2-8.「オセロゲームだったんだ」
魔法という概念は大きく、『属性』と『特性』の2種類に大分される。
『属性』は基本となる6属性に由来する力で、適性や生まれ持った素質はあれど、鍛錬次第で習得可能なものだ。すなわち、すでに体系化・構造化の済んでいる魔法群の総称である。
対して『特性』はざっくり言えばそれ以外の、個人や家系が生まれ持った魔法性質のこと。
こちらは再現性がなく使い手も当人のみであることが殆どのため、各方面の権威もメスの入れようがないというのが実情。
そのため研究や原理の解明もまったく進んでいないのだ。
混ぜ合わせた『血』の相性だとか、突然変異のようなものだとか。
諸説あるようだが、本当のところは分からない。
そして他でもない、ケインの『喰らう力』やゼノンの『侵蝕する力』も、その『特性』側に類する魔法だった。
だから、大いに警戒して臨んだのだ。
吸収ないしは無効化と、系統は違えど互いに『喰らう者』同士であることに違いはない。
本気でぶつかったらどちらに軍配があがるのかは確かに、未知数のことだったから。
だが、終わってみればなんと呆気ないことか。
「――そう、つまりこれはオセロゲーム。僕が君の魔力を食い尽くすのが先か、それ以上のスピードで君が僕の魔力を無効化しきるのが先か。そういう勝負だったんだ」
カツン、カツンと小さな靴音とともに、クツクツと。
悦の滲んだ勝者の声が、静寂を取り戻した地下の大空間に響く。
「正直、最初は焦ったよ。やはり君はそこらの連中とは格が違うね。手を抜いてどうこうできる相手ではなかった。だから僕も久々に本気で望ませてもらったわけだが――。いや、済まない。でも少し意外だったものでね、どうか許してくれ。だって仕方ないだろう? 誰も思わないじゃないか」
靴音が、そこで止む。
詫びを入れたのは、途中でふっと吹き出してしまったからだ。
まったく、どう言葉にすればよいのか分からなかった。
このやりきれなさ、何より滑稽さを。
治癒や予知、心眼や召喚術など世には様々な魔法系統がある。
だがゼノンのそれは明らかに一線を画す代物だ。なにせ相手の魔力そのものを封じ、無効化してしまうというのだから。とんでもない奴が現れたと、魔女狩りたちの間でも随分騒がれたものだ。
だからこそいずれ障害になるとすればと、一目も置いていた相手だったのに。
なんだこれはと可笑しくなってしまう。実に珍妙な光景ではないか。
それこそ油断したら、また吹き出してしまいそうになるほどに。
なにせ――。
足を止め、コホンと咳払いとともにニタニタ笑いを禁じ得ずにいる。
そんなケインの見上げる先では。
「まさか君が、そんな動きをするだなんてさぁ」
うず高く堆積した泥濘がウネウネと、壁に密着するように蠢いているのだから――。
時は少しだけ遡る。
魔力の摂食と、このままでは一度も試食できないままお預けにされてしまいそうだった在庫の消費。少し早めの夜食、そして『食』の美の追求。
あらゆる意味合いをもって、ケインが捕らえてあった備蓄食料に急ピッチの『仕込み』を開始したのが先のことだ。けたたましい悲鳴にいたたまれなくなったか、ゼノンもすぐに動いた。真っ先に彼女に向かって鉄鎖を差し向けたのは、どうせ意識を狩り取ろうとかそんな魂胆だったのだろうが。
『僕を相手によそ見かい? いくら君でも、そんな余裕はないはずだよ』
そんな見え透いた一手は、軽く叩き落としておしまいだった。
手数で攻めたて、そんな余裕も削いだところでさっそく『調理』を始めていく。
すべての指を折り終わったあとは、忘れていたので爪に手をかけた。
それに並行して、致命傷にならないところからまんべんなく揉んでいく。
切って、ねじって、砕いて、擦って、打って、抉って、挟んで、貫いて。
『おっと、失血にも気を付けないとか。やれ、煩わしいことだよ』
仕方ないのでゴリっとやったら、やや耳障りな絶叫が上がったので首を絞めた。
こらこらダメじゃないか食事中は静かにしないととシーっ、指を立ててエチケットを促すもなかなかヒンヒン泣き止まないので、口腔から喉の奥をひっかきまわしてやる。
本当はもっと焼いたり、浸したりしたいのだ。
薬も使いたいし、催眠もかけたかった。
物理的な手段しか使えないのが、本当に口惜しくてならない。
とはいえそれでも一定の効果はあり、次第に旨味が溢れ出してくる。
このときケインがやっていたのは、本来は何日間もかけてゆっくりやる工程をものの数分で駆け抜けるような強引な調理法だ。
美しさに欠けるため、これまで手を出してこなかった邪道なのだが。
しかし、これは――!
そこに新たな可能性を見い出したような気がして、ジュルリと垂涎する。
指揮者のように杖を振りかざすその手に、さらに力がこもった。
『いいっ! これはいいぞおっ、その調子だ! 期待以上の成果じゃないか! さぁ想像しろ、考えるんだ! 次はなにをされるか、何をされたくないのか! 恐怖し、慄き、もっともっと旨味を引き出して――あっ?』
だがその瞬間、まるで夢から醒めたみたいにケインは現実に立ち返ることになる。
つい今しがたまで向かい合っていたゼノンが、いきなり戦線から離脱したのだ。
それも後ろ向きの一足飛びで。
まさかと思ったら、そのまさかだった。
『――おいおい。いくら何でもそれはないんじゃないかな、ゼノン君』
自分との交戦を放棄し、彼は人質の救出に向かったのである。
『君はいったい、どこまで僕を失望させる気なんだい?』
そして、迎えたのがこの結末だった。
目の前には堆積した泥濘の山。
言わずもがな、この中にいるのはゼノンだ。
どうも感触からしてまだ中身は無事のようだし、せっかく調理中だった食材も奪取されてしまったようだが。
だから、何だというのか。
いろいろ悩んだ末に、ひとまず尋ねてみることにする。
「おーい、聞こえるかな。無事にお仲間を助け出せたようだね、おめでとう。まったく、君はすごいやつだよ。その勇気に免じて、こればかりは僕も負けを認めようじゃないか。完敗だよ。だが1つだけご教示願いたいのだがね」
すぅーと息をついでから、ニタニタと嫌味たっぷりに呼びかける。
「君はいったい、そこからどうする気なんだぁー?」
分かっている。
ゼノンは出てこないのではない。出られないのだ。
こうなってしまっては、さしもの彼でもどうしようもない。
そんな確信があったうえで、やけに間延びしたケインの声がけは続く。
「ねぇー応聞くんだけどさぁ。待ってればその内お友だちが来てくれるから、それまでの辛抱だーとか思ってないよねー? 僕ね、いま君の周りを覆いつくしてるんだ。分かるー? 密封してるの! だからたぶん、誰か来るまえに息が詰まって死んじゃうと思うんだよねぇー!」
ほかに可能性があるとすれば、なんだろう。
想像してみてから、ポンと手のうえにグーを落とす。
「あー、もしかしてあれかー!? よくあるよね、王道のバトルものなんかでさ! 閉じ込めたと思ったら、実は穴を掘ってて下から飛び出してくるようなやつ! もしかしてあれをやろうとしてるのかな!? おっとこいつは油断ならないぞ~! どこだ、どこから出てくるんだぁ!? ってそうだ、君に『土』の素養はなかったはずじゃないか! それじゃ土台無理ってやつだね、土だけに!」
あっはっはと高らかな笑い声が響くが、やはり反応はなかった。
「なぁ。まさかとは思うが君、本当に考えなしに突っ走ったのか? 種明かしするなら、そろそろ頃合いだと思うのだがね。そのままだと本当に死ぬよ?」
――――。
「本当に何もないのか。まさかあの君が、こんな終わりを迎えるとはね。本当に下らないものを見せられた気分だが……。よし、チャンスをやろうじゃないか」
指パッチンとともに、思い付きでケインは告げる。
謝ったら許してやる、と。
無論そんなつもりは毛頭ないが、余興くらいにはなると思った。
「やってみればいいじゃないか。誠意さえ示せば、こっちの気だって、もしかしたら変わるかもしれないよー? 僕だってこんな終わり方、本意じゃないんだ。ほら、悪いことは言わないから」
そう誘いかけて、耳をそばだてる。
「なぁ、何とか言ったらどうなんだ? 聞こえてるんだろぉお!?」
しかし再三呼びかけても、返事はなかった。
「そうかい、まぁ君がその気なら構わないけどね。気長に待つとするよ。気が変わったら教えてくれたまえ。あぁ声が小さいと聞こえないかもしれないから、そのときはなるべく大きな声で頼むよー!」
だから踵を返し、ケインはその場に待つことにする。
微塵も警戒は解かず、指先で肘をノックしながら。
害虫だの偏食家だの、こちらの美学にさんざんケチを付けてくれたのだ。
ただで始末は付けない。必ずや相応の報いを受けさせてやる。
そうだ、面白オブジェにしてやろう。
あとから来た魔女狩りどもが震え立つような、とびっきりコミカルでユーモラスな作品を。
さて、どうしてやろうか。
思索にふけり、また静けさが場に満ちたときだった。
「だから――」
ついぞ、その声がケインに届くことはないまま。
うねる泥濘、その暗闇のなかにチッと小さな舌打ちが響く。
「勝手に勝った気になってんじゃねぇよ、害虫野郎」




