1-2.「事情聴取を受けました」
幼いころに触れてから、ずっと心に残っている物語がある。
まだ秘密ができるまえ、私はとある田舎町の孤児院で過ごしていた。
そこには私と同じように、親の顔や自分の誕生日も分からないような子がたくさんいたのだけれど。
いつだったか、なかなか寝付けずにぐずっていた夜。
気を利かせた職員の人が、ランプの灯りを頼りに読み聞かせてくれたのだったと思う。
『昔々、あるところに』とさもありがちな出だしから始まる、それはいわゆる子ども向けの絵本だった。ページにすれば軽い読み物だし、今にして思えばすごくありがちなストーリーだ。それでも幼いころの私にはとても安心できて、心温まる物語だったことをよく覚えている。
とりわけこの森で過ごすようになってからは、思い返す頻度もずっと増えた。
今の自分の置かれた境遇を、あの絵本に出てくる囚われのお姫さまに重ねて。
いつか私も、なんて物思いにふけったりもしていた。
とてもありそうもなくて分不相応なこととは、言われなくたってちゃんと分かっていたけれど――。
「――あ、れ……?」
目が覚めたとき、頭がひどくぼんやりしていた。
目の前には見慣れた天井があって、どうやら自分は眠っていたらしいのだが、それに気づくまでにもやたら時間を要する。朝は比較的しゃっきり目が覚める方なのに、いったいどうしてしまったのか。
いや、違う。
よく見ればカーテンの外はまだ暗いし、壁にかかった時計からしてもまだ夜中だ。
なんだか時間の感覚がおかしくなっていた。昼寝についたような覚えもないし。
私、なにしてたんだっけ……?
ぼやけた思考のままゆるゆると首を巡らせ、どうにか記憶を探り出そうとしたときだ。
「よぉ、起きたか」
「え……ひっ!?」
いきなり知らない声がして、驚きのあまり飛び起きる。
同居人なんていない以上それはあり得ない、絶対にあってはならない声掛けだった。壁にビッタンと張り付き、もう後ずされないのに気が気でないままベッドのうえに何度も足を滑らせて。
そうしてやっと気付いた。
「いや、ビビり過ぎだろうが。べつに何もしやしねぇよ」
パチパチと火を焚いている暖炉のまえに、見知らぬ黒髪の男の人が居座っていることに。最初の一瞬だけはそう思ったのだ。まさかこちらが眠っている隙に、自宅に忍び込んだ泥棒がいたのかと。
だが、たちどころにフラッシュバック。
彼が何者で、こうなる直前に何があったかを思い出す。
「あ、あなたは……へっ、あれっ!?」
加えて、やけに動きづらいと思ったら遅れて気付いた。
自分の両手首にがっちり、きつく鉄鎖がかけられていることに。
すると、よっと彼は立ち上がりこちらに近づいてくるではないか。
「あぁ悪ぃな。眠ってるあいだに一応、拘束させてもらったぜ。抵抗されると面倒だからな」
「あの……これは……」
「余計なことすんじゃねぇぞ。分かったか」
すると彼は気の動転している私の頭をぐりっとワシ掴み。
そのままズイとぶっきらぼうな強面で迫り込んでくる。
ちなみに体格差は火を見るより明らかで、大人と子どものそれだ。
(というかそもそも、大人と子どもだ。)
性別の違いなんて問題にならないし、手までガッチリ縛られてしまっている。
「分かったのか?」
「は、はいぃっ!」
いいから質問にだけ答えろと言わんばかりの野蛮なプレッシャーをまえに、私はもはや涙目になりながら怖気立つしかなかった。
◇
ええと、どこまでバレてしまったのだろう……?
ワシ掴みにされた頭をグリグリされながら、まず真っ先に考えていたことがそれだった。つまりたった今まで私は気絶中だったと、そういうことみたいだけれど。前後で状況が変わりすぎているせいで疑問が尽きない。
まず、私はいつから気を失っていたのだろう。
大慌てで記憶を掘り返してみると思い出せたのはそう、森のなかで彼と対峙した直後のことだ。
今までに体験したことのないような遠心力に体を攫われ、背中から全身を強く打ち付けたのだ。そのまま地べたに倒れ込み、まずいこのままじゃやられちゃうとにかく立たなくてはと、どうにか意識を繋ぎ止めようとして。
思い出せる限り、それが最後の記憶だった。
では結局あのまま気を失ってしまったと、そういうことなのだろうか。
そうだとして、なぜ自室のベッドで寝かされていた?
彼がわざわざ運んでくれたというのか。何のために?
いやそもそも、どうしてここに私の住処があると分かったのだろう。
しかも縛られてるし。生け捕りにしたのはなぜ??
あらゆる疑問が錯綜し、すさまじい勢いで目が泳いでしまう。
だからこそ、なにより優先してそれが知りたかった。
彼がいったい、どこまでこちらの秘密を暴いてしまったのかと。
もしかしたら何かの間違いで、まだ露呈してないなんてこともあるかもしれない。だとすれば少なくとも、こちらからボロを出すような迂闊な発言は避けるべきだ。
そうなるまえになんとか探りを入れて……。
とか何とか、淡い期待を抱いたりもしていたところ。
「ったく、最初は何の冗談かと思ったぜ」
「……へ?」
「手練れだってウワサの魔女が、まさかなぁ」
「ええと、なんのことでしょう……か?」
「あ? 惚けんじゃねぇよ」
容赦のない彼の追及に、私の望みは早くも途絶えてしまう。
「洗いざらい吐いてもらうぜ。お前みたいなガキがなんでこんなところで、一端の魔女のフリなんざしてたんだかなぁ」
ヘタな嘘付いたらどうなるか分かってるよなぁと、セリフがなくても分かるくらいの脅し文句とともに、手ごろなレバーみたいに頭をグネングネンされる。
あぁ……。
これはもうどうしようもないやつだと、カクリ。
「あぅ……」
無駄な抵抗は早々に諦めるしかなかった。
◇
それで。
どうして私がこの森で、怖い大人の魔女のフリなんかしていたのかだけど。
事の発端はちょうど1年ほど前に遡る。
その頃の私は孤児院で過ごしていて、似たような境遇の子たちと一緒に生活していたのだが。
ある日、みんなで公園で遊んでいたときのことだ。
後からやってきたやや年上の集団と、グループ同士の衝突になってしまったことがあった。
きっかけはとても些細で単純な、相手のリーダー格が発した挑発だった。
でも親のいない私たちにとっては、とても重要なことだった。聞き捨てられなかった。それで抑えきれなかった男の子たちが怒りのままに飛び掛かって、グループ単位の抗争にまで発展してしまう。
やめてダメだよと必死になって、私はみんなを止めようとしていた。
彼らの言い放ったことは確かに許せないし、みんなの気持ちも分かったけれど。でもその場にはまだ小さな年少の子たちもいて、とても怖がっていたから。
でも届かなかった。みんな冷静さを失っていた。
すると少年たちはあろうことか、怖がっているその子たちまでをも標的にし始めて。それで私も我慢の限界を迎える。
「やめなさいって、言ってるのよーッ!!!」
その瞬間に何が起きたのか、はっきりしたことは私にも分からない。
ただ気づくと周りにいた子たちはみんな倒れていて、その場に立っていたのは私一人だけで。
とりわけ近くにいた少年の何人かは手足に凶器のない切り傷を負い、血を流しながら呻いていた。辺りの地面はひび割れ、吹き荒れる風に木々も騒めいている。
「え……。なに、これ……?」
いったい何が起きたのか。
この天変地異にも近い惨状を引き起こしたのが、いったい誰なのか。
その場でただ1人、私だけがそれを理解していなかった。
そして当惑するばかりの私を見上げながら、一番近くにいた少年が言ったのだ。切り傷を負った腕を押さえながら、まるで人ならざる者をまえにするかのような青ざめた表情で。
――化け物、と。
その事件をきっかけに、私は知ることとなったのだ。
自分がいわゆる『魔女』と呼ばれる、忌まわしの種族だったことを。