3-6.「紳士とはかくあれかし」
ウネウネと無数の触手を這わせるようにして、山道を下っていく大きな魔獣がいる。
ここは魔物も多く生息している危険域なので、それだけならさして珍しい光景でもないだろう。しかしここで目を見張るべくは、その頭頂に屹立している一人の男の存在だった。
付いたステッキのうえに両手を重ね、サングラスの向こうから寡黙に行く手だけを見据える姿はまさしく紳士そのもの。そんな自己陶酔に浸りながら直後、ニッと快活な笑みを吊り上げる。
彼の名はアーガス・ゼルトマン。
魔物や人身の取引を生業とする、いわゆる奴隷商人である。
◆
アーガスの魔法特性は精神操作に由来するものだ。
たとえば目を合わせて暗示をかけることで、相手の精神や記憶に干渉することができる。
その力はほんのひと睨みで、並みの魔物ならたちどころに懐柔できてしまうほど強力なものだった。容姿に恵まれず、まるで家畜が服を着て歩いているようだと謗られることもあった半生だが。
その魔力に目覚めてからというもの、アーガスの世界は一変する。
なにせ自分を家畜呼ばわりし、バカにしてきた連中にたったひと睨みをくれてやるだけで何もできなくなるのだから。
愉しかった。
踊れと命じれば踊るし、失禁しろと命じればどいつもこいつもその場で垂れ流す。
どちらが家畜か分からなくなるような目にもさんざん合わせてやった。
ムチを振るって調教し、どちらの立場が上なのか徹底的に分からせてやったものだ。
それから程なくしてアーガスは闇市場の行商人、ゼルトマン伯爵としてその名を馳せることになる。
手なずけた魔物を売りさばけば、金なんていくらでも舞い込んできた。
それこそ湯水のごとく、湧いてきて。
あの頃は世界のすべてが輝いて見えた。
向かうところ敵なしだったのだ。
だがその全盛期も長くは続かない。
少し前のことだ。
とある魔女狩りに、アーガスが居場所を突き止められてしまったのは。
とんでもなく強くて、手練れの魔女狩りだった。
今でこそ『封魔』だの『侵蝕』だの『呪鎖』だのと、数多の通り名で呼ばれているが当時はまだ無名だったのだ。完全に油断してかかった結果、惨敗を喫する。
どうにか逃げ伸びることこそできたが、支払った代償はあまりに大きかった。
金も権力も配下も拠点も、アーガスはすべてを失うことになって。
そのとき彼は誓ったのだ。
決して。決してこのまま終わらせはしない。
いずれ必ず復讐を果たし、奪われた何もかもをこの手に取り戻してやると。
そのヒントを求め、訪ねたのが魔道具職人だった。
一応、友人にも腕の立つ職人はいたのだ。
でも「やめておけ……。そればかりはどうにもならん」と早々に匙を投げられて。「諦めろ友よ、奴とは関わらないのが一番だ」と訳知り顔で首を横振りもされたが。
「それで収まりが付かんから来たのだろうがぁッ!!!」
話にならんと見切りを付ける。
そこで訪ねたのが、かつて彼がつるんでいたという『ヘンゼル』だった。
少ない情報を頼りに、どうにか居場所を探し当てて。
そのくらいの助力は受けられて当然だった。
なにせ奴の手がけた試作品を、これまで散々ひいきしてやったのは他でもないこの自分なのだから。それなのに――。
「済まないが帰ってくれないか。ボクはもう魔道具を作るのは辞めたんだ」
「済まないが帰ってくれないか。ボクはもう魔道具を作るのは辞めたんだ」
「済まないが帰ってくれないか。ボクはもう魔道具を作るのは辞めたんだ」
奴と来たら話も聞かず、バカみたいに同じセリフの繰り返しだ。
「おい貴様、いい加減にしろ! 私が誰か分かっているのか、用件くらい聞け! 私はただ――」
しまいには斧を振りかざして襲い掛かってくる始末。
手持ちの魔物も尽きていたので、その場では引くしかなかった。
「おのれ許さん! 許さんぞ、ヘンゼル! こちらが下手に出てやればいい気になりおって! この怨みは必ずぅうう!」
というわけで魔女狩りのみならず、ヘンゼルまでも。
アーガスの復讐リストに加わることになったのは、およそこういう経緯である。
◆
そういうわけで今、アーガスの気分は晴れやかだった。
心に決めた2つの復讐、その1つを無事に成し遂げて凱旋ムード。
ふん、思い知ったか!
私に逆らえば結局、こういうことになるのだ!
これぞ爽快、痛快とばかりに、ニカっと笑みを吊り上げていた。
ちなみに当初の計画ではこうだ。
まずはヘンゼルを捕縛し、洗脳をかけたらタコ殴りにしつつ『呪鎖』を倒すための魔道具をありったけ製造させる。数が揃ったらそれを売り文句にして兵をあげ、『呪鎖』を一気に押し倒すのだ。
奴に恨みのある輩は少なくない。
持ち掛ければ乗ってくる連中も多いだろうから、勝算は十分に見込めた。
だがここで1つ、嬉しい誤算に恵まれる。
まさか思いもしなかったのだ。
ヘンゼルの正体があんなにも可憐な少女――しかも魔女だったなんて。
フルメイルからあれが飛び出して来たときは、思わず目を疑ってしまった。
魔女は闇市場でも高値で取引されているが、中でも子どもは別格。
白い髪というのもなかなかに珍しい。
ともすればいったいいくらの値が付くことか、想像も及ばなかった。
ふひっと堪らず笑みが零れてしまう。
ということで予定変更だ。
ヘンゼルを捕まえたらまずは顔の形が変わるくらいには殴りつけてやる気でいたが、そんなことで傷物にしては勿体ない。
これはもう大切な商品なのだ。
丁重に管理し、すべてが終わったら幼女趣味の変態貴族にでも売りつけてやるとしよう。あるいは『魔力喰らい』のところでもいいかもしれなかった。もちろん、金があればの話だが。
「いや待てよ? それよりも手元にストックしておき、無尽蔵に魔道具を作らせる方がずっと儲かるか……?」
ふいにそんな考えも浮かび、いずれにせよガッポガッポだと笑いが止まらなくなる。ヘンゼルの獲得が莫大な利益をもたらすことはもはや確定で、ウハウハだった。
態度からして、ヘンゼルはまだ自分が音に聞きしゼルトマン卿であることに気付いていないのだろう。己のしでかしに気付いたとき、果たしてどんな反応をするのか楽しみだった。無論、どう謝ったところで許してやる気など毛頭ないが。
ともあれ、これで残すは『呪鎖』の打倒のみ。
奴さえ倒せば地位も財も名誉も、すべてが元通りだ。
いや、かつて以上のものが手に入るだろう。
また何もかもを欲しいままにできる。
以前にもましてすべてが増し増しとなった、輝かしい自分の姿が目に浮かぶようで。
両手を広げ、ふっはと高笑いするアーガスだった。
そのときだ。
「誰かーっ! 誰か助けてーっ!」
後方で触腕に絡まれている殻の中から、そんな間の抜けた声がしたのは。
「誰かいませんかー! いたらお願いします、助けてくださいー!」
「バカな、そんなことをしてもムダです。ここが何処だか分かっているのですか? 冒険者だろうと滅多に近づかない危険域ですよ。こんなところに人なんているはずがないでしょう」
「ウソです、きっと近くに誰かいるはずです! 誰かーっ!」
「まぁ止めやしませんがね。騒ぎたいのなら、どうぞ好きなだけ」
それからも何度か、誰何の声は続いた。
でもあんまりしつこいものだから、さすがに耳障りになってくる。
「ちょっとウルさいですね、誰もいないと言っているでしょう!? いい加減にしないと、その殻ごとシェイクしますよ!?」
「……本当に? 本当に誰もいないんですか? 周りをよく見てください!」
「だからいないと言っているでしょう!? バカなのですか!?」
「そうですか。分かりました……」
ようやく大人しくなったところでまったくと、アーガスは再び前を向く。
なんだ賢そうなのは面構えだけかと、その愚鈍さに嫌気を覚えながら。
「――信じます」
「……はい? 何を」
次の瞬間、コォオオと並々ならない魔力の気配が後方から溢れて――。