10-1.「人知れぬ森の奥で」
ここで刻はやや、いったん遡る。
そこはセレスディアからやや離れたところにある森の奥地だ。
人里からも隔絶された僻地であり、危険な魔獣や魔樹が多く生息することでも知られている。
商人や旅人はおろか、冒険者でさえ滅多に踏み入ることのない危険域なのだが。
(『魔境』とも呼ばれている、早い話がかつてアリシアが暮らしていた『霧の森』のさらに奥深く。)
今そこに、なんだかとても場違いな光景があった。
人だ。人が歩いているのである。
とても山歩きに適しているとは言えない薄着で、ザックの1つも背負わずに。
ほとんど体1つでほっつき歩いているような軽装の、彼は黒髪の青年だった。
もしここに目撃者があったなら、きっと目を剥いたことだろう。
なぜこんなところに人が、それもまるで気晴らしにちょっくら散歩に出てきたみたいな、実に軽い足取りで歩いているのかと。しかも、わざわざ奥に踏み込んでいくなんて正気の沙汰のわけもない。
何をしている自殺行為だ、命知らずにもほどがある。
悪いことは言わない、今すぐ引き返しなさい。
そう声を大にして、回れ右と促されただろうか。
でもそんなのは青年からすれば、実にありがた迷惑なことだった。
へいへい忠告ありがとうよと、一応それくらいは申し送ってからスルーする。
それでも捨て置かず、あんまりしつこく引き留めてくるようなら仕方ないので身分を明かそう。
自分は魔女狩りであると。
と言っても、それですんなり信じてもらえるかは良いとこ五分と言ったところだ。この悪人面が災いして「魔女狩りぃ……? 本当かぁ?」と逆に疑いを深められてしまう懸念すらあって。
相手がその辺の冒険者くらいなら適当に振り切ってしまえばよいのだが、他国の魔女狩りだったりすると面倒なことこの上ない。よって最後の手段として提示できるよう、身分証だけは普段から肌身離さず、わりとしっかり目に持ち歩くよう心がけていたりもするわけだが。
ひとまずここまで来れば、その心配も要らないか……?
付近にそんなお節介の目が居ないことを確認してから、後ろ頭をガリガリ。
鬱蒼と生い茂る樹海の奥へ、奥へと踏み込んでいく青年だった。
なんで自分がこんなことをとも言いたげにげんなりし、深いため息もつきながら。ちなみにそのとき、傍らの茂みからグオオオーと、毛深い系の魔獣がバンザイで飛び出してくるが。
「うっせぇ」
ジャリンと鉄鎖の鞭をウィップし、いともたやすくそれを打ち払う。
かと思えば今度は背後から、ジャアアアと蛇系の魔物が鎌首をもたげ、襲い掛かってきた。
「ったく、めんどくせぇな。次から次にワラワラと……」
だから来たくなかったんだと辟易しながら、ドゴン。
頭から突っ込まれた歯牙に、地面が粉砕されるのを後ろ向きに跳躍。
また一際大きく、人知れぬ森奥にジャリンと金属音が響いて。
――とまぁ、そんな感じに次々と襲いくる魔獣との遭遇を躱し、ときには対処しながら魔女狩り――ゼノン・ドッカーは樹海の奥へと踏み込んでいく。
それはとある人物を追ってのことだ。
時系列で言えば、そう。ちょうどリィゼルと関わった直後くらいのことだから、もう1年ほどにもなるか。
まさか当時は思いもしなかった。
リィゼルを一人で行かせたことで「もう信じらんない!」とガミガミ、ミレイシアはたいそうお冠となっていたし、大丈夫かな今ごろお腹空かせてないかなと終始その身を案じてもいたが。
その直後にあんな、予期せぬ襲撃を受けるだなんて。
襲撃者はミレイシアを狙っていた。
ミレイシアは相手が誰かも分かっていないようだったが、ゼノンはすぐにも理解が及ぶ。
すでに終わったと思っていたことが、実はそうではなかった。
起きてはならないことが、起こってしまったのだと。
悔やまれるのは、その場で始末を付けきれなかったことだ。
動揺のあまり咄嗟に動けず、宵闇のなかに見失ってしまう。
追いきれないまま、ソレを取り逃がしてしまう。
自分がそんな失態さえ犯さなければ、事はこんなにも長引きはしなかったというのに。そのせいで、ミレイシアは、今も――。
真相のすべてを知っている者はひと握りだ。
その場に居合わせた自分に加え、テグシー、リリーラ、リオナ、そしてライカンの5人だけ。本当のことはミレイシア当人にも知らせないで欲しいとは、ライカンたっての希望だったから。そうでなくとも先約があったらしいので議論の余地もない。
心痛のリリーラを欠いたまま開かれた2度目の会合の場ではあったが、異を唱える者はおらず、「分かった。それでいい」とゼノンもそれに応じる。
一方でライカンの顔付きが最後まで浮かないものだったのは、真実を秘匿することでもっとも被害を被るのが誰かを気にしてのことだろう。
だが心配には及ばなかった。
別にそんなのは今さらのことで、私生活になんの支障もない。
だから気にしないでいいと伝えた。
むしろ片を付けきれなくて悪かった、すぐにも彼女を追うつもりだと、そう申し出る。
それなのに。
『済まない……』
彼は最後まで、どこか弱々しげに詫びいるばかりだった。
だからその翌日にも、ゼノンはまたセレスディアを発ったのである。
それを排除しなければ、ミレイシアがまた狙われるかもしれないと懸念を払拭しきることができなかったから。何よりその存在が、決して放置されてはならないものだったからだ。
ちなみにその時点ですでに、ミレイシアの身柄はグランソニア城にあった。
何処にぶつけていいかも分からない怒り、そして悲しみにも暮れながら、リリーラが半ば強奪にも近いやり方で、無理やり自身のテリトリー内に引き込んだことによって。
相変わらず手段こそ粗暴で、なりふり構わないものではあったが。
だけど、それで正解だった。
なにせリリーラの監視下なら、いくらミレイシアでも逃げられない。
やると決めたらやってしまう、そんなどこか危なっかしいところのある彼女だからこそ、それくらいの拘束力は必要最低限だった。
故にミレイシア・オーレリーはある日を境に突如として、グランソニア城に幽閉されることとなったのである。少なくとも何も知らない外野の目からみれば、そう映ったことだろう。
直前に自分なんかと絡んでいたからこそ、あらぬ憶測やウワサも飛び交ってしまったが。まぁ結果オーライだ。タイミングよくおかしな記事も出回ってくれたおかげで、人々はより真相から勝手に遠ざかってくれたのだから。
その間にもゼノンは1人、逃げたその人物の行方を追っていたわけで。
「近いな……。そろそろか」
そう独り言ちてから間もなく、ゼノンは足を止める。
少しまえから魔物との遭遇はパッタリと止み、きな臭い雰囲気が漂っていたが。
思った通り、そこにソレはいた。
薄汚れたフードですっぽり目元まで覆い、こちらに背を向け佇む華奢な影が。
ゆっくり、ゆっくりとこちらに体を向けて。
心なしか、その装いはアレと似ているのだ。
1年ほどまえに出会った魔女の少女が演じていた悪い魔女、コード名では『イルミナ』とも呼ばれていたその風貌に。
だから『イルミナ』と対峙したときはもしやと身構えもしたし、紛らわしい恰好をされた腹いせもあってやや手心も抜け落ちてしまった。それでポンとアホ面がおまみえしたときは本当に、言葉も出なかったが。
でも今度ばかりは間違いない。
そこにいるのは紛れもなく、彼女だった。
この1年と少し、ゼノンがずっと追い求めていた相手がそこに。
「よぉ、見つけたぜ。久しぶりじゃねぇか」
分かっていたことだが、返事はない。
「こんなとこに居やがったのか……。なるほどな、いくら探しても見つからねぇわけだ」
なぜ此処に居るのか、いつから居たのか。
いずれも問いかけることに意味はない。
きっと何もかも、彼女の純粋な意志によるものではないからだ。
ただ約束があったから。
その約束を果たすために、ゼノンはここに居る。
実に厄介なことだが。
一方的とはいえ結ばれかけた小指の感触も、まだ少しだけ残っていたから。
『もしものときはよろしく頼んだよ、ゼノンちゃん』
どこか懐かしくもあるその声が、頭のなかに響く。
ったくと悪態混じりにウンダリし、頭の後ろをガリガリしてから身構える。
「あんまり手間、かけせんなよ……!」
かくして人知れぬ森の奥地、魔女狩りと『何か』の戦いは幕を開けるのだった。
そして、それは。
グランソニア城で無限回廊が崩壊したのと、ほぼ同刻のことで――。