5-16.「目覚め」
「やっべ、まずったな……」
観衆たちのどよめきをよそに、モクモクと土煙に覆われたフィールド上から。
どこか気まずそうな面持ちでそう独り言ちたのは燃えるような赤毛の魔女、リオナ・コロッセオである。
『いいかい、リオ!? あのアリスってガキの相手はアンタだ! アイツだけは絶対、何がなんでもひねり潰してきなぁ! 手ぇ抜いたりしたら承知しないよ!』
とまぁそれはただならぬ剣幕でクギを差されてしまったので、いったん姿勢としてはそれなりに見えるよう臨んだのだが。にしても、これは流石にちょっとやりすぎてしまったなと反省した。
というのも、思いのほかやり手だったからだ。
初撃で終わらなかったのはもちろん意外だったが、その後もアリスの対応・反応速度はいずれもリオナの見立てを大きく超えてくるものだった。
乱射した隕石のどれを防ぎ、あるいは回避し、撃ち落とすのか。
その判断が的確かつ、迅速だったのである。
これは久々に楽しめそうな相手が出てきたぞと、それを見たリオナも思わず興を乗らせてしまった。でもそのとき、ちょっと不穏なものを気取って。
チラと横目をやれば案の定、我らがリリーラ様が負のオーラを放っているではないか。いつまで遊んでんだいと、そう言わんばかりの形相でウギギと怒りを滾らせている。
ついでにその隣ではアニタが声なき懇願、エスオーエスを送っていた。
「お願い早くしてリオ、私を助けて」と言わんばかりに手を組み、ウルウルと瞳を潤ませていて。
「ちぃ……」
これはオチオチしてらんねぇなと思った。
時間こそまだたっぷり残っているが、さっきの癇癪を思えば何をしでかすか分かったものではない。毎年のことだが、この日のリリーラはとくにボルテージが上がりやすいのだ。
いろいろと天秤にかける。
今を楽しむことと、そうした場合に後で待ち構えているだろう面倒と。
大体なんでオレがとか、そもそもそんなことに思い悩まなければならないこの状況自体に釈然としないものがあるが、とはいえ……。
決して気は進まないまま結論に至り、はぁとため息。
「とばっちりだな、お互い……」
ボソりと独りごちのように手向けたのは、どうにかこうにか食らいついてたアリスにせめてもの同情の言葉だ。
どうもテグシーが紛れ込ませた異分子のようだが。
ゼノン・ドッカーと関わりさえなければ、リリーラからこうも目を付けられることもなかっただろうにと。
せっかく楽しくなってきたところだが仕方ない。
遊びはここまでと、リオナは距離を取る。そしてこれで終わりだとそこそこ本気の熱量を乗せた一撃、大炎塊を放って――。
「なっ……!?」
だがそこでもアリスは、リオナの予想を超えてきた。
ほとんど火事場のバカ力みたいなヤケクソだと思うが。
それでもアリスの放ったありったけ魔力の込められた魔力砲が、なんとその核を穿ったのである。
力の中心点を破壊され、大炎塊は中空で爆散する。
本日2度目、おそらくは初回を凌駕するレベルの特大インパルスと熱風を伴いながら。
あまりの出来事に、会場全体があっと息を呑んでいた。
リオナも自身の生み出した灼熱に肌を撫ぜられながら、本来の言いつけも忘れて。
「いいじゃねぇか……! なんだおまえ、マジでやんじゃねぇかよ……!」
思わず零してしまったそれは、アリスに対する心からの賞賛だった。
でも、そのあとがいけなかったのだ。
自分としたことが、高揚を抑えきれなくなってしまって。
相手の余力も考えず、つい2発目を撃ち込んでしまったのである。
「こいつはどうだぁー!」と、それはもう意気揚々のノリノリで。
そうしていま、この状況だった。
フィールドは半面近くがモクモクと立ち込める土煙に覆われ、ほぼ視界も効かないような状態となっている。
その惨状をまえに、いっけねやっちまったとポリポリ、後ろ頭を掻くリオナだった。いやさすがに再起不能とかにはなっていないと思うのだ。ギリギリで我に返って、放つ寸前に威力はかなり抑えたから。
とはいえ、これは……。
観衆から注がれる沈黙がいたたまれなかった。
だが――。
「おおっ?」
目のうえに手で笠をこさえながら、パッチとすぐにリオナは目を見張ることになる。ようやく晴れてきた土埃のなかに、まだ立っている小さな人影を捉えたからだ。
込みあがる感情には複雑なものもあったが……。
よいせと腰を捻ってからリオナは声を張り上げる。
ちょいと指先で、まだ立っているアリスを指さしながら。
「おいババァ、もういいだろ! こいつ通過させてやれよ、大したもんだぜ!」
その相手は特等席に居座る主、リリーラ・グランソニアだった。
するとリリーラは「ああっ!?」とすかさず身を乗り出して。
「なに寝ぼけたこと言ってんだいアンタ! まだ時間は残ってんだろうが!?」
「残ってっけど、こいつもう戦えねぇよ! 立ってんのでやっとだ! それにオレ相手にここまで立ち回れたんだから、もう十分だろうが!」
「十分なもんか、よく見なぁ! そいつまだしっかり自分の足で立ってるよ! きっちりトドメを差せーッ!!!」
「ちぃっ、物騒なババァだぜ」
そんな痴話げんかのようなやり取りを介してから、再びリオナは視線を戻して。
「おい、おまえアリスとか言ったか。もうそこに腰下ろせ、それで満足だとよ」
「リオナァーッ! 何をおまえ勝手に」
「黙ってろクソババァ! おい早くしろ、どっちにしたってもうお前はここまでだ。十分だろ。さっさとしねぇとアイツ……が」
途中で言葉が途切れたのは、再び見やったアリスが泣いていたからだ。
ポタポタと涙を零しながら、声もなく。
ただ杖先だけを、リオナに向けようとしていて。
「おいよせ、もう終わ――」
そう制止をかけようとした、次の瞬間だった。
ビュッとそれが振られ、全身がすさまじい衝撃に見舞われたのは。
地を弾むほどの勢いで吹き飛ばされながらも、どうにか体勢を整える。
表情を苦悶に歪め、脇腹を抑えながらリオナが口元から拭った紅は、開戦から初となる彼女側の負傷だった。
「ってぇ……!」
久々に肩慣らしくらいはできたと、実力を見込んだ相手から被ったまさかの不意打ち。しかもゴロゴロと無様に地まで転がされたのだ。
普段のリオナであれば間違いなく即座に頭に血を昇らせ、完膚なきまでにぶちのめしてやるまでの狼藉にあたる。だがそうしなかったのは、すでに彼女も得たいの知れない違和を覚えていたからに他ならない。
その禍々(まがまが)しいまでの魔力の気配が、直前までのアリスとは似ても似つかない、まったく異質の何かに変容していたからだ。いったい何が起きたというのか。
「よぉ……。どうした、おまえ……?」
その問いかけに答えもないまま、アリスの手掌から描き出されたのは光のアーチ。そこから生成、射出された無数の光矢が、止めどなくリオナに襲い掛かる。
おい汚ねぇぞとか正々堂々などとありきたりなブーイングが観衆から巻き起こっているが、リオナはすでに確信していた。これはおそらく、純粋なアリスの意志によるものではないと。
いまのアリスは魔法を行使しているのではない。
魔力に支配されている、言わば冗談抜きの『魔女』の状態だ。
またの言い方を、『血の目覚め』。
なにが彼女をそこまで突き動かしたのかは知らないが。
早く止めなければ、会場が大混乱に陥るのは必至だった。
「ひえー、あのリオっち相手に不意打ちとは何とも命知らずなチビッ子っすねぇ……って、およ?」
「……?」
「リオっちが押されてる……?わけないっすよね。ジラっち、これって……」
「あぁ……。あの女の子、さっきから何か様子がヘンだ。まさか……!」
制限時間がまだ残っているうちに片を付けなければ、さらに厄介なことになるだろう。だからありったけの火力を熾し、あらん限りの声を張り上げた。
「上等だテメェ、ぶっ殺してやるッ! いいか、誰も手ぇ出すんじゃねぇぞッ!!!」
すべてはまだ審査過程での出来事と、観衆たちに誤認させるための演出だ。
もしここで自分がしくじれば、異変に気付きつつある仲間の魔女たちの手も借りなければならなくなる。
そうなるまえに……!
豹のように身をかがめ、持てる最大火力をリオナがその身に纏おうとしたときだった。
「悪ぃな、世話かけた。あとのことは俺が引き取るからよ」
トンと小さな靴音が軽やかに、アリスの正面に着地して――。