10-28.「エール」
思い出して。
そう言われてから、少しだけテグシーと昔話をした。
それはかつてリリーラが一度道を踏み外し、再出発を切ると決めたとき。
テグシーやミレイシアからかけられ、立ち直るきっかけとなった励ましの言葉である。
と言っても、あまり悠長に話し込んでいる時間もない。
だからとっかかりのところだけを手早く示唆すると、テグシーはすぐにも注意を他方に向けてしまった。さてそろそろだなと、神妙な眼差しで最後の戦場を見据えて。
「でもリリィ、本当にいいのかい……?」
するとどこか心配そうな面持ちで、テグシーから投げかけられたのは最終の意志確認だ。つまりは、本当にここに残るつもりなのかと。できることなら自分にはここから離れてほしいのだと、それが最後までテグシーの望みであることは変わらなかった。
でも頷くわけにはいかない。
こんな使い慣れていない体のままではきっと足を引っ張るだけだろうから、並び立つことはできないけれど。残ったところでたぶん意味なんかないし、何の役にも立てないけれど。
せめて見届けさせてほしいのだと、そう伝えて。
「分かった。キミがそこまで言うのなら――」
リリーラが告げたその意志をテグシーは汲み取り、尊重してくれた。
「でもその代わり、約束してくれ。辛くなったらすぐにでも……」
「あぁ、分かってる。ちゃんと分かってるから……。もう行ってくれ」
「……うん。それじゃあまたあとで、ゆっくり話そう」
それだけ告げると、テグシーは行ってしまう。
直前にもののついでと、近場まで引き寄せたものはあったにせよ。
ビュッと撚糸を天井に飛ばしてから、来たときと同じように軽い身のこなしでひとっ飛び。そのまま糸を繋いでゼノンの加勢に、その小さな身を戦場に投じて――。
そして片隅に残されたリリーラは1人、グスンと鼻を鳴らすばかりだった。我ながら酷いみっともなさだ。縮んでしまったとはいえ、まだまだ自分の方がテグシーの何倍も大きいというのに。
そんな彼女に身を挺して庇ってもらったうえ、こんな風に慰めてもらうだなんて。そのうえ自分は、ただ此処から見ていることしかできない。
不幸中の幸いがあるとすれば配下の魔女の誰一人、この場に居合わせていなかったことくらいだ。とても見せられたものではなかった。こんなに情けなくて、泣き腫らした目でいる自分の姿なんて。
――と。
「……?」
そのときふいに腰の辺りに感じたのは何か、とても小さな手ごたえだ。
加えて「うーんっ!!」と一生懸命、踏ん張りを効かせようとするような気合の掛け声も。何となく辺りは付けつつ、首を巡らせれば案の定。
「ミレイシア……」
だった。
もう魔力もほとんど残ってないだろうにそれでもかき集め、ちょっとでもとミレイシアはリリーラの怪我を回復させようとしてくれている。
ちなみに彼女がこっちに来たのはついさっき、テグシーが行ってしまう直前のことだ。ひどくヨタヨタした足取りでなんとかこちらに合流しようとしていたところ、見かねたテグシーが地引網で引き寄せてやった次第になる。
最後はリリーラが前のめりとなり、グッと伸ばした腕で拾い上げてやったわけだが――。そして、さらにちなむとミレイシアは1人ではなかった。
『ふぅ、助かった……。ありがとう、リリーラ』
リリーラの手のうえにへたり込み、疲れたように額を拭いながら。
彼女が背から下ろしてやったのはどうにかこうにか負んぶし、一緒に連れてこようとしていたアリシアである。
少しまえに起きていたのを見かけたときは、ホッと胸も撫で下ろしたものだが……。さっきの衝突で魔力を使い果たしたか、少女はまたもスヤスヤと眠りの中だった。
『大丈夫だよ、ただ眠ってるだけだから』
心中を慮るように添えられた、ミレイシアからのそんな言葉もあってまたホッと一息。ともかくアリシアのことはミレイシアに任せ、自分の後ろに隠した。そのうえでテグシーを見送ったわけだが。
そのミレイシアがいま、自分に治癒をかけようとしてくれているのである。
ごめんねリリーラもう魔力が残り少なくてと詫び入りながらも一生懸命に両手を広げ、まるでどうしても持ち上げられない重たいものにウーンと抱き着くようにしながら。
でもそれは、リリーラにとってあってはならない施しだった。
ミレイシアの優しさや気遣いを振り払おうとするのは小さなころからずっとで、もはや意地みたいなものだが。今回ばかりはそればかりが理由ではない。
アリシアのために使ってほしかったからだ。
まだ搾り出せる魔力が微塵でも残っているというなら自分などではなく、一滴残さずその子のためにと。だって、そうでなければ――。
ともかくしどろもどろになりながら、リリーラは遠回しにそれを伝えた。
自分のことはいいからそいつにと、懸命な癒しの手を遠ざけようとする。
だがミレイシアはやめないのだ。やめてくれない。
おろか「アリシアちゃんなら大丈夫だよ、そんなに大きなケガもしてないから」と。こちらを元気づけようとするみたいに、まったく見当違いなことを言っていて。だからリリーラも、本当のことを打ち明けるしかなくなってしまう。
「ちが……。違ぇんだよ、ミレイシア……。そうじゃなくて……」
「リリーラ……? どうしたの?」
そのときリリーラの脳裏を過ぎったのは、かつてミレイシアと交わした誓約だ。正確にはテグシーと3人で結んだ取り決めだが、一番それを強く主張していたのがミレイシアになる。
今でも鮮明に思い出せるのは、見たことがなかったからだ。
『誰がやったですって……!? なに言ってるの、ふざけないでよ! これ全部、あなたがやったんじゃないッ!?』
あんなにも怒りを露わとしているミレイシアは、後にも先にも。
誰にでも分け隔てなく優しくできるミレイシア、そんな彼女から浴びせられた初めての糾弾と涙だったからこそ、あの悲痛な叫びは忘れられない。
今でさえ、心の奥底に杭となって残ったままだ。
でも言い換えれば、それがあったからリリーラは事の重大さをちゃんと自覚できて。
だから約束したのである。
強さの答えをマーレに確かめにいったあとで、2人に心から詫び入りにいったそのときに。
もう絶対、繰り返さない。二度としないからと。
それでやっとミレイシアは関係を元に戻してくれたのだ。
『うん、分かった……。私もごめんね、リリーラ。あのときはその、私も少し言い過ぎちゃったかなって……』
信じてくれた。
わざとでなかったと手前勝手な言い分を。リリーラの宣誓を。
絶対だからねと、そっと手を取り結んだ約束と引き換えに。
でもその絶対を、自分はさっき破ってしまったではないか。
どう思うだろうか、ミレイシアは。
自分がこの手で、アリシアを傷つけたなどと知ったら。
特別なのだ。
ミレイシアにとって、アリシアは。
会わせてよいいじゃないそれくらいとこの半月足らずで何度、直談判されたことか知れない。
だからきっと失望されるだろう。
それでも此処で口を閉ざすなんて不義理はミレイシアにできなくて。
したくなくて。実はと述懐するようにリリーラは打ち明ける。
何があったのかを、ありのままに。
自分がこの手でアリシアを握り潰してしまったのだと事実も、包み隠さず話して。
そして――。
「ちょっと待ってリリーラ、何言ってるのよ!? 違うでしょ!?」
「え……?」
返ってきたのが予想外に、そんな返答だった。
一応、咎められはしている。
声を荒げてる辺り、怒っているのも確かだろう。
でもなんか思ってたのと違うのだ。
見下ろすミレイシアからは相変わらず、両手をさすまたみたいに広げて抱き着かれたままだし、剣幕もどちらかといえば抗議に近い。「こらーっ!」と叱り付けるみたいな感じで。
そしてミレイシアは懸命に、声を張り上げるようにして続ける。
「ちゃんと本当のことを言ってよ! 私、もう全部知ってるんだから!」
――そう。
どこか重苦しげな雰囲気でリリーラが打ち明けようとしたそれは、すでにミレイシアにとっては既知の事柄だ。ルーシエから又聞きしたことではあるが、どうもリリーラがアリシアを握りしめてしまったらしいと。
でもそれがただの事実に過ぎず、純粋な真相でないこともまたミレイシアはすでに知り得ている。さっきアリシアの口から直接聞いたからだ。あれは決して、リリーラが故意にやったことではなかったと。
なのに、それをリリーラは……。
やけに言いづらそうにしているから、何を言い出すのかと思えば。
そういうのは嫌いだ。
私がウソを言ったかい?とも言いたげなどこかの三文記者のおかげで、何よりキライとなった真相の捻じ曲げ方だ。
だから「もーっ!」と剣幕でミレイシアは声を張り上げる。
ひどく恰好の付かないことに、大きすぎる腰のところにべったり抱き着きながらにはなってしまうけれど。
そして――。
そんな彼女の訴えからリリーラは知るのだ。
他ならぬアリシアが、それを証言してくれていたことを。
てっきり拒絶されると思っていた。
なんでそんなことをしたのかと失意と軽蔑を露わにされ、非難されるものとばかり想像していたから、リリーラはとっさに言葉を見つけられない。
「それ、じゃあ……」
見つけられないまま、ひどくまごついて。
「信じて、くれるのか……?」
やっと口にできたそれは、リリーラのとても怯えたような問いかけだった。
それを受け――。
なんだそれはと、ミレイシアは少しだけ寂しくも思ってしまう。
だってそうだろう。
信じてもらえるか不安だと、まるでそう言われたみたいではないか。
こちらが何の疑いもなく、心から信を寄せられている数少ない相手から、信じてほしいみたいなお願いはできるだけされたくないものだ。
だけど、うん……。
抱き着きながらミレイシアは思い直す。思い出す。
そうだ。昔からずっと、リリーラはこうだったではないかと。
普段からガキ大将のような振舞いだし、男の子相手だと途端に手も出やすくなってしまうけれど。とりわけ友人関係においてはとても繊細で、ちょっとだけ臆病な一面も合わせ持っているのがリリーラだ。
それだからずっとまえに、自分がとても厳しいことを言ってしまったときにも、ひどくションボリさせてしまって。もう少し良い言い方とかあったんじゃないかって、今でも時おり悔やんでいる。
『――うん。約束だよ、リリーラ。絶対だからね?』
今のリリーラはどこか、そのときを思い出させるから。
とても弱々しいから。
だから出かかってしまった言い返しやいろいろな気持ちをしまい込んで、ミレイシアは言った。ぎゅっと抱きしめて。ありったけの優しさを込めて。
「信じるよ……。信じるに決まってる。理由もなしにリリーラはそんなことしないもん、絶対」
「ミレイ、シアぁ……」
すると途端にリリーラは、グズグズと泣き出してしまったではないか。
よっぽど不安だったのか、泣きながらありがとうとごめんを繰り返していて。
それをミレイシアはもーと、どこか懐かしい気持ちともなりながらヨシヨシと宥め、見上げていた。泣かないのと、そう励ます。
というか――。
今さら思い出すことがあった。
どんな言葉より、今のリリーラの支えとなるだろう絶対の根拠が他にあったことを。
そうだ。
これならもう言い逃れもできないだろう。
だって、この目でしかと目撃したのだから。
だからミレイシアは追って付け加える。
「それにさっきだって、ちゃんと守ってあげてたじゃない?」と。
「え、さっき……?」
するとまぁ呆れたことに、当人もすっかり忘れていたようだ。
最初に聞いたときはリリーラも目をパチクリさせ、何のことか分からなそうにしていたけれど。すぐに「あ……」と思い出した風になって。
「あれは、その……」
「すごいカッコよかったよ、さっきのリリーラ」
つまらない謙遜もさせなかった。
だってこんなにメソメソして、泣きべそまでかいたのだ。
できなかったことを悔やんだというなら、ちゃんとその分だけできたことにも胸を張ってもらわなければつり合いが取れない。悪いとこ取りなんてさせない。
だからミレイシアはその賛辞を贈るのだった。
謝る必要なんてどこにもない。
何よりちゃんと見ていたのだと、それを分かってもらうためにも。
「ありがとね、リリーラ」
見かけによらず(と言ってはちょっと申し訳ない節もあるが)、実はとても繊細で心配症だったりする大切な友人。
その泣き崩した表情をにっこり、花咲くようなとびっきりの笑顔で見上げて。
「――アリシアちゃんのこと、守ってくれて」




