4-2.「ある日、森の中でモフモフと出会った」
私が初めて、その小さな気配に気づいたのは昨日のことになる。
日没も近いから今日はここまでと河の浅瀬でキャンプを張ることになり、私はいつものように火を焚くための薪を拾いに行っていたのだけれど。
あの枝も良さそうだな、なんてまだ抜けきれないクセでよそ見をしていたときだった。ぴたりと、ふいに足が止まったのは。
「うん……?」
なんだろうか。
いま何か、視線みたいなものを感じた気がするのだ。
振り返ったところには茂みがあるだけで何もいない。
でも気になってしまって、私はそーっとそちらへ。
訝しみながら覗き込もうとしたところで突然、なにか柔らかい感触が飛び掛かってくる。わぁと仰け反りながら、いったい何ごとか。恐る恐る目を開けてみれば、まさかだった。
「か、かわいい~っ!」
たまらず私は目をキラキラさせる。
ドテンと尻餅をついてしまった私の上に、それはちょこんと居座っていたのだ。
ご機嫌そうに尻尾をフリフリ、ハッハと舌を出しながら円らな瞳を向けてくる。それはそれは抱き心地の良さそうな、小さなワンコが私のお腹のうえに。
どうしたのキミ、と尋ねかけてすぐに顔を舐められてキャーとなる。
それからしばし、私はモフモフのひとときを過ごしていた。
たわむれる。
性別はオス。
サイズと人懐っこさからしてまだ子犬に見えるけれど、人馴れしている成犬なのかもよく分からない。とにかく野生とは思えないほど、その仕草の1つ1つが愛くるしくって。
もし本当にノラなら、ぜひ連れて帰りたいと思った。
でもそこで、すごく残念なことを思い出す。
ゼノンさんは動物が全般、きらいなのだ。
素材集めをしていたときに、ボソッと言っていたのを思い出してしまって。
「ごめんね……。たぶん連れていってあげられないと思うんだ」
抱き上げながら、そう伝える。
これ以上、愛着がわかないうちに別れよう。
元気でねと最後に伝えたら、お行儀よくお座りしたままアンと返事をくれて。
後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にする私だった。
でも結局、それが最後の別れとは全然ならなかったのだ。
翌朝、日の出とともに旅路を再開した私たちだが。
「ところでゼノンさんは犬派ですか? 猫派ですか?」
「あ、何の話だ?」
「えーっとですね。心理テスト、みたいな……?」
「くだらねぇ」
アセアセとそんなことを尋ね、撃沈しながら私は気が気ではなかった。
だいぶ離れてはいるけれど、ちらりと視線を配った後方。
テチテチと昨日のワンコが付いてきていたのである。
なんでぇーっ!?
心の中で絶叫を上げながらガビーンとなって、一方で気づいてくれたのを嬉しそうにすかさず駈けよろうとしてくるワンコだった。でもダメダメ来ちゃダメとぶんぶん首を横に降ったら、何か伝わるものでもあったのかすぐに足を止めてくれる。
それからずっとだ。
この近からず遠からずの距離をキープしながら、ワンコは短い足でテクテクと付いてきていた。一度は振り払っただけに、何とも心の痛くなる健気さでアウウとなる。
でもゼノンさんは今の通り、取り付く島もなさそうだし。
お願いしても、たぶん突っぱねられるだけだろう。
どこかで諦めてくれることを祈るしかないが、あの様子ではそれも望み薄か。
あぁもういったいどうしたら……。
「なんだおまえ、さっきからソワソワして。ウンコでも漏れそうなのか?」
リィゼルちゃんからあらぬ誤解を受けながら、私のヤキモキは続くのだった。
◇
「おいアリシア、トイレあっちにあったぞ! 早く行ってこい!」
「あ、ありがとう……リィゼルちゃん」
街に入るなり、周りにも聞こえるくらいの大声でそう教えてくれたのはリィゼルちゃんだ。すごい恥ずかしかったけど、仕方なくそういうことにして私はいったんその場を離脱し、伝えにいく。
小さな隠密者に、「こら、ついてきちゃダメでしょ!」と。
腰に手をあてがい、怒ってる風を装ってはみたのだけれど。
――アン!
こちらの気なんて露ほども知らぬそうに、当人は尻尾をフリフリしながら愛らしい瞳を向けてくるばかり。正直言って、お手上げだった。
でもふと辺りを見回してから思う。
あるいはここなら良い人が通りかかって、運が良ければ拾ってもらえるのではないかと。
だから「いい?」と私は人差し指を立てながら、言い聞かせるようにして伝えた。
ここでよい子にして待ってるんだよ、と。
すると大人しくお尻を下げ、お座りしてくれるワンコである。
ヨシヨシお利口さんと頭を撫でてやってから、時間もさほどないので私も立ち上がって。
「もう付いてきちゃだめだからねー!」
それだけ言い残して、パタパタと手をふりながら駆け戻った。
良い人に拾ってもらってね、と淡い望みをかけて。
言いつけ通り、ワンコはもう付いてこようとはしなかったけれど。
置き去るみたいでやっぱり心苦しい。
同じ場所で座ったまま遠ざかっていくその小さな姿が、どうにも頭から離れなかった。
◇
そして、今――。
あのワンコのことがずっと気になっていたのだ。
良い人に拾ってもらえてればよいのだけれど……。
「確か、この辺りだよね」
息を切らしながら、かすかに街明かりの届いている夜の森で足を止め、視線を巡らせる。最後にあの子と別れたのはこの付近だったはずだ。
でも見渡す限り、あのワンコの姿はどこにもない。
誰かに拾われたか、諦めて森へ帰っていったのかは定かでないが。
「良かった……」
良い方向に考えるしかないと、ほっと安堵の息を付いたときだった。
背後の茂みが揺れ、アン!とそれが飛び出してきてしまったのは。
「あ……」
かける言葉も見つからないまま、私はその場に立ち尽くす。
ショックだった。
だってあれからもう、かなりの時間が過ぎている。
それなのにまだ、この子がここにいるということは。
「ずっと、待ってたの……?」
手を伸ばすとワンコはすかさずクンクンと鼻を鳴らして、クゥンと小さな頭を擦りつけてくる。ぺろぺろと舐めてくる舌の感触は、心なしか昨日よりも乾いている気がした。
なにが「良かった」なのか。
たった今、そんなふうに考えていた自分がひどく忌まわしい。
ここで待っていてなんて、そんな無責任な言いつけをしたから。
この子はずっとこんなところに、たった一人で。
心細かっただろう。寒かっただろう。
お腹だって空いているはずだ。
そっと抱き寄せるようにして、その柔らかい毛並みを梳いてやる。
ぎゅっと抱きしめる。
「ごめんね……」
その言葉に、果たしてどれだけの意味があるのか。
分からないまま、私はただそうしてやることしかできなかった。