6-2.「今はただ、それだけ」
結局、自力では起き上がれず。
森でへばっていた私を回収してくれたのは、後から追いついてくれたリクニさんだった。
やっぱりこうなったかと、どこかこの顛末を予想していた様子でやれやれと額に手をやる。それからよいせと私をおぶさり、森の外まで運び出してくれて。
どうにも気だるかった体が、呼吸が。
森から一歩離れるごとに、どんどん楽になっていくのを感じた。
「ここまで来ればもう大丈夫だろう」と下ろされるころには、さっきまでの不調がウソみたいに立てるようになっていたし、杖を振るえば魔法も問題なく使えるようになっていて。すっかり、いつも通りだった。
不思議な感覚に手をワキワキさせていたところ、実はねとリクニさんが教えてくれる。やっぱり私から護符を取り上げたのはゼノンさんで、もう帰ってこれないようにするためだったことを。
それは、できるならばしたくない答え合わせだった。
つまりゼノンさんは、そうまでして私を遠ざけたいということで。
だけど――。
「違うんだよ、アリシアちゃん。ゼノンは何もキミのことを悪く思って、そんなことをしたわけじゃないんだ」
そんな不安を零した私に、ゆるゆると首を横ふりしたのはリクニさんだった。
では、ほかにどんな理由があるというのか。なぜゼノンさんはこうも頑なに私を遠ざけ、会おうとさえしてくれないのか。
縋るように問いを重ねる私に躊躇いながらも、ようやくリクニさんが打ち明けてくれたこと。それは私にとって思いもよらない、あの魔女狩り試験で起きていたというコトの真相だ。
あの日の私には『空白』がある。
時間にすればほんの数分程度のことだけど、やっぱり覚えていないで済ませるにはあまりに不自然で、大きすぎる欠落が。
頭でも打ったのではないか。
記憶のない要因にそうとしか説明がつかなかったから、今日までそれで自分を納得させるしかなかったけれど。そこに存在していたのは、私の予期しないまったく別の真実だった。
「血の、目覚め……?」
聞けばそれは魔女の子どもに見られる、とても稀で特有の現象らしい。
リクニさんは言った。
魔女にとっての魔法とは言わば、願いを叶えるための手段であると。
しかし時おり、その前後関係が逆転してしまうことがあるというのだ。
願いが強すぎるあまり、本人の意志に関わらず魔法がそれを叶えようとしてしまうのだと、そんなことが。たぶん防衛本能みたいなものなのだと前置きしたうえで、リクニさんは続ける。
「あのときアリシアちゃんは、あのリオナって子が放った大きな魔法を2つ続けて対処しなくちゃいけなかった。でも消耗していた君には1つ目が限界で、2つ目まで受けきる力はもう残ってなかったんだろうね。だけど君には、あのフィールドで1秒でも長く立ってなくちゃいけないって強い気持ちがあったから――」
「まさか魔法が、それを叶えようとしたってことですか……? 私の体を勝手に動かして、リオナさんを……?」
「うん、たぶん……」
最後にそう、深刻な面差しで頷き返されて。
途端に私は、怖気に身の毛がよだつのを感じた。
何も覚えていなかったのは、記憶が飛んでしまったからではない。
すでに意識もないのに体だけがひとりでに動いて、戦い続けていたことが分かったからだ。そんな自分の姿が、とても悍ましいものにも思えて。
「そんな……」
そのうえでリクニさんは続ける。
私の様子がおかしいことにあのとき、ゼノンさんだけはいち早く気付いていたのだと。
だから誰より早くフィールドに降り立って、止めに入った。
そしてそうなった原因が自分にあると分かったからこそ、物理的に距離を置くことにも決めたのだ。医務室に運んだあとで、私から護符を取り上げて。
そうすることが一番、お互いのためだから。
それでゼノンさんは、こうも頑なに私に会いたがらないのだと。
「じゃあまた、私のためってことですか……?」
「ごめんね。もっと早く、ちゃんと伝えられれば良かったんだけれど。だけど分かってあげてほしい。ゼノンもよく考えて出した結論だと思うから。アイツはもう自分のために、アリシアちゃんを危険な目に合わせたくないんだよ」
「だとしても、こんな……」
真意を知っても、今だけは言葉が見つからなかった。
瞳を惑わせる。
だってこんなの、悲しすぎるではないか。
あまりに、一方的すぎて――。
◇
もう俺に構わなくていい。
おまえはおまえの道を生きろ。
リクニさんによると、それがゼノンさんから私宛てに言付かった最後の伝言らしい。あれからもう数日が経つというのに、私はまだひどくボンヤリしていた。
心ここにあらずというか、何をするにもいまいち気力というものが湧かなくて。
励まそうとしてか、ルゥちゃんがいろいろ誘ってくれたりもしたけれど。
空元気も演じられず、ごめんねと謝るくらいしかできなかった。
我ながら情けないし、気の利かないことで。
私がそんなだから、また気を回させてしまったのだろう。
気晴らしに散歩でもいっておいでよと、声をかけてくれたのはリクニさんだ。
このまま私がいても辛気臭くさせてしまうだけ。
だからお言葉に甘えさせてもらって、ふらりと出かけることにする。
でもとくに行く宛てもなくて……。
未練がましいことに、気づけばまた訪れていたのが街外れにある丘の上だった。
そこはゼノンさん宅からもほど近い、かつてよく魔法の特訓を付けてもらった場所。
ゼノンさんはよく、ここに座っていたっけ。
そんな感傷とともに手ごろな小岩に触れ、ちょこんと腰かける。
そこから緑の景観を見渡せば、ここで過ごした思い出がいくつも蘇ってきた。
そのほとんどが、やらかした私がゼノンさんにドヤされるところで。
ゼノンさんからすれば、とばっちりとかハタ迷惑ばかりかもしれないけれど。
それでも思い返すたびにクスリとなって、心を温かくしてくれる。
私にとってはかけがえのない、思い出の数々が――。
ポタリと、そのとき温かいものが頬を伝った。
そしたらたちまち止まらなくなって、溢れてしまって。
「あ、うぅ……」
袖で何度もそれを拭いながら、すすり泣く。
子どもみたいに泣きじゃくってしまう。
どうして、こんなことになったのだろう……。
あれから何度繰り返したか知れない自問の答えは、いまだ見つからないままだ。
私はただ、あの人に少しでも恩返しがしたかった。
してもらってばかりで何一つ返せないままなことが、ずっともどかしかったから。
なのに……。
結末がこれでは、何も意味なんて無いじゃないか。
それどころか、私はただ迷惑をかけただけ。
みんなを怖がらせないように、ゼノンさんがあまり人前に出ていかないようにしていたのは知っていたのに。
私が暴走みたくなったせいで、無理やり引っぱり出すような形になってしまった。
これでは恩を仇で返したようなものだ。
私を守るため。
リクニさんはそう言ってくれたけど、本当はそうじゃないのかもしれない。
なんて余計なことをしてくれたんだって心底、嫌われて……。
だとしたら、私は――。
「ゼノ……さぁん……」
イヤだった。
これっきりなんて。
だってまだ、たくさん残ってるのだ。
時間がかかっても……。
これから少しずつでも返そうと思っていたものが、たくさん。
数えきれないほどに。全然、返しきれてない。
だからこんなところで、メソメソしている場合ではないのに。
「私は、どうしたら……」
叶うなら、直接会って謝りたかった。
勝手なことをしてごめんなさいって。
そのうえでお願いしたい。
どうかこれっきりにしないでって。
もう二度と、ありがた迷惑にならないように気を付けるからって。
今はただ、それだけだった。