10-23.「崩落」
認識を上書きし、マーレを駆逐すべき外敵と定めたことにより、いまリリーラは疑似的ながらも『血の目覚め』に近い精神状態を誘発しているわけだが。
それは一方で、本来あるべき自身の万全を引き出すための苦肉の策でもあった。
というのも元に戻らないのである。
さっきからずっと、体の大きさが。
確かに今までも魔力を使いすぎると、体が小さくなってしまうことはあった。
だがそれも一時的な気の緩みみたいなもので、ムカつく相手や出来事を思い返せば、大抵の場合はすぐにもムクムクボンッと復帰できる。
それがリリーラが編み出した、自身の最大サイズを保つためのコツだった。
ところが何故か、今はそれがちっとも通用してくれない。
いったいどうして……。
何が足らないというのか。
いや、分かりきっていることだ。原因なんて。
集中しきれていないのだろう。体を元の大きさに戻そうとする度、いまも手の内に残っている生々しい感触が想起され、遮られるから。
さっきアーガスをペシャンコにし、アレクセイを殴り飛ばしたときだけは土壇場で元に戻れていたけれど。それっきりだ。
それっきりリリーラは自身の万全で在れていない。
だからかつて己に定めた禁忌の楔を外し、脱却しようと試みたのだ。
でもやっぱり不完全だった。残ってしまっている。
あくまで自発的なものである以上、排しきることのできなかった自我が。
感情が、致命的なまでに。
なんでこんなときに……!
クソが、クソったれが……!
「グァアアアアアアアアアッ!!!」
その不純をかき消そうとするかのように、リリーラはけたたましく咆哮した。感情に更なる怒り、そして怨嗟の薪をくべ、圧し潰したいと一心でがなり散らす。けれど――。
なんで……ッ!?
それでも消えきらない。
消しきれなかった。振り払ったはずの迷いが。
切り捨てたはずの弱さが、いつまでも残ったままで。
ふざけんな……。
ふざけんじゃねぇ……ッ!
自分がそんな体たらくだったからさっき、目のまえでテグシーが傷ついたのではないか。この中途半端にデカい体を全部、繭で覆って守ろうとしたから。そのばっかりに一番肝心な、自身の防御が間に合わなくて。
ムカつくことだ。
自分よりずっと体の小さな奴に身を挺して庇われたなんてこと、あっていいものか。
でも、それ以上にムカつくのは。
腹が立って仕方がないのは。
『なんかあったら言えよな、テグシー! どんな奴が相手だってアタシが――』
かつては事あるごとに宣っていた決まり文句の何1つ、言葉通りにできなかったことだ。
いったい、どの口が言っているのか。
傷つけておいて、護られておいて、どの口が。
この後に及んで、まだ迷っているとでも言う気か。
まだ醜態を晒すつもりでいるのか。
そんなことあっていいわけがない。
自分がこの力を手にしたのは。
誰よりも強く、そして大きくありたいと願ったのは。
『いいかい、リリーラ。よくお聞き――』
「ゴガァアアアアアアアアアアーッ!!!!!」
ふいに頭のなかに響きかけた、懐かしくて優しい声音。
それを打ち消すように、リリーラは一層大きくがなり立てた。
血を吐くように絶叫しながら、黙れ黙れと怒り任せ、半狂乱になりながら拳を振るう。卓上に見つけた羽虫にそうするようにバチンバチンと、広げた手のひらをやたらめったらに振り下ろして。
訳も分からない内に終わっていること。
それが心のどこかでリリーラの目指していた決着だ。
だから指先でも掠ればと、デタラメな両腕の大ぶりを一心不乱に繰り返す。
でも当たらない。当たってくれない。
焦るほどに動作の1つ1つが大きくなり、やがては致命的なスキとなって。
そうして気付いたときには姿を見失っていた。
いったいどこにと振り返った直後には、目のまえからズイと『光』が迫っている。受け切ろうにも受け切れず、次の瞬間には足場から崩落、階層もろとも崩れ去って――。
ああ……。
自分はいったい、何をしているのだろう……?
ガラガラと滝のように降り注ぐ瓦礫とともに地下フロアに振るい落とされ、体を激しく地面に打ち付けた衝撃で起き上がることもままならない。無様に後頭部を晒し、消えかかった意識のなか、リリーラを満たしていたのはひどい無気力感だ。
こんなはずではなかった。
もっとずっと、上手くやれると思っていた。
役割を果たせるつもりでいた。それなのに。
なんだ、これは……?
何1つ、ただの1つも、満足にこなせてやしないじゃないか。
護るためだったはずの力で、アリシアを傷つけて。
テグシーにも目のまえで傷を負わせてしまった。
自分がどうしようもなくノロマで、グズだったばかりに。
約束したのだ。マーレと。
かつて力の使い方を誤り、テグシーを傷つけてしまった。
ミレイシアのことも深く悲しませてしまった、あのときに。
もう二度と繰り返さない。間違えないからと。
それは生前のマーレと、涙ながらに交わした最後の約束。
絶対に絶対を重ねて、指まで結んだからこそ大切だった。
それこそ命より優先して守ると決めていたことで。
だから反故にするわけにはいかない。
絶対にできないのに……。
どうして今、そのマーレが敵なんだ。
どうしてこんな形での再会なんだ。
分からなくなる。
もう何も、分かりたくなくなる。
「バァ、ちゃん……」
身じろぎもままならないまま、どうにか視界だけを巡らせた前方。
物も言わずに佇む彼女から、今まさにトドメの『光』が撃ち放たれようとしていたときだ。
ふいにその向き先が転換され、ズイと差し迫るべつの『光』と衝突したのは。
「……!?」
それは絶体絶命のリリーラを救うため、アリシアが横合いから放った一撃。
全身全霊、ありったけの魔力を込めた最後の魔力砲。
いま再び2つの強大な『光』がぶつかり合い、拮抗する。




