10-18.「違うんだよ」
ドン、ズドォン、ミシリ、ミシミシ。
頻繁に不穏な感じに揺れたり、パラパラと砂埃をふるい落としたりする。そんなとても高くに聳える天井をごくり、私は喉を鳴らし、固唾を飲むようにして見上げていた。
遠巻きではあるが……。
こんなただならない衝撃や轟音が、さっきからずっと続いているのである。
それも絶え間なく、この地下フロアに届くまではっきりと。
いったいどれほど壮絶な戦闘が、地上で繰り広げられているというのか。
想像も付かないまま、私はただ呆気に取られ、おずおずと立ち尽くすしかなかった。
一方で――。
「…………」
私は迷ってもいた。
やっぱり今からでも、地上フロアに戻るべきではないかと。
間一髪、さっきはリリーラさんのおかげで助かったけれど。
他のみんながどうなったのか、それが気がかりでならなかったから。
心配だった。
リオナさんやライカンさん、『ヨルズ』さん、ウィンリィ。
他のみんなもどうなったのか。無事なのか。
たぶんだけど……。
まだ1発くらいならどうにかなりそうな気がするのだ。
大した役には立てないかもしれない。
だとしてもと迷い、手元の杖をぎゅっと握りしめていた。
そのときだ。
「――アリシアちゃん」
少し離れた後方から、そう声がかけられたのは。
振り返れば壁際、膝を崩しながらとてもおっとりした表情でいるその人と目が合う。
とても綺麗な女の人だった。
深い緑色の髪に、澄んだエメラルド色の瞳をした――。
「ミルさん……」
「あんまり近づかない方がいいよ。危ないかもだから、こっちおいで」
さっきそう自己紹介をくれたばかりのその人がトントンとすぐ傍らの地面にそっと触れながら、優しく諭すように言う。といっても名前だけなら聞いたことがあって、この人がミルさんだったんだとなったけれど。
治療の邪魔になるかと思ってあえて離れておいたところ、それはそれで気を散らさせてしまったらしい。
「……そう、ですね」
迷った末、私は踵を返すことにした。
ちなみに途中で目を見張ったのは、ミルさんが膝枕を貸してやっているテグシーさんを見やってのことになる。
治っているのだ。
ここに来たとき倒れていて、頭から出血もあった彼女のケガが、全部。
傷跡も残らないで、きれいすっかり。
「すごい……。本当に治ってる」
「うん、これが私の魔法だからね」
まるで小さな子どもを寝かしつけるみたいにテグシーさんを優しく撫でつけ、少しこそばゆそうにしながらミルさんは言った。
「あの……。それで、どうですか……?」と容態を尋ねれば「うん、大丈夫そう」と頷かれる。命にも大事ないとのことで、私もホッと安堵の息を付いた。
「良かった……。テグシーさん」
というのも、最初は気が気でなかったからだ。
ケガをしていて、血もいっぱい出ているとリリーラさんの言を聞き。
『アリシアちゃん、行こう! 立てる!?』
『へ……? ちょわっ……!?』
ぐいと腕を引かれるままミルさんと一緒にこの地下フロアに駆けつけ、倒れているテグシーさんを見つけたのが先のこと。それこそ刻一刻を争うような事態を想定し、ただちに介抱に当たったのだが。
途端に『あれ……?』となる。
確かにテグシーさんは頭にケガをしていて、血も出ていたけれど。
思っていたよりずっと少量だったからだ。
というか出血だけなら、すでに止まっていた。
素人目の私から見ても明らかに、命に関わるような重傷とかではなさそうで。
『気を失ってるだけみたい……』
頭を強くぶつけたことによる、軽い脳震盪のようなもの。
しばらく安静にしていれば目を覚ますだろうと、それがミルさんの診断だった。
本当に良かったし、何よりなことではあるのだけれど。
人騒がせな、ともちょっとだけ思ってしまう。さっきのリリーラさんの様子からして、本当に只事ではないものとばかり思っていたから。
「でもどうしたんでしょうね、リリーラさん……。単純に勘違いしちゃったんでしょうか……? テグシーさんに庇われたって言ってましたし、それで慌てちゃったとか……?」
「うーん、たぶんそれもあるんだろうけど……。そういえば昔からだったなって、いま思い出したのよね」
「え、昔から?」
聞けば、前にも似たようなことがあったらしい。
ミルさんに。
『頼む、すぐ来てくれ! テグシーが……テグシーが大変なんだ……ッ! 血が……!』
ひどく怯えたような表情でリリーラさんがそう言うので、慌てて駆けつけてみればテグシーさんは鼻血を出してただけだった、みたいな。
しかも、そんなことが一度や二度ではなかったのだという。
まずもってミルさんが、テグシーさんやリリーラさんと幼馴染みという辺りも十分すぎるくらいビックリなのだけれど。
「あのリリーラさんが、ですか……!?」
ちょっとというか、かなり信じられないエピソードで思わず聞き返してしまう私だった。
「ほら、リリーラって体が大きいじゃない? だからたぶん、そういう感覚も分からなくなっちゃってるんじゃないかなって。どれくらいの血が出てると本当に命が危ない、とか」
そんなフォローもあったものの。
今までを思い返すと、とてもそうは思えずいやいやいやとなる。
だって、あのリリーラさんだ。
魔女狩り試験のときだって審査に勝手に割り込んで無茶苦茶やってたし、ついさっきだってそうではないか。ウィンリィをあんなに痛めつけて、バカスカ殴りつけて。
思い返すにむかっ腹が立ってきそうだった。
とても鼻血に慄くような繊細な人柄とは思えない。
そんなわけがない。
「やっぱり、ちょっと意外……?」
「意外っていうか、ぜんぜん信じられないです!」
「うーん、なんだろうね……。たぶんリリーラのことだから、女の子とか魔女さん限定で特別扱いしてることも、いっぱいあるんだろうけど……」
「そんなこと言われたって……」
友だち贔屓の苦し紛れとしか取れなかった。
というか、それについてはキッパリと言い返せる。
だって、居るではないか。
ここに例外が。
リリーラさんは私のことが嫌いだ。
たぶん心底、大嫌いだ。
魔女狩り試験に出たときから……。
いや、たぶんもっとずっと前から、目の敵にされている。
べつにそれは構わないのだ。
誰だってどうしても折りの合わない相手くらいいるだろうし、まさか自分が誰からも好かれる万人受けタイプだなんて夢にも思っていない。人生山あり谷あり、こういうことだってあるだろう。
でも許せないのは……。
まったくもって意味が分からないのは、それにも関わらずあの人が打って変わって今度、私を強引に自陣に引き込んだことだ。
なんでって思う。
嫌いなら関わらなければいいだけだし、私だってそのつもりでいたのに。
いくら聞いても理由も満足に説明してくれないし、帰してって直談判しにいってもぜんぜん聞く耳持たずで、音量任せに怒鳴り散らすだけだ。
もうウンザリだった。
いったい何がしたいのって文句しかない。
それで最終的にはこんな大騒ぎになって、たくさんの人に迷惑がかかって、傷つけて……。だからもう、今さら何を言われたって受け入れられっこなかった。
リリーラさんが優しい人……?
百歩譲ってそうだったとして、私へのこの仕打ちはなんなのか。
確かにほかの人にはそうなのかもしれないけど、私には違う。
それがすべてじゃないか。
同じように認めてあげることなんてできない。
溜めこんでいた不満が爆発して、そんな恨みつらみをブツクサと、私はミルさんにグチってしまう。我がままで、とんでもなく自分勝手で、いっつも不機嫌そうにしていて。
指を折り曲げながら散々こき下ろしていた。
その末――。
「確かにさっきは、助けてもらいましたけど……」
最後の最後で否定しきれなくなって、言い淀む。
口ごもる。
というかこれ、だいぶ粗相していないだろうかと、そのとき気付いた。友だちをこんな風に言われて(よりによって幼馴染み)、いい気分のする人なんているわけがないのに。
しまったとなって、ウグりとなる。
とても気まずくなる。
「あの、ごめんなさい……。私……」
「ううん、いいのよ。アリシアちゃんの言いたいことは、私も少し分かるから」
でもミルさんは、そんな私を責め立てやしなかった。
おろか理解を示し、優しい眼差しで寄り添ってくれる。
「声おっきいよね、リリーラ。体も建物みたいに大きいから怖いし、何でもかんでも力任せ。そりゃあ文句の1つくらい、言いたくもなるよ。なんでー!って、いくら聞いたって理由も教えてくれないし。あんまりしつこくするとワシ掴みにされて、部屋からポイって追い出されちゃうんだもん。ズルいよね、あれ」
「ミルさん……?」
困ったように笑いながら、そんなカミングアウトも後に続いたもので、ちょっと呆気に取られてしまう。まるで経験談のような口ぶりなのも気になったが……。
そういえばと思い出す。
こないだルーシエさんと話していたとき、ミルさんも何か事情があってこの城に閉じ込められてるって。
もしかしてそれと関係あることなのだろうか。
分からないけれど。
「でもね、違うんだよ。アリシアちゃん」
「え……?」
ミルさんは続ける。
「いきなりこんなこと言われたって信じられないと思うし、分かってあげてなんて言うつもりもないの。だけどもう、すれ違ったままでいて欲しくないから……話すね。私の知ってること、全部。本当はいろいろ落ち着いてから、テグシーに話してもらうはずのことだったんだけど……」
もう見ていられないのだと哀願するように、その瞳を寂しげに細めて。
「リリーラはね、ただあなたのことも守ってあげたかっただけなの」




