死になっている連中がいると思うとまったく、哀れでならなくなるほどに。
自分にとって本当に大切なモノ。
ほかの何にも代えがたい誇り、信念。
そういうものに、いつか彼らも気付けることを願うばかりだった。
非凡な自分ですら相応の時を要したのだから、そうでない彼らにとってはより険しい道となるには違いないが。
「失うことで得る物もあるのですよ。若人たちよ……」
導いてもらうのでは意味がない。
果敢に挑んで失敗し、自ら気づくしかないその真理を。
一種の諦観を交え、ぽつりとアレクセイは呟いて――。
ところで魔法薬といっても色々あるわけだが、このときアレクセイがとりわけ力を入れていたのが『薬』の研究になる。
本当は『毒』の方がずっと好みなのだ。
薬とはすなわち命を救うための手段なわけだが、言い換えればそれは『限界』が存在するということ。
どんな病も、傷も、たちどころに癒してしまう。
そんな万能薬は作れないし、この世のどこにも存在しないとは知れたことだ。
薬の量を増やし、濃度を高めたところでむしろ毒に変わるだけ。
つまり望める期待値が、どうやっても『最善』で頭打ちなのだ。
どんなに年月をかけて研究しても、『効かなかった症例』が1つでも出てくれば途端にケチが付く。言ってしまえば薬には、完璧が無いのである。
確実性や完全無欠を何より追求し、重視してきたアレクセイにとってそれは看過できない欠陥だった。『薬』という概念そのものに由来する、根源的なエラーで。
ところがその点、『毒』はどうだろう。
薬と違って、毒には確実がある。
いや、確実を作れるのだ。
アレクセイはいたく、毒のその部分にそそられた。
どんな薬だって、量や濃度を誤れば毒に転じること然り。
薬品と名の付くものには必ず、生命を死に追いやる『致死量』というものが存在している。
すなわちアレクセイが目指したのが、その極小化だ。
わずかな量でも摂取すれば、コロリと逝ってしまえるような猛毒を調合すること。それがしばらく、この地下で人知れずアレクセイが没頭していた研究テーマになる。
楽しかった。
アレクセイが求めてやまない確実性を、どこまでも突き詰められる。
そんな毒研究というものの最大の魅力に惹かれてからは、ことさらに。
それも致死性だけではない。
味覚で気づかれないようにするとか、毒が体内を巡るまでの時間の調整方法とか、解剖されても痕跡が残らないようにするとか。薬と違い、毒に見い出せる課題は山積みで実にやりがいがあった。
それこそ研究テーマなんて、いちいち探す必要もないほどに。
なればこそそこに無限の可能性を感じ、毒の研究にのめり込んでいったわけだが。
ではなぜその価値観を逆転させ、『薬』の研究に勤しむようになったのか。
その心変わりには、とある一人の女性が関わっている。
アレクセイが密かに想いを寄せていた、かねてからの想い人の存在があったからで――。




