10-30.「咆哮」
――そう。
テグシーが見積もった通り、それはなに1つミレイシアが狙ってやったことではなかった。
彼女はただ、辞めさせたかっただけだ。
一番肝心なところを言わないで、全部自分が悪いみたく決めつけているリリーラに。そんなことないでしょ、そんな風に自分を責めるのはやめてと。
アリシア当人からの証言があったからこそ、真っ向から否定できた。
ぶつけられた。
そんなのは約束を違えたことにはならないよと伝えたくて、早く顔をあげて泣き止んでほしくて。
でも結果としてそれが、リリーラから最後の迷いを払拭することに繋がる――。
変化の予兆。
いまリリーラのなかでそれは確実に起きていた。
ついさっきまでその片鱗もなかったから、グスンと鼻を鳴らして見ていることしかできなかったけれど。
「ありがとね、リリーラ。アリシアちゃんのこと、守ってくれて」
とびっきりのにっこり笑顔で、ミレイシアがその言葉をくれた瞬間からだ。
ドクンとリリーラの心が強く脈動し、止まっていた血が再び流れ込むように少しずつ、力と温度を取り戻していったのは。
かつてリリーラは道を大きく踏み外した。
いじめっ子たちにトリャーと飛び蹴りをくれてやっていたマーレの力強さに惹かれ、憧れたのが強さを求めたきっかけだが、実はそれだけではない。
ある日、気付いたのである。
自分が十全なるそれを手にすればテグシー、ミレイシアと合わせて『賢』・『武』・『優』の三拍子が揃うではないかと、そのことに。
リリーラにとって、それはとても理想的なことだった。
そうなったら何があっても3人で力を合わせて乗り越えられるし、ずっと一緒に居られるような気がしたから。
だからリリーラはひたすらにそれを追い求めた。
どうすれば強くなれるのかを考え、答えがデカさであることに気付いてからは筋トレ・バク食い・昼寝と一心不乱にフルコミットする。
その甲斐あって、体はみるみるうちに膨らむように大きくなっていった。
のちに単なる努力の賜物でなかったことも判明するが、細かい理由なんかどうだっていい。
むしろ願えば願うほど際限なく大きくなれるというのだから、リリーラにはこの上なく嬉しい吉報でウットリと酔いしれる。それはとても素敵なことで、やがては大樹のようになった自分の姿をイメージさせるに至って。
でも途中から、何かがおかしくなり始めた。
いくら食べて鍛えても以前ほど体は大きくならないし、何よりこの頃テグシーがやけに手強いのだ。
またいじめっ子たちから絡まれていると聞きつけ、一網打尽にすべく駆けつけたのにそれを他ならないテグシーが止めてくる。糸でネバネバやガチガチにされて、無傷で止められてしまう。
それはリリーラにとって、あってはならないことだった。
焦りが募る。だって自分はテグシーのように頭が良くないのだ。
ミレイシアのような気回しだってとてもできない。
だから、しがみつくしかなかった。
自分から力を取ったらいったい何が残るのかと、その答えが見つけられなかったからこそ。これじゃあダメだ。もっともっとと貪るように求めて、固執して。
そしてこともあろうにその証を、護ると決めていたはずのテグシーで立てようとした。しかも無意識に。それが思い返したくもない、かつてリリーラが犯してしまった最大の過ち。
また立ち上がれたのは、マーレが教えてくれたからだ。
自分がまったく履き違えてしまっていた、強さの本当の意味を。
そして、何より――。
だからさっき、テグシーはあんなことを言ったのだろう。
思い出してと。
もう一度自分を、あの瞬間に立ち返らせるために。
再び自分に、立ち上がる力を与えるために。
でも、ダメだった。
テグシーがそうまでしてくれたのに、大きくなろうとするとやっぱりあのときの――アリシアを握り締めてしまったときの生々しい手の感触がトラウマのように蘇って、途端に魔法が空回りしてしまう。
そんなだから、もう諦めていた。
自分がマーレにしてやれることは、もう何も無いのだと見切りを付けて。
せめてここから見届けることを、選ばせてもらって。
『ごめん……』
バァちゃん……。
リリーラはただ詫びいることしかできなかった。
もうマーレではないと頭では分かっている彼女を遠目に見やりながら、ぐずんと鼻を鳴らして。今にもまた泣き出しそうになって。
だけどそんなときに、励ましの言葉をくれたのがミレイシアだ。
そんなことない、ちゃんとできてるよと慰めてくれた。
その瞬間から確実に、リリーラの中で変化は起こり始める。
最初はただの予覚に過ぎなかった。
でもそれは次第にトクトクと微かな熱を帯びた心音に変わって、徐々に確かな鼓動となって脈打ち始める。やがては止めどない衝動を、心の奥底から沸き立たせて。
泣いた。泣いたのだ。もう散々に、みっともなく。
迷子になった子どもみたいにグズグズと泣き腫らして、泣かないでとか大丈夫だよとか2人の幼馴染みからこれでもかと慰めの言葉を貰って。
自分が2人を護るのだと、それが出発点だったはずなのに。
これではまったく、あべこべではないか。
もう十分だろう。だから――。
思い出せ、と。
リリーラは強く、戒めるように自身に言い聞かせる。
いまの自分を自分たらしめている根幹は――テグシーが言った『願いの原点』はいったいどこにあったのかと。その起源を今一度、自身のなかで辿り直すために。
マーレが教えてくれたのだ。
強さとは誉め言葉だと。
強くいてくれてありがとう、守ってくれてありがとう。
その賞賛があってこそ初めて、リリーラは自分の強さを誇る資格を得る。
だからこそアリシアをこの手で傷つけてしまったと知ったとき、ひどく打ちのめされたのだ。絶対に違えないと誓った約束を反故にしてしまったから。自分は何のために、これではマーレに顔向けができないと泣きじゃくった。涙に暮れた。
でもそんなことはないと励ましてくれたのがミレイシアだ。
かっこよかったよと褒めてくれたうえに、「ありがとう」と一番欲しかったその言葉までくれて。
だというのに、いったい自分は何をしているのか。
こんなところに座り込んで、ただ見ているだけなんて。
そんなことマーレが許すわけがない。
「……ッ!」
やったことは消えない。消せない。
だから泣いて後悔するより先に、やれることがないかを探すのだ。
その教えがあったから、リリーラは2人に謝れたのではないか。
だったら――。
「ごめん、ミレイシア……。ありがとな。だけどもう、大丈夫だ」
「え……?」
涙を拭ってからズシリと、リリーラは立ち上がる。
メソメソしている間、ずっと「うーんっ!!」と抱き着くように魔力を振り絞ってくれていたミレイシアを制してから前を見据えて。
そのときのリリーラは、まだ少し小さいままだった。
でも見上げたミレイシアは目撃する。
「アタシは、もう戦える……!」
そう宣言した瞬間にリリーラの骨が、筋肉が膨張し、ムクムクと肥大化していくのを。
そして――。
「ルガァアアアアアアアアアアアーーーーッ!!!!!」
たちまち場に轟いたのは、リリーラが打ち上げたあらん限りの大咆哮だ。
熱気に満ちたそれがテグシーに、ゼノンに自身の復活を報せる。
絶たれていた血流が戻り、体の節々までちゃんと力が行き渡るような、慣れ親しんだ『万全』の感覚。それをぐっと握り込んだ拳のなかに確かめてから。
もう、迷わない。
そう静かにリリーラは決起した。
そのうえで決別する。
かつてマーレだった、彼女と。
果たせなかった約束がある。
謝らなければならないこともたくさんある。
でも何より、彼女は望まないはずなのだ。
自分がこんなところで、いつまでもメソメソしていることを。
それこそ何やってんだいシャンとしな、みたく叱られてしまうだろうから。
そうだろ、バァちゃん……?
答えのないその問いかけをもって、リリーラは迷いの一切を断ち切るのだった。
雄叫びとともに走り出し、なだれ込むように戦場に身を投じる。
今はただ自分のすべきことをと、その巨岩のような拳を大きく振りかざして。
――ああ、そうさ。それでいい。
心の中の彼女からニコリと、そう微笑みかけられたような気がした。




