9-41.「悪くない」
魔人、アレクセイ・ウィリアムがズルリとなって落ちていく。
下方にフェードアウトし、姿が見えなくなってから程なく、ぐしゃりとイヤな音が遠巻きからして。その後、音沙汰がないことをゆっくり数秒もかけて確かめてから。
「助、かった……」
プハリと、ずっと溜めていた呼気を吐き出したのはリクニだった。
起こしていた上半身をパタリとやって大の字、全身で喘ぐようにしてハァハァする。
でも全然足らないので、すかさずとゴソゴソ。
懐から取り出したのは、普段から持ち歩くよう心掛けている携帯酸素だ。こういうイレギュラーがあるから手放せないのだと青ざめながら口元に宛がい、カシューとやって深く吸い込んで。
ギリギリだった、本当に。
アレクセイに首で持ち上げられていた大ピンチのとき、まさか尖塔に立っているルーテシアを見つけたときは、それこそ青ざめたなんてものではなかったが。
眩しいどころじゃない強烈な『浄化』の光がピカーとなったあと、上から顔を出したミレイシアが言うのである。「ルゥちゃんの光を浴びると回復できなくなるみたいなの!」とか何とかで、とにかく今だよと。
もう訳が分からなかったが言われるまま、リクニはありったけの魔力を込めた渾身の一撃をアレクセイに見舞ってやった。そしたらなんと、空高く打ち上げられクルクルと回転しながら落ちてきたアレクセイは立ち上がらず、ダメージから回復する様子もなくて。
一時はそれで終わったと思ったのだ。
ミレイシアがすごいすごいと拍手を送っていて、場が和やかなムードに包まれる。
とはいえリクニは手ひどくやられて、立つのもちょっとしんどいくらいの有様だったし、ルーテシアも決して無傷とはいかなかった。それはそうだ。あんな高さから身投げして、無事で済むわけがない。いくら直前に『風』の魔法を使って、落下の衝撃を和らげていたとはいえ。
それを受け、ミレイシアが今行くとすぐに顔を引っ込めたけれど。
直後のことだ。どうやら正気に戻ってくれたらしいルーテシアに、ごめんねと。
ずっと言いたかった謝罪を口にしかけたところ。
彼女の様子が急変し、何かに反応を示したのは。
すると途端にリクニを庇うように、その小さな体を張って前に出る。
まだフラついている体を酷使し、構えた杖先を何かに向けて。
「ルゥ……? どうし……」
いったい何事かと思えば、そのときリクニも目を疑った。
アレクセイがまた立ち上がっていたのだ。
片腕を失くした状態でヨロヨロ、ブツブツと何かを呟きながら視線を彷徨わせ。あたかも怨念に取りつかれた亡霊のような出で立ちで。
「……ッ!? ダメだミレイシア、来るな! まだ終わってないッ!!」
リクニはすかさずと声を張り上げた。
その啓蒙がギリギリ、彼女の耳に届いてくれていることを祈って。
幸いアレクセイにしろ様子がおかしくて、すぐに襲い掛かってくるようなこともなかったが。もう魔力もほとんど残ってないだろうに、下がるように言っても聞かないルーテシアが最大限の警戒を向けるなかで、異様な膠着状態は続く。
でもその最中に、ミレイシアは来てしまって。
狂乱したように襲い掛かるアレクセイに、ミレイシアは一瞬こちらに向けかけた足を切り返し、真逆方向に回避させた。
おそらくはこちらを巻き込まないようにと、咄嗟の判断でそうしたのだろう。
まったくもって彼女らしいことではあるが。
オバケはちょっととか、前にバツの悪そうに明かしていたミレイシアはこんなときだけ勇敢で、今の内にルゥちゃんを連れて逃げてなどと振り返りながら叫んでいる。
「勘弁してくれ……ッ!」
でもそんなことできないし、体力的にも無理だし、したくないし、あの怪物を倒すならルーテシアの魔法が効いている今が最大の好機だ。だからリクニは必死になって知恵を巡らせた。
残された僅かな魔力で、あの怪物を確実に葬れる方法を。
3人で生き残るための手段を。
それだけが取り柄だろう!
なにか思いつけこのポンコツ頭と、知力を振り絞って。
そして、ハッとする。
ミレイシアの支援に駆けだそうとしたルーテシアを呼び止め、言った。
「ルゥ、ミレイシアに伝えてくれ! ありったけの大声で!」
そのまま全力疾走で、屋上から外に飛び出すようにと。
アレクセイがミレイシアに吐き毛を催すほど執着しているのは知っていたし、なおかつ、その声がアレクセイにまで届く心配はないとも言い切れたから。
そうしてその指示通り、ルーテシアが声を張り上げ、ミレイシアがもう勇敢すぎるというか向こう見ずな感じで思いっきり中空へ飛び出す。その周囲をビビビっと、光の方陣で囲って――。
とまぁ、そんなドタバタ展開を辿っての決着だったわけだ。
まさかアレクセイが土壇場でミレイシアを囲った方陣に手指をかけ、ぶら下がってきたときは生きた心地もしなかったが。(間違っても方陣が破られないようリクニは立てた二本指をずっと、全霊の力をもってプルプルさせていた。)
その負荷からも、たったいま解放されたところになる。
アレクセイの腕が片方しか残っておらず、掴まることで精一杯だったことが幸いした。そうでなかったら、今ごろどうなっていたことか。
「考えたくもないね、まったく……」
やっとため息を付けるくらいには呼気を整えられて、そこでようやくフゥと一息をつくリクニだった。――と。
「大丈夫、リクニさん!?」
そこに駆けつけてきたのはミレイシアだ。
彼女には申し訳ないけれどちょっと下を覗いてもらって、落ちたアレがまた起き上がってこないかを偵察してもらっていたのだが。
「どう……? さすがにもう、起き上がってこないかな……?」
「うん、大丈夫みたい」
「そっか。なら……」
良かったと、そう言いかけて控えた。
いなくなった方が世のためになる人間なんていない、などと。
そんな聖人君子みたいなことは思ってないし、とても思えないけれど。
でもやっぱりそうであって欲しいと願いを捨てきるのは、とても悲しいことだから。
「ひと安心だね」
その言葉に留める。
それにミレイシアは「うん」とだけ、治癒をかけてくれながら小さく頷き返して。
差し当たって詫び入れたのは、またもミレイシアを飛び降りさせてしまったことだ。ううんナイスアイデアだったよと気遣われてしまったけれど、さすがに慰みにはできなくて。
「そんなわけないって」
やるせない笑みがこぼれた。
ほとほとイヤになる。この人よりひ弱で貧弱な体が。
自分にもっと力があれば、彼女を2回も飛び降りさせずに済んだのにと、そう思うと。
しかも、それでまだマシな方だというから笑えない。
なにせもう一人いるからだ。自分が不甲斐ないばかりに、とんでもない無茶を敢行させてしまった被害者が、もう反対側の傍らにも。
だからリクニは言った。
伸ばした手で、その形の良い頭にそっと触れて。
「ルゥも、ごめんね。本当に……」
ずっと言いたかったことを。
声もなく、その瞳からポロポロと涙を零して、首を横振りしているルーテシアに。
リクニから彼女に伝えたいことは山ほどあるのだ。
それくらい面目ないことばかりになってしまったから。
最後まで気持ちよく送り出してあげられなかったこと。
一番ピンチのときに、駆けつけてあげられなかったことに加えて。
まさか彼女にまで、あんな高いところから飛び降りさせてしまうだなんて。
怖かったよね、でもおかげで助かったよと、そう伝える。
何より謝りたいのはあのとき、目のまえでルーテシアを傷つけさせてしまったことだ。ミレイシアのおかげで、怪我こそもうすっかり治ってはいるけれど。あんな風に殴りつけられて、痛くなかったわけがないから。
それをぜんぶ謝る。
でもルーテシアは泣きながらやっぱり、いやいやとするように首を横振りするばかり。ぎゅっと握りしめる杖先には青白い、とても弱々しい光が灯っていて。
「なんでルゥが謝るのさ……? 悪いのは全部、僕だよ」
そんな2人のやり取りに、半ば呆気に取られていたのはミレイシアだ。
泣きじゃくりながら、「そんなことない」と必死に謝り返しているルーテシアの言葉を通訳しようかと思ったら、まるで声が聴こえているかのようにリクニが淀みなく応じるものだからポカンとする。
「あれ、リクニさん……? ルゥちゃんの声、聴こえてるの?」
確かめたらリクニは、「うんや」とルーテシアをヨシヨシしながら疲れ切った表情で答えた。勿論、杖先に灯った色で大体分かるようになっていることもそうみたいだけれど。それがなくともまぁ何となくはとのことで。
「これでももう、そこそこ長い付き合いだからさ」
どうやらそれが一番、大きな理由みたいだった。
だから「そう」とだけ静かに答えて、ミレイシアは治癒に専念する。
今回のMVPは間違いなくルーテシアで、すごいカッコよかったんだよとかさっそく教えてあげたいのは山々だけれど。話を聞くに、どうやらすれ違ってしまったこともいろいろあったみたいだから。いったん2人のことは、2人だけに任せて。
「大丈夫だよルゥ、泣かないで。大丈夫だから……。でも、ごめん。アリシアちゃんとのお泊り会はちょっと延期になっちゃうかもな」
そんなリクニからなけなしの詫び入りに、ルーテシアはコクコクとしきりに頷いていた。
ともあれ――。
やっと終わったと安堵感のなか、ルーテシアをヨシヨシしながらふぅと、すっかり薄暗くなってしまった空を見上げるのはリクニだ。
ひとまず雰囲気だけなら、これにて一件落着といったところだが。
我ながら目も当てられない、かなりひどい顛末だったと思う。
一番頼りにならなくちゃいけないはずの自分が、居合わせた女性陣2人(低学年含む)を散々、数えきれないほど危ない目に合わせたうえ、通算3度に渡って身投げまでさせたのだから。しかもそれでどうにかこぎ着けた、首の皮一枚繋がったようなギリギリの勝利である。
スマートには程遠く、胸なんか張れるはずもない。
めでたしめでたしなんて、とても言えたものではなかった。
もはや一歩も動けそうもないと、この満身創痍な自身の有様を思えばこそ、尚さらに。
本当に笑えないというものだ。
よもや『星詠みの君』とは、こんな状況を揶揄しての称号だったのではないかと、そんな皮肉めいたことも考えてしまう。
まさしく今の自分にピッタリではないか。
べったりと地面に背をつけ、無様に天を仰ぐしかなくなっていると、この如何ともしがたい体たらくぶりを思えば……。
あまりに皮肉が効きすぎているものだから、ははっとまた悲しい笑みが零れる。
だけど――。
いや、待てよ?ともなった。
考えてみるとだんだん、そっちの解釈も悪くない気が……。
むしろお似合いなのではないかとさえ思えてくる。
渾身の持ちネタ、ジョークとしてもこれからふんだんに活用できそうで。
そうだ、それでいこう!
たちまちそれが名案であることに気付き、心の中で思わずポムと手を打つリクニだった。
そのうえでできれば盲目的なファンたちにも、改めて言ってやりたいのである。
こんなのの何がいいの?
もっとよく周りを見なよって。
そしたらもう少しだけ、以前より何かと窮屈でなくなりそうな気がするから。
意気地が無くてどうせ実行できないとは分かっているけれど、想像してみるだけでも気分が晴れる。スカッとする。
ともすればこんな自分でも、少しは好きになれそうな予感がして。
「うん……。悪く……ない、よね……」
そんなありそうもない空想を思い描きながら。
やだしっかりしてと遠ざかっていく声のなか、魔女狩りリクニ・オーフェンは静かに瞼を下ろしていく。
大丈夫、ちょっと眠いだけだからと。
とても心配そうに口をパクパク、ワタワタしているルーテシアの頭に最後にそっと触れてから、緩やかに意識を手放していくのだった。
とにもかくにも散々だったけど、不思議と悪い心地ではない。
どこか吹っ切れたようでもある清々(すがすが)しさに、心身を委ねながら――。
グランソニア城、リクニ&ルーテシア編 ー終ー




