6-4.「目が覚めるとそこは」
次に目が覚めたとき、私がいたのは知らない場所だった。
ここは、どこだろう……?
ひどくぼんやりした頭で、そう考える。
開いた薄目の先で揺れていたのは、薄ぼんやりと灯るランプの灯りだ。ジメジメした石造りの空間を照らす、それらが唯一の光源。
そんなに広くもなくて、どこか地下牢みたいな場所にも思えるけれど。
もっとよく確認しようとしたところで、阻まれた。
「……?」
いったい何かと、見上げれば。
ジャラつく鉄鎖が天井まで、吊るされた私の両手首と繋がっているではないか。
足は付いているので、そんなに苦しくはないけれど。
でもこれでは身動きが取れない。
なんで……?
ぼんやりとそんな疑問が浮かぶが。
錆びた鉄杭をいくら眺めても、その答えは見つからなかった。
邪魔だからこんなもの、すぐに取り払いたいのに。
ただ漠然、呆然としていた。
自分の置かれたこの状況も、これからどうすべきなのかも。
何かしなければならないのは分かる。
このままではたぶんいけないのだとも、頭では。
でもどうしてだか、気力が湧かなかった。
何もする気が起きないのだ。
そんなのじゃいけないのに。
今はただ、眠い。
このまま目を、閉じてしまいたくて……。
うつらうつらとし、また微睡へと落ちかける。
カクンと足から力が抜け、ジャラつく鎖の拘束にまた体を委ねかけたところで。
「――おやおや、もうお目覚めですか。これは少しばかり驚きですね。まだしばらくはかかると思っていましたが……。さすがは魔女の血と評すべき耐性でしょうか。いやはや、恐れ入ります」
すぐ近くで、囁きかけるような声がした。
知らない人のものだ。
男の人の、とても落ち着いた声音。
だれ……?
浮かんだ誰何を声にできないまま、その人は続ける。
立てた人差し指を唇に触れさせ、シーっと。
まるで起きてしまった赤ん坊を、再び寝かしつけようとする母親みたいに。
「でも大丈夫ですよ、怖いことなんて何もありませんからね。私はただあなたに、少し聞きたいことがあるだけ。それだけです。ですが、そうですね。まだ少しだけ早かったでしょうか。こちらの準備が整い次第、またお声がけはさせていただきますから。申し訳ありませんが、それまでは今一度――。ああ大丈夫、怖がらないで。安心して眠っていていいですよ」
宥めるように、そう言い聞かせられる。
顔はよく見えないまま、ふっと滲ませるような微笑と。
「なにせ私は、あなたの味方ですからね」
その言葉を最後に――。
ぼやけた私の意識は、また彷徨うような眠りのなかへと沈んでいくのだった。
◆
「――やれやれ」
再び意識を手放し、両腕を吊るされたままカクンと頭を垂らした白髪の少女。スースーと透き通った寝息を立てている、その無防備な寝顔をシゲシゲと覗き込むように観察しながら。
「まだ子どもとはいえ、やはり魔女は魔女ということですか。末恐ろしいことで」
ふむんと頷きかけるのは、赤い軍服のような装束をビッシと着こなす1人の中年紳士だった。
マジマジと凝視しながら、スリスリとアゴをさすり。
チャーミングポイントとも自負する、柔らかな金のちょびヒゲを丁寧に撫でつけて。そうしてよく眠っていることを確かめたのち、彼はスッとその場に姿勢を正す。
訝しげに細められた切れ長の瞳、そこに込められるのはただただ純粋に忌避の念と異物感だ。直前まであったはずの気遣いや穏和な雰囲気は、すでにその声音からも消え去っている。
まさか、ここまで早く意識が回復するとは思わなかったのだ。
魔女が常人に比べてあらゆる『毒』に対し、強い耐性を持っているとは知れたこと。
それを踏まえ、量も濃度も相応となるよう調整したスペシャルバージョンを打ち込んでおいたというのに。まさかもう目を覚ますとは。
おかげで作業は中断。
予定が狂ってしまったではないかと、彼が見下ろしたのは内向きに据えた金ピカの腕時計だった。それから今しがたのアクシデントにより生じてしまった遅延を、秒数に至るまで再計測して。
というのも『魔法薬の調合』はとても繊細な作業で、常に秒単位によるきめ細やかな采配が求められるからだ。そして半生をかけ、彼が歩んできたのがまさにそのエキスパートの道になる。
ともすればこうして事あるごとに時刻を確認してしまうのは、もはや欠かせない彼の習慣となっていた。だからこそ、何より腹立たしくて仕方ない。
――こういう他愛もないイレギュラーのために、せっかく組み上げていた完璧な予定をご破算にされたとあっては。
相手が子どもともなれば尚のこと、気分は最悪だった。
うるさいし、都合が悪くなったらすぐに泣く。
こちらの集中を際限なくかき乱してくる。
男にとって、子どもとはおよそそういう生き物だ。
不確定要素の塊にして、あらゆる厄介ごとの元凶。
そんなものを近くに置けばストレスで仕方ないだろうから、なるべく関わらないように日々を送ってきたというのに。
その自分がまさかあんな、子をあやすようなマネまで演じるハメになるとは。
しかもまるで一端のレディを扱うかのように振る舞い、「大丈夫ですよ」などと微笑みかけまでするビップサービスぶりである。
我ながら吐き気がするし、小癪なことこの上なかった。
自分の調合した魔法薬の効き目が途中で切れるだなんて、プロとしてあるまじき失態を晒されたこともそうだが。何より相手がこんな子どもという、その事実が。
まるでこの研鑽を積み上げてきた自分の力量に、ケチを付けられたみたいではないか。こうしている今もフツフツと怒りが湧いてきて、イライラが納まらない。
小憎たらしくて仕方なかった。
今やこの少女の何もかもが、鼻持ちならないほどに。
せっかく人目がないのだから、腹いせに一発くらい殴りつけてやろうか。
そうも思ったが……。
いけないいけないと深呼吸し、グッと堪える。
なにせこの少女には、これから聞き出すべきことがヤマとあるのだ。
加えてコトが済んだとき、自分はこの子にとって正義のヒーローとなってなくてはならない。
だから余計なことをするのはよそうと、思いとどまる。
エラー要因はコトを成すまで1つでも多く排すべきと、己が精神に刻み付けた完璧主義のポリシーに則って。
それも少なくとも今は、のことだが。
故にチッと小さく舌を鳴らすに留め、踵を返す男だった。
もうウンザリだとお手上げ風に、首を横ふりしつつ。
「これだから魔女は好きになれない、まったく――。ゴキブリなみの生命力ですよ」
こんこんと眠りにつく少女に、そんな苦言と深いため息を置き去って。
男の名はアレクセイ。アレクセイ・ウィリアム。
魔法薬の知識、調合の才腕において自分の右に出る者はいない。
また鏡を見る度に我ながら惚れ惚れとしてしまう、この整った顔立ちにおいても然り。
そう絶対の自信を誇る、自称魔女狩り界隈の貴公子である。




