6-1.「やっと退院できたけど」
パート6始めていきます!
結局、退院するまでにゼノンさんがお見舞いに来てくれることは一度もなかった。
なんでどうしてとはリクニさんに幾度となく尋ねたのだ。
でも返ってくるのは「それが今ちょっとゼノンは忙しくてね」とか「なんか急用が入っちゃったみたいでさ」などと茶を濁すような返答ばかり。
なんだかいつかのときによく似た状況に思えて、私はとても不安になった。
こうなったらこちらから会いに行こうと、そう思い立っても。
「こらこら、患者側が会いにいくお見舞いがあるか。まだ寝てなくちゃダメだよ。しばらくは安静にって、お医者さまからも言われてるんだから」
ポフンと、軽くベッドに押しとどめられてしまう。
もうケガなんか治ってると抗議しても、聞き入れてはもらえなかった。
しまいには「こないだの話もあるんだしさ」と眉根を寄せられ、私はいたく悔やみきれない気持ちになる。
実は――。
先日、折を見てゼノンさんに相談しようと思っていた「覚えてないんです」の件を、先にリクニさんに打ち明けてしまったのである。
でもどうやら、それが致命的な判断ミスだったらしい。
深く考え込むなり、途端にハッとなったリクニさんが。
『まさか、それって……!? ちょ、ちょっとここで待ってて!』
と何やらドタバタしながら急に病室から出て行って、それから程なくのことになる。『いやーお待たせお待たせ』と気を取り直した様子で、いきなり入院期間を延ばそうと告げられたのは。
当然「ええっ!?」となったけれど、軽い調子で精密検査とか経過観察とか、とにかく決定事項であることを淡々と告げられる。
「言っておくけれど、君に拒否権はないからね。不当な言い分ならまだしも、僕は立派なアリシアちゃんの担当魔女狩り、監査役なんだから。都合の良いときだけ悪用はさせないよ」
「そんなぁーっ!?」
それでなんと1週間も、追加で缶詰されることになってしまって。
ベッドから外を眺めるか、本を読むか。
それくらいしかやることのない入院生活は、実に退屈だった。
毎日がつまらなかった。
たまにルゥちゃんが新しい本を持ってきてくれたり「なんだおまえ、まだいたのか」と夜分にリィゼルちゃんがお忍びで遊びにきてくれたりもしたけれど。
ゼノンさん、なんで来てくれないのかな……。
入院している間、私が考えていたのはそればかりだった。
あるいは監視の目がリクニさんだけだったら、何とか隙を窺うこともできたのかもしれない。でも。
「……ねぇ、ウィンリィ。私って一応、ウィンリィのご主人様なんだよね? だったら、これってちょっとおかしくないかな……?」
いまだと抜け出そうとしたところ、ウィンリィに見つかってちゅーぶらりん。
主従関係なんてポイ捨てされてしまったみたいに襟を咥えられるままズリズリ、ベッドに連れ戻されたりもしていた。
◇
きっとリクニさんの言う通り、ゼノンさんはいま偶然たまたま忙しいだけ。
お見舞いに来てくれないのもきっと、お仕事に追われててんやわんやしているからで……。
入院しているあいだ、私は何度そう自分に言い聞かせたことだろう。
悪い予感がするたび、必死にそれを振り払っていた。
でも結果として、それは的中してしまうことになる。
決定的な違和を覚えたのは、ようやく退院できたその日のことだ。
これでやっと自分の足でゼノンさんに会いに行けるぞと。
そう浮ついていた私を、それでもやっぱりリクニさんが止めようとしてくるのだ。
それもやたら遠回しに、気まずそうな面持ちで。
歯切れも悪くしながら、どうにか思い留まらせようとしてくる。
もういくら何でもおかしかった。
「と、とにかく私、帰ります!」
「アリシアちゃん……!」
呼び止める声も振り切って、私は一目散に走り出す。
目指したのはまっすぐ、ゼノンさん宅のある森の方角だ。
街を出て、人目に付かなくなった辺りで私はすかさずと杖を振るう。
そういう約束だからだ。
ゼノンさん宅に向かうときは、必ず『アリス』の姿でいることと。
だからとても久しぶりに、魔法で変幻したのだけれど――。
「えっ……? あれっ!?」
どういうわけかそれが途中でポンと弾けて、元に戻ってしまう。
それから何回も魔法をかけ直そうとはしたのだ。でもダメだった。
手ごたえがないまま、ぜんぶ空振りみたくなってしまって。
そんなはずないのに。
だってこれは散々、やり慣れていたことだ。
それこそ『イルミナ』時代から、私のもっとも得意とする魔法の1つで。
だけどやっぱり、何度やっても私の姿は変わらず『アリシア』のままだった。
「…………」
もしこのまま進めば、約束を破ってしまうことになる。
けれどもう、平静ではいられなかった。
ここまで来て、引き返すことなんてできない。
「ごめんなさいっ!」
せめてそう詫びいってから、私はえいとその先へ踏み入ることを決める。
ただこの胸に渦巻くイヤな予感が、思い違いであることを確かめたい。
その一心で。
祈るような気持ちで、私はその先へと進んだ。
このまま帰ったらきっと、ゼノンさんがいて。
なんだもう退院してたのかみたくなって、また以前と変わらない日常が……。
だけど、やっぱりおかしい。
いくら進んでも、ゼノンさん宅に辿りつけない。
これまで数えきれないほど行き来したから道順はしっかり頭に入っているし、こんなに息が上がるほど突っ走っているというのに。
まるで同じところをグルグル回っているみたいだった。
それこそ、そう。
かつて私が、あの森の霧に閉じ込められていたときと同じように。
「なん、で……!?」
足を止め、息を切らしながらも私はその答えにたどり着く。
まさかと思ってポーチを漁ったらやっぱり、無かったのだ。
無くなっていた。護符が。
それは言わば、この森を奥へ進むために必要なカギのようなもの。
ゼノンさんは何かと狙われることも多い身の上だから、この森にはいろいろ罠とか呪いを仕掛けていて、そう簡単に部外者が立ち入れないようにしてあるのだけれど。
「失くすなよ」とゼノンさんからもらって、底に縫い付けてあったはずのそれがない。
剝がされている。
「どう、して……?」
分かりきっていた。
それが答え合わせで、もはや認めざるを得ないことを。
――ゼノンさんが再び私を遠ざけようとしている、その事実を。
「ゼノンさぁああんっ!」
私は森に向かってありったけの声を響かせた。
ごめんなさいと詫びいる。
きっとゼノンさんは怒っているのだ。
私が勝手なことをしたから。
そのうえケガまでして、たくさんの面倒までかけさせてしまったから。
褒めてもらえるかな、なんて思い違いも甚だしかったのだ。
もっと早く気づくべきだった。
ぼんやり待っている場合ではなかったのに。
だから涙ながらに伝えた。
帰らせてほしいとお願いした。何度も、何度も。
けれど返ってくる答えは何も無くて、ただ私の声が空虚に森に響くばかりで。
「ゼノンさん……」
泣いている場合ではないと目元を拭い、私は立ち上がる。
どうにかしてこの奥に進むのだ。たとえ許しを得られずとも、謝意だけは直接この口から伝えたいと目を凝らして。
やはりと、そこに認めたのは不自然な光の歪曲だ。
おそらくは光のベールみたいなもので、この辺り一帯の景色が緩やかに捻じ曲げられているのだろう。
だったらと、私は据えた杖先に魔力を集中させた。
それさえ取り払ってしまえば、惑わされず正しい方向に進めるはずだからと。
ところが――。
「え……?」
そこでもまた奇妙な感覚に見舞われる。
このベールを破壊するには一筋縄ではいかない。
だから相応のエネルギーを乗せた魔法ミサイルで、それを取り払おうとしたのだけれど。
杖先に集束させようとした魔力が、ある一定のラインを超えたところでフシュリと霧散してしまうのだ。まるで水を溜めようとしていたバケツの底がいきなり抜けてしまうみたいに、途中でこつ然と力が流れ出ていってしまう。
なんでと、それでも強引に力を束ねるため両手持ちに切り替えたところで、その元凶に気付いた。足元がぼんやり光っている。魔法陣みたいなものが展開して、私が魔力を込めようとするたびにそれが輝いて。
どうやらそこを起点に、力が抜けてしまっているらしかった。
たぶんこれもゼノンさんが張った罠、セキュリティの1つ。
結局、魔法ミサイルも不発に終わる。
どころかすさまじい脱力感に襲われるまま、ドッとその場に倒れ伏して――。
「ゼノン……さぁん……」
これでまた1つ、はっきりした。
どうして森に入ってすぐに変幻術が解けてしまったのか、その理由が。
護符がないからだ。
たぶんそれがないと此処ではどんな魔法も解けてしまうし、使うこともできないとかそういう仕掛けになっているのだろう。
だからもう私は、これ以上先へは進めない。
どうすることもできない。
帰れない。
イヤというほど突きつけられる。思い知らされる。
ゼノンさんは忙しくてお見舞いに来れないわけじゃなかった。
私はきっと、ゼノンさんに愛想を尽かされてしまったのだ。
それなのに、私は……。
私は何を、勘違いしていたのだろう。
褒めてくれるかな、なんて……。
「バカ……。私の、バカぁ……」
しばらくは声も振り絞れないまま、なす術もなく。
その場でヒンヒンと泣きじゃくるしかなかった。




