11-12.「取引き」
――というのが、親友であるミレイシアからルーシエが聞かされていた、2人のいわゆる馴れ初め話だ。
ぶっちゃけ痴話とかのろけ話と言って申し分ないと思うのだが、当人にそれを言うと「違うから! そういうのじゃないから!」と全力否定されるので、いったんはそういうことにしておいてやる。
ともあれ。
実はっすねぇこういうことがあったんすよ~風に、かくかくしかじかとウルに語り明かしていくルーシエだった。
ちなみに、実を言うと余談はまだあるのだ。
これはルーシエも知らないことではあるが――。
頭から回復薬をぶっかけられるというまさかの暴挙を被り、いよいよ言い逃れが効かなくなったゼノン。重ねられた追及に「あぁ、そうだよ」と不貞腐れ、なんか文句あんのか風に白状を余儀なくされたわけだが。
『ホントだ、治癒が効いてない……。押し返されちゃう』
改めてゼノンの手を取らせてもらい、本当に治癒の効能が作用しないことを確かめさせてもらった後のことだ。
『ねぇ一応聞くけど……。ワザとやってるんじゃないのよね?』
『んなヒマなことすっかよ』
『そうよね……』
そんなやり取りを挟みつつ、うーむと何やら真剣な様子で考え込んでから。
『よしっ!』
何やら意気込むなりすっくと立ちあがったミレイシアが、スタスタとゼノンの背後に回ったのは。
『ジッとしててね』
『……?』
いったい何事かと思いきや。
なんとそのまま腕を回し、背中越しに抱き着いたのである。
当然『はぁっ!?』となる。
何やってんだおまえとなるが『勘違いしないでよ!』とミレイシアは放さない。
顔を真っ赤にしながら続けるのだ。
『いいから大人しくしてて! 仕方ないでしょ、こうするのが一番力を入れやすいんだから!』
――そう。
それはミレイシアが、ひと際体の大きなリリーラと関わり合うなかで発見した、魔法を行使するうえでのちょっとしたコツみたいなものだ。
患部に手を添え、ポワワンとするだけでも治癒の効力は十分に発揮されるが……。こうやって全身でべったり張り付くようにした方が尚のこと、力は入れやすくなると。
つまるところ、いまゼノンに試そうとしているのがそれだった。
なるべく体の接地面積を増やして行使する全力治癒ならあるいは、どうやら自動防御性能が付いているらしいゼノンの『侵蝕』の力にも押し勝つことができるのではないかと。
でもさすがに正面から行くわけにはいかないので、せめて背中越しにとこうなったわけで。
しかしまぁ、気恥ずかしかったのだろう。
やめろ放せ何やってんだアホかと、ゼノンはあくまで抵抗した。
そこまでしなくていいこんなのかすり傷だ放っておいてもそのうち治ると、再三言われたことをまたも繰り返して。
でもそれではミレイシアの気が済まないのだ。
だってゼノンがケガをしたのは自分のせいだから。
テグシーやリリーラ、父であるライカンに比べて、自分はとても非力だ。
イヤになるほど無力だ。戦う力なんてちっともなくて、守られてばかり。
だからせめて守らせてしまった人たちに、惜しみなくこの癒やしの力を差し伸べるのだと、そう決めたのではないか。
ゼノンだってその例外にはならない。
させてはいけない。
正直、あの夜ゼノンが現れたときはドキッとしたし、その後声をかけに行くのだって怖かった。なかなかに勇気が要った。
でも彼の真相を知ったいま、その想いは一層強くなる。
だから腰に巻き付かせた腕にぎゅっと力を込め、ミレイシアはあらん限りの力を振り絞るのだった。『そんなのダメっ! 絶対イヤよ!!』と渾身の拒絶とともに。
『あなただけ例外になんて、絶対させないんだからーっ!!!』
瞬間、眩いまでの翡翠のオーラが辺り一帯に広がり、溢れて――。
そうして光が収まったとき、ゼノンの手の傷は消えていた。
まさかと手のひらを返して何度確かめても、傷跡1つない。
きれいすっかり治っている。
『まさか……!』
『やっ、た……!』
疲れ切って頽れるようにガクリとなるミレイシアに、ゼノンはどう言葉をかければいいのか分からなかった。
メリメリメリィと、まるで切り株を引っこ抜くような力任せの荒療治。
そんなものを見届けさせられては、やっぱり犀や闘牛が浮かんでしまうが。
『どうよ……!』
そうまで消耗して尽力してくれ、バテバテとなっている彼女に最初にかける言葉がそれではいくらなんでもあんまりだろう。かといって、感謝や労いを口にすることもいたく不慣れだ。
だから――。
『……おう』
ただそうとだけ呟いて、何とも言えない面持ちとなるゼノンだった。
とはいえ、やはり抱き着いたという辺りが非常に良くない。黒歴史だ。
だからこのことは互いに他言無用、墓場まで持っていこうと取り決め、ある種の条約が固く結ばれる。
故にルーシエの口から、それが語られることはなかったけれど――。
さておき、あと少しだけ語られたのはゼノンが『魔女狩り』になるまでのあらましだ。
ゼノンのケガは治った。
ともすれば、もうミレイシアはゼノンに借りを返し終えているわけで、これ以上付きまとわれることもない。
だから互いにそれぞれの日常に。
出会うよりまえの生活に戻っていく、はずだったのだが……。
「おはよ」
「…………」
愕然とした。
『いい!? 今日のことはお互いに絶対……絶対絶対ゼーッタイ、誰にも言わないこと!! 分かった!?』
『こっちのセリフだ! テメェこそ言ったらぶっコロすぞ!』
そんな感じに、顔を恥じらいで真っ赤にさせたミレイシアと別れたときは、これでようやくおさらばできると胸を撫でおろしたのに。
その彼女がなんで、昨日の今日でまた「ごめんください」してきているのかと。
ちなみにそれはミレイシアも重々、承知していることだ。
もう来る理由はないし、ただでさえ昨日あんなことがあったばかり。
背中越しとはいえ男の人に抱き着いたのなんか初めてで、恥ずかしさから合わせる顔も見つからなかった。それでも此度、もう一度ゼノンのもとを訪れたのは、どうしても諦めきれない嘆願があったからで――。
実を言うとあの日、ミレイシアが一人夜の散歩に出ていたキッカケがそれだった。かねてより叶えたい夢、というか実現したい目標がミレイシアにはあったのだが、これがなかなか現実味を帯びてくれなくて。
『やっぱり、難しいのかなぁ……』
クヨクヨしていたのである。
そんな折り、出会ったのがゼノンだった。
もちろん最初からそんなつもりだったのではない。
たとえ自分よがりでも、ミレイシアがゼノンが言うところの『付きまとい』を始めたのは責任感とか申し訳なさとか、ちゃんと純粋な謝礼の気持ちからだ。
そういう打算や下心はなかった。
だけど昨日のことがあって。
ふと思い至ってしまったのだ。
彼ならばあるいは、その足掛かりとなってくれるのではないかと。
だからミレイシアは意を決し、表明する。
すでにかなり迷惑そうにしていて、「今度は何しに来たんだよ」とため息混じり。
口も態度もよほどかったるそうにしていた彼、ゼノン・ドッカーに。
そう、これはお願いではない。
あくまで交渉なのだと、そう己を奮い立たせてから。
「ねぇゼノン、私と取引きしない!?」




