5-3.「朝からソワソワしています」
私はアリシア・アリステリア。
いろいろ込み入った事情があって、この頃は森の奥にあるゼノンさん宅に居候させてもらっている子ども魔女だ。『アリス』という偽名を使っていたりもするがそれは人目があるとき限定で、ゼノンさん宅では今まで通りアリシアとして生活している。
正体を隠して魔女登録を進めつつ、裏ではまだまだ拙い魔力コントロールの訓練を付けてもらったりしていて。ゼノンさんから言い渡されるメニューや課題図書をこなす日々を過ごしていた。
もちろん『無料で』ではない。
だってそれではただのゴク潰しになってしまうから。
最低限の家事をしたり、ときどきゼノンさんの仕事を手伝ったり。
もちろんそういうのと引き換えだった。
働かざるもの食うべからずとは孤児院時代にさんざん、職員さんたちから言われたことでもう体に染みついている。何もしないでいる方がよほど落ち着かないというものだった。
というわけでさながら、住み込み修行をしている弟子とその師匠と言っても差し支えなさそうな関係になっているわけだが。(実際はお目付け役のついで。)とりわけ今日の私は力が入っていた。
とくに何かの記念日とか、節目というわけでもない。
でもそうでもしていないと、どうにも落ち着かなかったのだ。
「何やってんだ、おまえ? 朝っぱらから」
「あっゼノンさん、おはようございます!」
するとゼノンさんが欠伸混じりに2階から降りてきたので、掃除中だった私は頭にバンダナを巻いたままペコリと頭を下げる。それはもういつにも増してビッシと、洗練されたキレの良さで。
そんな私と室内を見て、さしものゼノンさんも驚いた様子だった。
それはそうだろう。見回したリビングのみならずキッチンやバスルーム、お手洗いまでも朝からピカピカに磨き上げられているのだから。
どこか不自然そうに辺りを見渡してから、ゼノンさんは尋ねてくる。
「今日なにかあったっけか?」と。
私は答える。
「いえいえ、なにもありませんよ」と。
ただ今朝は偶然目が冴えて、時間もあったので始めたら止まらなくなってしまっただけということにして。
『あくまで自然に、いつも通りに!』
そう必死に言い聞かせながら、もうニッコニコとゼノンさんの追及を回避する私だった。べつに変わったことなんて何もありませんよ風を装って、それはもう屈託のない笑顔で。
さては私が昨日分の課題図書をサボったのではないか。
そんな疑惑が持ち上がったのだろう。
出し抜けに魔法薬に関する問題が出題されたが「あっ、そこは昨日のところですよね」。すらっと答えた私にその疑義も晴れたようだった。
じゃあなんだと訝しむ様子はあったが、ついに他には思い当たらなかったのだろう。
「まぁ何もないならいいが」
そんなお言葉を最後に、ようやくゼノンさんの注意から外れることができた。
どうにか切り抜けられたと一安心したのも束の間、それから程なくのことになる。
何やらゼノンさんがよそ行きの恰好となって、外出の支度をし始めたのは。
カレンダーを見るに、今日はとくに仕事の予定もなかったはずだけれど。
「あれ、今日はどこかへお出かけですか?」
「ああ。さっきリクニのやつに呼び出されてな。急用なんだとよ」
「急用……」
「なんだろうな、やけに慌てた様子だったが。とりあえず行ってくる。そうだな、今日のところはひとまず今までの復習でもしておけ」
そのままパタンと扉を閉めて、ゼノンさんは行ってしまった。
「行ってらっしゃい~」と、途中までニコニコ手を振って送り出していたのだが。
その気配が完全に遠ざかったのを期に、私はその場にずるりと足を崩す。
それからウリュリと、力なく目を潤ませて。
もうイヤな予感しかしなかった。
急用ということは、もしかしてそういうことだろうか。
クゥンと鼻を鳴らしながら、ウィンリィが励ましにきてくれたけれど。
「どうしよおお……」
もはや後には引けぬと、頭を抱えるしかない私だった。
◇
いったい何があったのか、事件があったのは昨晩のことになる。
ことの発端は昨日、ルゥちゃんがリクニさんと一緒に持ってきた1枚のクエスト用紙だった。
「お遣いクエスト?」
なにそれと聞いてみたら、どうやらそれはルゥちゃんくらいの子が魔女登録を進めていくために必要なものらしい。
ここでちょっと魔女登録についての補足になるのだけれど、仮登録まで終わったあと本登録までの期間や審査過程は、実はあまり明確に定められていないのだそうだ。
周りから見て「もうとくに問題ないよね」と総括されたら、そこで本登録となかなかザックリした判定基準とのこと。つまり魔女登録の最大の山場は、実は仮登録までだったりするのである。
ちなみにルゥちゃんも私と同じく、そこはもう突破しているわけだが。
では残りの期間が何で決まるのかと言えば、それは一重に社会への貢献度だ。
「私は悪い魔女じゃないですよ~」とアピールを、普段の素行や生活態度から示していくことが重要になる。ありていに言えば、ポイント稼ぎだということで。
たとえば今の私がゼノンさんにお目付け役に付いてもらって、いろいろ仕事の手伝いなんかをさせてもらっているように。そうやって実績や成果を積むほど、本登録までの期間も短縮されるといった具合だ。
でもルゥちゃんのように小さい子では、なかなか同じようにするのが難しい場合もあるだろう。そこで発案されたのが、件の『お遣いクエスト』になる。
たとえばゴミ拾いとか、簡単なパトロールとか。
そういうルゥちゃんのような子でもこなせるような難易度の低いクエストを事前に魔女狩りギルドがピックし、それ用に再発注するのだ。
それをクリアしていくことで、ルゥちゃんも魔女登録を有利に進められるようになるという、なかなかに寄り添った仕組みだそうで。話は分かったけれど、でもなんでそれを私のところに?と思ったら。
「え、私がですか?」
どうやら私に、その引率係をお願いできないかとのことらしい。
なんでも本当は今夜、リクニさんが2人で赴くはずだったが仕事が片付かずに難しくなってしまったそうだ。
べつに私は全然かまわなかったのだけれど、シンプルに疑問なのはそれでよいのかということに尽きる。だって、おかしいだろう。
社会性のアピールという本来の目的からすれば、魔女に魔女狩りが付いてこそ意味があるのだ。それが私たち魔女だけでは誰のためのポイント稼ぎなのか。示し合わせて八百長みたいなことだってできてしまう。
それでよいのかと尋ねたら、リクニさんも困った様子で。
「うん。僕も同じことを思ったんだけど、そもそもこれを言い出したのはテグシーでね」
「え、テグシーさんが?」
それはリクニさんの上司にあたる魔女狩りさんの名前だ。
私も面識はあって、何度かお話もさせてもらったことはあるのだけれど。
『――つまらないことを気にするな、リクニ。民なくして国家が成立しないように、ルールもまたそれを守る人員がいなくては意味を為さない。分かるだろう、人手が足らないんだ。それがすべてじゃないか』
「って、すごい達観した感じで言われちゃってさぁ」
「……元も子もないですね。あの人らしいですが」
「まぁ君たちのことを信じてるってことだとも思うよ。たぶん」
とにかく偉い人のお墨付きもあるから大丈夫と、そういうことになったのだった。