10-33.「遺されたのは」
ともかく――。
それからすぐにもゼノンが再びセレスディアを発ったのは、ライカンやリオナと手分けして、消えたマーレの行方を捜索するためだ。いつまでもリリーラに、正体不明の墓荒らしのせいとしておくことは、流石に厳しそうだったから。
でも結局、見つけることは叶わなくて。
やがて彼女にも、すべてを打ち明けるしかなくなってしまう。
そして最終的にマーレの真意を知ったリリーラは、半ば誘拐にも近い形で強引にミレイシアを自身のテリトリー内へと引き込んだわけだ。
それはきっとテグシーやライカンと同様、起き上がったマーレが真っ先に狙ったのがミレイシアだったという事実をよほど重く受け止めての判断だろう。
何より。
どうしてこんなことになったのかと、どれほど深く悲嘆に暮れても、自身の果たすべき最優先事項だけは見失わずにいたからで。
まぁミレイシア当人からすればいったい何事やらで「外に出してよー!」とか「理由くらいちゃんと教えてってばー!」と再三、不服は申し立てていたようだし、結果としてゼノン自身に纏わるあらぬウワサが流布されたりもしたが。
べつにそんなのは、いたくどうでも良いことだった。
むしろ人々が勝手に真相から遠ざかってくれるというなら大助かりだし、丁度いい隠れ蓑にもなりそうで御の字だとも捨て置く。少なくともコトが落ち着くまでは、と。
ちなみに――。
これは後にテグシーが立てた仮説になる。
なぜ一度ならず二度までも、マーレが再び『死』から起き上がったのか。
これはあくまで推論だがと、そう前置いたうえでテグシーが示唆した1つの可能性。
おそらく、あのとき。
最初にマーレが『死』から起き上がったとき、起こっていた『血の目覚め』は1つではなかったのだ。
彼女が推察した通り、ミレイシアの魔力が単なる『癒し』の効能でなかったことは、もはや疑うべくもない事実。まさしく『死を遠ざける』ことにあったのだとは、同じくミレイシアの特濃魔力を体内に取り込んだアレクセイ・ウィリアムという男の成れの果てが期せずして証明している。
彼もまたマーレと同じか、少なくとも近い状態にあったのだろうと推察された。
ほとんど正気と言えないような有様だったのは、正規ルートでなかったことの副作用なのかまでは定かでないが。
いずれにせよミレイシアの『目覚め』が、マーレから『死』を取り上げるという結果をもたらしてしまったことは間違いなさそうで。
でもたぶん、それだけではなかったのだ。
これは後にオーレリー邸の使用人から聞いて分かった話だが。
それとほぼ同時期に、ミレイシアはペットの飼い犬を亡くしているのである。
生まれる前から飼っていたとのことで、それは深くミレイシアも悲しんでいたそうだ。死んでしまってからも泣きながら、まだ温かい体に何度も治癒の魔法をかけ続けていて。
でもそのときに同じことは起こらなかった。
庭に掘ったという墓穴も検めさせてもらったが、息を吹き返したような形跡はとくに見当たらない。
その違いがどうにもテグシーには引っかかった。
居なくならないでほしいとミレイシアの願いは変わらなかったはずなのに、どうしてマーレだけが復活したのか……と。何か見落としているような気がしてならなくて。
そうして、ふいに思い当たる。
『うーん、どうしたんだっけねぇ……?』
マーレが倒れた最初のとき、何があったか思い出すのにやたら苦慮していたことを。ミレイシアがまったくと言っていいほど何も覚えていなかったので、マーレだけが頼りだったのだ。
それなのにマーレも頭を抱えていたものだから、『しっかりしてくれよな、バァちゃん』などとリリーラからも苦言を呈されていて――。
「まさか……!」
そのとき、繋がった。
記憶の混濁という2人に共通するその症状から、電撃的に。
察するにおそらく『血の目覚め』はミレイシアだけでなく、マーレにも起こっていたのではないかと。
きっと彼女も思ったのだ。
強く、願った。
自室に1人倒れ、死の間際にあったとき。
生きたい、自分はまだ生きなければならないと。
だって自分がここで終われば、リリーラが1人遺されるだけではない。
『安心して、お婆ちゃん。私がぜったい、何とかしてみせるからね』
そんなミレイシアの心優しさまで裏切ることになってしまうから。
自分の魔法ならきっとマーレの病状を良くできると、当時のミレイシアは本気で信じていた。毎日のようにマーレの寝室に通い詰めていたのも、そのためで。
だからきっと、そういうことなのではないかと思う。
まだ終わるわけにはいかないとマーレの『願い』を、必死の拒絶を。
まだ居なくならないでほしいとミレイシアの懸命な『願い』が救いあげ、間違った形で繋ぎ止めてしまったのではないか。
2つの目覚めが同時に起きていたから、ミレイシアの魔力を無効化するだけでは不十分だったと、それがテグシーの立てた仮説。本当のところがどうだったのかなんて、今となっては分からないが――。
「――さて、と」
これでいま暫くは時間を稼げるし、真相が表沙汰になることもないだろう。
そんな見極めをもって、よっこらせとゼノンは軽い腰を上げる。
いったい何処へ行ったのやら。
迷子になって、今もこの世のどこかを彷徨っているらしい彼女を捜し出し、無事に連れ帰るために。――いや、ただ元の場所に還してやるために。
お守り無しなんて久しぶりで、開放感というかやっぱこっちの方が性にあってるなどとも改めて実感してしまうけれど。そうしないことには缶詰から抜け出せない奴がいて、なかなか前を向けない相手もいるみたいだから。
それに――。
『――ありがとうね、ゼノンちゃん』
その言葉ももう、受け取ってしまっている。
『ほいじゃあ、これ』
『……? なんだよ、小指がどうかしたのか?』
『約束げんまん』
『するかっ!?』
バカ言えと、あのときは結ばないことを選び、足蹴にした小指だ。
大した手間でもなさそうなことをあんまりしつこく頼み込んでくるものだから、なんか大袈裟なのがイヤで邪険にした。振り払った。
でもそんなのを言い訳にはしたくない。
信を寄せられ、託されてしまったから。
「あぁ、わぁってるよ。心配すんな、バァさん。今さら投げ出したりはしねぇ」
誰にともなくポツリ、クイと曲げた小指を見下ろしながらゼノンは呟く。
「――今度こそ、きっちりやってやる」
それからゼノンは一人、ずっとマーレを探していて。
そして今、終わりのときは近づいている。
どうせ同じことなら、あのとき堂々と結んでおけば良かった約束だ。
まさかこんなにも遅くなってしまうとは思わなかったけれど。
でも、やっと見つけてやれたから。
あと少しだ。あと少しで、ようやくちゃんと全うしてやれそうなところまで来ているから。そこにテグシーが加わって2対1、戦局が盤石なものとなったのも束の間。
「ルガァアアアアアアアアアアアーーーーッ!!!!!」
いったいどんな心境の変化があったというのか。
心身ともに復活したらしいリリーラまでなだれ込んできて。
そのとき、ゼノンは微かに逡巡した。
もしまだマーレに生前の何かが残されているというなら、あるいはとそう思ってしまう。リリーラが割り込んできたこのタイミングで、何かそれらしき兆しが捉えられるのではないかと。
でもやっぱり、マーレは無言のままだった。
自分たちとも同じように、強靭な『光』をリリーラにも差し向け、必死に抗おうとしていて。
「迷うな、ゼノンッ! 分かってるだろう!?」
挙句にはテグシーから看破され、鋭く檄を飛ばされてしまう始末。
分かっている。
どこかの数ページで読み終わるような絵本ではないのだ。
今さらそんな都合の良い幕引きが望めるなら、とっくにどうにかなっていると。
分かっているが……。
「あぁ、悪ぃ……。大丈夫だ」
迷いを断ち切り、冷静さを言い聞かせ。
ガンといっそう強く足場を踏みつけるゼノンだった。
それに応じるようにジャリジャリと立ち昇った幾本もの鎖が中空にあるマーレに追従し、絡め取ろうと次々に襲い掛かって。
いったい何人の全力を1人で捌き切ったうえ、この3対1の攻勢にしろいつまで凌ぎ続けるつもりなのか。いい加減にそう、マーレにツッコミも入れたくなってしまったが。
――終わりは、唐突だった。
魔力が溢れたのだ。
いったいどこにそんな余力を残していたというのか。
マーレが頭上に高々と両手を広げるとともに次の瞬間、夥しいほどの『光』の粒子が地下空間に満ち満ち、広がって。
並々ならない魔力の気配から、何かとてつもなく大きな魔法を使おうとしていることだけは明らかだった。いよいよ追い詰められたマーレからの、それがおそらく死力を尽くした最後の一撃。
その予兆をもってリリーラがずんと大きな一歩を踏み出す。
我が身を盾にしようと「下がってろッ!!」、ガードの構えを取って。
「なっ……!?」
でも結果として、それは不発に終わる。
魔法が発現するまえにパサリと、先にマーレの体の方が崩れたのだ。
おそらくは強大すぎる魔力に、朽ちた体のほうが耐えきれなかったことによって。
つい数秒前までの喧騒がウソのように。
そこにはただ、物言わぬマーレの遺灰が取り残されるのみだった。
それを前にズンと両膝をつき、頽れたリリーラが小さな涙声でポツリと零す。
「バァ、ちゃん……」
その幼子のようなすすり泣きが、静かな幕引きだった。
グランソニア城を取り巻く争乱、その最後の一幕。
そして。
長い、とても長かった1日の――。




