10-24.「確かな覚え」
――『リリーラはね、ただあなたのことも守ってあげたかっただけなの』
最初にそうと聞いたときは、とてもじゃないけれど信じられなかった。
そんなことあるはずがない。
ただ友だちの肩を持ちたいだけでしょテキトウなこと言わないでよって、耳を傾ける気にすらならなくて。
でも違った。まさか思わなかった。
リリーラさんが未だに、私が『アリス』だという秘密を守って、リオナさんたちにも知られないようにしてくれていただなんて。
それであのときと、今となっては腑に落ちることも出てくる。
あのときというのは、私がここに連れ去られてから数日が経った、あるお昼どきのことだ。いつものように子どもたちの遊び相手を務めていたところ、偶然リリーラさんが近くを通りがかったのである。
どうして私をここに連れてきたのか。
いつになったら帰してもらえるのか。
初日以来会うこともできず、モヤモヤの溜まっていた私はリリーラさんのところにトツした。やめといた方がいいっすよぉアリッちとオドオドしているルーシエさんの制止を振り切り、まえに立って両手を広げる。通せんぼの構えを取る。
もちろん「気合はそうだった」の意味合いだ。
リリーラさんからすれば、ちんまい私なんて余裕で踏み越えられるだろうから。
で、その結果。
『え、ちょっ……!?』
余裕で踏み越えられた。
路傍の石ころを見かけたみたいに無言の一瞥くらいはあったものの、それだけだ。ズシリと石柱のように太い足を上げ、リリーラさんは行ってしまう。ただの一言すらなく、立ち去ろうとして。
さすがにカチンときた。
「まぁ~っ!」となった。
私はただ理由が知りたかっただけだ。
何かあるなら教えてくださいと、なるべく感情的にならないようにしてそう伝えた。切に訴えた。
それなのにこうもあからさまに無視されて。
私も必死だった。これを逃したら次はいつ会えるか分かったものではないと追いすがる。ノシノシと熊のような足取りでいるリリーラさんを、後ろから転がるようにして追いかけた。
でもこれが全然止まってくれない。
おまえのことなんか眼中にもないとも言いたげに、ガンスルーを決め込まれて。
『~ッ!!?』
それでまぁ、いろいろ言ってしまったわけだ。
そんなに私が気に入らないんですかとか、言いたいことがあるならハッキリ言えばいいじゃないですかとか、そんなようなことを遠ざかっていくリリーラさんの背中に向かって。
私もなかなかにヒートアップしていた。
正直、決めつけてしまっていたことも多くあって、どうしてこんなやり方をするのか卑怯だと言い募って。
『私が魔女狩り試験に出たことがそんなに……!』
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアーッ!』
ハウルされた。
あまりの大声量と剣幕に、私もへたり込むしかなくなってしまう。
恐ろしさで声も出せないまま、その野獣じみた厳めしい顔つきを見上げて。
『……ったく、バカな子だね』
で、そのまま行ってしまった。
ゆっくりと踵を返して、ノシノシと。
大丈夫っすかアリっちチビってねぇっすかと、その後ルーシエさんがレスキューに来てくれるまで立つこともできなかったし、命知らずにもほどがあるっすよぉとお尻をパンパンやってくれたわけだが、ともかく。
そんな出来事と最後の吐き捨てるようなセリフがあったから、私ももう我慢ならなくなったのだ。
『でもリリっち、なんであんな怒ったんすかね……?』
『それは、分からないですけど……』
ルーシエさんもよく分からなそうにしていたし、私も内心では「もうなんなのあの人、信じらんない!?」みたいな感じになっていたから。そっちがその気ならこっちだってと、いよいよリリーラさんを敵視するようになって。
でも今となっては「そういうことだったのか」だ。
てっきり音量任せに黙らせたいだけで、最後のもただの悪口とばかり思っていたのに。
まったく分かりづらいったらありゃしない。
それでも私のためにやってくれたことだから、いまいち文句を付けづらいのが苦慮するところなのだけれど……。
というか、待てよ……?
じゃああれ以来、私が一度もリリーラさんを城内で見かけなくなったのは、また同じような展開になって私がボロを出さないようにするため……?だったりするのだろうか。
テグシーさんが出禁状態となったのは、すれ違いがあったからだけじゃなく、その辺りの真相が私に伝わるのを避けたかったから……?もあったりするのだろうか。
もしかするとミルさんも同じ理由かもしれない。
話を聞く限りかなりいろいろ知ってるようだったし……。
だからついさっきが初めましての初対面となった?
私とずっと話したかったというのは、つまりそういうこと??
分からない。分からないけれど……。
とにかくいま私はとんでもなく必死だった。
その辺りを確かめてみようと思った矢先、事態が急変したから。
「え、あれって……!?」
「そんな、リリーラ!?」
リリーラさんが落ちてきたのである。
ほとんど階層の崩落にも近い形で、地上フロアからガラガラと。
しかもそのまま起き上がらないのだ。
結構な高さから地面に叩き付けられ、そうしようにもできないといった様子で身もだえている。とても、苦しそうで。それに――。
「え……?」
私はとっさに言葉が見つからなかった。
見てしまったからだ。決して見間違いなんかではない、それを。
リリーラさんの表情を。
「なんで……」
そのとき僅かながらテグシーさんに反応があって、ミレイシアさんが起きてお願いリリーラがと懸命に呼びかけていたが……。ダメだ、間に合わない。
そうこうしているうちに、べつの華奢な影も上階から降り立って。
リオナさんやライカンさんが続いてくれる様子もないまま、動けずにいるリリーラさんに向けてまたあの『光』を――。
やるしかないと思った。
迷っている時間なんてなくて、無我夢中で。
だから私は急速に心を鎮めて、吐き出す。
スーハ―と一度だけ深呼吸をしてから、杖を構える。
また誤爆しないようにだけは気を付けつつ、再び『イルミナ』に成りきって。
「早く行って……! 今のうちにリリーラを!」
「えっ……? は、はい……!」
衝突が始まってからはもう、いろいろと構っていられなかった。
一瞬の気の緩みが命取りになりかねない。
だから口調も徹底したまま、ミレイシアさんを先に行かせる。
ほとんど指図みたくなってしまったのは、あとで陳謝させてもらうとして……。
そこで私はパチンと杖を両手持ちに切り替えた。
さっきは控えたことだ。
どんなときも冷静沈着な『イルミナ』のイメージからすると、ちょっと違う気がしたから。
だけどもうそんなことも言っていられないし、これが本当に最後の魔力。
命運を左右する正念場ともなれば、彼女だって必死になるだろう。
「……ッ! あああああああーッ!!!」
あくまで慎重に、イメージがかけ離れたものとならないように細心の注意を払いながら、私はボルテージを最大限まで吊り上げた。そして結果はどうやら成功らしい。ボンと『光』の根本が膨らんで、砲撃の出力がさらに上昇する。
でも逆に言えば、それが本当に限界だった。
これ以上はもうどうにもならない。
それなのに押しきれず、『光』はまたさっきのようにズガガと左右に激しくせめぎ合って。
「うぅ、ぐっ……!」
気を抜けば一瞬で押し負けてしまいそうな圧のなか、私は必死に探していた。
その在処をひたすら、自身のうちに確かめていた。
いま私がもっとも叶えたい『願い』、それは何かと。
決まっている。今だけは――。
この瞬間だけは自分でも意外なくらい明確に、1つに定まっている。
止めてあげたいのだ。
さっき確かに見てしまった、リリーラさんの涙を。
だってまさか、そんな表情をする人だなんて思ったこともなかったから。
私の知っているリリーラさんはいつだって不機嫌そうで、本当にちょっとしたことですぐにフンガーとなって、目に付くもの全部に怒りをぶつけて手当たり次第に当たり散らしているとか、そんなイメージだ。とにかく理不尽の一言に尽きる人。
実はそれが自身の万全を保つための振舞いだったとは、さっき発覚したことになるけれど。私としては「ほんとかなぁ?」と、まだ半信半疑と言ったところだけど。
でもだからこそ、言いようのない感情――不安にも近いものを覚える。
胸の奥で何かがチクッとなって、居ても立っても居られなくなる。
どうして泣いているの……?
どうしてそんなにも悲しそうな顔をしているの……?って。
認めたくはない。
まだちょっと信じられない。
リリーラさんが本当は優しい人だなんて。
だけどそんなの、今はどうだっていい。
棚上げだ。誰が何と言おうと、疑いやしないのだから。
だってそれは本当に、悲しくて仕方がない人だけがする表情だ。
イヤでイヤで仕方がなくて、もう全部投げ出してしまいたくて。
でもどうしようもなくて、そうできないから嘆いている。逃げ場がなくて追い詰められている。
いったい何が彼女にそんな顔をさせたというのか。
あの強情でどこまでも意地っ張りなリリーラさんに、いったい誰が……?
何があったら、そこまで。
答えなんか1つしかないだろう。
だから一刻も早く、それを取り除かなくてはならないのだ。
そして駆け寄ってあげたい。
泣かないで、もう大丈夫だよって声をかけてあげたくて。
それが今の、私の『願い』。
「うぅ、ああああああああああああーッ!」
でも足らない。
それでも押し込まれる。
なんで……? 涙が零れた。
あんまりよく分かってないけれど聞いた話、私にはなんかとてもすごい力があるんでしょ……?
確か『血の目覚め』とか言われてたやつだ。
どうしても叶えたい強いお願いがあったり、絶体絶命のピンチに陥ったときに発動するとか何とか。最初に聞いたときはなにその我がまま体質って思ったけど。今がまさしく、そのときではないのか。
そんな火事場のバカ力みたいなの、私だって進んで宛てにしたくはない。
達成したい目標があるなら、ちゃんと自分の力で叶えたい。
だけどもう、そんなことも言っていられないのだから。
「おね、がい……」
藁にも縋る想いで口にして、また温かいものが頬を伝る。
そして――。
次の瞬間、バチリとなって『光』が途切れた。
私側の『光』だ。
ついに魔力が切れて、均衡が崩れる。
押し寄せる向こう側の『光』が、私を呑み込んで押し流して――。
そうなるはずだった。
でも、そうはならなかった。
私だけではない。
相手側の『光』もまた、途切れたからだ。
「え……?」
互いの魔力が、同時に切れた……?
一瞬そんな風にも思ったけれど、違う。
これではまるで――。
まるで互いの魔力や魔法そのものが、同時に消え去ったかのような。
あれ、これって……?
不確かな感触ではあったけれど、覚えがある。
でもそれを確かめるよりまえにガクリと、足腰から力が抜けて。
「――よくやった。悪ぃ、遅くなって」
支えられた。
瞬間、私を満たしたのはとてつもない安堵感だ。
喉が震えて、ポロポロと涙が溢れて。
「……伝え、たいんです」
それは成りかけていた、私ではない『私』の言葉。
魔力がもうすっからかんで、視界が霞む。
意識もほとんど消えかかっている。
だけど、どうしても叶えたいお願いがあって。
この人なら絶対、何とかしてくれる。
叶えてくれるって、そう思ったから。
「泣かないで、もう大丈夫だよって……。だってあんなに悲しい顔をしてるの、見たことなかったから……」
『私』は一生懸命に言葉を紡いで、伝えようとした。
残された数秒でできる、たぶんそれが最善だったから。
でも途中からは口がパクパクなるだけで、うまく声にならない。
伝えられない。
だけど――。
「分かってる。全部分かってるから、お前はもう休んでろ」
その人は答えてくれた。
だから私もまた、安心して意識を手放せる。
「あとのことは、俺が引き受ける」
ああ、良かった……。
瞼を下ろした暗闇のなか、私が最後に耳にしたもの。
それはとても耳心地の良い、ジャリンとしなる鉄鎖の音だった。




