10-29.「願いの原点」
『――ねぇリリィ、覚えてるかい? 昔、キミが泣きながら謝ってくれていたとき、私が言ったことを』
それはついさっき、テグシーからリリーラに投げかけたふいの問いかけだ。
必要だと思った。どうしてこんなときにと己が無力を嘆き、悲嘆にくれる今のリリーラが再び、立ち上がる力を取り戻すためには。
何でもいい。
とにかく今一度、彼女が立ち返れるようにするためのきっかけが。
だからその問いかけを選んだ。
というのも、テグシーとミレイシアだけは知っていたからだ。
そもそもの話、なぜ彼女がそんなにも強く、大きくありたいと願ったのか。
願いの原点とも呼ぶべき出発地点、そのエピソードを――。
いつだったか、伝えたのである。
日に日に体が大きくなり、だんだん気性まで荒っぽくなってきていたリリーラに、まぁまぁと諭す風になりながら。
『キミ一人で突っ走ることはない、私たちに背を預けてくれてもいいんだよ』的なことを。
ちなみにそれはミレイシアと相談しての一計だった。
そうすればリリーラがそうかそうだよなと大事なことに気付いて、ごめんアタシ間違ってたよとシュルシュル、サイズダウンしてくれるのではないか……なんて実に子どもらしくてイタいけな着想に端を発して。
まぁそんなところだろうとも思うのだ。小さいころの話だし。
今となっては何とも微笑ましいというか浅はかというか、評価の悩ましいところではあるが……。ともかく、そんな絵本みたいな締めくくりを本気で狙っての試みだった。
だがここでテグシーは、あるしくじりを犯してしまう。
つい背伸びをしてしまったのだ。思ってたよりもずっとリリーラが真剣な面差しで自分の話に耳を傾けてくれるものだから、ちょっと気分が良くなって、悦に入って。
つい長々と語ってしまった。
それにねと論を拡張し、予定になかった内容までをツラツラと。
いわゆる『誰だって人は1人じゃ無力なんだ』的な、すごいありがちなヤツを。
ミレイシアだって賢いが、読書量や知識の豊富さなら大人にも負けない。そんな自負や幼心もあってこそテグシーは得意げだった。直近に読んだ本の受け売り、しかもかなりベタなやつをしたり顔で語り聞かせて。
しまいにはアドリブまで入れた。
私たちの手はとても小さい。手に余るものはどうしても零れ落ちてしまうと、ドラマチックにこれまたどこかで聞いたようなフレーズを吹かせたうえで。
「でも、だからこそ私たちは手と手を取り合うんだ。1人ではどうしても足らないときがある力不足を、互いに補い合うために」
そんな尤もらしいことを。
とはいえ手応えも少なからずあった。
「互いに、補い合う……?」
リリーラがそう聞き返してきたのでテグシーはそうさと答えたし、私だけじゃないミレイシアもいると言ったら「そうだよ、リリーラ!」と彼女もファイトみたく腕を折り曲げ一歩前に進み出て。
さすがにその場でサイズダウンこそしなかったものの、そうかそうだよなとリリーラは深く頷く。まさしく期待した通りの反応に嬉しくなって、帰り道にはやったねとミレイシアとハイタッチまで交わしたものだ。
きっと数日もすれば、また以前と同じくらいのリリーラに戻っているはずだと。
ところが――。
実はこのときそんな2人がつゆ知らぬところで、思いもよらないすれ違いが起きていた。
ちなみにテグシーが伝えたかったのは当然、1人より2人、2人より3人みたいなエイエイオー理論だ。だから延長で、私たちの手は小さいんだみたいなポエミーな件も挟んだ。それによってリリーラが独りよがりな考え方を脱し、肥大化の症状が収まってくれることを期待して。
でも肝心のリリーラの受け取り方は違った。
まったく別の、なんなら真逆の見解に達する。
そうかと昼間にテグシーの演説を聞いたとき、元より人並み以上のサイズだった手のひらを見下ろしながらリリーラは思っていた。深く納得を得る。
この手は小さい。小さいのだ。
だから持ちきれなかった分が溢れて、ポロポロと零れ落ちてしまう。
だったら――!
もっと、もっと大きくなればいいではないか。
単純明快なことだ。何も取りこぼさなくて済むくらいこの手が大きくなれば、大事なもの全部を自分一人で抱えきれる。互いに補い合うだなんて回りくどいことをせずとも、何も取り零さなくて済むようになるではないかと。
それは計らずも、かつて思い描いた聳え立つ大樹のようになった自身のイメージとも符合する気づきだった。何のために大きくなるのか、その目的がリリーラのなかで明確に定まった瞬間でもあって。
そんなだからまぁ数日後、どうなったかなとちょっとだけワクワクもしていたテグシーやミレイシアの期待は、ものの見事に裏切られるわけだ。
「そういうことだろう、テグシー!?」
とそこで初めて行き違いが発覚して、縮むどころか最大記録を更新したリリーラからムッキィと筋肉ポーズを見せつけられれば、もはや言葉もない。オドオドしながらヒィコラなるミレイシアの傍ら、圧巻の一言に尽きる巨躯を見上げて。
「なんでこうなった……?」
そう、テグシーは天を仰ぐしかなかった。
――とまぁ、大体そんな感じだ。
誰にも見下されたくないとか、大きさイコール力とか、一番最初のきっかけこそもっと単純なところにあったのかもしれないが。大抵の大人を裕に見下ろせるようになっても、頑なにリリーラが大きさを求め続けたのはそれが理由の最たるになる。
誰より強く大きくなって、何も取り零さないようにするため。
余談はある。それからもグングンとサイズアップしていったリリーラだが、ある日を境にその成長がピタリと止まったのだ。おそらくは生物的な限界値に達して、これ以上は生命維持に関わると体の防衛機構が判断してのものとテグシーは推測しているが。
でもリリーラはそれを良しとしなかった。
限界と認めなかった。
これじゃ足らない、こんなんじゃ全然と自身を戒めて、もっともっとと強く求めて。でまぁ、ゴギャアアみたくなってしまったわけだ。わりと重症は負いつつどうにか止めはしたものの、図らずもそれからリリーラは日に日に小さくなっていってしまう。
マーレ曰く、よほど落ち込んでいるとのことだった。
少し言いすぎちゃったかなぁとミレイシアもしょんぼり、肩を落としていて。
だから伝え直したのである。
ごめんとリリーラから、泣き崩れるように心からの詫び入りがあったときに(その頃にはほぼ常人サイズにまで戻っていた)、違うんだよリリィと手を添えて。
『たとえキミ一人の手がどんなに大きくなっても……。やっぱりそこに、私の手も重ねた方が大きいんだ。そりゃあ普段のキミに比べたら私の手なんかちっぽけだから、ほんの細やかなものかもしれないけどね。それでも、無いほうがマシってことはないはずだろう? あのとき私が言いたかったのはつまり、そういうことで』
何もリリーラが1人で全部を抱え込む必要なんてないのだ。
零れかけたものを掬い取ってやる力がミレイシアにはあるし、離れてしまいそうなものを繋ぎ止めたり結び直したりすることなら自分が大得意だ。任せてと胸ポンできる。
そうやって、今度はちゃんと心の中から言葉を探した。
本に書いてあったことをそのままなぞるだけじゃなくて、本当に伝えたいことを選んで、確かめて。
『持ちつ持たれつ、つまりはそういうことなのさ。少なくとも私は、私たちは……今後もキミとそういう関係で在りたいと願っている。だからもう、私たちを置いて先に行かないでくれ』
そこで「あっ、そうだ」と機転を利かせ、パタパタと何処かからミレイシアが持ってきたのがカーペッドのようなしっかり目の布地だ。
『こうすればもっといっぱい持てるよね!』
3人でそれを広げたりもしたからテグシーも学ぶ。
さすがはミレイシアだと脱帽だ。
知っている、人より少しくらい多く本を読む。
ただそれだけのことの何がそんなに偉いのか。つい先日、それで鼻高々となっていた自身を思い返し、恥じ入った。こういう細かい気配りや思いやりの面では到底、彼女には敵いそうもないなと。
ともかく、そんなことがあってリリーラは心を持ち直した。
1人の力には限界があることをちゃんと認め、願いを正しい方向へと定めて再出発を切る。
と言っても、やっぱり自分が大きいに越したことはないと辺りの見解は覆らなかったようで、できるだけ大きくあるために、常にムッスーとしている感じにはなってしまったけれど。
(ちなみに毎年、魔女狩り試験の日に限ってすこぶる機嫌が悪くなるのもそのせいだ。国の内外から集まる多くのオーディエンスたちに、自身の顕在と最大サイズをアピールするため。)
でもたとえどんなに見かけが不機嫌そうでも、根っこが友だち想いなリリーラであることをテグシーは決して忘れなかった。もちろんそれはミレイシアや付き合いの長いほかの魔女たちだって一緒のことだろうが、さておき。
そんな思い出話があったから、テグシーはさっきそのときと同じ問いかけを送ったのだ。思い出して、と。
彼女がもう一度、そのときの気持ちに。
どうして誰より強く、大きくありたいと願ったのか、そのもっとも純粋だった頃の願いの原点に立ち返れるように。
そして結果は、どうやら成功らしい。
長々と話し込んでいる時間なんてなくて、テグシーにできたのはあくまできっかけを与えるところまで。それで本当に元に戻れるかは賭けで、リリーラ次第だったけれど。
もう大丈夫そうだ。
ついさっきまで不確かで覚束なかった魔力の気配はだんだん確固たるものに、いま徐々に興きあがるような予兆へと変わりつつあるから。
きっと彼女がなんとかしてくれたのだと思う。
さっきどうにかこうにかアリシアを負んぶし、うんしょー!と気合いいっぱいにヨタヨタしてまったく前に進んでいなかったもう1人の幼馴染みが。
故にテグシーは舌鼓を打つのだった。
張り合うつもりなんか毛頭ないし、たぶん狙ってやったことでもないと思うが。
「やれやれ、やっぱりキミには敵わない」
そんなことを独り言ちつつ、いいぞよくやったとその立役者に激賞を。
「ナイスアシストだ、ミレイシア……!」




