4-3.「こんなお名前はいかがでしょう?」
この穏やかな時間が、いつまでも続けばよいと思った。
でも、もうゆっくりはしていられない。
あまり遅くなってしまうと、抜け出したことがゼノンさんにも見つかってしまうから。
だから――。
「よし!」
私は意を決した。
もう置き去りになんてしない、この子をこのまま連れ帰ろうと。
それでちゃんとゼノンさんにも相談してみるのだ。
何もしないで諦めていたけれど、お願いすればもしかしたら分かってくれるかもしれない。もしダメでも、他にやりようだって探せるかもしれないではないか。たとえばリィゼルちゃんのラボで一時的でも預かってもらうとか。
「ダメかなぁ……」
『やなこった、なんでボクがそんなことを』とそっぽを向かれる予感がすぐに過ぎる。でも首をブンブン横振りしてから心を強く持った。きっと大丈夫だ、なんとかなると。
「心配しないで。きっと私がなんとかしてみせるからね、ワンちゃん」
小さな前足をどちらも持って、ちょいと握手。
にっこり笑顔で約束を交わした。
「そうだ、名前も決めなくちゃね」
ワンちゃんという呼び名も味気ないとふと思い、想像してみる。
まだ少し気は早いけれど、もし名前を付けるとしたらどんなのが似合うだろうかと。
男の子だけど、可愛い名前がいいな。
「うーん、そうだなぁ」と今まで読んだたくさんの物語を思い返して1つ、「あっ!」とピッタリの名前に行きついた。
「――ウィンリィ、なんてどうかな?」
すると「アン!」と元気な返事とともに、なにか小さな光のようなものが浮かび上がって――。
――――。
「はえ……?」
それからしばらく、放心したように空を見上げる私だった。
たったいま、とても不思議なことが起きたのだ。
ワンちゃんに「ウィンリィ」と名付けた直後のこと。
その額のあたりからポワンといくつもの燐光が蛍火のように舞い上がり、ピカーンと強く光ってから消えてしまったのである。
何が起きたのかとパチパチ、しばし目を瞬かせる私だった。
「今の、ウィンリィがやったの……?」
尋ねた当人にクゥン?と首を傾げられては、もはや答えは分からない。
なにか、目が錯覚でも起こしたのだろうか。
そんな風にも思えた。
まったく不可解な現象だったが「と、とにかく」と私は腰をあげる。
「早く帰らないと! あまり遅くなると、ゼノンさんに」
「ゼノンさんに見つかっちゃうってか?」
「そう、見つか……へっ?」
片足だけ中途半端に立てたような体勢で、私はその背後からの声にピタリと動きを止める。ガクブルと視線を背後にやれば、言わずもがな。そこにいたのは。
「ぜ、ゼノンさん……?」
「てめぇ……。なに勝手に余計なレア度増やしてんだ、コラ……」
レア……?とか聞き返そうとしたところでガッと頭をワシ掴みにされる。
そのままギリギリと握力されて、「あ”あ”あ”ーっ!」と私の苦悶が夜の森に響くのだった。
◇
ゼノンさん、ついてきてたりしないよね……?
細心の注意を払って宿を抜け出したものの、ここに来るまで何度も後ろを確認していた私である。
誰もいないことを確かめては、ほっと胸に手を置いたりしていたのだが。
結論、その努力になんら意味はなかったらしい。
「で、どういうことだ。説明しろ」
アイアンクローからようやく解放されたあと、さっそくと始められた事情聴取。
せめてもの正座で誠意を示しながら、私はしゅんとするしかなかった。
そうしてすべてを吐き終えてから、最後に情状酌量の余地を求める。
無論、私ではなくウィンリィの処遇についてだ。
こんなにかわいいですよと熱意を込め、抱きあげてからしっかとゼノンさんにも見せつけた。アピールする。でもものすごい迷惑そうなジト目を送られてしまったもので。
かくなる上はとガバリ、背を丸めて勢いよくひれ伏す私だった。
「お願いしますゼノンさん、この子の面倒は私がちゃんと見ますから!」
「自分の面倒も見れねぇのにか?」
「……っ、将来この子の分までちゃんと恩返しします! すぐには難しいかもですけど、もう少し大きくなったら必ず! かかったお金は返しますし、ゼノンさんのいうことにも逆らいません! もうめいっぱい、こき使ってくれていいですから!」
「使い物になんのかよ」
「そこは、これから頑張りますからぁ……」
痛いところをたくさん突かれ、最後はヘナヘナと物乞いみたくなっていた。
でもどれも偽らざる本音だ。ウソなんて1つもない。
ゼノンさんのためなら、私はどんなことだってできると自信があったから。
お願いしますお願いしますと、私は必死になって頼み入る。
して、「ったく」と煩わしげながらも下された審判は――。
◇
それから間もなくのこと、私はルンルンととても軽い足取りになって帰路へついていた。
「良かったね」とにっこり話しかけた懐で、しっかと抱かれているのはウィンリィだ。下った判決は執行猶予、いくつかの条件と引き換えに連れ帰ることを許された形になる。
といっても、正確にはそうせざるを得なかったらしい。
てっきりただのノラのワンコだと思っていたのだが、聞けばウィンリィの正体はまったくそんなものではなかったのだ。
ここで少しだけ話は遡るのだが――。
実は杖づくりの素材集めをしていたときに、私たちは一度ウィンリィに遭遇していたのである。
そのときは今のかわいいフォルムとは似ても似つかない姿で、体もずっと大きかったけれど。それは足をケガして動けなくなっていた、『ライロウルフ』と呼ばれる精霊獣だった。
白い毛並みを血で汚した姿はとても痛々しくて、しかも毎日同じところにいるので放ってもおけない。近づこうとしたら即座に唸られるくらい、最初は警戒されてしまったけれど。
それも日を追うごとに少しずつ解いてくれたようで、最後は触れさせてもらえるまでになって。「じゃあ私たち、もう行くね。元気でね、狼さん」とお別れを告げたのが出立直前のことになる。
快方に向かっていたとはいえ、できれば最後まで見届けてあげたかった。
そうしてあげられなかったことを、ずっと心残りにも思っていたのだけれど。
「まさかウィンリィが、あのときの狼さんだったなんてねぇ~」
どうやら付いてきてくれていたらしい。
再会の喜びも含め、はぁ幸せと。会ったばかりのころでは考えられない距離感で、その柔らかい毛並みにほっぺをスリスリさせる私だった。
ところで精霊獣というのは魔力を介して人と『契約』を交わし、共存関係を結べる少し特別な魔獣たちのことらしいのだが。
どうやら私は、その『契約』をさっきウィンリィと結んでしまったとのこと。
そんな覚えはまったくないのだけれど、あのときピカーンとなったのがその合図だったそうで。
ゼノンさんによれば、一度結んでしまったそれを解除するのはかなりの手間と時間を要することらしい。加えて、双方に大きな負担もかかるとのこと。それでなし崩し的に、連れ帰るしかなくなってしまったという次第だった。
動物は好きな方だから、いつかこういうモフモフした生き物を飼いたいとはずっと思っていたのだ。その念願が、まさかこんな形で叶うだなんて。
もう幸せいっぱいすぎてニコニコが止まらない。
それこそ油断したらスキップすら踏みそうなほどに。
「おいこら……。なに一人でホクホクしてんだ、テメェ」
「ご、ごめんなさいぃ!」
再び手をゴキゴキとゼノンさんからすごまれては、たまらずヒィとなるしかなかったけれど。
「とにかく、もう一人で勝手に出歩くんじゃねぇぞ。夜はとくにだ」
「それって……心配してくれてるってことですか?」
「余計な手間かけさせんなつってんだ!」
ビッシと指を差されて私はコクンコクン、全力で首を縦に振るばかりだった。
それでなんとか、それ以上のお咎めは免れられて。
(グルルとウィンリィが牙を剝いていた。)
「これからよろしくね、ウィンリィ!」
アン!と元気な返事があってその夜、これでもかと私はモフモフタイムを堪能するのだった。