2-9.「ポッケの中の戦利品」
ここでちょっと、ところでの話を挟みたい。
これはまだ、当人にも知らせていなかったことになるが――。
先日、『イルミナ』を森から引っ張り出してやったときのこと。
実はあのとき釣れたのは、彼女1人だけではなかったのである。
抱き合わせセットよろしく、思わぬオマケも付いてきていた。
それに気づいたのは――。
『おいやめろ、嬉しいのは分かったからひっつくな!』
外に出れたことがよっぽど嬉しかったか。
ゼノンさんゼノンさんとピョンピョン跳ねまわっている『イルミナ』の頭を、力づくで押さえつけていたときのこと。彼女の体に、何やら無数の種のようなものが付着しているのを見つけたのだ。
見ればそれは『霧の森』を出ようとしたときに襲ってきた木の根っこ、『ガガイア』と呼ばれる魔樹の種子だった。だが偶然ひっついたにしては、いささか数が多すぎる。
おそらくは貴重な魔力プラントを逃がしたくないあまり、苦し紛れに吐きかけたといったところだろう。実に往生際の悪いことだが。
ともあれ、はしゃぐ『イルミナ』の素知らぬうちにひょいひょい、ゼノンはそれをこっそり除去してやっていた。危なっかしいので、その場に捨てていこうかとも思ったのだが――。
「…………」
ヘタにそうすると風に飛ばされた先で、何かの間違いで発芽する、なんてこともあるかもしれない。そうなっては事だと予感がふいに脳裏を過ぎり、断念する。
それよりはこのまま王都に持ち帰って、ちゃんとした機関に任せた方が安全確実だろうと。そんな経緯で発芽しないように処置だけ施し、ゼノンはいったんそれらをポケットに忍ばせておいたわけだが。
そのうえで、今――。
「参ったな……」
周囲をうねる泥濘に囲まれた暗闇のなかで、ゼノンはむつかしげに顔をしかめていた。
軽く思い悩み、うーむと唸る。さて、どうしたものかと。
ちなみに。
今しがた口にしてしまった「参ったな」は何も、絶対絶命のピンチに陥って万事休すだとか、打つ手なしのお手上げ状態だとかそういう逼迫感を示すものではまったくない。
このジメジメした場所からの脱出はまぁ、たぶんどうにでもなると思うのだ。
ただ中でもより確実な手段を模索していたところ、待てよそういえばと思い出す。
ズボンの後ろポケットをモゾモゾと漁る。
そしたら当然、出てきてしまったわけだ。それが。
このまま丁重にセレスディアまで持ち帰るつもりだった『ガガイア』の種が。
それで思い悩んでいたのだ。
まさか今になって、これの有用な使い道が1つだけ見つかってしまったから。
でもさすがに即決とはいかなかった。
いろいろと問題があったからだ。使うにしても後始末のこととか、下手したら自分も巻き込まれるかもしれないこととか、もうじきやってくるだろう知己から「なんてことしてくれてるんだよもう!」的に呈されそうな苦言のこととか。
それで決めかね、思わず口にしてしまった「参ったな」だったわけだが。
なんかもう、はっきり言って面倒臭かった。
だんだん、どうでもよくなってきてしまう。
いいではないか。
それが一番確実で、手っ取り早そうな手段だったのだから。
使えるものを使って何が悪いと、誰にともなく抗議する。
そして――。
いいや、もうやっちまえ。
どうにかなんだろと、最後はそんな感じだった。
半ば投げやりに、ひどく開き直り気味な可決が自前で下される。
だがまぁ、仕方ないだろう。
というのも、さっきから外でケインがやけに楽しそうに騒いでいるからだ。
いったい何を言っているのかは、くぐもっていてよく聞き取れないが……。
なんだかえらく浮き足立った歓声であることだけは確かだった。
よくよく耳を澄ませてみれば、謝れば許してやるとか言っているし。
ともすれば鼻を明かしてやりたくなるのが人情というものだろう。
「なんだあいつ、もう勝った気でいやがんのかよ」
挙句の果てには、気が変わったら教えろなどと宣ってくる始末だ。
それにはさすがにイラっとして、小さく舌を打つ。
「だから」
故にこれでも食らいやがれとパラパラ、ゼノンはその種を片手間に蒔いてやるのだった。これだけ魔力の豊富な土壌ならば、育つのもあっという間だろうとこれから起こることとその顛末までを見越して。
「勝手に勝った気でいんじゃねぇよ、害虫野郎」
◆
『魔樹』とはその名の通り、魔力を糧として育つ植物の総称だ。
その多くは成長に必要なエネルギーを自ら作り出すことができるため、基本的には水や光といった自然の育みを必要としない。
――そう。
芳醇な魔力と根を張れる『土』さえあれば、ほぼどこでも育つ。
与えた魔力の分だけ爆発的な成長速度で、大きく生い立つ。
それが魔樹の基本性質なのだ。
ではその種を、このうねる泥濘という最高の発育条件のなかに放り投げてやったらどうなるか。答えはまさに、ゼノンの目論んだ通りとなった。たちまち崩壊した泥濘の牢、その外に抜け出してみれば案の定。
「いぎゃああああああああああああっ!?」
バタバタと地面にのたうちまわるケインの姿がそこにあった。
実に耳心地の悪い、濁った魔人の絶叫が地下の大空間に木霊する。
その手足はすでにシュルシュルと這い伸びてきた『根』に汚染されていた。
なれど勢いは止まらず、逃れようとするケインの腕を引き込むようにしてビキビキと首筋にまで食い込み始める。
「おー、やってんな。こいつは想像以上の食いつきだぜ」
そこに足を向けながら、悠々と声がけするのはゼノンだった。
あるいは見境なく、こちらにも襲い掛かってくるかと懸念もあったのだ。
だがやはり、どちらがより好みの味の持ち主かは、それらが一番分かっていたらしい。
ただの樹木が日光を求めて傾くのと同じように、魔樹も魔力を求めて根を伸ばす。
だが魔力ならなんでも良いというわけでもないのだ。彼らにも選り好みがある。
なかでも一番のお気に入りは、『土』属性の魔力。
その点、こちらはお気に召さなかったのだろう。
――なにせゼノンは、『土』の素養についてはからっきしなのだから。
かたやケインの方は語るまでもない。
気の毒なことに、反対のもっとも嫌う『火』の素養も持っていなかった。
だからこんな一方的にたかられるのも、当然といえば当然の結果で。
ごくまれに魔樹が人里に被害を及ぼすことがあるのだが、その討伐のときに最もやってはいけないご法度がある。それは『土』属性の魔力をぶつけること。そんなことをすればたちまち増長し、餌食とされてしまうから。
だから、さぞ苦しいことだろう。
『土』をメインウェポンとするケインにとって、魔樹の根に絡みつかれることは。
「あ、ぐあああああああああっ!」
それこそ煮えた油を浴びせかけられるような苦しみのはずだ。
加えて『ガガイア』はとくに発芽のために膨大な魔力を必要とすることで知られている。
並の魔導士ならとっくに干からびているだろうが。
まだそれだけ苦しみもがけるあたり、さすがは元魔女狩りと言ったところか。
ともあれケインも、ようやく何が起きているのか気付いたらしい。
「バカな……!? これはまさか、『ガガイア』の苗木か!? どういうことだ、なぜ貴様がそんなものを……!?」
まぁ驚くのも無理はない。
確かにおいそれと手に入る代物でもないし、まさかそんなものを隠し持っているなだなんて夢にも思わなかったことだろう。だがそれを逐一説明してやる義理もなかった。
「べつに好き好んで持ち歩いてたわけじゃねぇよ。捨てようと思ったのを、たまたま持ってただけだ」
「ふっ、ふざけるなぁあっ! そんな偶然があってたまるか!? まさかキサマ、最初からこのつもりで」
「妙な勘繰りしてんじゃねぇ。それよりいいのか、偏食家。食うか食われるかの勝負がしたかったんだろ? だったらもっと気合入れて格闘しねぇと――」
そのときグパリと、程よく育った『ガガイア』の樹根が口を開く。
ひっと血の気を引かせたケインに、ザマはなしとゼノンは嘲笑をくれてやるのだった。
「その調子じゃあ、踊り食いだぜ?」